32.最後の報告
「次に会う時は、いよいよ学園だな!」
「うん、楽しみにしているよ」
十四歳になった僕たちは、来年、十五歳でフローラ学園に入学します。
できることはやって、対策し、気を引き締めて行かなければなりません。
学園での再会を誓い、ジャックとシルファさんが領地へ帰っていきました。
僕にもセレアにも、信頼できる友人がいる。そのことが僕らに勇気をくれます。
ゲームのことなんて、もちろん彼らには言いませんが、なにがあってもきっと僕らの味方になってくれる。そのことが心強いです。
僕らはここまで、できるだけ成果を上げてきました。公務を通して、僕らが王子と王子の婚約者という、確固たる立場を確立することに没頭してましたね。万全を期したと言っていいと思います。
孤児院と病院は、今や全国の各領地に設立され、その運営ノウハウも確立されました。孤児院では既に第一期の卒院生が社会に旅立ち、平民以上の教育水準で働き先の職場を驚かせています。
病院では外科、内科、救急の三部門体制が常に患者の受け入れに待機しています。乳幼児と子供の死亡率は1%以下に低下しました。
消毒用アルコールは量産体制も整い、その衛生管理のノウハウと共にわが国の輸出産業に成長しつつあります。今や先進国のハルファから技術供与の依頼を申し込まれるまでになっています。
病院での治療には欠かせない氷。これも量産に成功しまして、今ではカラカラと製氷機の動力源となる風車が回っています。病院の良い目印になっているようです。肉などの食料を扱う現場でも、高価な蒸気機関の製氷機を導入し、食品の冷蔵に効果を上げていまして、今後一層の普及が見込まれます。
その、僕らの活動の中心となってきた、スパルーツさんの実験室を訪問します。スタッフも増え、大所帯になってますよ。
「いやー、失敗から得られる新しい知識ってのもあるんですね。見てください!」
そう言ってカバーされたシャーレを見せてくれます。
「これ、破傷風菌なんですが、ほら、カビ生えちゃってるでしょう?」
見ますと、青カビが生えちゃってます。
「普通だと殺菌して捨てるんですがね、カビが生えてるところ、菌のコロニーがやられてるんです。青カビが菌を殺すんです! 大発見ですよ!」
ごめんなさい。その青カビ、セレアがカビ生えたパンから振りかけたやつです。もちろんコレがあのときのシャーレってわけじゃないでしょうけど。
なんでニコニコしてるんですセレア。僕スパルーツさんの顔が見れませんよ。
「今ボクらはかたっぱしから青カビ集めてます。それをいろんな菌のシャーレに生やして、効果を確認しています! 今はもうこの殺菌成分を、どうやって分離して、抽出するかを実験しているところなんですよ! もしそれが成功したら画期的な治療薬になります!」
スパルーツさんのテンションが凄いです。そんなに凄い薬だったんですか。セレアのイタズラ、ものすごい意味があったんですねえ……。
「それ、人間に投与しても大丈夫なんでしょうか? 体の中にカビ生えたりしません?」
「大丈夫です。カビの溶菌成分を抽出して使います。顕微鏡で見てわかったんですが、細菌は植物と同じ『細胞壁』という細胞を守る壁で覆われています。それを溶かすんですね。おそらくカビが繁殖する時に他の植物や粘菌を排除し生存競争に勝つために獲得した抗生物質なのでしょう。人間のような動物の細胞にはこの細胞壁はありませんので無害なんです」
顕微鏡で見たらなんでもわかるんだなあ。
この顕微鏡もセレアのアドバイスで完成しましたからね、セレアは本当にすごいです。
「今日はそれとは違う病気について、ご相談をと思いまして」
「どんな?」
「天然痘の予防についてです」
「天然痘!」
研究室のスタッフがいっせいにこっちを見ます。全員驚愕の顔ですね。
「て……、天然痘!? 人類最大の敵ですよ!? それが予防できるって言うんですか!」
「これを見てください」
そう言うともう部屋にいたスタッフが全員集まってきて、僕らの机を取り囲みました。どれだけ天然痘が、医師を苦しめてきたかがわかります。
「調査をしてもらったのですが、全国的にも、このワイルズ子爵領は天然痘の大規模な感染が起こっていない特異点なんです。それで調べてみたんですけど、牧畜が盛んなワイルズ子爵領では、たまに牛が牛痘という病気にかかります」
「はい、牛の乳房に水泡ができますね」
「牧畜に関わる人は乳しぼりでたいていこの病気に感染してしまうのです。人間だと熱が出て一週間ぐらいで治っちゃう病気ですが、でもこの『牛痘』に感染して治った人は、天然痘にかからないのです」
「うそお……」
スタッフ一同、驚愕です。
「まだデータ、もらったばかりなんですけど、過去、牛痘にかかったことがあるかというアンケートです。牧畜関係者四百名から聴取しました。半数のおよそ二百名が牛痘にかかったことがありますが、その二百名のうち天然痘にかかった人は一人しかいないのです」
「牛痘が……」
「天然痘にかかって、死なずになんとか生き残った人は十名ほどいますが、その人たちは牧畜業とは無関係か、牛に触れたことが無い人で、おそらく牛痘にかかったことは無いと思われます」
場が静まり返ります。
「……牛痘にかかると、天然痘の免疫ができるってことですか?」
若い女性スタッフの人が恐る恐る聞いてきます。
「そうかもしれません」
「一度天然痘にかかって回復した人は、二度と天然痘にかかりません。天然痘の治療、手当てに関わる人は天然痘にかかったことのある人だけを選んで介護に当たらせていますが……、それと同じことが牛痘の経験者でできると?」
「もう一歩、考えを進めてほしいんです。牛痘は軽い発熱、まれに水泡ができる程度で一週間で治っちゃいます。国民全員を、一度牛痘にしちゃうようなことができませんか?」
「わざと病気を感染させると!?」
「はい」
セレアの言う免疫予防です。セレアの前世の国では、いろんな伝染病についてこれ子供から大人まで国民は全員やるそうです。そのおかげで天然痘を撲滅することができたとか。
「うーん……それはすごい。物凄い発想です。めちゃめちゃ反対されちゃいそうですが」
スタッフがみんな半信半疑ですね。
「……王子、ご承知かもしれませんが、天然痘は人間だけがかかる病気です。これにかかる動物はいないのです。つまり動物実験ができません。なにかやるとしたら人体実験になっちゃうんですよ……」
うわあ、そりゃ大変だ。
「いや、これ誰がやるんだよ……」
「ヘタしたら自分が天然痘にかかってしまうって」
「天然痘にかかったことの無い者は、患者には近づくな。医療の鉄則ですからな」
「……」
みんな、黙っちゃいます。
「私がやります」
先ほどの女性スタッフが声をあげました。美人さんで、若いです。
「ジェーン、危険だよ!」
スパルーツさんがあわてて止めます。死亡率50%を超える病気ですからね!
「私は親も兄弟も、みんな天然痘で亡くしました。天然痘は私の仇です。屈服させるべき敵なのです! こんなヒントをもらって、何もしないなんて耐えられません! その調査、私がやります!」
「ジェーン……」
「行かせてください。そのワイルズ領で調査をします。今天然痘が発生している村があったら連絡してください。お願いします!」
「ダメだ! ジェーン、もし君を天然痘で失うようなことがあったら僕は耐えられない……。やめてくれ」
スパルーツさん、この女性研究員の人とラブラブ中でしたか。そりゃ行って欲しくないよね。
「青カビの研究は今は中断できません。先生にはそちらに集中してもらわないといけません。これは誰かがやらないと……」
「ジェエエエエエ――――ン!」
スパルーツさんがジェーンさんを抱きしめます。
うわあ修羅場になっちゃった。どうしよう。
「と、とにかく、このデータはお渡しします。よくご検討いただければと思います」
「……ありがとうございます殿下。よく検討させていただきます。決して無駄にはいたしません。貴重な資料、ありがとうございました」
スタッフ全員が最敬礼して、僕らを送ってくれました。
「……いやあ大変なことになっちゃった」
「私もびっくりです……。まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした」
僕ら、今まで衛生とか、殺菌とか、隔離とか、そんな医療のほんの基礎の基礎って感じのことばっかりやってましたから、これがこんな大事になるとは。
「……もうサイ投げちゃったよ。あとは任せよう」
「……はい」
午後、カフェでベルさんと待ち合わせ。
シュリーガンとの結婚式以来、初めて会いますね。
二人で病院から歩いていくと、すでにカフェテラスに座って待っててくれました。
「お久しぶりです。しんちゃん、セレアちゃん」
「お久しぶりです……」
いつもメイド服でしたから、私服のベルさんって初めて見ました。
夏らしく涼し気な黒の水玉ワンピースにつば広帽子で、既に人妻の色気が漂います。こんなに変わるものなんでしょうか。雰囲気が全然違いますね。
「シュリーガンがお世話になってます。新婚生活はどうですか?」
「娯楽としては最高ですわ」
どうなんでしょうその感想。幸せだというようでもあり、生々しいようなやらしさもなんか感じもし、僕のようなガキにはなんかうまいこと言って返せる気がまったくいたしません。まあシュリーガンがうまくやってるのならそれでいいです。
「今日が最後の御報告になります。今までかわいがっていただき、ありがとうございました」
「いいえ、本当に長らくお世話になりました」
紅茶をそっと口に含んで、話します。
「ハンス料理店の娘、リンスが、その才能を認められ、ブローバー男爵の養女になることが決まりました」
衝撃の展開です。いや、アリかもしれないとは思っていましたが、セレアが「多分それは無いと思います」と言っていたことが現実になっちゃいました。
「新作料理だけでなく、商才にも長けた娘、ハンスは手放すのを渋っていましたが、金の生る木であるリンスを男爵が所望し、リンス嬢自身も、養子縁組を返事を延ばしていたようですが、十四歳になり、それを受け入れることにしたそうです」
……無いわけじゃありません。血統に強いこだわりがある公爵、伯爵クラスの貴族ならともかく、男爵のような下級貴族だと優秀な者を身内にして力をつけるということはやります。剣技に長けた者、魔法が使える者、成績優秀な者を一族に加える例は少なくありません。
「今までで一番驚いた顔をしていますわ。お二人」
「……実はそうです」
「理由はわかりませんが、お二人が注目なさっているのはリンス嬢。そうですわね」
「それも当たりです……」
「お二人、隠す理由があるのだと思い、今まで聞きませんでした。これからも話してはくださらないのでしょう」
「はい」
「お二人は来年、十五歳になられます。フローラ学園に入学します。そこでリンス嬢とご同窓になられるかと思います」
フローラ学園は三年制です。ヒロインさんは王都の私学に入っていましたが、才能を認められ、本来、二年目に平民として転入してきます。実はゲームスタートはそこから。ゲーム期間は二年なんです。
それが一年目から、養女とは言え、貴族という同じ土俵に立って僕らに挑戦してくる。僕はセレアのゲーム設定の話を一通り聞いて、ヒロインさんの一番の武器は「平民」であることだと思っていたのですが、その武器だと思われていた「平民」という立場をあえて捨ててです。よほどの勝算があっての決断だと思えます。あるいは二年では足りない。三年かけて何かやろうとしているのかもしれません。
「あとはお二人が、実際にリンス嬢と遭遇することになります。どうするかはお二人しだい。もう私どもができることはありません。ご武運を祈ります」
……もしかしてベルさんがメイドをやめて結婚したのも、後のことは自分の目で確かめろってことなんでしょうかね。もう子供じゃないんだからって。
「以上ですわ」
「ありがとうございました。ほんとうに今まで、お世話になりました」
「いいえ」
セレアも手を伸ばして、ベルさんの手を握ります。
「ベル、今までありがとう。どうぞお幸せに」
「もちろんですわ」
そう言って微笑みます。
僕、ベルさんの、素の笑顔、初めて見たかもしれません。いやこれがたぶん初めてですね。
ベルさんは席を立って一礼し、帰っていきました。
その後ろ姿、素敵でした。
次回「33.学園入学前夜」