運ばれるトロの国
*
翌日の土曜日、夜七時。
俺はまたトロを訪ねた。メシを届けるためだ。コンビニ弁当だけど。
昨日の酒がまだ体の中に居座っていて、頭にダンベルを乗っけているみたいに頭部が重い。
「トロー。トロやーい」
「なんか猫の名前を呼ぶみたいだね」
ゴミ箱の中からトロの声がした。割と機嫌の良さそうな感じだった。
「メシ持って来たぞ。開けていいか?」
「ん」
了解を得たので、俺は前面扉を開けた。
トロは読書中だった。
「ほら、メシ。できれば俺の部屋で食って欲しいんだけど」
「ここで食べる」
「…………」
俺は無言で弁当の入った袋をトロに手渡した。
ゴミ箱の中は昨日と同じ清潔さを保っていた。隅に文庫本の山が築かれているが、それが未読なのか既読なのかはわからない。
「ここってそんなに居心地がいいのか?」
「いいよ。なんてったってわたしの国だからね。入ってみる?」
「えぇー」
「ほらほら、そんな嫌そうな顔しないでさ。案外居心地いいんだから。ケイも住みたくなっちゃうかもよ」
「んなわけあるか」
とか言いつつ、俺は促されるままに中にお邪魔した。
外から見ると犬小屋に毛が生えた程度の規模にしか見えないが、中に入ってみると思いのほか広く感じた。
ランタンの光がゴミ箱の中を温かい色合いに染めて、北国のログハウスみたいな趣を感じさせた。
あぐらをかいて、トロと向かい合った。
「へー、結構居心地いいじゃねえか」
「俺の声色を真似て変なこと言うな」
「でも、居心地いいって思ってるでしょ?」
ニッと歯を見せて笑いかけるトロに、俺は不承不承頷いた。
「ここが、お前の国なのか」
「そうだよ。今の、ね」
「今?」
「そう、今現在の、わたしの国。これからもっと大きな国を見つけるのが、目標なの」
「外じゃ駄目なのか?」
俺は扉の向こうを指差した。そこには居酒屋と会社とコンビニと悲哀で満ち溢れたニッポンがある。
「駄目」
トロは唾棄するかのように答えた。
*
物凄い物音で俺は目を覚ました――途端、体が宙に一瞬だけふわっと浮いて右半身をゴミ箱内の壁に激突させた。詰まれた本が舞い、ランタンは壁に当たりそうになったところをどうにかキャッチして死守した。割れたら破片が散って厄介だ。
何事だ。
トロもゴロゴロと転がり、ドガバカとあちこちを壁にぶつけているのだが、それでもすやすやと気持ち良さそうに寝ていた。起きろ。
「トロ、トロっ」
「んにゅ」
口元からヨダレをつつーっと垂らし、間抜けな返事しか返さないトロ。俺はトロは放っておいてとにかく外に出ようとした。
が、前面の扉はどんなに力をかけても開かなかった。押して駄目なら引いてみな、というノリで押したり引いたりしてみるも、扉は『最近太った?』と訊かれ機嫌を損ねた女の子みたいに全く反応を示さない。
そうだ上蓋があるじゃねえかとその存在を思い出し、俺は天井にある蓋を押し開けようとするも、こちらも開かなかった。鍵がかけられているというより、上から何かを載せたような手ごたえを感じた。
「なんなんだよ……」
嫌な汗が背中に流れる。
幸い今日は日曜日で会社は休みだが、もし明日までこのままだったら上司に怒られる。
それ以前に、トロと二人で入っているせいで酸素の消費量も多くなる。まさかの酸欠死も――。
などとめくるめく負のイメージを観覧していると、小刻みな震えがゴミ箱に、俺の体に伝わってきた。
ドッドッドッという人間の鼓動を百倍ぐらいにしたような音は、ゴミ箱の中にまで聞こえてくる。
「これは、車……いや、トラックか何かの荷台の上か?」
俺の予想の正しさを裏付けるかのように、振動は急に勢いを増した。音の感じから言って車が走り出したのだろう。
トロを見やると、こいつはまだ暢気に眠っていた。
自分の国が丸ごとどこかに運ばれているというのに、気楽なもんだな。