10.シャル・ウィ・ダンス
「シン、昨日はセレア嬢と外出したんだったな」
「はい。大変に有意義でした」
その日の朝、父上の執務室に呼び出されました。
大きな机を前にして座ったまま、面白そうに笑います。もちろん父上は全部報告を聞いてるはずですので、それを前提に話すことになりますけど。
「『ハムレッツ』を観たと」
「はい」
「今、貴族どもの一部で、『王家に対する侮辱である』『非常に挑戦的で不敬極まる』『直ちに上演禁止にすべき』と声が上がっておる」
「そう思う人もいるでしょうねえ……」
「どう見た?」
意地悪そうににやにやと笑いますね。僕がどう答えるかで、次期国王としての教えを説いているといっていいでしょう。こういうやりとりしょっちゅうあります。
変な答えをすると、「それは王たるものの行いではない」とさとされます。父上との真剣勝負ですよ。僕もこのときは、大人として発言しなければなりません。
「皮肉がきいていて大変に巧妙です」
「巧妙とな?」
「教会の教えにちゃんと従っていると思いましたね。神の教えで自殺を禁じられているため主人公は死を選べなかったり、殺人を犯した王に罪をざんげさせたり、神の前では国王といえどもその罪からは逃れられないというのがテーマになりますか。罪を犯した登場人物はみんな死んでしまいます。巻きぞえになった人には悲劇ですね」
「前作で教会の堕落をコキおろした喜劇をやって潰されそうになっておったからな。お灸をすえられて今度は逆に教会のご機嫌とりか。シェイクスピオも手のひら返しが早いものよ」
「前王を殺した殺人犯は、王殺しの場面を劇中劇で見せられて怒ります。後ろ暗いことがあるからです。陛下がこの劇を上演禁止にしたりすると、この劇を見たものは陛下自身に、なにかやましいことがあるからだと思うでしょう。そういうふうにできているってことですね」
「シェイクスピオめ、やりおるわ……」
父上がくっくっくっと笑います。
「その劇を作らせたのは神の威光を高めようとする教会、もしくは上演禁止にさせて国王の器の小ささを世に知らしめ、余の権威を落とそうとする反ミッドランド派の貴族たちのものかな?」
「そこまでは申しません。脚本家のいたずらでしょう。劇中劇で、役者のおおげさな演技に主人公が注文を付ける場面なんてのもありまして、脚本家の不満を役者自身に語らせるっていういじわるい演出も入ってました。性格悪いですね脚本家」
「どこまでやっても大丈夫か、その線引きを測っておるというわけか。王が怒れば器を問われる。無視すれば虚仮にされても黙っていると、シェイクスピオを調子に乗らせることになる。お前ならどうする?」
うーん。
「はっきり言って芝居としてはストーリーがむじゅんだらけでつまらなかったです。登場人物がみんな頭が悪すぎて、最悪な選択ばかりするので話にならないですね。僕だったら、貴賓席で見に行って、途中で居眠りしますよ。あとで『退屈だったな』とでも言っておけば、王の器を試そうとした不遜な脚本家に十分な意趣返しになるでしょう。眠るというのも一つの意見ではないかと」
陛下がぱんぱんぱんときげんよく拍手します。
「見事だ。そうしよう」
「ありがとうございます」
「お前の成長、嬉しく思うぞ。下がってよい」
「失礼します」
父上が僕に意見を求めるときは、とっくにどうするか決まっているんです。その上で聞いてくるんです。
今回もちゃんと正解を答えられたんだと思ってほっとします。
これも一つの帝王学ってやつですかねえ……。
午後から新しく加わったおけいこが始まります。
「二人は王子様と公爵令嬢よね。でもここではあたしが先生よ。二人とも先生って呼んでね!」
「はい!!」
さあ、いよいよ宮廷のボールルームでダンスのレッスン開始です。
先生の前に、二人、並びます。
「シンちゃんセレアちゃん、二人とも、もうダンスのレッスン、基礎ぐらいはできてるわよね? 一応恥はかかない程度にね」
「そうですね。あんまり真面目にやってませんでしたけど」
「だめよおそれじゃあ。お二人とも国を代表する紳士、淑女なんだから、みんなのお手本にならなくっちゃ。なに、お世辞や礼儀作法で多少失敗したって、ダンスで全部取り返せるわ。社交界なんてそんなもんよ。ダンスは武器になるわ。ちゃんとできるようになりましょうね」
「はい!」
「うん、いいお返事。ダンスが上手いとモテモテよ。シンちゃんの前に淑女の列ができて、セレアちゃんは求婚の申し込みが殺到するわよ。カッコよく踊れるようになりましょうね!」
「……そんなんいいです。僕らもう婚約してますから」
「あらあらあら、そうだったわね。失礼しちゃったわ」
先生、面白い人ですね。わかってて言うんですから。僕ら子供だから、笑わせに来てるんでしょうけど。
硬くなるなってことです。やさしい先生ですね。
「じゃあ、二人、組んでみて」
左手を上げ、彼女の手を取り……。
「はい、ダメー。シンちゃん、お人柄が出てますけどね、迎えに行っちゃダメ。殿方は立って動かない。迎え入れるの。はい、もう一度」
左手を上げ、歩み寄る彼女の手を握り、その体を……。
体を……。
うわっ。セレアとこんなにぴったりくっついたこと無いです。初めてです。
いや、宝石店で一度抱き着かれたかな。でもあれは別、別!
いつも姉上や妹たちと練習していた時と全然違います。
僕の婚約者がこんなそばに、半身だけどぴったりとくっついて、その、体が勝手に遠慮しちゃいます。
彼女も真っ赤になって恥ずかしそうです。
「はい、ダメー。そんなにガチガチになってやるダンスなんてないわよ。あなたたちねえ、ダンスをなんだと思ってるの?」
「お、おけいこ……」
「違うわ。そんなのダンスじゃない。周りまで緊張して手に汗握るようなダンス踊ってどうするの。ダンスってのは楽しみのためにやるのよ。楽しく踊って、周りのみんなにも楽しんでもらって、パートナーを楽しませて、なによりあなたが楽しまなくっちゃ。ほら、笑顔、笑顔!」
うう、え、笑顔、笑顔。
だ―――! 将来結婚するっていう、僕のお嫁さんと、こんなにぴったりくっついてなんて、どうしても意識しちゃいます!
「やったことあるステップでいいから、まず一周。はい、ワン、ツー、スリー、フォー。ワン、ツー、スリー、フォー!」
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。先生の手拍子に合わせて、ぎこちなくバラバラな感じですけど、とりあえず基本のステップですね。
スロー、スロー、クイック、クイック、ホールの角まで来て、チェック、バックでターン。
おっとっと、二人でぐらっとします。
「二人とも姿勢が悪いわ。もっと背筋伸ばして、おなか引っ込めて! 体の重心が軸に無いからターンの時にぐらつくのよ。さ、もう一回!」
カッコわるいけどなんとか一周できました。
「はい、よくできました。シンちゃん、殿方の役割って何かしら?」
「え、リード? 彼女を支えて、周りによく目を配ってとか」
「違うわ。殿方の役目は引き立て役。淑女を美しく、魅力的に演出するための黒子なの。自分が目立とうとしたり、自分が主導権持ってるみたいに踊ったりする王様ダンスなんてやってたらモテないわよ?」
いやだからモテなくてもいいんですけど。なんでもそこ基準ですか。
「彼女を笑顔にして、彼女を楽しませて、素敵な時間にしてあげることが殿方の役目なの。会場の目がパートナーに集まって、視線を独り占めにするぐらい彼女を美しく見せることができたら、あなたは一流の紳士よ。そこ忘れないようにね!」
そうでした。僕たちがダンスをするのは、セレアが僕のかけがえのないパートナーだってことをアピールするためでした。
僕もセレアも、社交上、いろんな人と踊ることになります。でも僕と踊ってる時のセレアが一番楽しそうで、一番美しい。それができるようにならないといけません。
「セレアちゃん、上手にやろうとして硬くなりすぎてるわ。ダンスはステップじゃない。テクニックの問題なんて些細なこと。音楽に身を任せて楽しく踊るの。あなたが殿方と踊れてうれしいわって顔してないと、相手の男性が恥をかくのよ。まずはそのことを忘れないで。これはお稽古だってこと、今は忘れていいわ。楽しく踊りましょ!」
「はい」
「シンちゃんのリードを感じて、シンちゃんのリードを信じて、身を預けるの。今すぐできなくてもいい。でも、シンちゃんと一緒に踊れる喜びを、今は満喫してみて。照れるのも恥ずかしがるのも後でいいわ。恋が芽生えるのはダンスの後ってのがお約束なんだから。さ、もう一度やってみるわよ」
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。
ワン、ツー、スリー、フォー。ワン、ツー、スリー、フォー。
スロー、スロー、クイック、クイック。
できるようになるとうれしいですね!
楽しいです!
ホールを一周して、二人で、「できたー!」って顔になっちゃいます。
そんな感じで、二時間、みっちり二人でダンス練習しました。
「大丈夫だった二人とも。疲れたかしら?」
二人とも、頭から汗ダラダラ、シャツもべしょべしょ。
二人でお互いの体温、鼓動、息づかいまで感じて、汗のにおいまで嗅ぎまくりです。なにより手汗が凄くって、僕のだか、セレアのだかもうわかんないぐらい、握る手がぐちょぐちょです。これが一番恥ずかしい!
二人でタオルを引っ張り合って手を拭きまくりですね!
「これをパーティーのダンスタイムの間、ずーっとやるのよ? 特にあなたたちはパーティーの主役をやることになるんだから、汗一つかかず、次から次へとダンスの申し込みをしてくる紳士淑女を相手に踊りきらなきゃいけないの。壁の花でいることは許されないわ。踊った後、手をハンカチで拭いているところなんか見られたら、ダンスパートナーに思いっきり恥をかかせることになるんだから注意するのよ。体力も必要ね」
「よーくわかりました……」
「普段から背筋を伸ばして、ピンと姿勢よく歩くことを心掛けなさい。自分の一挙一動が、全て美しく、優雅に見えるように意識なさい。時間があったらランニングもしてほしいわ。それからシンちゃん、あんたエロいことばっかり考えてちゃダメよ!」
「え、え、え、エロスなことなんか僕はそんな……」
「はい、セレアちゃんと抱き合って」
「だ、抱き合う?」
「チーク。首に手を回して、体をピタッとくっつけて、さあ、やんなさい!」
「はいっ!」
まだ甘い汗の香りがするセレアを抱き寄せて、しっとりと湿った体を抱きしめます。
あ、胸元、ちょっと硬いものが。僕がプレゼントしたリングでしょうか。肌身離さず付けてくれてるんだ……。
なんか嬉しいですね。でもそのせいで急にセレアのこと、ダンスのパートナーから、婚約者ってことに意識が変わっちゃいます。セレアの肩に顎を乗せて、胸からお腹、腰まで薄いウエアを通して彼女の熱っぽい体温と、やわらかなお肉の感触と、ほおに熱い息が伝わってきて……。
まずっ!
たっちゃいました。腰が引けます。
「はい、今日は終了――。一人でもステップ練習を欠かさないでね。セレアちゃん、あなた、愛されてて幸せね。うらやましいわ。じゃ、また明日」
ウインクする先生、ありがとうございます。大惨事一歩手前でちゃんと解放してくれて。
控の間でタライで水をかぶって汗を流し、体を拭いて着替えます。
僕のほうが早く終わったので、待ってると、女性用の控えの間からセレアが出てきました。
「しんっけんにやると、やっぱり疲れちゃうねー」
「ですねー、でも楽しかった」
二人で壁に寄り掛かって、足を伸ばして座ります。
「……私、病弱でずーっと運動できなかった記憶があるんです。こんなに運動したら五分で倒れちゃうぐらい」
「そうなんだ……」
「だから、今こうやって元気な体で、走ったり飛んだり跳ねたりできるの、すっごくうれしい。前はダンスの練習なんて嫌々やってたのに、ヘンですね」
「僕も。僕なんかさあ、練習で姉上とか妹とかに足を踏まれたり蹴られたり、転んだら怒られたりとか、イヤな思いしかしたことないよ。ダンスが楽しいなんて思ったの、今日が初めてかも」
「ふふ」
「あはははは!」
二人、笑います。
「それにしても先生、面白かったね!」
「うん、私、何度も笑っちゃいそうになりました!」
先生、男なんですよね。
すらっとしてかっこよくていい男なんですけど、くねくねしてて、お姉さん言葉で、動きがなんか怪しくて、すっごくヘンでした。
でも、楽しかったなあ!
次回「11.ニアミス」