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閑話「はやぶさくんのおつかい」紙芝居

「はやぶさくんのおつかい」の紙芝居を追加しました。

 本編とは無関係で、読んでいただければ幸いです。


「はーい、これはラステール王国です。みんなみたことある?」

 「地図だよね」

「うん、地図。じゃあラステール王国はどこにある?」

 「アステリア大陸――――!」

「アステリア大陸はどこにあるかな?」

 「地球!」

 「地球だよ!」

「そう、地球。この大地は実はまあるい玉でできてるの」

 「神父様はそんなの嘘だって言ってた」

 「この世界は平らなんだよ?」

「ちょーっと古いかな。今は地動説っていって、大地は丸くて地球は太陽の周りを回っているってのがほんとう。星や太陽、月や惑星を観察しているうちにそれがわかりました。地球、それは太陽系という星たちの中の一つ。太陽系の家族の一員なんです。地球は、太陽を中心に水星、金星、火星、木星、土星といった星たちとともに、こうやって……この宇宙の中で回っています。地球はそんな、太陽系の中にあります」

 「たいようけい?」


「そう、太陽系ができて地球が生まれたのは、人類が地球に生まれるよりも、ずっと前。そんな大昔の、遠い遠い記憶。今日はみんなでそれを探しに行く話。夜、空を見上げたら何が見える?」

 「月!」

 「星!」

 「天の川!」

「月も、星も、天の川も、みーんな、同じ星なんです。それは大きさもバラバラで、近くにあるから大きく見えたり、遠くにあるから小さく見えたりしているだけ。そんな星たちがいっぱい、数限りなくたくさんある。それが宇宙。でも地球にいる私たちはまだまだ宇宙に行けません。それは空の高く高く、鳥も飛んでいけないほど高い場所にあるからです。私たちの住む地球、それを含む太陽系、それがどうやってできたのか。いつできたのか、それは誰にもわかりません。でも、それが知りたかったら、私たちはいつかは、この地球を飛び出して、まだ太陽系ができる前からそこに存在している小惑星、ちいさなちいさな、どの星の材料にもならなかった星のカケラを拾ってきて、調べなければなりません」

 「へー」

 「はー……。それ、お星さまと同じ高さにあるの?」

「そう。地球から離れること3億キロ。火星と木星の間にある小惑星帯。そこまで星のかけらを取りに行く。それが、この!」

 「お――――っ」


「はやぶさくんの仕事なんです。人間には絶対無理なこの仕事、かわりに託されたのがこの、小惑星探査機ミューゼスC、『はやぶさ』に与えられた使命!」

 「はやぶさって鳥じゃないの?」

「はやぶさくんは機械なの。とっても精密に作られ、最新の科学技術を惜しげもなく投入して、『予算の範囲で』作られた、人が作った機械。でも、はやぶさくんは普通の機械とちょっと違う」

 「違うって?」

「はやぶさくんには心が入っています。命令を聞くだけじゃなく、自分で考えて判断し、行動する自律型コンピューターロボット探査機。それが今までと違うところ!」

 「人間みたいな?」

「そう。これは、そんな心を与えられたはやぶさくんの、今から何百年も先の遠い未来の大冒険の物語、はじまり、はじまり――――!」

 「うわ――――ぱちぱちぱち」



「まずはロケット打ち上げ! 宇宙には空気がありません。だから、鳥みたいに翼をはばたいて飛ぶことができません。そんな宇宙を旅するのに必要なものはロケット!」

 「ろけっとお?」

「そう、なんにもない宇宙を飛ぶことができるのはこのロケットだけ。後ろから炎を上げて、高速な燃焼ガスを噴き出し、その反動で飛ぶの! はやぶさくんはこれに乗って宇宙に飛び出す! 2003年5月9日、内之浦ロケット発射場より固体燃料ロケットのMV5型打ち上げ秒読み開始! 打ち上げ角度八十度 直径2.5m、全長30.8m、自重140トン、最大出力300万馬力! ペイロード最大重量1.8トン!」

 「でっかい……」

「5、4、3、2、1、点火!」

 「うわあああああ!」

「青空を突き抜けてどんどん上昇するMV5型! 姿勢よし、加速度よし! 方向よし! 大気圏突破! 第一段ロケット切り離し! 宇宙に飛び出したはやぶさくんは二段ロケットに点火! この間わずか七十五秒!」

 「すげ――――!」


「第一段ロケットを切り離すことで軽くなったはやぶさくんは、さらに加速。二段ロケットも切り離し、ノーズフェアリングを開頭! 三段目のロケットに点火して軌道投入制御開始! 地球の重力を振り切って第三ロケット分離! この間、たったの六分間!」

 「はやっ!」

「さらに最後の一押しでペイロードに収められた四段目のキックモーター点火、分離! はやぶさくんは目的地の小惑星イトカワに向けて、翼になる太陽電池パネルを展開し、いよいよ宇宙の旅に飛び出しました!」

 「ぱちぱちぱちぱち」


「……地球を旅立ったはやぶさくん。でも、全てのロケットを切り離したはやぶさくんは、これからは自力で飛ばなければなりません。目的地の小惑星イトカワは火星公転軌道の外、直線距離で3億キロ。そんな距離をまっすぐ飛ぶだけの力はさすがのはやぶさくんも持っていません。だから、まずはやぶさくんが目指したのはイトカワと同じ小惑星公転軌道に乗って、イトカワを同じ軌道で追いかけること。すこしずつ、ゆっくりゆっくり近づくの。その距離は往復六十億キロ……。帰還予定は四年後。その間、進むためにはやぶさくんに与えられたのは、イオンエンジン!」

 「いおん……?」

「このイオンエンジンはね、惑星探査機のエンジンとしては世界初の電力エネルギーで飛ぶ電気エンジンなの」

 「でんき?」

「かみなりが光ってガラガラガラ――――! って落ちるでしょ?」

 「あ――」

「あれが電気。あの力を使って飛ぶのがはやぶさくん。内蔵されたキセノンガスのガスタンクから少しずつガスを噴射して、それをイオン化してマイクロ波で加速して後方に吹き飛ばし、その反動で飛ぶの。はやぶさくんのごはんになるのは太陽光。太陽の光を浴びて、それをエネルギーにして飛ぶ。この、太陽電池パネルでね」

 「かみなりの力って、なんかすごそう」

「はやぶさくんは500kgちょっとの小型衛星だから、実際には紙一枚を持ち上げるぐらいの力しかないんだけど、それでも長時間吹きっぱなしにできるから、こんな惑星間飛行みたいな長距離飛行にはピッタリね」

 「へ――――……。ちょっと何言ってんのかわかんないけど、なんとなくすごいってのはわかる」


「でも、四つあるエンジンのうち、一基目のAエンジンが調子悪くて、三基だけで運用することになってしまいました。はやぶさくんの最初の故障でした。この後もはやぶさくんは装置の故障に悩まされ続けることになります。さらに悪いことに、地球を飛び立って半年後、観測史上最大規模の太陽フレアが発生し、大量の宇宙放射線を浴びました。太陽フレアっていうのは、太陽でたまに発生する爆発! 地球は地磁気によるバンアレン帯と大気によって守られているから私たちは平気だけど、これ、なにもない宇宙でまともに受けると、人間だったら死んじゃうぐらい強力な宇宙放射線が飛んでくるわ。はやぶさくんの本体の損傷は最小限に抑えられましたけど、ごはんになる太陽光を受ける太陽電池パネルはパワー効率が落ちてしまい、エンジンの出力は低下。イトカワへの到着予定は三か月も伸びてしまったの」

 「うわあ、災難だね……」


「実ははやぶさくんは、すぐにイトカワに向かうんじゃありません。地球軌道をぐるっと一周し、一度飛び立った地球に追い抜かれ、もう一度地球に追いつく。地球より速いスピードで回っているイトカワに追いつくには、はやぶさくんはスピードがぜんぜん足りないの。そこで、地球スイングバイです!」

 「ち、ちきゅうすいんぐ……?」

「一度地球に捕まえてもらって、そのままの勢いで放り出してもらうことでスピードをアップさせて方向を変える軌道技術。地球は時速十一万キロという猛スピードで太陽系を回っているの。その地球に重力と言う手をつないでもらって、背中を押してもらう、エネルギーを分けてもらうんです」

 「なんかすごそう」


「ただ、これは計算された通りの、ものすごく精密な軌道を通らなければいけません。ちょっとでもズレると、3億キロもはなれたところにあるイトカワには命中しない。そのずれを修正できるだけのエンジンパワーは、はやぶさくんにはありませんから。このとき許される高度誤差は1km以内、速度誤差は毎秒1cm以下という針の穴を通すより難しい高い精度が要求されます。しかも一発勝負、やり直しはできません! さあ、地球が見えてきましたよ!」

 「ごくり……」


「地球を旅立って一年後、2004年5月19日、地球重力圏に突入。地球との最接近距離3700km! 秒速36kmにまで加速! これはこのラステール王国を横断するのにたった十五秒しかかからないスピードよ!」

 「じ、じゅうごびょう?」

「こんなスピードで飛んでも、宇宙は広すぎて、すごくゆっくりした歩みでしかないの。世界中のロケット技術者があきれるような正確さで地球に押し出されたはやぶさくんが、イトカワの姿を捕らえたのは、その後一年もかかったあと。ずっと一人で宇宙を飛んでいたはやぶさくんは、2005年7月29日、スタートラッカーで目的地のイトカワを補足! 打ち上げから二年と四ヶ月。2005年9月12日、ついに小惑星、イトカワの上空20kmに到着しました!」

 「うわ――――! ぱちぱちぱちぱち!」


「さっそくイトカワの調査を開始したはやぶさくん。この観測には二か月かかりました。この時送ってくれたイトカワの映像がこれ。全長535メートル、幅209メートル。ずんぐりしていて細長くて、曲がっていて……」

 「ソラマメみたい」

 「寝てる猫?」

 「たぬき?」

「私たちはもっぱら、ラッコって呼んでたけど」

 「ラッコって?」

「こうやって、水に浮いてて、水に潜って貝を拾って、おなかの上に乗せた石にこつこつこつって貝を叩きつけて割って食べる動物で……」

 「あはははははは! ねーちゃんそれじゃ昼寝してる猫だよ!」

「もう、そんなのどうでもいいの! 実際に見たイトカワは予想とは大違い。重力分布は軽くて岩が集まったみたいにスカスカ。でもその構成物質は地球に落ちてくる隕石とほぼ同じ。予想されていた隕石と小惑星は同じものだっていうことを初めて実証したの。はやぶさくんの成果の一つね」

 「隕石って、小惑星のかけらが落ちて来てたんだ」

「そのとおり。でもそこらじゅうが大きな岩だらけで、試料(サンプル)として持ち帰れそうな、細かいさらさらした砂地なんてほとんどなさそう。唯一、着陸できそうなのが、このへこんだ、おなかのあたり。すっごく狭い範囲なの。はやぶさくんはここに着陸することに決めました」

 「それってむずかしい?」

「難しいけど、大丈夫! だってそういう準備をずっとしてきたんだから。でも、このとき、はやぶさくんに搭載されていた三個のリアクションホイールの一つが、壊れてしまっていたの」

 「りあくしょん……ほ?」


「みんな、もし空中にふわーっと浮いちゃったら、どうやって向きを変える?」

 「空中?」

「うん、宇宙には重力が無いの。上も下も無くて、全てのものがふわっと浮いてるの。そうしたらどうする?」

 「うーん、手をブンブン振り回すかな?」

「そう、リアクションホイールはそれなの。無重力で燃料噴射を行わずに姿勢を制御する。前後の傾き(ピッチ)左右の傾き(ロール)右見て左見て(ヨー)の三方向の回転制御をこれでやるの。だから三基が同時に動いて初めて細かい姿勢制御ができるはずだった」

 「むりじゃん」


「でも、そんなこともあろうかと!」

 「え――――!?」

「この故障は想定されていたので、プログラムを修正し、ヒドラジンの化学スラスターと残り二基のリアクションホイールを併用する形で、運用は続きました」

 「ほっ……」

「調査を繰り返し、ようやく着陸を実施するって時に、また悪いことに2005年10月2日、三つあるリアクションホイールの二つ目も、故障して動かなくなってしまいました! 絶体絶命! もう無理だ! お手上げだ――――!」

 「はやぶさ故障多すぎ……」

 「ダメじゃん……」

「でも、そんなこともあろうかと!」

 「またかい」

「……とはさすがにみんな思っていませんでした。二個も壊れちゃうのはいくらなんでも想定外。そこで着陸の予備試験(リハーサル)を繰り返し、たった一つのリアクションホイールと、スラスターによる姿勢変化予測を組み込んだプログラムに変更。頼りないけど、もうこれでやるしかない。打ち上げから926日目。2005年11月19日、サンプル採取のためのタッチダウン、本番!」

 「ごくり」


「上空7kmから降下開始、降下速度は秒速10cm! ターゲットマーカーを投下、成功!」

 「たーげっとまーかー?」

「ターゲットマーカーはストロボ反射体。イトカワは砂と岩だらけの大地だから、レーザー測長計による地形測定だけでは場所を特定しにくい。そのため前もって目標となる目印を落として、それだけを目標にして降下するの。このとき地球との距離は三億キロ。はやぶさくんに命令をして、返事が返ってくるまで三十四分もかかる。それではいちいち命令を出すわけにいかないわ。はやぶさくんは、自分で現場の状況を判断し、自分で姿勢を整え、このサンプル採取だけは、たった一人でやり遂げなければならないの。責任重大よ」

 「うう……」

「どんどん高度を下げてイトカワに接近するはやぶさくん。残り2メートル……、残り1メートル……」

 「がんばれ……」

 「はやぶさ、がんばれ!」


「この時!」

 「うわっ!」

「はやぶさくんは異常を感知! なにか障害物がある!」

 「……魔物?」

 「……怪獣?」

「降下中止! 降下中止! 姿勢制御やり直し! 垂直速度変更! 離脱!」

 「あああああ……」


「この時地球ではなにがあったのかわからなかった。もうとっくにイトカワに着陸しているはずのはやぶさくんが降下を続けているってデータが送られてきて、ありえないって大騒ぎになったの」

 「なにやってんだよはやぶさ……」

「このときはやぶさくんのセンサーが感知した、あり得ないはずの邪魔する何か。それがなんだったのかは今でもわかりません。静電気を帯電させて浮いていた微粒子だとも言われています。なにしろイトカワの重力は地球の六万分の一しかないんですから。この時、あせったはやぶさくんは想定に無かった緊急の高度調整に失敗し、地表でバウンド、跳ね返って姿勢を崩したままイトカワに不時着。どたって落っこっちゃいました」

 「あーあーあーあー……」

「はやぶさくんはそのまま100℃を超えるイトカワの表面温度に三十分以上さらされることになっちゃった。これは卵が焼けるほどの温度。命令が届くまで十七分、往復に最低三十四分。ぐずぐずしていられない! このままじゃはやぶさくんが本当に焼け死んじゃう!」

 「うわあああ!」

「はやぶさくんは地球からの指令で緊急脱出。とにかく上昇することができましたが、機体には深刻なダメージを食らいました。この時受けたダメージが後々、はやぶさくんを苦しめることになります……」

 「ほんとダメなやつだなはやぶさは……」


「みんな、どうする?」

 「どうするって……」

「二年もかけてたどり着いて、手足はケガしてて、体はボロボロ、星のかけらもまだ取れていない。もう一度取りに行くのは危険も多くて、地球に帰れるタイムリミットは刻々と近づいてる。みんなだったら、どうする? おつかいは失敗だったって後で言われても、ここでおうちに帰る?」

 「うわあ……」

「帰る? このままなにもしないで地球に帰っちゃう?」

 「ダメだよ……」

 「はやぶさ――――! 根性見せろ!」

 「もう一度、やってみろ!」

 「もう一回だけ、もう一回だけ、やってみて!」


「そう、はやぶさくんは、頼まれたお使いを思い出しました。イトカワのサンプルを取ってくること。そのためにここに来たんだって。はやぶさくんは勇気を出して、もう一度イトカワにタッチダウンすることに決めました!」

 「うわ――――!」


「2005年11月26日 センサーのプログラムを修正して二回目の挑戦。目標、ミューゼスの海に落としたターゲットマーカー! 前回と全く同じ場所。二回目のチャレンジ、はやぶさくんはサンプル採取のためのサンプラーホーンを下に延ばしたまま降下を続け、今度こそ、タッチダウンに成功しました!」

 「やったあ――――!」

 「やると思った!」

 「おめでと――――!」

 「やったな――――!」


「この時、着地と同時に金属製の弾丸を発射! 舞い上がった砂を採取ケースまで巻き上げて、サンプリングを行うはずでしたが……」

 「……はず?」


「着陸の衝撃か、今まで酷使され続けた装置のせいか、はやぶさくんの体から、燃料のヒドラジンが漏れ出したの。吹き出すガスのせいでスピンが収まらず、姿勢制御ができない。気化熱で機体内部は凍結し、マイナス三十度。はやぶさくんはこの間なすすべもなく、2005年12月4日、何もできない状態になりました」

 「またか……」

「この状態で姿勢制御に化学エンジンを使うのはあまりに危険。はやぶさくんはついに姿勢制御をする手段をたった一個のリアクションホイール以外、全て失ってしまったの……」

 「……どうすんだよ」

「……こんなことは想定外。燃料漏洩の反動でとまらないスピンを制御して太陽電池パネルを太陽に向けなくちゃ、エネルギーが無くなっちゃう。困ったはやぶさくんは、そこで、『絶対にやっちゃだめだ』って言われていたことをやります」

 「やっちゃダメって……」

「それは、地球に帰るためにずーっと大事に節約していた、イオンエンジンのキセノンガスを噴き出すこと。イオンエンジンから電荷させて吹き出すはずのキセノンガスを、直接生ガスとして中和機から噴出させてスピンを制御したの。ふつうだったらこんなことはやりません。中和機の噴出方向がたまたま重心からずれて設置されていたからなんとかなったんです」

 「でも、それ、帰れなくなるんじゃ……」

 「燃料、足りるの?」


「もちろん無駄遣いしたら、帰りの燃料が足りなくなる。でもはやぶさくんに残された手段はもう無かった。大丈夫、搭載燃料は66kg、行きに22kg、帰りに12kgの予定。余分はあるはず。その安全マージンを削って、たとえギリギリになろうとも、一刻も早く地球に帰るほうを優先したの。それほどタイムリミットはそこまで来ていたから」

 「はやぶさ……」

「最後の手段を使ったはやぶさくんはようやく太陽電池パネルを太陽に向けることができ、ごはんがたべられるようになりました。でも地球との本格的なデーター通信が復活し、届いた連絡は残念なものでした」

 「ざんねん?」


「こうしてダウンロードされたデーターには、弾丸発射の記録はありませんでした。着地と同時に発射され、砂を巻き上げるはずの弾丸は発射されなかったんです。発射できる弾丸は一発だけ。やりなおしはできない。その発射の判断は慎重に慎重を重ねたものでしたが、それがあだとなったのかもしれません。原因は今でも不明です。でも、着地のショックで舞い上がった微粒子だったら、ほんの少しは、入ってるかも。そこは賭けです。もう時間がないんです。でも2005年12月9日……、地球を旅立って、最大の危機がはやぶさくんを襲います」

 「これ以上、まだ……」

 「なんでだよ……」

 「なにがあったの?」


「このとき、ふたたび燃料漏れが発生。噴き出した燃料の反動で姿勢を安定させることができないまま、最後の電力まで使い果たし、アンテナの方向もずれてしまって、もう地球とも、どんな連絡も取れなくなってしまったのです。はやぶさくんはほんとうに行方不明になってしまいました……」

 「……」


「……迷子になってしまったはやぶさくん。もう誰もはやぶさくんを捜しに行けません。宇宙開発史上、一度ロストされた探査機が、再び発見された例はひとつもないんです。絶望です……」


 「ばか……」

 「なにやってんだよはやぶさ……」

 「くそおおおお!」

 「ここまできて……」

 「ぐすん……」



「でも、スタッフは信じて待ちました。はやぶさくんからの連絡はきっとある。かならず返事が来る。そのことを信じて疑う人はいませんでした」

 「……なんで?」

「はやぶさくんには広げた翼があります。太陽電池パネルの慣性で自然に姿勢が安定した回転に戻るように設計されていました。姿勢さえ安定すれば地球との連絡ができる。はやぶさくんは自分で最低限の電力を確保し、必ず地球に連絡をくれるはず。本当に死んでしまう前に、セーフモードに切り替えて自分でわずかずつでも充電を行って連絡をくれるはずです」

 「ほんとうなのそれ!」


「そしてロストから一ヶ月半、46日後、2006年1月23日、それは小さな、ゆっくりした声でしたが、電波望遠鏡のノイズをかきわけて、確かにはやぶさくんからの声が地球に届いたのです。補充電回路に切り替えたはやぶさくんは、ずっと、自分の体がガス漏れの凍結から戻り、自然にスピンが安定して太陽電池パネルが太陽を向く瞬間を眠りながら待っていたのです」

 「うわ――――! ぱちぱちぱちぱち!」


「しかし、このときのはやぶさくんは満身創痍。体中にけがだらけ、おなかはぺこぺこ。動くリアクションホイールはたった一つ。姿勢制御スラスターは全損、燃料のヒドラジンは空っぽ。バッテリーは弱っていて、11セルのうち4セルは充電できなくて、おなかいっぱい食べられない状態。すでに小惑星イトカワからは一万三千キロも離れてしまっていました……。タイムリミットは過ぎ、地球帰還軌道に乗ることもできなくなってしまっていたの……」

 「うわ……」

「どうする?」

 「どうするって……」

「あきらめる?」

 「いや……」


「あきらめる? 地球に帰るのをあきらめてここで宇宙のゴミになる? みんななら、はやぶさくんになんて言う?」


 「ダメだよ……」

 「はやぶさ、帰ろうよ」

 「帰って来いよ……」

 「帰ってこい! はやぶさ――――!」

 「あきらめるな――――!」

 「はやぶさ――――! 根性見せろ――――!!」



「そう! あきらめない! はやぶさくんは、傷だらけで疲れ切った体でも、地球帰還の準備を始めました!」

 「わあ――――!! ぱちぱちぱちぱち――――!」

「はやぶさくんの翼、太陽電池パネルも太陽光圧を浴びることで燃料を使わずスピン安定状態にすることができました。やっとごはんになる太陽光を浴びることができるようになったはやぶさくんですが、このまま急に充電するとリチウムイオン電池が爆発する可能性があります。でもイオンエンジンをふかすだけの電力はどうしても確保しなくちゃいけない。はやぶさくんは充電保護回路を使って、電池温度をモニターしながら、少しずつ、少しずつ、充電を繰り返し、二ヶ月後にやっとイオンエンジンを動かせるだけの充電をすることができました。そして、ここでいままでできなかった、採取したサンプルをカプセルに収納して、帰還準備は整いました!」

 「おお――――」


「でも帰還予定の地球との距離は三億三千万キロ。帰るタイミングを完全に逃してしまったはやぶさくんは、最初計画されていた帰還周回軌道に乗ることができず、地球への到着は三年後に延びてしまっています。はやぶさくんの設計寿命は四年。それをはるかに越える七年もの運用にはやぶさくんは耐えられるのか。地球まで、体は持つのか、それはだれにもわかりません。はやぶさくんを信じるしかないのです。はやぶさくんは2007年4月25日、イトカワの公転軌道を離脱、地球に向かって出発!」

 「ぱちぱちぱちぱち――――! うぉおおおおおお――――!」


「2007年10月18日、一基当たり一万五千時間の設計寿命のイオンエンジンの一つがとうとう寿命を迎えてしまい、残るエンジンは二基だけになってしまいました。でも航行に支障なし! はやぶさくんは順調に地球に接近中!」

 「さすがだぜはやぶさ!」

「2009年8月13日には、はやぶさくんの頭脳であるコンピューターのメモリも一部エラーがでるようになったけど、プログラムを修正して運用続行。これぐらいでへこたれるもんか!」

 「がんばれ――――!」

「2009年9月26日。休ませていたイオンエンジン再起動。地球まであと一年!」

 「すげえ……」


「しかし2009年11月4日、地球帰還まであと七か月。残されたイオンエンジンの一基がついに停止。動くイオンエンジンは出力が低下し、いつ止まるかわからない残り一台だけになってしまいました」

 「えっ……」

「……もうダメです。地球に追いつけません。スピードが全然足りないんです。この時点ではやぶさくんは帰ってくることが不可能になってしまいました……」


 「うそお……」

 「ここまで来て……」

 「そんな……」


「でも大丈夫。こんなこともあろうかと!」

 「でた、『こんなこともあろうかと』」

 「何回目だよ……」


「実はエンジン同士、助け合って運転できるようにダイオードで予備回路をつないでおいたの。はやぶさくんは残っていたエンジンの、壊れていない中和機のガスノズルとマイクロ波エンジンを組み合わせて、二つのエンジンを一つにして飛ぶことができたんです! これは危険な方法ですが、もうほかに手段は残されていませんでした。はやぶさくんは勇気を出してこの方法を試したのです」

 「ひゃあああ」

 「どんだけ準備してたんだよ……」


「イオンエンジンのクロス運転、これをやると中和機が空焚き状態になって燃え出すかもしれません。二つぶんのエンジンを使うから、今の弱ったバッテリーじゃ電気が足りなくなるかも。これ以上電力が下がったらコンピューターもアウトになる。今日ダメになるか、明日ダメになるか、誰も予想できない状態ではやぶさくんのぎりぎりの帰還は続きます」


 「がんばれ――――!」

 「あきらめるな――――!」


「イレギュラーな運用ながらも、順調に進むはやぶさくん、いよいよその最期が近づいています」


 「さいご……」

 「さいごって……」

 「え?」


「2010年1月、はやぶさくんはついに地球()()軌道に乗ることができました! もう大丈夫。地球に帰れます! はやぶさくんは、地球で最期を迎えることができる……」

 「……帰るって、最後、どうなるの?」

 「はやぶさくん、迎えに行けないの?」

 「はやぶさくん、地球に落っこちるの?」


「はやぶさくんは、予定通り進めば、地球の大気圏に突入。空気との摩擦で燃え上がって…………消えてしまいます。それがはやぶさくんの最期」

 「消える……」

 「消えるって……」

 「なんとかならないの?」

 「ねえ、なんとかならないの? そんなんだったら、はやぶさ、帰ってこなくてもいい!」

 「やめろ――――!」

 「逃げろ! はやぶさ! 今だったら逃げられるって!」

「それはだめ」

 「なんでだよ!」


「本当だったら、はやぶさくんは、とってきた試料が入った帰還カプセルを地球に放り投げて、そのあとまた宇宙に向かって飛び立つ予定だったの。でも、はやぶさくんはトラブル続きで、計画されていた帰還軌道を取れず、予定にないコースを地球に追いつくため限界までスピードを上げていました。化学エンジンも全損していて、もう地球を目の前にして軌道を修正するどんな手段もなかったんです」

 「だからって……」

「はやぶさくんの使命、思い出して? 小惑星イトカワの砂を拾い、それを地球に届けること。太陽系誕生、46億年の謎を解くこと。はやぶさくんが生まれたのも、地球から旅立ったのも、全てそのため。その役目だけは、はやぶさくんは絶対にやり遂げなければならなかったの」

 「ぐすん……」


「そして、2010年6月13日、エントリー開始。オーストラリアのウーメラ砂漠目指して、地球衝突軌道突入。最後のコマンド、帰還カプセルの分離がはやぶさくんに送られます。成功! はやぶさくんを飛び出した地球帰還カプセルは、はやぶさくんと共に秒速12kmという猛スピードで地球の大気圏目指して、目の前を飛んでいきます。それを見送ったはやぶさくんには、もう残された力はほとんどありませんでした。消耗したバッテリーは電力を確保できず、地球の影に入り太陽電池パネルからの電力供給が無くなった時点で、はやぶさくんは電源が切れてしまうのです……」

 「はやぶさあ……」


「猛スピードで接近する地球を避けることもできず大気圏に突入するはやぶさくん、その翼は折れ、空気との摩擦熱を受けて燃え上がり、金属は溶け、火の玉になって残ったキセノンガスタンクとリチウムイオンバッテリーは爆発して四散……」

 「ひどい……」

「全てが猛烈な高温で蒸発し、はやぶさくんはちりじりになって……消えてしまいました。その最期に光り輝くはやぶさくんの姿は、まるで宇宙から飛んできた、流れ星のようでした」


 「うわーん……」

 「ぐっすん」


「こうして最後は大気圏に突入して、燃え尽きてしまったはやぶさくんですが、二つの流れ星の一つは、消えることはありませんでした。秒速十二キロメートルで放出された帰還カプセルは、炭素繊維の断熱カバーに保護され、大気圏突入時の一万度を超える猛烈な摩擦熱にも耐え抜き、彼が小惑星イトカワから採取した微粒サンプルを、確かに私たちに届けてくれたんです」


 「ええ!?」


「実験小惑星探査機、ミューゼスC、『はやぶさ』。その成果は大成功! 小惑星からの帰還、試料を持ち帰るというサンプルリターン、どれも世界初の快挙でした! はやぶさくんは、傷つき、失敗しながらも、何度も危機を、その知恵と勇気で乗り越えて、お使いをやり遂げたのです!」

 「うわ――――!!」

 「ぱちぱちぱちぱち――――!」

 「はやぶさ――――!」

 「よくやった――――!」



「最後に一つだけ、はやぶさくんから、伝えたいことがあります」

 「……?」

「地球突入前のはやぶさくん。この時まだ壊れていないカメラは一台だけ。七年もの間、宇宙空間にさらされ続けたこのカメラに三年ぶりにスイッチが入れられ、そして、はやぶさくんは振り向きました。そこには、七年ぶりに帰ってきた、生まれ故郷の地球がありました。この広い宇宙でたった一つの青い惑星、地球」

 「地球……」

「七年間、六十億キロもの長い旅をしてやっと地球に帰ってきたはやぶさくん。カプセルを放出し、役目を終え力尽きようとしているはやぶさくんに最後に与えられた指令は、地球の撮影でした。その最後の画像は、涙でにじんだように、途中で途切れてしまいましたが、はやぶさくんは確かに、生まれ故郷の地球をその目で見ることができたのです……。これがそのときの、地球の映像。私が描いた絵だからヘタだけど」

 「地球?」

 「それが地球?」

 「僕たちが住んでる地球って、そんなんなの?」


「そう。私たちには無理かもしれない。私たちが生きている間は、地球の本当の姿を見ることはできないかもしれない。でも忘れないで。私たちの子供、孫、ずっと後の子孫が、きっと宇宙に飛び出して、その目で地球を見ることになる」

 「ほんとに?」

「うん」

 「僕たちの子孫が?」

「そうよ――――!」

 「……」


「はやぶさくんは、最期に地球へ帰還カプセルを届けることで、その命をつないでくれました。今、はやぶさ二号が宇宙へ送られ、別の小惑星を探査中です。それは遠い遠い未来の話。みんなが命をつないでいけば、きっとそれは実現する。みんなも、どんな困難があっても、もうダメだと思っても、最後の最後まで、決してあきらめないで。そして、人を愛し、人のために役立つものが残せるように、せいいっぱい生きて。きっとそれが、命をつなぐってことだから……」


 「……はい」

 「わかった――――!」


「『はやぶさくんのおつかい』、はやぶさくんの物語はこれで終わりです。みんな、最後まで聞いてくれてありがとう!」

「わ――――! ぱちぱちぱちぱちぱち!」





――――――閑話『はやぶさくんのおつかい』紙芝居 END―――――――




 読んでくれてありがとうございました。はやぶさくんの紙芝居、みなさんも見たいだろうと思って急遽作ってみました。

 11歳の女の子が記憶だけでこれを描けるわけないとか、そういうツッコミはナシで、本編とは無関係でお願いします。


―――――――――お詫び―――――――――

 作品中、特に人気の高いこのエピソードですが、残念ながら現在進行している書籍化にはこの閑話は含まれません。私が独自に取材、関係者へのインタビューを行ったわけでもなく、JAXA広報、マスコミ報道、Wikipedia、ファン動画、映画その他が情報のベースになっており、JAXA監修、公認作品というわけでもなく商業化ができるものではないと思われます。Web版限定読み切りということにさせていただきたいと思います。楽しみにしていてくださった読者の皆様にはお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
急にガチガチの理系の話出てきて笑った。ここまで詳細にハヤブサの事を知ることが今までなかったから新鮮だったけど面白かった。なろうでこれを書こうと思ったのすごいと思う。尊敬。
病院にいた10歳の子供だからこそ、はやぶさの話を何回も何回も繰り返し見て一言一句覚えてたんだろうなと思うと、なんとも言えずこの話もあって涙出てくる(子供の記憶力ってとても凄いので)。何もすることがなく…
[一言] これ市販できたら良いよね 技術立国日本と子供達の未来が広がるよね
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