トロの国
*
「ハハハ」
俺は笑った。笑うしかなかった。
「…………」
トロは目の前の光景に目を見張っている。
俺たちはゴミ集積場の只中に立ち尽くしていた。
周囲は見渡す限りゴミの山だ。そのほとんどは粗大ゴミの類で、ざっと見た限りでも冷蔵庫やテレビ、パソコン、扇風機、机、本棚、テーブル、果ては謎の機械部品までバラエティーに富んでいる。それらが無造作に積み上げられ、転がり、風雨に晒されたのか元々だったのかはわからないが汚れている。
俺とトロがゴミ箱を出たのはほんの数分前のことだ。
物凄い揺れでまたも洗濯機の中の洗濯物のようにぐるぐるとゴミ箱の中でもみくちゃにされたのだが、その後、揺れや振動は一切止んだ。
試しに扉を開けてみると呆気なく開いて、この人類の英知の残骸置き場に辿り着いていたというわけだ。
少し離れたところでトラックが走っていた。たぶん俺たちをここまで運んだトラックだろうが、大声をあげて呼び止めるには離れすぎていた。
振り返ると、トロの国であるゴミ箱はその他多くのゴミの中に違和感なく溶け込んでいた。
「さて、どうっすかな」
腕時計を見やると、午前十一時を過ぎていた。「とりあえず歩こう。トラックが走っていったほうに行けば道があるだろう」
俺の言葉に、トロは耳を傾けていないようだった。ただひたすらにこのゴミ王国に見入っている。呼吸すら忘れていそうなほどに。
「おい、トロ」
「………………………………見つけた」
長い沈黙を経て、トロは重々しくつぶやいた。
「あ?」
「見つけたよ、ケイ」
「何をだよ。百円でも落ちてたか?」
「国だよ。わたしの…………国!!」
そう発した途端、それが合図かのようにトロは駆け出した。
「馬鹿っ、危ないから走るな。山が崩れるかもしれないだろ」
トロは俺の怒鳴り声など気にもせず、ゴミ山の中を野生の猿みたいに飛び跳ねて回った。
画面が割れたパソコンのモニターを踏んで跳躍、冷蔵庫の上に着地、そこからまた飛んで半壊した軽自動車のボンネットに降り立つ。
彼女のワンピースのスカートの部分がひらひらと気持ち良さそうにそよいでいる。
まるでアスレチックだな。
「トロー。遊んでないで帰るぞー」
「帰らなーい」
そんなわけのわからないことを言いながら、あいつはピョンピョンとゴミの山から降りてきた。「わたしはここに残る」
「は? 何バカ言ってんだよ」
冗談だと思って俺はヘラヘラと笑っていたのだが、トロの顔つきが笑っていなかったので、これはマジだなと気付き笑いを引っ込めた。
「帰るぞ」
「帰らない。だってここがわたしの国だもん」
「ここじゃ、俺はお前にメシを届けてやれない」
「大丈夫だよ。なんとかするもん。ここには何でもあるんだから」
「ゴミしかねえぞ」
「それはわたしとケイの認識の違いだよ。ケイとわたしは同じ場所に立っているようで、実は違う場所に立っているんだよ」
「わけわかんねえよ」
「さてっと、まずはこの国の国旗でも考えよっかな」
「俺は帰るからな」
捨て台詞のように吐くと、俺は踵を返した。俺の背中に向けてトロが話す。
「わたしはここに――この国にいつもいるから。遊びに来たくなったら遊びに来ればいいし、住みたくなったら住めばいいよ。わたしはこの国の大統領だから、友人のケイはVIP待遇で歓迎するよ」
「そりゃ楽しみだ」
投げやりに言って、俺は一歩を踏み出した。
そのとき、額に水滴が当たってはじけた。雨だ。瞬く間に本降りに変わり、ゴミ山のあちらこちらから雨粒が当たる音が木霊する。
「くそっ、雨かよ」
「ケイ」
「あ?」
振り向くと、トロが傘を差し出していた。どこにでも売っているビニール傘だ。
「どうしたんだよ、それ」
「わたしの国にあった」
捨ててあったらしい。
「くれるのか?」
「もちろん。ここには何でもあるからね」
誇らしげにトロは胸を張った。
「そっか。あんがとな」
傘を開いてみると、それはまるで新品であるかのようにきれいだった。穴も開いていないし汚れてもいない。
傘に当たる雨粒に耳をすましながら、俺は歩みを進めた。
ふと後ろを向くと、トロが手を振っていた。
*
トロと離れてから一年が過ぎた。
あれから俺は一度もトロに会っていない。
彼女がまだあのゴミ集積所にいるのかもわからない。
社会人二年目となった俺の生活は、相も変わらず激務の日々だった。仕事に慣れれば余裕も生まれるのかと思っていたが、それは甘かった。
仕事ができるようになった傍から次々と新たな仕事を命じられ増えていくからだ。会社は俺に余裕をもたらす気はないらしい。
時間は減耗し、
身体は消耗し、
思考は磨耗していく。
まるで意識不明のまま操り人形にされて動かされているようだ。
そんな忙殺された日々の中でも、ふとトロのことを思い出すことがある。すると決まって、ハッとさせられる。
トロが見つけた国は、まだ健在だろうか。
そして、俺が今立っている国は、そもそも健在なのだろうか、と。