23.他意はないです
僕らは十二歳になりました。
医療用のアルコールの製造、軌道に乗りまして、そろそろ他国にも少し輸出できそうです。まず国内の消費が優先ですから、外国にはそんなに多く回せませんけど。
廃棄農産物を使いますので、そう量産するわけにもいきません。アルコール用の農産物を作るんじゃ、本末転倒ってやつですし。
ですが、おかげで医療関係者にも僕らの名前が知られるようになりました。いや、王子ですから名前は最初から知られているんですが、医療方面の功績でね。
そんなわけで、国立学院に出入りして、医学の研究をしている人とも好きなように会えるようになりました。
学院は、学園の上位学部。他国なら大学と言われる学校です。国内の科学、医学、哲学その他の研究機関を兼ねる最高学府と言うことになりますか。
「いやあ! よく来てくれました! こんなボクみたいなおかしな研究ばかりしている者に興味を持っていただいて、感謝いたします!」
「論文を読みました。大変興味深かったです。ぜひお話を聞かせてもらえればと思いまして、お時間をいただけてありがとうございます」
今日はスパルーツという若い研究員さんの研究室にお邪魔してます。
「……それにしても、王子様……殿下、王太子? ともあろう方が直接研究室に来なくても、呼ばれれば登城いたしましたのに」
「シンでいいです。呼びにくかったらシン君で。御研究の邪魔をするのですから当然です。こちらのほうが話を聞きやすいとも思いましたし」
「それはさすがに……。ではシン様で。それに未来の妃殿下までごいっしょで」
「セレアは医療関係に興味があり、一緒に病院の充実に力を貸してくれています。僕と同等以上に知識があると思って下さい」
「セレアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
セレアも一緒にぺこりと頭を下げます。
「お話はうかがっています。病院の要請でアルコールを使った衛生向上に尽力なされたとか。アルコールの量産を国策で進めてくれたおかげで、煮沸以外でも殺菌ができるようになり、ボクの研究も大助かりなんです。感謝いたします」
こんなところでも役に立っているんですね。嬉しいです。
「あの、お二人、アルコールで病気が防げるということを知っていらっしゃるということは、目に見えない微生物が実在すると思っていらっしゃるのでは……?」
スパルーツさんが声をひそめてそう言います。
「はい」
「やっぱりそうか! いやあなかなか認めてもらえなくてね! 誰にも興味を持ってもらえず、何度挫折しかけたことか!」
嬉しそうに僕の手を握ってぶんぶん手を振ってくれます。
「見てください! コレ!」
そう言って、長ーい首が曲がってついているフラスコを見せてくれます。
「煮たてた肉汁は、空気に触れるといずれ腐ってしまいます。でもこうして細管をまげて、外部からなにも入ってこられないようにトラップを作っておきますと、肉汁は大変くさりにくくなる。ほとんどくさらないんです。カビも生えません。カビは植物の一種、それはわかりますね?」
「はい」
「こうした生物は自然発生するんじゃないんです。必ずどこからか入ってきて増殖するんです。ボクは大半の病気はこのような『微生物』が原因ではないかと疑っています」
「僕らがアルコール洗浄を有効だと考えたのもそれです。アルコールはふき取ったり、かけたりすることでそれらの微生物を殺すんだと僕らは思っているんですが」
「素晴らしい! その通りです! そのアルコールを使って微生物、ここでも『菌』と呼んでいますが、それを殺し、発生を抑える効果があるのをボクも確認しました! さっきも言いましたが、『殺菌』ですね。いやー王子様が同じ見解を持ってくれているなんて嬉しいですね!」
めちゃめちゃテンション上がって来ましたよスパルーツさん。
「菌っていうのは分離、培養できるんです。糖分と水に溶いて熱湯をかけて作ったでんぷんの苗床を敷いたシャーレの上で採取した菌を放置しますと、このように増殖し、シャーレの上にコロニーを作るので可視化させることができます。今ボクはそれを片っ端からやってます」
「凄いですね……」
シャーレの上に、赤、黄色、緑、オレンジ、いろんな色のなんか汚らしいものがたくさん育ってます。カビのようにも見えますけど。
「コレが病気の原因の一つではないかと思いましてね、病人の血液や膿や痰から採取して、培養して分離できたものもあるんですよ」
たいしたもんです。セレアの言った通りのことをこの人は独力で発見したことになります。
「同じ病気の人からは、同じ菌が培養できます。病気の感染源は菌なんです。目に見えない微生物である菌が、人から人に触れたり、口から飲み込んだり、鼻から吸ったりすることで感染する病気があるんです。全部の病気がそうだとは言いませんが、大半の病気はそれが原因です。ボクはそう思います」
「病気って、どうして人と人の間でうつるのかがわかったってことですか?」
「それを形にして実証できたことになります。実際にボクが培養した菌で、その病気になるって人体実験はさすがにできませんが。菌は良いものも悪いものもあり、たとえばブドウ液をワインに変えるのも菌によるものです。発酵でアルコールを作るのですから『酵母』と呼んでいますが」
それは酒造関係者なら経験的に知っていると思います。それを利用してお酒を造っているわけですから。僕らがすすめたアルコールの製造も、お酒を造るのとまったく手法は同じですし。
そこまで一気に説明して、スパルーツさんが急にがっくりします。
「……と、そこまではわかったんですが、それがわかったからどうだってことでね、コレを病気を防いだり、治したりするのにどう利用したらいいもんだか、そこに困っています。なにか実績が作れましたら、この研究、進められるんですが、バカにされるばかりでしてね……」
不遇ですね……。でもこういう人を見出して、資金援助して、研究を進めさせるってのも僕ら王族の仕事になります。
「あの、『免疫』って、御承知でしょうか」
セレアの前世知識キタ――――!
「もちろん。はしかとか天然痘とか、一度かかって、完治するともう一生かからない病気は多いですから。そういう感染症から治ると、『免疫ができたからもう安心』って言い方しますよボクらは」
「あれは人間の体の中で、そういう病気を覚えている力があり、一度かかった病気の菌がもう一度入ってくるとそれを殺してしまうから、かからなくなるんです」
「そう思うでしょ! 病気が治った人の体からは原因となる菌が培養できません。病気の元だった菌がいなくなるんです! 免疫ができるってのは、菌が体にいても平気になっちゃうわけじゃなくて、菌が体からいなくなるんですよ! ボクもそうじゃないかと思っていたんですが!」
嬉しそうです、スパルーツさん。
「去年の冬、孤児院でジフテリアが発生しました。素早い隔離と、アルコール洗浄で感染は防げ、重症化する子供も抑えられて奇跡的に死亡者は出ませんでしたが」
「はい、承知しています。ボクら医学者の間でも話題になってました。病院のスタッフがよくやっていたと。『隔離』ってのが伝染防止に効果的というのが初めて実証された形になりますか。画期的な対応であったと思います」
実際はセレアの素早い指示のおかげでしたが。手当てを行うものはマスクを着け、手を消毒するとかいろいろやりましたよ。
「ジフテリアもジフテリアの菌が原因の病気です。孤児院では自然に回復を待つしかなかったんですけど、ジフテリアの治療には血清がお薬になるって聞いたことがあります」
「血清ですか……」
「血清って何?」
僕がそう言うと、スパルーツさんが説明してくれますね。
「血液を試験管に入れてほうっておくと、血液の赤い成分が沈んで黄色っぽい血液の上澄み液ができます。それのことですね」
そう言ってスパルーツさん、うーんうーんって首をかしげてます。
「血清が薬になる……。どういうことでしょう? 免疫ができることと関係があるのでしょうか? それって免疫ができた人の血を使うとか、そういうことなのかな? 免疫が血に宿る……? だったら凄いですよ! できそうな気がしてきました!」
大量に研究のヒントをもらってスパルーツさん大喜びでしたね。
「その研究については王室から学院を通して支援をさせてもらいたいと思います。詳しい話はあとで。まずはこれをプレゼントしたいと思いますので受け取ってください」
そう言って持ってきた木箱を渡します。
「……これ、なんです?」
「『顕微鏡』です。最近、眼鏡屋の職人さんが発明したんで、ぜひ活用してもらいたいと思いまして」
僕らの国にも、メガネに使うレンズがあります。それを組み合わせて遠くのものを見る望遠鏡もあるんですけど、それで「小さい物を見る『顕微鏡』も作れる。病院にも学校の理科室にもあった」ってセレアが言うもんですから、職人さんにそんなの作れないかってアイデア出したら、本当に作ってくれたんですよね。ガラス板に試料を乗せて、それを下から鏡で光を当てて透かして見るってのが凄いアイデアでして、今、試作品をいくつも開発中です。
これはホントにスパルーツさんが大喜びしてくれました。
これで、彼がいろんな細菌を発見してくれることでしょう。医学が大進歩するといいんですが。
帰りの馬車でセレアにさっきのことを聞いてみます。
「セレアはほんと、なんでも知ってるねえ! 免疫なんて初耳だったよ」
「実は私が入院していたのも、その免疫不全の病気の一種でしたので、よくお医者様が私や両親にも説明してくれました。病院に入院患者のために、子供向けの本がいっぱいありまして、病院ですからお医者様の本が多くて、野口英世とか北里柴三郎の伝記も入院している間にみんな読みました。それで知っていたんです」
「ジフテリアも?」
「冬の国で、ジフテリアが発生したのに、大吹雪でお薬を運ぶ手段が無くて、それで犬ぞりチームで千百キロの距離を運んだって実話をもとにしたアニメ映画があって、それ観たことあったので覚えてたんです。その時のお薬が、血清でした」
アニメ映画ってなに?
……しかしどれもえらく本格的な知識ですよね。十二歳の子供ながら、すでに国内最高の医学知識があるのかもしれませんよセレアは。
ただ、そうは言ってもセレアは患者だったという経験があるだけで、お医者様ではありません。記憶も十歳までですし、今後も「ヒント」だけもらって、あとはこうして専門の医学研究者に任せるのがいいでしょうね。
「それに、これで『攻略対象』を一人、減らせたかもしれないしね!」
そう! 実は! スパルーツさん、ヒロインの攻略対象者の一人なんです!
セレアの手作り攻略本によりますと、学院の研究者であるスパルーツさん、研究がなかなか認められなくて、学院を追い出され、フローラ学園で生物教師をするんですよね。で、そこでヒロインに出会って、「あなたの才能、きっといつか認められます。希望を失わないで、どうか研究を続けてください」ってヒロインに励まされ、恋に落ちて、結ばれるんです。
教師との禁断の恋ですね。言いませんでしたがスパルーツさん、そりゃあもう美男子ですよ? カッコイイです。ちょっと変人ですけど。
もちろんその後、スパルーツさんは画期的な医学研究を次々と発表し、国内で最高の医師として世界の医療のトップになるというエピローグになっております。それを支えた奥様のヒロインというおまけ付きで。
僕らがちょっと介入して、スパルーツさんを支援して研究成果を出してあげれば、彼も学院から追い出されることも無く、フローラ学園の教師になったりもしませんので、ヒロインさんとも出会わないっと。
「なんだかズルいような気がしますけど……」
「いや、ズルいとか言わないでよ。だってそんな優秀な人材だったら、ヒロインとイチャイチャさせとくより、こうしてわが国の医学の発展に尽力してもらうほうが断然いいじゃない。僕は邪魔してやろうとか全然考えてないからね? 他意は無いよ他意は」
無いったら無いってば。
次回「24.初めてのケンカ」