18.医療改革
お休みの日、ひさしぶりに公爵別邸を訪問しますと、セレアがなにか部屋で書いてました。なんだか演劇の台本みたいなんですけど。
「なにやってるの?」
セレアが顔を上げて楽しそうに答えます。
「紙芝居を作ろうと思って。子供たちになにか喜んでもらえるようにって。物語をフリップで語っていく娯楽なんです。私の祖父の代には人気があったらしいですね」
絵本を読み聞かせるのと似ています。
恥ずかしながら僕らの国では識字率がまだまだ低いですので、親でも子供に絵本を読んであげるということができません。そのため子供向けに本を出版するという需要が無く、貴族、富豪の子息向けにごく少数があるだけで、絵本は高価です。孤児院に置けるものじゃありません。セレア、発想が凄いですよ。
「へえ、セレアはどんなのやるの?」
「『たいやきくん、およげ!』をやろうと思って。私の国で人気のあった童謡が元なんですよ」
……たいやきくんってなんでしょう。
「それってどんなの?」
「たいやきくんが毎日毎日、鉄板の上で焼かれているんですけど」
「まって、それ子供にしていい話?」
いきなり地獄の責め苦ですよねそれ。
「童謡から創作してます。子供向けの話ですが」
「拷問じゃない……。どういう童謡なんだか、それで?」
「そんな生活がイヤになったたいやきくんは、自由を求めて逃亡し、つかのまの自由を満喫します」
「そりゃあイヤになるよ……。『つかのまの』ってのがイヤな予感しかしないんだけど、それ最後どうなっちゃうの?」
「自由にうかれていたたいやきくんは、うっかりわなにかかってつかまってしまい、やっぱり自分はたいやきなんだと思い知らされて、最後は食べられちゃいますね」
「アウトアウトアウト! そんな話、孤児には絶対聞かせられない!」
バッドエンドでしょ。悲劇ですよね!?
「セレア、どの子も、ひどい親やひどい仕事場から逃げ出して孤児になったような子供がいっぱいいるんだよ? けっきょくつかまって殺されるなんてそんな救いのない絶望的な話、孤児院でやるなんてダメすぎるよ!」
「うーん、言われてみればそうですね……日本では人気あったんですけど」
なんか僕、セレアの深い闇を見たような気がします。
そんなお話が大人気になる日本って、いったいどんな国ですか。
「たいやきって奴隷か家畜なわけ? 悲しすぎるよ。もっと夢がある違う話にしようよ」
「じゃあ、『はやぶさくんのおつかい』にしましょうか」
「いいね。タイトルだけだとファンタジック。それどんなお話?」
「お使いを頼まれたはやぶさくんが、とちゅう様々なトラブルにあいながらも、知恵と勇気で危機を何度も乗り越えて、お使いをはたして帰ってくるっていうお話です」
「すばらしい! そういう話だよ、子供たちに聞かせてあげたいのは!」
それだったらまあ童話っぽくていいと思いますし!
夢中になって机でお話を書いています。邪魔しないほうがいいでしょう……。
来週は病院を視察する予定です。
僕はセレアに聞いた病院のことについて、テーブルの上でまとめます。時々わかんないことがあったらセレアに聞きます。なんでも詳しいですよセレアは、病院のことならば。
興味深いのは「カルテ」ですね。一人一人の患者さんについてノートを作って、診断、治療の記録をするそうです。これ、お医者様は日記か帳簿のように一冊の帳面に書くのが普通なんですが、それだと病院のように多くのお医者様が集まって仕事をする場合、お医者様同士で、過去どういう治療をしてきたかがわかりません。
患者さんに聞いても、過去どういう病気にかかったことがあるか、どんな治療をしてもらったか、なんの薬をもらったかがわからないことが多く、結局その場その場の診療になっちゃって、長期にわたっての治療ができていません。
患者さん一人に一冊のカルテを病院に置いておき、一生保存しておくんです。患者の数だけノートが必要になりますけど、確かにこっちのほうがいいと思います。すごいこと考えるなあ。
あと、細菌感染、消毒の概念について。
目に見えないほど小さい生物によって病気が起こる!
……これ、信じてもらえるんでしょうか。
やることは基本的に煮沸、つまりお湯でなんでもぐらぐら煮ることですが、手当てで消毒に一番いいのはアルコールなんだって!
要するにお酒です。お酒のよっぱらい成分が消毒に効くんだとか。
飲みもしないお酒を蒸留して大量生産することになりますか。
酒造所でやってくれるかなあこの仕事……。
いや、まずデータを取って、有効であることを証明しないとダメです。
そういう実験、数値化できるようにやってもらわないといけません。
ドアがノックされ、ベルさんがお茶とお菓子を運んできてくれました。
二人とも机やテーブルで一心不乱に書き物をしてましたんでね、ベルさんがびっくりです。二人で遊んでると思ってたんでしょう。
「凄いですね……。勉強していらっしゃるんですか?」
「勉強じゃないです、公務です」
「お二人、本当に十一歳なんですか……?」
「負けられませんので」
「誰にですか……」
さあ、いよいよ病院訪問です。
混んでいますね。今まで病気でもお医者様にかかることができなかった人がたくさんいますから、病院ができて、国費の補助で誰でも診てもらえるようになっただけでも画期的ですよ? 貧乏人がお医者様を呼んだって、そもそも来てもくれませんから。
病院を設立することによって、各家を回って一日四~五人しか診療できなかったお医者様が、一日二十人以上診療できるようになったんです。姉上の功績ですね。
でも仕事場でケガして包帯を巻いて血止めをしただけの人が、病院で診療の順番を待っているなんてことがあるんです。コレはいけませんね。改善しないと。
診療時間が終わってから、医師と職員を集めて全員で会議します。
院長先生、お医者様が五名、看護婦さんが十五名。まだ少ないですね。人をもっと増やさないといけませんが、その前にまず効率化です。
「病院内を分けて、分業にして下さい。最低でも、外科、内科、救急の三部門に」
「げ、げか……?」
「ケガとか骨折とかが外科、風邪とか腹痛、発熱とかが内科です。包帯巻いたり傷口縫ったり手術するような治療が外科で、お薬を出すのが内科って感じで分けて。お医者様とは言っても、それぞれある程度、得意なことというか、専門がちがいますよね」
「そうですね」
「担当を決めて、患者を受け付ける窓口を作って、どんどんわりふるようにしてください」
「確かにそのほうが効率的ではありますな」
院長先生が感心してくれますね。
「救急というのは?」
「ほうっておくと死んじゃう、すぐ治療をしなければいけない人を最優先で受け付けてすぐ治療にかかれる部門です。血が出ているのに並ばせて待たせておくなんてことが無いように」
「ふーむ、確かに有効そうです」
次にカルテについて説明します。
「いや、それは無理でしょう! 医師によってもやり方が違いますし、自分の技術を他の医者にも教えることになります。医師はみんな反対しますよそれ!」
若いお医者様でも反対します。あーそうか。それでお医者様は嫌がるんですね、記録を見せ合うのって。
「……それは『人の命を救う』ことに比べればささいなことだと考えを改めてもらうしか無いですね。より良い治療方法を全員で共有する、そうして医療技術を向上させることでより多くの人を救うことができます。いい治療方法やお薬があるのに、それを教えず独り占めしていたせいで、犠牲になるのは市民です」
「……」
「まず導入してください。そして効果を実感してください。お願いします」
みんないい顔しませんね。こんなところに壁があるとは思いませんでした……。
「医術は一人の物じゃなく、僕たち人類の共通の財産であると思ってくれませんか? みなさんだって、なんでも自分で考えた物だけじゃなくて、師匠たる人に大半を教えてもらって医師になったはずです。知らなかった治療方法を教えてもらって、誰かを救えたことはありませんか?」
「……ありますよ」
「だったら、お願いします」
そう言って、頭を下げます。セレアも一緒に頭を下げてくれます。
「わかりました。殿下にそこまで頼まれたら私たちもイヤとは言えませんし」
よしっ、とりあえず今日の課題は通せそうです。
ここで交代して少しセレアにも説明してもらいます。
「病気の予防と治療ですが、病気の大半は、目に見えないほど小さい生物、『微生物』によって起こるということはご承知でしょうか」
「ああ、そういう研究をしている者がいます。まだ広く認められているわけではありませんが、よくご存じですね!」
先生たちがびっくりしますね。
「おそろしいのは感染なんです」
「確かに人から人に移る、感染する病気は多いですが……」
「病気というのは、大半が細菌やウイルスっていう微生物によって起こります。病気がうつるというのはそのせいですね。人間の目には見えない小さい生物が、体内に入り込んで増えるんです」
「そういう研究をしている変わり者がいないわけじゃないんですが、王室でもその説を支持しているとは驚きですね……。本当にそんなものがあるとお考えですか?」
国内でもそういうものを研究している人がいるんですね。一度話を聞いてみたいと思います。
「はい。食中毒など、同じものを食べた人たちがいっせいにお腹をこわすなんてのは全部この細菌が原因です。くさったものを食べるとお腹をこわす、食べ物を腐らせているのは細菌なんです」
みんな半信半疑って感じです。
「病気の感染を防ぐには、こういう細菌を殺菌する必要があるんです。例えば手術道具でしたら、必ず洗って、煮沸してから使ってますよね」
「はい、腹を壊すような生水でも煮沸することで飲めるようになるのは経験的に知られていますからね、同じです」
「一回の手術ごとにやるようにしてください。患者さんの間で使いまわしはしないように。人の体に入れるものは全部です」
「いやはや……。予備の道具が大量に必要になりますよ」
これは僕からも言わないとダメかな。
「必要なことです。ちゃんと予算を組んで購入しましょう」
消毒の必要性については、セレアが別にアイデアを持ってますので話してもらいます。
「煮沸できないもの、たとえば傷口とかに一番いいのはアルコールです」
「アルコール……」
「強いお酒に入っている酔っ払い成分ですね。傷口にかけると、あとで膿んだりするのをあるていど防げるというのは、知られていると思いますが」
「はあ、確かに戦場ではそのような手当てもするらしいですな。気休めのようなものですが」
「気休めじゃないです。確実に効果があります。アルコールは細菌を殺す効果があります。お酒に漬けると果実とか食べ物ってくさらないですよね。それと同じです。人間の体も化膿させないようにできるんです」
「お酒ねえ……強いお酒は高いですからねえ」
お金の話は、僕の担当ですね。セレアから引き継いで説明します。
「まず手近なところから、安いお酒で始めてください。アルコールが感染予防に役立つというデータが取れれば十分です」
「データですか」
「こういうのは反対したり、必要ないとか言う人が必ず出てきますけど、そういう人たちを黙らせることができます。実際にこれが効果があるということをデータで証明する必要があるんです」
「はあ、なるほど……」
「それをなんとか、やっていただければと思います」
「はい、わかりました。効果があるか検証してみます」
「それができれば、アルコールの増産、説得できると思うんです。お願いします」
「もったいなくて飲んじゃう医者がでそうですな」
お医者様の一人が言うと、みんな、笑います。
いや真剣にやってよ。お願いだから。
「しかし驚くことばかりです。お二人、本当に十一歳なんですか?」
「最近はどこ行ってもそう言われますよ……」
病院を出るとびゅうびゅう風が吹いて、黒い雲がもくもくわいて、嵐が来そうです。ゴロゴロ雷も遠くで鳴っていますので、シュリーガンの御者で馬車を急がせて王宮に戻ります。
雷と共に大雨になりました。
「うひゃー、こりゃもうダメですな!」
シュリーガンと僕とセレアで王宮に駆け込むと、メイドさんも、セレアのお迎えをしてくれます。
「仕方ありません……。セレア様も、今夜は王宮にお泊まり下さい」
夜、ゴロゴロ、ガラガラ! って雷が凄くなりました!
僕の隣の部屋、前に姉上が使っていた部屋で、セレアが寝ているはずです。
セレア怖がっているかな?
ぴしゃっ! がらがらがら、どーん!
すごく近くで雷が鳴りました!
こ、怖がってるよねセレア、絶対怖いよねコレ!
枕を抱いてセレアの部屋をノックします。
「はい、どうぞ」って返事来たので入ります。
「シン様、どうしました?」
「い、いや、あの、カミナリすごくて、セレア、怖がってないかと思って」
ドーン! ガラガラガラガラ! ゴロゴロゴロゴロ!
「い……いやその」
セレアがカーテンを開けて、ふわふわのネグリジェ着て、ベッドに座って窓から雷をながめてました。
「せ、セレア、カミナリ怖くないの?」
「怖くないですよ?」
「なんで?!」
「雷って、雲の静電気が落ちる自然現象なんです。ほら、毛糸の服を脱いだりしたときや、ドアのノブに触るとぱちぱちってなりますよね。あれの大きなやつなんです。悪魔が落としてるとか神様が落としてるとかいうわけじゃないですから」
前世知識すげえな! カミナリも怖くないなんて!
「シン様はカミナリ、怖いんですか?」
「父上のカミナリは怖いけどさ……」
ドンガラガッシャーン! ゴロゴロゴロゴロ!
思わずしゃがんじゃいました……。
セレアがベッドをポンポンと叩きます。
「いらしてください。今夜は一緒に寝ましょう」
「え、い、いいの?」
「はい」
おそるおそる、セレアのベッドにもぐりこみます。
一緒に布団をかぶります。
セレアがふんわり、胸に抱きしめてくれました。
やわらかくて、あたたかくて、ミルクみたいな甘い、いい匂いします。
たっちゃいました。僕いろいろだいなしな気がします。
次回「19.プレゼンテーション」