三十五話 私の痛みはこんなものじゃない
ユージン様がヨロ……と体勢を崩す。
____パシンッ!
私はそれに構わず、もう一度逆方向から平手打ちをお見舞いしてやった。
流石にユージン様も驚いたらしく、呆然とした表情で私を見ている。
「痛いですか?」
私は淡々と問いかける。
ユージン様は困惑した様子で口を開いた。
「いや……まぁ……結構強くいったな……とは」
「……こんなの、生温いくらいですわ。私はユージン様に出会ってからの八年間、もっとずっと痛かったんです……!」
つい感情が昂って小さく叫ぶと、ユージン様は顔をぐしゃりと歪めた。
「第一……ビアンカにはお土産でピンクダイヤを渡したくせに、どうして私へのプロポーズにもピンクダイヤの指輪なんですか!?」
「……それは、プロポーズをしたいと店員に相談したら、オススメされて……」
「考えが浅すぎます!! それに、文通されていたのだって、いつもビアンカを先に褒めるのだって、全部私は辛かったし、痛かった……!」
握った手のひらに爪が食い込んで、痛い。
……でも、もっと痛いのは、悲鳴をあげている私の心だった。
ユージン様はゆっくりと目を瞑って、懺悔するように小さく呟いた。
「…………そうだな。君の苦しみに気付けなかった私が痛がっていいはずがない」
「……」
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
でも、泣いちゃダメ。
強い女性になるんなら、こんなところで泣いてはいられない。
「……幻滅しましたか? 夫に手を上げる妻だなんて……離縁したって構わないんですよ」
「それは、嫌だ……! 君の気が済むまで、何度でも殴っていい!」
「……それはもう、いいです。私の手も痛くなりますもの」
「なら、なんでもする、君のためならなんだってするから……! ……捨てないで、ほしい……」
____驚いた。
まさかあのユージン様が、こんな弱音を吐くなんて思っていなかったもの。
……私達、本当にお互いのことをなんにも知らないのね。
私はふぅ、と息を整えてから、ユージン様に向き直った。
「捨てませんよ。悔しいですが、私もあなたのことを愛してしまっているのですから……。まぁ、嫌いになりたいとは何度も思いましたが……」
「……すまなかった」
「そうですね。……でも、これでようやく私達、スタートラインに立てたと思いませんか?」
私は涙を堪えながらも、必死で笑顔を作る。
ユージン様は、私の発言を聞いてぱちんと瞬きをした。
「スタートライン?」
「はい。だって私達、八年間も婚約者をやっていたのに、お互いのこと何も知らなかったでしょう? だから、このまま離縁することもできるんですよ」
「……それは、嫌だ」
ユージン様が泣きそうな顔で声を絞り出す。
……少し、意地悪をしすぎてしまったかしら。
「でしたら、ここが始まりです。今までのことは……正直、許すことはできません。でも、私達に気持ちがある限りは、まだこれからやり直すことができます」
私はそう告げて、ユージン様の頬に今度はそっと優しく手を添えた。
……私のせいで、真っ赤になっちゃったわね。
「ですから……私達、今日からやり直しましょう。もっとお互いのことを知りましょう」
「……私から、離れないでいてくれるのか」
「先ほど挙げた約束を守ってくださる限りは、隣であなたを支えます。だから……約束、ちゃんと守ってくださいね」
「あぁ、約束する。本当に……今まで、すまなかった……!」
そう言って、ユージン様は深々と頭を下げた。
その姿を見て、今まで苦しんできた私もようやく、少しだけ報われたような気がした。
「……君の両親と私の両親にも、今までのことを全て話させてくれ。例え殴られようと、何度でも頭を下げて許しを乞う」
「えっ……いえ、そこまでしていただく必要は……」
「いや、必要なことだ。これから私達は……家族になるのだから」
ユージン様がゆっくりと頭を上げて、ハッキリと宣言した。
「はい、そうですね……。私達、ようやく向き合うことが出来たんですもの。……お互いの両親に話をして、その後は二人でこれからのことを話しましょう。……時間は、いくらでもあるのですから」
「…………君は本当に、優しすぎるな」
「誰かさんのせいで、寛大になってしまったのですわ」
「うぐ……」
「ふふ、冗談です」
ユージン様がバツの悪そうな顔をする。
そんなユージン様の姿を見て、私はやっと心から笑うことができたのだった。
____これでようやく私達は、スタートラインに立てたのだ。




