12.強制力
カウンターで働く、七歳の時に出会ったあの子!
あの時の泣き顔も、あの時の笑い顔も、すべてまるで昨日のことのように鮮やかに思い出しました!
『ぼく、きみのナイトになれたかな?』
うああああああ。
早鐘のように胸が鳴ります。顔が赤くなります。
こんなに素敵な、かわいい女の子になってたなんて。
かわいい、かわいい、かわいいかわいいかわいいかわいいぃいいい!!
三年ぶりに逢えた。まるで運命の糸に引き寄せられるように、あの時の思い出とともに、忘れていた愛しい気持ちが大きく膨らんで……。
吐きそうです。
なぜでしょう。
なんでこんな気持ちになるのか。ものすごい罪悪感で気持ち悪くなりました。
セレアを見ます。
目を見開いて、真っ青になってます。
がくがく震えています。窓枠につかまった手がぎゅっと握りしめられて白くなってます。
「セ……セレア?」
セレアの目からはらはらと涙が。
「行こう!」
これ以上ここにいたらダメだ!
なんかそういう気持ちになりました。
通りを横切って走ります。
「あぶねえ!」
シュリーガンが飛び出してきて目の前の馬を止めます。
僕らそんなことも目に入っていませんでしたか。
「うわっち! 気を付けやがれ!」
荷馬車の御者にどなられます。シュリーガンが僕ら二人をこわきに抱えてベルさんのいるベンチに駆け戻ってくれました。
「ちょ、殿……弟、嬢ちゃんどうしちまったんス?」
はあー、はあー、はあー、胸を押さえて大きく息をしているセレア。
「過呼吸ですね。少し休ませましょう」
ベルさんがセレアをひざまくらして寝かせます。
「帰りますぜ、馬を手配してきます」
そう言ってシュリーガンが近くにいた衛兵を呼びます。
衛兵、僕らを見てびっくりですね。王宮関係者だとは気づいてなかったようです。シュリーガンがてきぱきと指示を出して、衛兵隊の馬車がやってきました。
「大丈夫? セレア」
青ざめて血の気がない顔をして、ふるえが止まらないセレア。
僕もです。なんだかふるえが止まりません。
ベルさんに抱きかかえられて屋敷に戻るセレア。
「ちょっと、ご気分が悪くなっただけのようですから」
出迎えのメイドさんたちにベルさんがそう一言説明して、屋敷に入りました。
……僕も、メイドさんたちに挨拶をして失礼します。
「殿下」
御者台から、シュリーガンが振り向きもせず聞いてきます。
「あの子に何かひどいこと、したんスか?」
「……したかもしれない」
「なにやったか知らないっすけどね」
不機嫌ですねシュリーガン……。
「あの子を苦しめるようなことがあったら、俺は殿下の事、一生軽蔑しますからね」
けいべつされるにふさわしいこと、僕、やっちゃったかもしれません。
夜になっても眠れません。あの子のことが頭から離れません。
セレアのことも。
セレアに会いたい。
会って、話したい。いや、会わないととんでもないことになるような気がします。今会いに行かないとダメじゃないかと、僕の中のもう一人の僕が叫んでいます。
布団から起きて、着替えます。
僕のお気に入りの平民服コレクション。
靴も履いて、道具箱からロープを出して、肩掛けカバンに入れ、革の手袋と帽子も。こっそり部屋を出て、サロンの隠し扉に向かいます。
王族以外誰も知らない地下水路のトンネルをくぐって、城外の井戸から顔を出します。少しだけ欠けた月が外を照らしています。
小走りに、駆けて、駆けて、人が全然いない城下町を走ります。
まだ飲んで騒いでる大人たちから隠れ、裏道、裏道を通って、コレット公爵別邸へ。ぐるっと一周して、生垣の隙間を見つけて、もぐりこみます。
犬とか衛兵とかいないよね……。
こっそり、セレアの部屋のベランダの下に来て見上げます。
まだ明かりがついています。ロウソク一本分ぐらいの、暗い明かり。
セレアが泣いていました。
部屋の窓を開き、ベランダに出て、手すりにつかまって。
「ぐずっ……。ひっく、うぇええ……。ぐすん、ひっく、ぇええん……」
おえつをもらし、しゃくりあげ、どんどん流れてくる涙を、いつか見た、かわいい白いネグリジェの袖でごしごし拭きながら。
……子供です。
ただ、悲しくて悲しくて、泣きじゃくる十歳の子供でした。
僕、ふっと、セレアって本当は僕より年上になるんじゃないか? 十歳で死んで十歳で記憶が戻ったっていっても、それでも僕より年上になるんじゃないかって思ったことがありました。
間違いでした。
セレアは僕とおんなじ、十歳の子供でした。
泣かせているのは僕です。
僕の責任です。
こんな女の子を、みんながもう寝た後に、夜中に眠ることもできずに泣かせてる。胸がしめつけられます。
僕はいずれ、彼女を婚約破棄して不幸にする。
未来の話じゃない。僕は今、すでにもうセレアを不幸にして泣かせてるじゃないか。最低だな、僕って……。
「(セレア!)」
「(シン様!)」
そっと声をかけると、びっくりしてますね、セレア。当たり前ですけど。
あわてて顔をごしごしとネグリジェの袖でこすります。
「(ロープ投げるから、縛り付けて!)」
「(こんな夜中に、おひとりで!?)」
「(がまんできなくて、会いにきちゃった。話を聞いて!)」
僕が投げたロープがベランダにかかってたらんと下がります。
それをセレアがベランダの柵に縛り付けます。
うんしょ、うんしょ、うんしょ。革手袋をはめて登ります。
「……シン様、こんな夜遅くに」
「遅くない。セレアだって起きてたし」
「……眠れませんでした」
二人で部屋に入ります。
ベッドに座るセレア。椅子を引き寄せてベッドの横に腰かける僕。
「今日は大丈夫だった? 体のぐあいは?」
「もう大丈夫です。落ち着きました」
そうは言っても、泣きはらして赤くなった目がかわいそうです。
「あの」
「はい」
「あの、あのさ、あの店にいた子、知ってる?」
ふるふるふる。首を横に振ります。
「初めて見ました。でも、わかりました」
「あー、僕も……」
「シン様が七歳の時に出会った子ですよね」
「……うん」
はらはらとセレアが泣きます。
なみだが止まらないみたいです。
「私、あの子を見て、猛烈にしっとがわきました」
「え?」
「あの子は、わたしより、きれい」
「そんなことない、セレアのほうがきれいだよ」
ウソです。あの子のほうがきれいです。
「あの子、わたしよりかわいいし」
「セレアのほうがかわいいって」
ウソです。あの子のほうがずっとかわいかったです。
「あの子のほうが私よりずっと素敵です」
「そんなことないって!」
ウソです。あの子の笑顔、素敵でした。もう胸がドキドキしちゃうぐらい。
いや僕なに考えてんだ。
そんなわけないだろう! あんな子が、セレアよりきれいだとか、かわいいとか、素敵だとか、そんなこと絶対ない!
セレアは僕の婚約者だ! 僕のかわいいお嫁さんなんだ! 僕は一生セレアの事守って生きるんだ! 僕が他の女の子をセレアより好きになるなんて、あるわけない!
「私、あの子が、憎くなりました。ものすごくいじわるしたくなりました。いじめたくなったんです。あの子はきっとシン様を私から奪ってしまう。そう思ったら、憎くて、憎くて、がまんできなくなりました……。このままだと私は本当にあの子をいじめてしまう。私はひどい子です」
「違う。セレアはそんな子じゃない」
「本当はみにくくて、いやしい子なんです」
「絶対に違う!」
「私、シン様にきらわれてしまうんです。私のことなんか、だいっきらいになるんです」
「絶対に嫌いになんて、ならないよ!」
「……ぐすっ、ひっく、ぐすん……」
ただ、涙を流すだけのセレアに、僕はどうしたらいいかわかんなくなりました。
これがゲームの強制力ってやつなのかもしれません。
あの子を見たとたんに頭の中によみがえった美しい記憶は、僕の脳をとろかすように甘美でした。そしてセレアの心を傷つけたのは、まるで呪いのようにその心をむしばむ醜悪なしっとです。なんて残酷なんだと思います。こんなの、認めるわけにいきません。
次回「13.誓い」