婚約破棄されて転落しましたが、自分の人生を生きられるようになりましたわ
わたくし、リリアン・フォン・レンベルクは、幼いころから「特別な娘」だと言われて育ちました。
レンベルク伯爵家の次女。
けれど両親は、姉クラリスよりも、わたくしを可愛がりました。
理由は単純です。
わたくしは、シュトラール公爵家の嫡男と婚約していたから。
格上の家との縁談。将来は公爵夫人。
そう言われ続け、褒められ、甘やかされ、持ち上げられてきました。
姉はいつも静かでした。
比べられても、譲らされても、何も言わずに耐えていました。
わたくしはそれを当然だと思っていました。
けれど――
婚約は、突然破棄されました。
理由は「性格に難あり」。
その日から、わたくしの世界は崩れ始めます。
両親の期待は失望に変わり、社交界では噂が広がり、好奇の視線が突き刺さる。
わたくしは、苛立ちを姉にぶつけました。
あなたさえいなければ。
あなたが目障りだから、わたくしは不幸なのだと。
理不尽をぶつけ続けた末、姉は家を出ていきました。
縁を切る、と言い残して。
正直に言えば、せいせいしました。
これで、わたくしが一番。
そう思っていたのです。
ですが数か月後、衝撃の知らせが届きます。
姉が、王家の第三王子アルフォンス殿下と婚約した、と。
慎ましく目立たなかった姉が、王族の婚約者に?
信じられませんでした。
けれど事実でした。
社交界でわたくしの立場はさらに悪くなり、縁談は消え、視線は冷たくなる。
やがて我が家は没落し、わたくしは遠縁の田舎騎士へ嫁ぐことになりました。
◇
しかし――
どうしても諦めきれなかったわたくしは、王宮へ向かいました。
姉に頼めば、社交界へ戻れるかもしれない。
そう思ったのです。
結果は――
王宮の石畳に額を擦りつけたあの日の冷たさを、わたくしは忘れません。
「この場にふさわしからぬ者だ。すぐに連れ出せ」
アルフォンス殿下の静かな声。
衛兵に腕を掴まれ、門の外へ押し出される。
「お姉様……!」
最後に縋った姉は、振り向きませんでした。
――どうして?
その時のわたくしは、まだ自分の愚かさに気づいていませんでした。
◇
田舎の暮らしは、想像以上に厳しいものでした。
石造りでもない、小さな屋敷。
庭と呼ぶには狭すぎる畑。
飾り気のない食卓。
ある日の夕食で、わたくしは思わず言いました。
「……質素ですのね」
夫となった男――エリックは、ただ一言。
「ここでは働く者が食える」
それだけでした。
怒鳴りもしない。
媚びもしない。
ただ事実を述べる。
わたくしは、初めて居心地の悪さを覚えました。
朝は水汲み。
昼は畑。
夜は針仕事。
手は荒れ、爪は欠け、肌は焼ける。
パンは焦がす。
洗濯物は泥だらけ。
近所の奥様方には鼻で笑われる。
「元お嬢様には無理でしょうね」
逃げ出したくてたまりませんでした。
ですが実家は没落。
帰る場所はありません。
ある夜、釜の前でしゃがみ込み、わたくしは初めて声を殺して泣きました。
――お姉様は、どうして、何を言われても平然としていられたの?
わたくしは、守られていただけだった。
甘やかされ、称賛され、失敗を知らなかっただけ。
それを、ようやく理解し始めたのです。
◇
それでもわたくしは、往生際が悪い女でした。
「もう一度、社交界へ戻るわ」
見栄を張り、都へ出向き、縁談を探し、貴族の集まりに顔を出しました。
結果は惨敗。
笑顔はぎこちなく、礼は粗く、少しでも否定されれば顔に出る。
噂は消えていませんでした。
「あの王宮で泣き喚いた令嬢だろう?」
わたくしは、身なりを整えるために借金まで作りました。しかし、何の成果も得られず、田舎に帰りました。
エリックに借金のことを伝えたとき、怒鳴られると思いました。
けれど彼は静かに言いました。
「なぜ相談してくれなかったんだ……」
それだけ。
そして、帳簿を広げ、黙って整理を始めたのです。
その横顔を見ながら、胸が締めつけられました。
後悔と罪悪感。
叱られないことが、こんなにも苦しいなんて。
◇
変わり始めたのは、小さなきっかけから。
畑仕事の合間、わたくしは大好きな歌を歌っていました。
すると村の子供たちが、わたくしの元に集まるようになります。
「おねえさん、歌って」
かつて“天使の歌声”と呼ばれた、わたくしの歌。
誇示するためのもの。
賞賛を浴びるためのもの。
けれど、子供たちの前では違いました。彼らは、ただ純粋に、わたくしの歌を楽しみにしてくれました。
わたくしは、彼らの希望を叶えるため、歌います。
子供たちは目を輝かせ、笑いました。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が温かくなったのです。
――ああ、これが歌。
自分のためではなく、誰かのための歌。
歌うことの本当の意味。
自分の生きる喜び。
それらを、初めて理解しました。
◇
ある日、旅の楽団が村を訪れます。
わたくしの歌を聞いた楽団長は言いました。
「なぜこんな田舎にいる?」
昔のわたくしなら、誇らしげに事情を語ったでしょう。
けれど、わたくしは答えました。
「愚かだったからです」
楽団は都へ戻る際、わたくしを誘いました。
迷いました。
この村での生活は、辛いものでした。
でも、わたくしらしく生きられる場所だと気づいていました。
けれど、エリックは言いました。
「行ってこい。お前の歌は、お前のものだ」
その言葉に、わたくしは涙がこぼれました。
◇
都での再挑戦。
何度もオーディションに落とされました。
「声は良いが、評判がな」
陰口。
冷笑。
過去の亡霊。
逃げたくなりました。
けれど逃げませんでした。
畑で泥にまみれた日々が、夫の言葉が、わたくしを踏みとどまらせました。
◇
転機は慈善演奏会。
参加予定の歌手が急病。代役が必要になったのです。
「例の田舎出身の女を」
震える足。
逃げたい。
でも、逃げない。
舞台に立ちました。
客席は冷ややか。
けれど、わたくしは歌いました。
転落の日の痛み。
畑の土の匂い。
子供たちの笑顔。
夫の静かな背中。
すべてを込めて。
歌い終えた瞬間、会場は静まり返りました。
そして――拍手。
割れんばかりの拍手。
涙が止まりませんでした。
◇
数週間後。
王宮主催の演奏会に招かれました。
煌めくシャンデリア。
かつて、わたくしが失った場所。
そこに、お姉様がいました。
アルフォンス殿下の隣に。
視線が合う。
けれど、もう心は荒れない。
嫉妬も憎しみもない。
静かに礼をし、呟きます。
「かつては愚かでした」
姉は、わずかに目を細めました。
「……変わったのね」
誰かに縋るわけではない。
誰かに責任を押し付けるわけでもない。
わたくしは、自分の足で立ち、自分の人生を歩いているのです。
◇
今、わたくしは王宮専属歌姫として歌っています。
けれど、驕りません。
村には音楽学校を建てました。
子供たちが自由に歌える場所。
そして、エリックを都へ呼びました。
「頑張ったな」
彼は優しい瞳で、照れくさそうに笑いました。
わたくしは彼の隣に立ちます。
今度は、見失わない。
華やかさに溺れない。
過去を恥じない。
なぜなら――
転落も、挫折も、失敗も
すべてが、わたくしの歌になったのですから。
王宮の舞台で、スポットライトを浴びながら、わたくしは思います。
あの転落は終わりではありませんでした。
あれは始まり。
わたくしは今日も歌います。
賞賛のためではなく、
誰かために──
そして何より、
わたくし自身のために──
わたくしは歌うのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。
また、この作品は「婚約破棄された妹がワガママしすぎたので、わたくし、ブチキレましたわ」という異世界恋愛作品の妹リリアン視点です。
そちらの作品のリンクは下に載せておきます。




