リユースショップ主婦店員「差阿津播輪厄子(さっぱり・わやこ)」の場合 2
「差阿津播輪厄子」の場合 2
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そんなことが五回くらい繰り返されたあと、男はまたガスガンを持ち込んきた。そのガスガンの正規の査定額は4000円だったが、化粧箱の傷み方とゴミが溜まっていたから輪厄子は査定を1500円にするように配下の主婦パートに指示した。
その値段を見た男は気色ばんで「人気のモデルなのに安すぎる。」と初めて文句を言った。
男の不満が収まらなかったので、輪厄子は再査定して2000円の金額を示したら、男は不満そうにしていたが、黙って砂物を置いて行った。それからその男は店に来なくなった。
ここまでで、まごころが好きな日本の八百の神々の視点で、この話を語ろうと思う。
商人にとって「お客様は神様です。」という。
個賠屋を営む者にとって品物の査定額は絶対だ。たとえ、お客の容姿がどうであろうとそれは関係ない。
輪厄子に感化されているとは言え、この売り場の大学バイトも、主婦パート達も、輪厄子自身も、この初老の客の持ち込む商品は査定額を下げても良いのだという空気が、いつの間にか、醸成されていて、誰も異論をさしはさむモノはいなかった。
食い詰めてみすぼらしい初老の男に、不快感をもつのは当然だと思う、読者のほうが多いのではないかと思う。輪厄子に同情的な人も居て当然だとも思う。
天照は嘆いていた。「差阿津播輪厄子」には神である自分の加護は与えられない。
「差阿津播輪厄子」は本物の「日本人」ではないからだ。その理由は明らかだ。「差阿津播輪厄子」には「まごころ」がないからだ。
国常立ノ尊さまが蘇られて神霊界は復活して、高天原は再生した。しかし神代の頃から変わらない掟は存在していた。
それは、「まごころ」のない者は本物の日本人ではない。本物の日本人にではないものに八百万の神々は加護を与えることは出来ない。ということだった。
天照は異次元の力で、このものがたりの三次元の表層を漂いながら思った。
この店で働く人に「まごころ」があれば、どうだろう?
「まごころ」があれば、その食い詰めた初老の男が、なけなしの金で買ったガスガンを持ち込んできたら、困っている人が来たから「情けは他人の為にあらず」と助けてあげようと思い。正当な査定をしてあげよう、というのが江戸から続く「人情」だ。
「まごころ」のある個賠屋の商人なら、客の持ち込んだ商品の後始末に手間が掛かろうが、厭わないのが「心意気」だ。
「まごころ」も「人情」も「心意気」もないこの店には、八百万の神々も加護を与えることが出来ない。このままなら、やがて地獄界からの波動が流れ込み、店は廃れ、地獄界と同化する。天照はそのことを嘆いていた。




