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今更、キサラは呪われない

作者:七々八夕
 あなたの願いはなんですか?

 富や名誉、単純なものを求めるのも良いでしょう。
 ですが、その他にも欲しいものはございませんか。
 何もしていなくても幸運が寄ってきたり。意中のお方の心を奪ったり。
 時間を止めたり。未来を垣間見てみたり。過去に戻るのも良いでしょう。
 それらを可能にする道具があるのなら、欲しくはありませんか。
 ええ、現にあるから、こうして話しているのです。

 当店は移動販売にて、各種商品を取り揃えております。
 お手頃価格でご奉仕いたしますので、御用の際には柑橘と腐った肉を燻してくださいませ。
 近隣住民から、苦情が来る前に参ります。
 二股尻尾の黒猫が目印。《キサラ商会》を、よろしくお願い致します。


         ■               ■


 糸が絡み合うように電線が張り巡らされた、廃墟の立ち並ぶ闇夜の裏路地。
 月光がほとんど届かないせいで見えないものの、汚れたネズミの一匹二匹、駆けまわっているのは想像に難くない。

 黄ばんで錆びた室外機の隣に、大小の激しい影が三つ。
 双眸を金色に光らせ、二股の尻尾がゆらめく黒猫。
 黒のローブを纏ってフードを被り、幼さの残る顔に影を落とす小柄な少女。
 そして、生きた獅子が一匹入りそうなほどに膨らんだ黒いリュック。
 黒に黒を重ねた黒。闇夜の中で存在感を消さんがばかりだ。
 そんな少女らは、波打つように漂い声を奏でる白煙と、清涼を感じる香りに包まれていた。
「――なんだい、これは?」

 目を細めた黒猫は、呆れの溜息と共に煙を吹き消した。
 同時に流れていた少女の声や清涼感のある香りも、夜空に溶け込むように消えていく。
「広告だけど」昨日の天気でも聞かれたように、少女は抑揚のない声で答えた。

「詐欺でも始めるのかい」
「全ての呪具売りを否定する言葉よ、それ」
「事実じゃないか。怪しげな言葉で人の弱みにつけこんで、怪しげなものを安値で売りさばくんだ。おまけに効果はマチマチ」

 少女を嘲るような言葉を並べ、黒猫は近くに寄ってきたネズミを鬱陶しそうに叩き殺す。
 が、食べはしない。
 彼は死体へ器用に爪を突き刺すと、誰にも回収されていない――これからもされないだろう――生ごみの詰まったポリバケツに放り込む。

「今晩のメニューはサケの塩焼きがいいのかしら?」

 少女が愚痴ばかり吐く黒猫への罰とでも言うように、意地の悪い笑みを浮かべる。

「サケだなんてごめんだね。これからうんと変な臭いをかがされるのに、そんなものは喉を通らない」
「あら、ちゃんと自分のすることを分かっているじゃない。偉いわ」

 感情などこれっぽっちも含めず、少女は営業スマイルを浮かべる。
 ケッと地面に吐き捨て、黒猫は尻尾を畳んで丸くなる。

「ぼくの呪い(・・)まで商売に使うのはやめてほしいね」
「あら、使えるものは何でも使わないと。せっかくのお恵み(・・・)だもの」
「物は言いようだね」黒猫は依然として不機嫌である。

 猫は犬ほどではないが、人間の数倍の嗅覚を持つ。
 そして黒猫は、ただの猫以上に優れたそれを持っていた。
 ゆえにこうして、彼女に商売道具として使われているのだ。

「――ほら。噂をすればお恵み(・・・)だ」

 ふいに鼻の穴を縮めるように唇を上げ、猫は立ち上がる。
 少女も軽く体を伸ばしてから、自身の体躯の数倍はあるリュックを背負い上げた。
 カランカランと鳴ったのは、少女が母親から受け継いだ木製の鈴だ。

「その寄せ鈴も、いちおう呪具だろう? ぼくはいらないだろうに」
「あら、私のところに用があるお客様がいても、場所が分からないのじゃ仕方ないわ。その為にもあなたのお恵み(・・・)が必要なのよ、ミオ?」
「口の上手い商人だ。よほど売り上げが良いのだろう」

 ミオと呼ばれた二股尻尾の黒猫は目を細めながら、少女の前を歩いて客のもとへと導く。
 少女はリュックの重さなどないかのように、軽やかな歩みを一つずつ積み重ねていく。

「そういえば、あらゆるお肉も美味しく頂ける鍋を仕入れていた気がするわ」

 皮肉を言う黒猫へ、少女はなんとも笑えない冗談を言ってみせる。

「へえ。それは、ヒトのお肉も美味しく頂けるということだね?」
「その気になれば」

 二人が冗談なのか本気なのか分からない会話を交わしつつ、明かりの少ない開けた通りに出る。
 賑やかな喧騒が辺りから聞こえるが、それらはいずれもただの人間から成るものではない。

 南米あたりを想起させる民族衣装を身に纏い、キャンドルを頭に乗せた髑髏を赤の絨毯の上に所狭しと置く者。
 黒いマントを身に纏い、屋台を立て、見慣れない色や形をした植物を売る者。
 紺色の背広に赤いネクタイで、一見この場に不似合いなようで、多数のトランクの中には歪な形をしたペンダントなどを大量に仕舞う者。
 皆、容姿は違えど売っているものは同じ。
 そして、同じく多様な姿で数多くの店を見回る者も同様に、求めているものはそれぞれ違えど、根は同じ。

「ここの呪具市もにぎやかね。お客様もたくさん」
「キサラもここで売れば、少しは違うんじゃない?」
「移動販売はひいおばあ様の代からのしきたりよ。破ったら呪われるわ」
「呪具売りが何を言うかと思えば……」

 ミオは、キサラと呼んだ少女に聞こえないように呟く。
 だが彼女は聞こえているのか、判別に困る笑みを浮かべて彼の後を追って歩くだけだ。

 ふと、彼は立ち止まる。キサラもそれに合わせて歩みを止めた。

「ご到着かしら?」
「そこの公園にいるみたいだ。そろそろ鼻が曲がりそうだから、ここにいてもいいかい」
「あら、キサラ商会は二股尻尾の黒猫が目印よ。さっきの《蓄音香ちくおんこう》でウチの広告は見たでしょう?」
「ぼくのことかい、それは」
「他に誰がいるのかしら」

 心底から出た重い溜息を吐いて、ミオはやれやれとかぶりを振る。

「人使い、いや猫使いの荒いことで」
「嫌ならどこかに行けばいいのよ。行けるものならね」
「そのうえ、性根が腐っている」
「商売の為なら猫でも使う。商魂がたくましいと言ってもいいのよ」
「ほぉ、いつか言ってみたいもんだ」

 口を尖らせながらもミオはナビゲートを再開し、キサラとともに人気のない街道を通り、僅かな街灯に照らされただけの公園に立ち入る。
 コンクリートの上に散りばめられた砂利を踏む音が、彼女の来訪を周囲へ静かに伝える。
 そこは滑り台に、ブランコ、水飲み場――最低限の設備が置かれただけの、規模の小さなものだ。

「こんなところに呼び出して、告白でもされてしまうのかしら」

 ミオは「まさか」と言いかけたが、それを阻止するように、あたりに漂う異臭が彼に鼻を抑えさせる。
 キサラも同様に感じており、ここに彼女らの客がいるか否かは、推し測るまでもない。

「滑り台の影だ、あそこからキてる」
「では、呪具売りらしく怪しげな登場をしましょうか」

 そう言って彼女は降ろしたリュックの中に手を突っ込み、手の平サイズの白い球体を取り出す。
 導火線もついており、一見すれば花火玉のようにも見える。
 だが、これは匂いのついていること以外は、ただの煙玉だ。
 火花を散らした爆発などしない。

「今日はなんの香りだい。一応ぼくは猫なんだから、レモンはやめておくれよ」
「あら、御期待に沿えなくてごめんなさい。今日は森のハーブの香りよ」
「ハーブもあんまり好きじゃないんだけどな……」

 ミオのぼやきを無視して煙玉を左手に持ち、キサラは右手で再びリュックを弄る。
 今度取り出したのは、絹でできた袋だ。
 口を縛った革の紐を緩めれば、人差し指の先にほんのわずかな、赤い粉を乗せた。

 彼女は煙玉の導火線を指先に持って行き――ふっ、と指先の粉を吹き飛ばす。
 粉は指を離れるなり光と熱量を放ち、導火線に火をつけた。
 静かに短くなっていく導火線を確認し、キサラは絹袋の口を閉じてリュックにしまい込む。

 それから数秒が経ち、火が煙玉に触れた。
 刹那、蒸気が噴き出すかのように煙が溢れ、あたりに白煙とハーブの香りをまき散らしていく。
 一瞬にして、公園が日常を離れた異質な場へと演出された。

「――長らくお待たせいたしました、お客様」

 先ほどまで冗談を交わしていた時とは違う、低い声。
 あどけなさの残る高さの中に、どこか信用しきれない怪しさ――しかし一転すれば、陶酔できるほどの安堵を感じる――キサラはフードで目元を隠しながら、近くに潜んでいる客に自身の到着を告げた。
 その声を聞いて、滑り台の影から小さな影が立ち上がり、ゆっくりと二人に近づいてくる。
 来た、とキサラが思った瞬間、影はなぜか駆けだした。

「……助けてくださぁぁいっ!」
「げふゥ――ッ!?」

 涙に滲む叫び声に怯んだか、キサラは迫る影の体当たりを真正面から受け止める形となった。
 打ち所が悪ければ、血を吐いていたかもしれない。
 辛うじてクッション変わりとなったリュックも、中に入っているものの多くが固く角ばっているために、緩衝の役割を果たしたとは言い難い。

「いっ、たぁ……なに、一体?」
「子供のようだね」

 キサラの腰辺りに手を回して抱き着くのは、彼女よりも一回り小柄な体躯の、ミオの言う通りに子供だった。
 子供は時折しゃくりあげながら、大粒の涙をキサラのローブに滲ませていく。

「え、ええと。お客様、落ち着いてください」
「ひぐっ……すい、ません……」

 ズズっと鼻をすすりながら顔を上げると、子供は少女のような愛らしさをもつ少年であることが認められる。
 キサラは立ち上がり、ローブの内ポケットからハンカチを取り出しては少年の赤く腫れた目元を拭いていく。

「珍しいね、こんな子供が呪具売りに用があるなんて」
「とりあえず、お客様のお願いを聞かせていただけますか?」

 もう一度、念入りに鼻をすすった少年は息を整えて、まだ各所に腫れの残る顔をキサラに向けた。

「……僕には、ぶっ殺したいやつがいるんだ」
「あら、物騒」
「お黙り」

 少年を冷やかすようなことを呟いたミオに、キサラは遠慮なく蹴りを入れる。

「いったいなあ、もう」
「……こほん。でしたらお客様、その願いに見合う呪具をいくつか仕入れております。しばしお待ちください」

 先ほど飛びつかれたことは毛ほども気にしていない笑みを浮かべ、キサラはリュックの中を弄り始める。
 陶器か金属か、それに類する性質のものが擦れたりぶつかったりして、カチャカチャと甲高い音を出す。
 決まった楽譜などに沿っていれば奏で合うといった形容が合致するだろうが、雑多が過ぎるがゆえに、乱れた不協和音にしかなり得ない。

 そんな音の中で無防備に晒されたキサラの背中を見つめると、少年は金色の眼光に睨まれていることに気付く。
 ミオが獣を狙う獅子がごとき視線を向けていたのだ。

「……あの、この猫は一体?」
「ミオといいます。ただの黒猫ですよ」

 ただの黒猫などではないことは、先が二股に分かれた尻尾を見ればわかる。
 それ以前に、人語を解する時点で超自然的な存在であることは明らかだ。
 少年はごくりと唾を飲み、視線に畏怖の念を込めてミオを警戒した。

「さて」荷物のこすれ合う音が消え、キサラがそう言ったのは何秒後か。
「これが、呪具?」
「その通りでございます、お客様。これらはいずれも狙った人の命を奪える効果をもつ呪具でございます」

 赤い西洋風の絨毯を地面に敷いて、キサラは呪具と呼ぶ歪な物体をいくつか置いてみせる。
 何の変哲もなさそうな花瓶や、内側から青い光を淡く放つ宝石、赤黒く染まった人間の右手――火を見るより怪しいと分かるものや、そうでないもの、様々だ。

「……おすすめは? 効果の高いやつがほしい」

 どこか子供らしくない口調に引っかかりを覚えたが、キサラは冷静に「そうですね」と小さな花瓶を手に取ってみせる。

「《黒百合の花瓶》。中に入れた水に使用者の願いを溶かし、飲ませたりかけたりして触れた相手を呪う、汎用性が高く人気の商品です。蒸発させれば効果は薄まるものの、水蒸気による拡散性は保証いたします」

「そっちの宝石は?」
「《深愛の結晶》。ロマンチックな名前ですが、その正体は所持した者に不幸をもたらす逸話が語り継がれる、ホープダイヤモンドの欠片です」

 殺したいほど愛おしい女性に送ってみてはいかがでしょうか?
 他意などまったくない営業スマイルを浮かべると、少年はわずかに顔をひきつらせた。
 そして僅かな逡巡を見せた後、震える手で《黒百合の花瓶》を指さした。

「じゃ、じゃあ、こっちで」
「こちら、お値段の方は日本円で二万円となっていますが……失礼ですがお客様、お手持ちは?」
「あ……」

 悪事がばれた子供のように――現に彼は子供だが――少年は硬直する。
 申し訳なさそうにポケットから出したのは、500の三桁を金色に光らせる硬貨一枚。

「呪具の価値がワンコイン? こっちはこれでも値引きしてるのに、舐められたもんだ」
「お黙り。相手は呪具の素人よ、ミオ。……申し訳ありませんが、お客様。代金が支払えないのであれば、商品をお渡しすることはできません」

 非情などと言われようと、キサラがしているのはあくまで商売である。
 桁が二つも違うのに取引を成立させるなどという愚行をする気は毛頭ない。
 少年は何かに言い淀み、口を開閉させていた。

「……お客様?」
「い、家にならお金があります。すぐに取ってきますので――」
「やあやあ、お客様。さすがに夜道に子供を一人にするほど、ぼくらは人でなしじゃあないよ」
「え、いや、でも……」

 ミオの浮かべた含みのある笑みは、少年にまた畏怖を抱かせる。
 喋るだけでも十分だというのに、そこへ更に不気味さが加えられているのだ。
 恐れない方が、どうかしている。

「せっかくのお客様ですもの、代金を支払っていただけるのであれば、なるべくその身の安全を守りたいものです。同行しても構いませんか?」
「……構いませんが……」

 俯いて呟いた少年に、キサラはにっこりと笑って立ち上がる。

「では、参りましょうか」

 さっさと呪具を仕舞い絨毯を丸めた彼女は、相変わらず巨大なリュックを背負い上げる。
「ちょっと待って」そうして歩き出した二人を制止したのは、ミオだ。

「腐った肉とレモンを、いつまで燻しているんだい」


         ■               ■


「ネグレクト?」

 黒く染められた夜。
 陽の光を反射する月は隠れ、闇も一層深くなっていた。
 小さな蛾の舞う街灯の下を通り抜けながら、三つの影が公園のすぐ裏にあったマンションへと向かっている。

 ふと少年が口にした単語を、キサラはオウムのように、意味も知らずに繰り返した。
「ごめんね」ミオは謝罪の感情など一切なく、少年に言った。「お嬢は世事に疎いんだ」

「要するに、親が子供の教育を放棄することさ。面倒になったりしてね」
「なるほど。だからお客様は、こんな夜に堂々と外出できたのですね」

 キサラが言うと、少年は目を逸らして静かに首肯する。

「今だって、どこかで遊んでいるんだ。仕事が忙しいとか言ってさ」

 少年の目に、涙ではなく怒りの色が浮かぶ。
 殺したいのはその親だ、という短絡的な推測は容易だが、キサラとしては呪具が売れればそれでよい。
 ゆえに、追及はしなかった。

「ここが僕の家です」

 そう言って少年が指したのは、二階建ての小規模なマンションの、一階の一室。
 特別綺麗というわけではないが、言うなれば素朴といったところだ。
 白い扉のドアノブを捻ると、少年は力んだ手で開け放つ。

 ――部屋のあちこちに転ぶ飲み残しの空き缶から漂うアルコールと、灰皿の上で小さな山を形成する吸い殻の煙り、溜め込んだ生ごみの腐臭が混ざっている。
 そこに広がっていたのは、煩雑の一言に尽きる部屋。

「うげ……」

 それは猫のミオでさえも、おもわず顔をしかめてしまうほど。
 キサラも顔には出さずとも、普通の家庭でないことはひしひしと感じていた。

「すいません、汚くて……すぐに持ってきますね」

 リュックが大きいせいで部屋に入れないキサラは、ミオとともに外で待つことになった。
 彼女が開けっ放しの玄関から中の様子をのぞき込むと、少年は台所の棚を漁り、何か封筒のようなものを取り出しているのが見えた。
 中身を確認した少年は、嬉しげな表情と共に駆け戻ってくる。

「ここに! あります、二万円。いいですよね?」

 差し出された茶封筒を受け取った一瞬、キサラは見逃さなかった。
 生活費、と雑に書かれた三文字を。
 だが売買が済んだのち、買い手が呪具を使いさえすれば、その後どうなったとしても彼女の知ったことではない。
 使った結果として、買い手が死んだとしても。
 それでも客は客である。
 金の払える客には可能な限り誠意を尽くせというのは、初代・キサラ商会からの言い伝えである。

 キサラは中に五桁の札が二枚あることを確認し、営業スマイルと共に頷いた。

「確かに、ご確認いたしました」
「……キサラ。ここじゃ匂いがキツくて、香り付きの呪具が駄目になる。公園に移動しよう」
「こら、お客様に失礼でしょう」

 とは言うものの、キサラも同じことを思っていた。
 そんな彼女の気持ちを察したのか、少年は玄関を閉めながら申し訳なさそうに言う。

「いえ、構いません。どうせ暇ですから」

 暇――ネグレクトの被害に遭う者が漏らしたその言葉に含まれる意味は、キサラにはあまりに重すぎる気がした。
 同時に彼女は、隠しきれていない薄さ(・・)も感じていた。
 それゆえか、先ほどの公園に戻るまでに、会話の一切は交わされることが無かった。

 ほどなくして沈黙を破ったのは、公園に立ち入ったことを伝える砂利の音だ。
 敷地内には、まだレモンと腐った肉が燻された臭いと、癒しのあるハーブの香りが混ざった異臭がわずかに漂っている。

「では、お客様。取引と参りましょう」

 キサラは再び赤い絨毯を敷いて正座し、巨大なリュックの中から再び《黒百合の花瓶》を取り出す。
 少年も同様にしゃがみ込むと、ずっと手に持っていた封筒をキサラに手渡す。

「はい、確かにお受け取りいたしました。では、今後について多少、ご説明させていただきます」

 今日に至るまで何度も言い続けてきた言葉をキサラが紡いでいる最中、少年はその手に持った花瓶を持って震えていた。
 呪いへの恐怖とは、違う。高揚感による、そう、武者震いが正しい。
 キサラの話も、半分も聞こえていない。
 それを知ってか知らずか、キサラは説明を始めた。

「我々呪具売りは、仕入れ先とお客様から《評価》を必ずいただく契約をしております。そもそも呪具は人々が感じる幸や不幸の感情を動力とし、またそれらを核にすることで製造されるもの――ですので、お手数ですが使用後にまた私どもを呼んでいただけますでしょうか? 何らかの形でその感情を《評価》と代えまして、いただきに参ります」
「……いいえ、その必要はありませんよ」

 淡々と言葉を並べた解説に対し、少年は高い声でくっくっと抑えた笑いをこぼす。
 しかしキサラの表情に大した変化はない。
 相変わらず営業用の、人当たりの良い微笑を浮かべているだけだ。

「今ここで使うのですから、それで良いのです」
「では、使い方をお教えしますね」

 少年の発言に悪意など一切ないと思っているような口ぶりで、キサラは公園の水飲み場を指す。

「さっき言ってたろ、こいつに水を入れればいいんだ!」

 水を得た魚――ならぬ、水を得た人間か。
 鼻息を荒くして駆け出せば、少年は蛇口をひねり、勢いよく噴き出した水流で《黒百合の花瓶》の中を満たしていく。

「そして、殺したいと念じてぶっかければいい……!」

 その目には狂気と、怒りの色が含まれていた。
 暗闇でよく見えないものの、その色の絵の具を溶かしたかのように、《花瓶》を満たす水がどす黒く濁っていく。
 直後駆けだそうと身を屈めたミオを制止したのは、むろんキサラである。
 彼女は視線だけで彼に一言「待て」と伝えると、少年に向き直った。

「何か、妙に言葉遣いが子供のそれではないと思っていましたが、なるほど。幼い頃の記憶を掘り返して、ようやく思い出しました」

 これからされることは分かり切っているのに、キサラは余裕を見せていた。いや、焦りがなかったと言うべきだ。
 いまの彼女の口調は、客と談笑する店員のそれだったのだから。

「お母様のお客様ですね、あなた」
「へえ、覚えてたか! 抱っこされてたチビッ子が!」
「確かあなたは――不老不死の呪具《人魚の乾肉》をお買い上げしたのでしたね。ですが、あの時のあなたの年齢は、二十代後半ほどと記憶しておりますが」

 冷静に過去を語れば、少年は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
 その顔に飛び散った透明な水滴は、涙のようにも見えた。

「呪われたんだよ、あのクソまずい肉に! あれから俺はずっと、若返り続けてるんだ! 女は気味が悪いとどこかへ消えたし、家族も俺との縁を切りやがった!」
「ふむ。明らかな原因に同情の余地はありませんが――私を呪うのはお門違いでは?」
「あいつの娘だからあんたを狙った、それだけだ! 聞き覚えのある店の名前に、これだと思ったさ!」
「あら、名前を憶えていただけて光栄です」

 一切怖じないキサラに短気な感情が刺激され、少年は花瓶を握る手に力を籠める。

「それはそうと、お客様。《黒百合の花瓶》をそのように扱ってはいけません」
「うるせえ、死ねよォォッ!!」

 激情に身を預け、少年は《黒百合の花瓶》に満ちた水を、キサラに向けてぶちまける。
 どす黒く濁った水の塊は宙を舞い、次々と輪郭を変えていく。

 強い殺意が籠った呪いの水。
 少しでも触れれば、死の呪いを身に宿してしまう。
 であるにもかかわらず、キサラはその場を動くことはなかった。
 なぜなら。

「――まずいものは、ぼくも嫌いだ。なんたって、おいしくないからね」

 先ほどまで宙にあったはずの、直後にはキサラの身を呪っていたであろう水は。
 どこからともなく(・・・・・・・・)現れた青年が(・・・・・・)すべて飲み下し(・・・・・・・)ていたのだから(・・・・・・・)

 少年は驚きに目を見開き、断続的な身震いと共に、硬直した。
 今度の震えは、明らかに彼が抱く怯えの色を見せていた。

「な……あんた、いったい……!?」
「さあ、ぼくはただの黒猫さ」

 口の端を吊り上げると、端正な顔立ちの青年――ミオ(・・)は黒いマフラーを、二股の尻尾に見立てて夜風になびかせる。
 身に纏う服は、むろん黒。その眼光はむろん、金色。

「昔話を致しましょう、お客様」

 ミオの影から顔を出したキサラが、動きを忘れた少年に向けて語り始める。
 彼女の口調は相も変わらず、雑談に花を咲かせる店員のそれだ。

「今から少しだけ昔の話です――容姿に自信のない青年が、とある呪具売りの少女に惚れ込みました。青年は少女と恋仲になりたいがために、容姿を変える呪具《化け猫の皮》を買いましたが……使い方を間違えたために、呪具は暴走してしまいました。結果、その青年は呪われてしまい、二股尻尾の黒猫に姿を変えてしまったのです」

「はて、キサラ」黒猫は遠い過去を回顧するように虚空を見上げる。「その黒猫は今どうしてる?」

「呪いを解くために、その少女と一緒に呪具売りをして、売った呪具を使ったお客様の《評価》――幸せや不幸せの感情を集めているのだそうよ?」

「なんて一途な黒猫だ、応援したくなるね」
「ええ、私もいつか見てみたいものだわ。尻尾の生えていない黒猫(・・)を」

 舞台演劇のような、わざとらしい芝居がかかった二人の会話。
 二人だけが解すことのできる世界。
 もはや二人の眼中に、少年の姿などほとんどない。

 少年がはっと気が付くと、ふざけた彼らに向けた怒りを滾らせる。
 そして再び、空になった《花瓶》に水を満たし濁していく。

「あーあー、ちゃんと説明を聞かないから」
「昔の自分を見ているみたいだって?」
「なんのことやら」

 ミオが首をすくめている間に、再び濁った水が彼に襲い掛かる。
 だが、大きく口を開けてはペロリとひと飲みにしていく。

「曲がりなりにも猫なんだから、水をかけるなんてのはやめて欲しいんだけどね」
「な、なんでだよ。呪いの水なんじゃないのか、これは!?」

 声を荒らげて、少年は後ずさる。
 いまいち効果を見せない花瓶に、彼は苛立ちを募らせるばかりだ。

「ええ、確かにその花瓶に入れた水は、持ち主であるお客様の願いが溶かす力がございます」

「ですが」とキサラは、少年を谷底へ突き落とすように強調する。

「呪具と言えど、それはあくまで花瓶でございます。その花瓶に水を満たしただけでは、大した効果はございません。その水の濁りは呪術が失敗した証……水を満たした花瓶へ枯れた花を挿したとき、ようやく呪いの水は完成するのです」
「まあ今のじゃ精々、ちょっと痺れるくらいの呪いしかないね。あとは風邪をひかせるくらい」

「な……」

 唖然とする少年に、キサラはにやりと笑う。薄っぺらな営業スマイルなどではなく、心の底からの感情が生み出した表情だ。
 さて、これからどうなるか分かっているか――そう問いかけるような、可憐でありながら不気味な笑み。

「はてさて、如何いたしましょうか。残念ながら、お客様は一応《黒百合の花瓶》を呪具としてお扱いになったわけですから、返品は受け付けられません」
「でも、人を殺せる呪具は買えたわけだから、文句はないだろう?」

「ふ、ふざけるな。俺はあんたを殺すために……ッ!」

 途端、少年は懐に入れていた果物ナイフを取り出し、キサラに向けて駆け出した。
 むろん、ミオがキサラから離れる筈もなく。

「どけぇ、化け猫ォ!!」
「どいたらお嬢に当たるだろう」

 威嚇するような低い声に、鋭い金色の眼光。
 自棄気味に突き出された刃を、彼が真正面から受ける筈もなく。
 素早く少年の手元を薙ぐように弾けば、痛みで力が緩みナイフが手から離れ、金属音とともに地面に落ちた。

「呪いを背負う覚悟もない奴が、安易に呪いの力に手を出すからこうなるんだよ」
「おまえ……!」
「もっとも覚悟以前に不注意だね、きみのは。程度は違うが不注意者同士、仲良くしないか?」
「ふざけるなよ、あんたなんかと一緒にするなッ!」

 痛みの残る手で花瓶を持ちあげるなり、少年は乱暴に振りかぶる。
 力任せであるゆえに、直線的で、読みやすい。
 ゆえにミオは、挑発するようにわざと目を閉じ、少年の手首を掴み上げた。

「……二万円で買ったもので人を殴ろうなんて考えが、どこから出てくるんだか。ぼくには理解できないよ」
「ここまで人生が狂っちまえば、何もかもがどうでもよくもなるさ!」
「あのね、きみがしてるのは、例えば――そう、お店で買った包丁でケガをした責任が、お店や職人にある、だなんて言ってるようなものだよ」

 ミオの出した例えに、微量でも納得してしまい、少年は喉に言葉を詰まらせる。
 その隙を見逃さず、彼は少年の手から《黒百合の花瓶》を取り上げた。
 筋力は見た目相応であるため、奪うのは容易だ。

「呪具は呪具として扱うといい。人を殴るよりよっぽど有意義だよ」
「その黒猫(・・)が言う通りでございます、お客様。そんなに私を殺したいのであれば、先ほど教えた方法で呪いの水を作ってから、また柑橘と腐った肉を燻してくださいませ」

「くそ……くそ……ッ!」

 膝からくずおれた少年は、声にも涙をにじませて地面に怒りをぶつける。
 大粒の涙粒をいくつも零して、少年は行き場のない怒りを咽び嘆いていた。
 むろん、キサラとミオは無感情の瞳で彼を見るだけだ。

 ふいにミオの体が闇に包まれ、何事もなかったかのように二股尻尾の黒猫に戻った。
「ねえ、少年」彼はかすかに同情をはらませた声で語り掛け、その傍に《黒百合の花瓶》をそっと置く。

「その不幸の感情――味見(・・)させてくれるかい」

 ミオの語りには、母親の子守歌のような穏やかさがあった。
 もはや声の出し方も忘れかけていた少年が意識を失う直前、最後に見たのは――

 巨大な、黒猫の口だった。


         ■               ■


「いるもんだねえ、ああいう馬鹿って」

 深夜の街を並んで歩く、二つの影。
 片や、自身の体躯の数倍はあるリュックを背負う少女。
 片や、二股尻尾を揺らして、金色の目を光らせる黒猫。
 二人以外の生き物が消えてしまったかのような静寂の中、黒猫は先客を回顧しながら毒を吐いた。

「自虐かしら」少女もすかさず毒を吐く。
「もういいだろ、その話は。それにぼくは、キサラの説明をちゃんと聞いていた。呪術の素材を間違えただけだよ」
「ええ、まさかサケを赤身魚だと勘違いするなんて」

 くすくすと笑う少女。黒猫は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「それよりも、だよ。いくらぼくがついているからって、あんなに無防備でどうするんだい」
「あら、あなたがついているから無防備でいられるのよ」
「……今回は安い呪いだったからいいけれど」
「今更、私が呪われるものですか」

 自分に信頼を寄せられて、黒猫は素直に嬉しいものの、一方で彼は少女に呆れている。

「一時的に人間の姿になったり、呪いを食べるたびに、ぼくの呪いが治るまでの道のりがまた長くなるということだよ、理解しているのかい?」
「どうせいつ治るかわからないもの。それに、私は小さいあなたも可愛らしくて好きよ?」

 嘘の混じっていない言葉に、黒猫は思わず足を止める。
 猫ゆえにはっきりとした表情は出せないものの、足を止め口を開けたままにしており、人間臭さは十分に出ていた。

「どうしたの、お客様かしら?」
「……いいや、なんでもないよ」

 正気をとりもどすようにかぶりを振る黒猫を見、少女は意味ありげに「そう」と微笑む。

「ねえ、今晩はどうする?」話題は一周回って、夜食の献立。
「じゃあ、サケの塩焼きをお願いするよ」
「あら、あんな臭いを嗅いだ後じゃ嫌なんじゃなかったかしら」

 少女は意地悪そうに言いながらも、どこか嬉しげに微笑んでいた。
 その心の中では、既に黒猫と共に食事をする、幸せに満ちた自分の姿が描かれている。

「猫らしくしていた方が、君に愛されるんだろう?」
「猫使いは荒いけど、いいのかしら」
「ぼくは恵まれているんだよ、君に。それは愚問さ」
「皮肉かしら」
「たまには、真に受けてくれていいんだよ?」

 二人はいつものように、一見して互いを嫌っているようで、その裏側では互いのことを知り尽くした言葉を交わしていく。
「じゃあ」ふと、少女はリュックの中から円錐型のお香を取り出した。
 それは今日の商売をひとまず終え、また明日以降も続けていくことを示すための呪具。

 少女は一緒に取り出した袋から赤い粉を指先に乗せると、ふっと吹きかける。
 粉は彼女の吐息に応えるように熱量を放ち、お香の先に火を点けた。
 徐々に白く薄い煙が立ち上り、清涼を感じる香りを周囲に漂わせていく。

「広告を流して、今日はおしまい。おうちに帰りましょ、ミオ」
「そうだね、キサラ」

 互いの名前を呼び合うと、キサラと呼ばれた少女は物陰にお香を置き、ミオと呼んだ黒猫とともに、街道から姿を消した。
 ただそこに、二人がいたという証を残して。




「――あなたの願いはなんですか?」




 少女の声を奏でながら、夜空に白煙がゆらめく。

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