30.氷を作ろう
王宮に帰ってからは、すぐに公務に戻ります。
シュリーガンブートキャンプのせいで、毎日泳ぎだの、乗馬だの、弓だの、剣だの、夏休みを楽しんだ気が全然してませんけどね僕は。まあどれも広々として雄大なワイルズ子爵領ならではって感じで、これ王宮でやるとしたら騎士団の連中と一緒になって馬場や弓場でやらないといけませんから、いい経験だったとは思います。
鍛錬の合間に毎日ジャックとシルファさんと四人で、お茶したり、ピクニックをしたりしてましたんで、もうすっかり仲良くなりました。親友と言っていい関係ですね。
セレアに言わせると、ジャックはゲームのキャラみたいな、尊大で気取ってて威張ってて、それでいてコンプレックスに悩み、シルファさんをないがしろにするような態度が全くなくなりまして、びっくりするほど性格が変わったそうです。
僕らがいないと二人でイチャイチャしてるんですよ? なんだかなあ。
「シン様のおかげです。シン様がよき手本になってくださったから」
セレアはそう言いますけどね、要するに二人とも僕ら見てて羨ましくなっただけなんじゃないかと思いますけどね、僕は。
王都では連日の猛暑で、孤児院でも、病院でも、熱中症の患者が出たようです。
病院では水を絞ったタオルを当てて、孤児院の子供たちには大浴場を水風呂にして入ってもらったりして、大事には至りませんでしたが。
病院では、「氷が作れればいいんですが……」と言われました。
病院の監督も僕らの仕事ですから、解決したい問題です。
お湯を沸かしたり、熱する方法はいくらでもあるこの世界ですが、氷を作る技術はまだありません。魔法使いさんができるって話は聞いたことがありますけど。
姉上の嫁いだ先進国のハルファは優秀な魔法使いを何人も抱えていて、それが強国の強国たるゆえんです。病気やケガも魔法で治しちゃうとか。僕らのような中堅国家はまだそのような体制が整備されておりません。
風邪や流行の病で高熱を出す人がいっぱいいますし、打撲傷ややけどなどにも、冷やしてやると楽になるのはわかってるんですが、魔法使いがいませんので、氷ってのが作れないんですよ。どうしたらいいもんか……。
王宮に戻ってから、セレアの部屋でのんびりしようとすると、「私の世界では冷蔵庫ってのがありました」ってセレアが言うんですよ。
「それどんなの?」
「食べ物を保存しておく箱で、中が冷たくなるんです」
「そりゃすごい! いったいどうやって?」
「……電気でモーターを回してるってのは私でもわかるんですけど、どうやって冷たくなるのかってのは私も全然知らなくて」
か――! 惜しい! それぜひやり方知りたいところですね!
そもそも知らないんじゃ、思い出すこともできませんね。残念です。
「電気」とか「モーター」とか、全然意味わかりませんしね。
「この世界ポンプってありますよね?」
「そりゃああるよ。水をくみ上げたりするのに。ほら厨房にも地下水をくみ上げる手漕ぎポンプあるし」
「真空ポンプってあるでしょうか」
「それどんなの?」
「空気をどんどん吸い出すポンプです」
「水が汲み上げられるなら空気だって吸い出せそうだね……あるかどうかは知らないけど」
セレアがうーんって考えこんじゃいます。
「水を入れた容器を、しっかり蓋をして、中の空気をどんどん抜くと、水が凍っちゃうってのを教育テレビで見たことがあります」
テレビって何?
「え、水って、空気抜くだけで凍るの?」
「はい」
「なんで?」
「わかんないです」
わかんないよねー。僕にもまったく理解できませんもん。
「……それ、学院の人に相談してみようか」
「はい!」
翌日、スパルーツさんもいた学院を僕一人で訪れて、物理の先生に会ってみます。今日はセレアはお妃教育で王宮にいないといけませんから来てません。
「それなら最近、アルコール温度計を発明した男がいましてね」
「アルコールで温度計ですか?!」
僕らが量産に手を貸したアルコール、妙な所で役に立ってますね……。
話を聞きに行きますと、セルシウスという若い研究員の人が対応してくれました。
「私はアルコールの物性を研究していて、熱で大きく膨張する液体ということに気が付きまして、それで温度計を応用で作れないかと思いまして」
そう言って、その温度計というやつを見せてくれます。
「こうして着色したアルコールをガラス管に封入して、熱で膨張したアルコールが細管を上下して温度の高さがわかるように作ってみたんです。今までは水銀を使っていましたが、水銀はご承知かと思いますが毒がありますからね、これでも氷水から沸騰水まで温度が測れますよ」
そうして、アルコールランプでお湯を沸かして、温度計を入れて見せてくれます。
「王子様がこういう研究に興味を持ってくれるのは嬉しいですな! 御承知でしょうか。沸騰水というのはいつも温度は一定なんですよ。いくら火を強くして沸かしても水の温度はそれ以上には上がらないという温度があるんです」
面白いですね! 水にそんな特性があったとは。
言われてみれば確かに、水って、火さえ強くすればいくらでも熱くなるってわけじゃありません。どんどん湯気になっちゃいます。
「で、氷水ってのは?!」
僕が知りたいのはそっちのほうでして。
「今は夏ですから氷はありませんけど、氷水も一定の温度で変わらないんです。冬になったら、水たまりに張った氷で見せてあげられるんですけど」
「その、実は相談に来たのはその氷の作り方で」
「え……。そんなの外国の魔法使いさんにでも頼まないとダメなんじゃ?」
セルシウスさんもびっくりです。氷を作るって発想が無かったってことになりますか。
「真空ポンプってありますか?」
「ありますよ。この温度計もガラス管を真空にしてアルコールを吸い上げて作りますから」
「それです! それ使うと氷作れるんです!」
「ええ――――!?」
セルシウスさんもびっくりです。
その真空ポンプってやつ、見せてもらいました。
手回し式で、ハンドルをグルグル回すとピストンがしゅぽしゅぽ動いて、ガラスの容器の中を真空にするって構造です。これで温度計のガラス管の中の空気を抜いて、アルコールを詰めるんだそうです。
「水を真空の中に入れると凍るはずなんですけど」
「……ホントですかそれ? 初めて聞きましたよ」
「僕も見たことは無いんですが」
「やってみましょうか!」
ビーカーに水を入れて、ガラス容器の中に入れます。
それから、管を真空ポンプにつないで、ぐるぐるセルシウスさんが回します。
……いくらやっても変化が無いですね。
「ほんと……なんですかねっ……、それ……っ」
ポンプを回すセルシウスさんも疲れてきたみたいです。
「交代しますよ」
「いや王子様にそれをやらせるのは……」
「言い出したのは僕ですから」
「はあはあぜえぜえ……。じゃ、ちょっと人呼んできます。続けて、続けて」
何人も集まって来ちゃいまして、なんてったってこの国の王子が必死に真空ポンプのハンドルを大汗かいてグルグル回してるんだから、なにやってんだってことになりますよ。
「交代しますよ、殿下」
みんなが、かわるがわる交代してくれるんですが、そうするとガラス容器の中のビーカーの水がこぽこぽと沸騰し始めました。
「え、水が沸騰してる……」
「ええええ? なんで?」
「火も無いのになんで!?」
「真空にすると水って沸騰するのか!」
研究員の人がみんなびっくりしてますよ。
「ちょっとまって、氷作るんじゃなかったっけ? 沸騰しちゃダメだろ?」
「熱くなってるんじゃないの?」
「確かめてみるか」
なんだかんだ話し合って、みんなで触ってみることになりました。
あーあーあー、せっかく空気抜いたのに、また空気入れちゃうことになりましたよ。弁をひねって、しゅーってガラス容器に空気が入って、容器を持ち上げてみました。
「冷たい……」
僕も水の入ったビーカーに触ってみました。冷たくなってます!
「えーえーえー? なんでなんで?」
研究員の人たち、みんなびっくりですね。
こうなるとがぜん、みんなやる気になります。学者さんってこういうところが面白いですね。もう一度管をつないで容器を密封し、みんなで交代でどんどんハンドルを回して最初からやり直してくれます。大勢の人でがしゃがしゃ、しゅぽしゅぽハイペースで実験が進みます。
ぼこぼこ、沸騰していたビーカーですが、そのうち沸騰が収まって、水面が静かになります。
みんな上着も脱いで上半身裸で大汗かきながらハンドルを回して観察してましたが、突然ビーカーにぴしっとひびが入ります。
「え……」
みんなびっくりです。水のビーカーにひびが入ったのに水が漏れません。
「まさか……」
もう一度空気を入れて、容器を開きます。
おそるおそるビーカーに触ってみます。
「凍ってる……」
「凍ってるぞ」
「氷になってる!」
「やったああああああ!」
なんだか知らないけど大騒ぎになりました。
「大発見だあああああ!」
「こんなに簡単に氷が作れるなんて!」
いや簡単じゃないよ。十人がかりで大汗かいてハンドル回してたじゃない。
「この原理研究してみます! 装置も大型化して、氷を量産できないか検討してみますよ!」
セルシウスさんが僕の手を握ってぶんぶん振ってくれますね。
「お願いします。病院で高熱を出した患者のために氷が作れないかって考えたんですが……」
「やります、やらせてください。成功したら真っ先に病院に納入しますよ!」
期待できそうです。あとは任せましょう。
学院から王宮に戻りますと、セレアがレッスンが終わって三時のお茶してました。
「セレア! 氷できたよ!」
「え、どうやってですか?」
「真空ポンプで空気抜いたら、水が凍ったの」
「そうですか。よかったですね」
……反応薄いな。
「学院の人はみんな大発見だって喜んでいたけど……」
「え……」
そっちのほうにセレアがびっくりしてます。
セレアにしてみれば見たことあるし、あたりまえのことなのかもしれませんね。
数日経つと学院から連絡が来て、蒸発熱がとか気化熱がとか説明されましたけどよくわかりませんでした。
「水は沸騰すると、湯気になって熱が逃げ、それでそれ以上温度が上がらなくなるでしょう。空気を抜くと、ムリヤリ沸騰させることになるんです。蒸発で熱を奪うことができるんですよ。気化熱と呼ぶことにしました。消毒にアルコールで皮膚を拭くと、ひやっとするでしょ。それと同じなんです」
同じかなあそれ。
僕、熱をポンプで吸い出したんだと思ってました。違うみたいです。
とにかくこれで氷が作れるということで、他部署とも協力して装置の大型化に取り組むそうです。ポンプを回すのは風力か水力か、最近、実用化された石炭を燃やして動かす蒸気機関を使うかして、氷を量産できる装置を作りたいんで、予算を申請するから研究者の名簿に加わってくれってことです。
「いえ、水を真空にすると凍るってのは、僕の婚約者のセレアが言ったことですから、セレアの名前を載せてください」って言うとみんなびっくりしてました。
またセレアが、論文に共同研究者として名前が載っちゃいそうです。
「ほら、氷水は氷の量に関係なく、一定の温度なんですよ! 温度ってのは今まで温度計によってバラバラでしたが、私はこれを0℃ってことにして、沸騰した水は100℃って基準を作ろうと思うんです!」
氷を入れたビーカーに温度計突っ込んで、セルシウスさんが見せてくれます。
そこに戻っちゃいますかセルシウスさん……。
次回「31.おめでとうシュリーガン」