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身の上話を始めれば、恨み辛みはきりがない。
人と比べてどうだとか、私の生きてる意味だとか、悩む種は無限大。
§◆§
目が覚めたら、20年の歳月が流れていた、なんて想像したことはあるだろうか。
人一人が大人になるだけの時間。確実に老いというものが表れる時間。四人に一人が死んで、町並みが変わり、それは世界にただ一人自分だけが放り出されたと感じるに相応しい断絶となる。
実感を込めて言おう。それは、孤独を感じて尚余りある。
とは言え。
さすがに六回も繰り返せば感覚も麻痺しようというもので、もう心の準備なんかをする必要もなく、私はごくごく当たり前のように目を覚ましていた。
鼻孔にまとわりつく、時間を置いた機械油の焼ける重い刺激臭。埃っぽさと相俟って、あまり心地よい目覚めとは言えない。
予定通りなら、今日は私の百五十二回目の誕生日であり、私自身が経験するのは十四回目となる。
誰が考えたのか知らないけど、この「誕生日に合わせて」というのは私にとって有り難迷惑なことこの上ない。いや、もしかしたら嫌がらせなのかもしれない。自分の生まれを祝う日は、その九割五分が私の知らないうちに過ぎ去り、残りは今日みたいな自分の生まれを呪う日に成り下がっている。
つまり、こうだ。
私は、二十年の月日を眠ったまま過ごし、目覚めてから二年の自由時間を与えられた後でまた二十年の眠りを強制的に与えられる。
この世に生まれ落ちてから、日付の上では私は百五十二歳のお婆さんだけど、私自身の感覚では十四歳だ。
体の良い、なんて修飾詞を付けるまでもない人体実験。
なんでこんな事になっているのか。当事者の私ですら又聞きの話をかき集めたものしか知らないのだけど、事の始まりは今から二千年くらい前になるらしい。
なんでも、この星は元々人が住める所ではなかったのだそうだ。
それを無理矢理住めるようにしてしまおうとしたのが、この星の最初の人間。人間とは言っても、身体も脳味噌も魂さえ電脳にしてしまった、ある意味人間を超越してしまった人たち。量子ビットバイナリの身体となった彼らを揶揄し、バイナル、なんて呼ばれ方をされてたりもする。
バイナルの世界はまさに理想郷。何しろ電脳体なのだから、生活に必要な食料やら衣料やら住居やらは無限に存在するし、あらゆる娯楽を手にすることが出来る。生命を脅かすような感情の起伏は制御され、管理された疑似生殖によって産めよ増やせよ、ユートピアと表裏一体のディストピア。
そんな世界で生きてみたいかと言われたら、迷うことなく私は拒否する。
何でも望めば手にはいるなんて、この上なくつまらないに決まっている。人間、欲しいものを苦労の末で手に入れる、そんなトライアンドエラーの日々が活きる糧だ。
なんていう私の持論は意外や少数派というわけでもなく、バイナルの中にも同じようなことを考えて離反した人間が後を絶たなかったそうだ。
それが、今この星で肉体を持って生きる人間。
この星には、源流を同じくする、二種類の人間が生きている。
まだ覚束ない視界の中に頼りない光源を捉え、私は外に一歩踏み出す。続いて二歩、三歩。
目覚めはいつもここだ。アトルマーク家の地下室、血縁の人間以外は立ち入ることを許されない隠し倉庫。
倉庫とは言っても、雰囲気はハンガーと言った方がいい。得体の知れない機械が立ち並び、始終何をサンプリングしているのか知らない端末から電子音が微弱に漏れる。空調は入っているはずだけど機械油と埃の臭いはどうやったって抜けないし、何より。
後ろを振り返る。
巨大な、ずんぐりむっくりの箱を寄せ集めたような出来損ないの人型。
これが私の百四十年を捧げたベッドであり、ややもすれば棺。
シルフィネスーー風の女王とは名ばかりの、不細工なロボットが、下手をすればどこにあるのか見失いかねない目から、私を見下ろしている。
地に放たれた、肉体を持った人間たちは、今までのぬるま湯みたいな生活が嘘のように野生を取り戻し、瞬く間にその数を増やしていった。
とはいえ、さすがは人間が住めるように改造されていただけあって、人間が食料に出来る動植物が繁殖していたものだから、生きていくには十分な環境だったみたいだ。
大地を拓く為の機械は、惑星改造のために使用されていた自動機械の残骸を再利用すれば容易く手に入った。そうして彼らは住処を作り、道具を作り、兵器を作り、産み、簒奪し、殺害し、その版図を広げていく。
対してバイナルは、いつからかその身体を生身のものとすることが出来ない個体が増えていった。
魂ーー学術的には霊格というそうだがーーが、肉体を持つ為に必要な多様性を失い始め、生身の身体に耐えられないようになってしまったらしい。
そもそもバイナル達は、この星に電脳体としてやって来た時の約束として、惑星の改造が終わった暁にはそれぞれが肉体を持ち、最初の入植者となることを決められていた。
その目論見が崩れ、地には先走った元同胞が蔓延り、自分たちは下手をすれば生涯を電脳体のままで過ごさなければいけない。この上ない理不尽。まずは、自分たちも生体に戻る手だてを考えなければ。どのような手段を執ってでも。
そんな経緯で、私、リンカ・ラングトンは生まれた。
生体化が出来ない個体が増えたとは言っても、私を含め生体化の余地を残していた個体も無いわけではなかった。
胎児の段階でそれが判明した私はこの不格好な人形をお供に、バイナルとコンタクトが可能な数少ない家系の一つである、このアトルマーク家に預けられた。目的は、生体化と電脳化を繰り返すサイクルの中で、私という個体に発生した生物学的、遺伝子学的、霊子学的な差異をつぶさに解析すること。そのためには、乳児段階から実験をする必要がある……というのがバイナルの考えた結論だったそうだ。
だから私は、バイナルの世界もよく知らない。自分の親がどんな人間なのかも、私を今の境遇に追いやるに至った事情とやらも。
どうせそんなもの、知ったところで何にもならないのだけれど。
自分の境涯に思いを馳せるのも、木偶人形を恨みがましく睨むのも飽きてきた。
本当なら、私が目覚めるときにはアトルマークの人間が雁首そろえてこの場所に来ているはず。なのに、今回はどうしたことか誰一人居ない。
とうとう私の実験を監督するという義務にも飽きてきたか。
それならそれで都合がいい。これからの二年間は、私も自由に生きることができる。
手始めに何をしようか、何しろ監視のつかない状況というのも生まれて初めてのことだし。子供らしい悪戯の一つでもしてみようか、例えばこっそり部屋を抜け出して人を脅かしてみるとか。
なんてことを考えて出口を探す。あった。頼りない光源、と思っていたそれは、半開きになったドアから漏れていたものだった。
この地下倉庫、普段は人が入らないだけあって、この場所に至る廊下の照明も必要最低限のものしか点いていない。半開きとはいえ結構大きく開いていたのに気付かなかったのも、それが原因。
ーー誰が開けたんだろう。
少なくとも、この実験は外部に漏れても良い類のものではなかったはずだ。常に私には監視が付いていたし、このシルフィネスにしたって人目について良いものではない。
施錠されていて然るべきなのに。
ドアに近付く。まぁ、考えていたって仕方がない。折角掴んだ貴重な自由時間なのだ、有意義に使うべきだと思う。この際だから、このまま屋敷の外に抜け出してもいいかもしれない。そのまま、こんな家からも実験からも解放されて、一人の人間として生き
「動くな」
背中に、硬い何かが触れる感覚。
大きなものではない。直径2センチくらいの、多分金属の棒の先端。
銃。
「どこからこの部屋の存在を聞いた。十三源流の武門、アトルマークの積年の使命を灰燼に帰すが望みか」
言葉が出ない。今まで銃を突きつけられたことなんて、一度も無い。
「手を挙げろ。掌は開け。足を肩幅に広げろ。こちらを向け」
矢継ぎ早の指示に、私は壊れたように顎を引いて頷き、恭順の意志を示すのが精一杯だった。
「言われたとおりにしろ。この引き金、賊一人の命よりも軽いぞ」
手を挙げ、掌を開け、足を広げて、振り向く。
男だと思った。
女の子だった。
たぶん、私より少しだけ年上。針金が通ったような、凛とした姿勢のまま、私に銃を向けている。一分の隙もない、とはこういう姿のことを言うんだろう。
§◆§
以上が、私が姉と慕い、無二の友人として愛した少女、アゼリアとの出会い。
こんな殺伐とした出会いだったのに、一週間もしないうちに私は彼女と仲良くなっていた。
まるで、最初から本当の姉妹だったみたいに。