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ヒューマンドラマ

婚約破棄されて転落しましたが、自分の人生を生きられるようになりましたわ

作者: 黒井 新
掲載日:2026/02/28

 わたくし、リリアン・フォン・レンベルクは、幼いころから「特別な娘」だと言われて育ちました。


 レンベルク伯爵家の次女。

 けれど両親は、姉クラリスよりも、わたくしを可愛がりました。


 理由は単純です。


 わたくしは、シュトラール公爵家の嫡男と婚約していたから。


 格上の家との縁談。将来は公爵夫人。

 そう言われ続け、褒められ、甘やかされ、持ち上げられてきました。


 姉はいつも静かでした。

 比べられても、譲らされても、何も言わずに耐えていました。


 わたくしはそれを当然だと思っていました。


 けれど――


 婚約は、突然破棄されました。

 理由は「性格に難あり」。


 その日から、わたくしの世界は崩れ始めます。


 両親の期待は失望に変わり、社交界では噂が広がり、好奇の視線が突き刺さる。


 わたくしは、苛立ちを姉にぶつけました。


 あなたさえいなければ。

 あなたが目障りだから、わたくしは不幸なのだと。


 理不尽をぶつけ続けた末、姉は家を出ていきました。


 縁を切る、と言い残して。


 正直に言えば、せいせいしました。

 これで、わたくしが一番。

 そう思っていたのです。


 ですが数か月後、衝撃の知らせが届きます。


 姉が、王家の第三王子アルフォンス殿下と婚約した、と。


 慎ましく目立たなかった姉が、王族の婚約者に?


 信じられませんでした。

 けれど事実でした。


 社交界でわたくしの立場はさらに悪くなり、縁談は消え、視線は冷たくなる。


 やがて我が家は没落し、わたくしは遠縁の田舎騎士へ嫁ぐことになりました。



 しかし――


 どうしても諦めきれなかったわたくしは、王宮へ向かいました。


 姉に頼めば、社交界へ戻れるかもしれない。

 そう思ったのです。


 結果は――


 王宮の石畳に額を擦りつけたあの日の冷たさを、わたくしは忘れません。


「この場にふさわしからぬ者だ。すぐに連れ出せ」


 アルフォンス殿下の静かな声。

 衛兵に腕を掴まれ、門の外へ押し出される。


「お姉様……!」


 最後に縋った姉は、振り向きませんでした。


 ――どうして?


 その時のわたくしは、まだ自分の愚かさに気づいていませんでした。



 田舎の暮らしは、想像以上に厳しいものでした。


 石造りでもない、小さな屋敷。

 庭と呼ぶには狭すぎる畑。

 飾り気のない食卓。


 ある日の夕食で、わたくしは思わず言いました。


「……質素ですのね」


 夫となった男――エリックは、ただ一言。


「ここでは働く者が食える」


 それだけでした。


 怒鳴りもしない。

 媚びもしない。


 ただ事実を述べる。


 わたくしは、初めて居心地の悪さを覚えました。


 朝は水汲み。

 昼は畑。

 夜は針仕事。


 手は荒れ、爪は欠け、肌は焼ける。


 パンは焦がす。

 洗濯物は泥だらけ。

 近所の奥様方には鼻で笑われる。


「元お嬢様には無理でしょうね」


 逃げ出したくてたまりませんでした。


 ですが実家は没落。

 帰る場所はありません。


 ある夜、釜の前でしゃがみ込み、わたくしは初めて声を殺して泣きました。


 ――お姉様は、どうして、何を言われても平然としていられたの?


 わたくしは、守られていただけだった。


 甘やかされ、称賛され、失敗を知らなかっただけ。


 それを、ようやく理解し始めたのです。



 それでもわたくしは、往生際が悪い女でした。


「もう一度、社交界へ戻るわ」


 見栄を張り、都へ出向き、縁談を探し、貴族の集まりに顔を出しました。


 結果は惨敗。


 笑顔はぎこちなく、礼は粗く、少しでも否定されれば顔に出る。


 噂は消えていませんでした。


「あの王宮で泣き喚いた令嬢だろう?」


 わたくしは、身なりを整えるために借金まで作りました。しかし、何の成果も得られず、田舎に帰りました。


 エリックに借金のことを伝えたとき、怒鳴られると思いました。


 けれど彼は静かに言いました。


「なぜ相談してくれなかったんだ……」


 それだけ。

 そして、帳簿を広げ、黙って整理を始めたのです。


 その横顔を見ながら、胸が締めつけられました。


 後悔と罪悪感。

 叱られないことが、こんなにも苦しいなんて。



 変わり始めたのは、小さなきっかけから。


 畑仕事の合間、わたくしは大好きな歌を歌っていました。


 すると村の子供たちが、わたくしの元に集まるようになります。


「おねえさん、歌って」


 かつて“天使の歌声”と呼ばれた、わたくしの歌。

 誇示するためのもの。

 賞賛を浴びるためのもの。


 けれど、子供たちの前では違いました。彼らは、ただ純粋に、わたくしの歌を楽しみにしてくれました。


 わたくしは、彼らの希望を叶えるため、歌います。


 子供たちは目を輝かせ、笑いました。


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が温かくなったのです。


 ――ああ、これが歌。

 自分のためではなく、誰かのための歌。


 歌うことの本当の意味。

 自分の生きる喜び。


 それらを、初めて理解しました。



 ある日、旅の楽団が村を訪れます。


 わたくしの歌を聞いた楽団長は言いました。


「なぜこんな田舎にいる?」


 昔のわたくしなら、誇らしげに事情を語ったでしょう。


 けれど、わたくしは答えました。


「愚かだったからです」


 楽団は都へ戻る際、わたくしを誘いました。


 迷いました。


 この村での生活は、辛いものでした。

 でも、わたくしらしく生きられる場所だと気づいていました。


 けれど、エリックは言いました。


「行ってこい。お前の歌は、お前のものだ」


 その言葉に、わたくしは涙がこぼれました。



 都での再挑戦。


 何度もオーディションに落とされました。


「声は良いが、評判がな」


 陰口。

 冷笑。

 過去の亡霊。


 逃げたくなりました。


 けれど逃げませんでした。


 畑で泥にまみれた日々が、夫の言葉が、わたくしを踏みとどまらせました。



 転機は慈善演奏会。


 参加予定の歌手が急病。代役が必要になったのです。


「例の田舎出身の女を」


 震える足。

 逃げたい。

 でも、逃げない。


 舞台に立ちました。


 客席は冷ややか。


 けれど、わたくしは歌いました。


 転落の日の痛み。

 畑の土の匂い。

 子供たちの笑顔。

 夫の静かな背中。


 すべてを込めて。


 歌い終えた瞬間、会場は静まり返りました。


 そして――拍手。


 割れんばかりの拍手。


 涙が止まりませんでした。



 数週間後。


 王宮主催の演奏会に招かれました。


 煌めくシャンデリア。

 かつて、わたくしが失った場所。


 そこに、お姉様がいました。

 アルフォンス殿下の隣に。


 視線が合う。


 けれど、もう心は荒れない。

 嫉妬も憎しみもない。


 静かに礼をし、呟きます。


「かつては愚かでした」


 姉は、わずかに目を細めました。


「……変わったのね」


 誰かに縋るわけではない。

 誰かに責任を押し付けるわけでもない。


 わたくしは、自分の足で立ち、自分の人生を歩いているのです。



 今、わたくしは王宮専属歌姫として歌っています。


 けれど、驕りません。


 村には音楽学校を建てました。

 子供たちが自由に歌える場所。


 そして、エリックを都へ呼びました。


「頑張ったな」


 彼は優しい瞳で、照れくさそうに笑いました。


 わたくしは彼の隣に立ちます。

 今度は、見失わない。


 華やかさに溺れない。

 過去を恥じない。


 なぜなら――


 転落も、挫折も、失敗も


 すべてが、わたくしの歌になったのですから。


 王宮の舞台で、スポットライトを浴びながら、わたくしは思います。


 あの転落は終わりではありませんでした。

 あれは始まり。


 わたくしは今日も歌います。


 賞賛のためではなく、

 誰かために──


 そして何より、

 わたくし自身のために──


 わたくしは歌うのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。


また、この作品は「婚約破棄された妹がワガママしすぎたので、わたくし、ブチキレましたわ」という異世界恋愛作品の妹リリアン視点です。


そちらの作品のリンクは下に載せておきます。

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― 新着の感想 ―
リリアン〜! 元の作品も読んできましたが、やはり両方が幸せになれるお話はいいですね。
ざまぁされた側の話は、珍しいですね。妹が改心できて、良かったです。
リリアンの姿は、現代女性の姿にも重なるなぁと思いました。ご主人に生活させてもらうのではなくて、自分で立つことで誇りや存在意義を見出していくような…… 背中を押せるエリックの度量の広さが素晴らしいですね…
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