第十話
北は雪がちらついていた。埋もれるほどではなく、積もり始めと言ったところだろうか。
そんな大地には似つかわしくないほど濃い焦げた臭いと血の臭い。そこかしこに魔族と人間の死体が放置されている。
「酷いです……」
フェリスが呟く。彼女の肩は震えていた。
「ま、人間のすることじゃないって感じだわな〜」
マリーナは他人事のように言い放つ。
教会側の主張は、魔族は倫理を何も理解していない怪物だ。だから、殺しても良いし奪ってもいい。
自分たちの罪を棚上げして、正義を掲げる反吐が出るような心理だ。
その道をなぜ信じてしまったのか。アルトは考えると、一人の顔が思いついて、頭が痛くなる。
「どうしたのですか?」
額を抑えて顔をしかめていると、フェリスが心配そうに声をかけてきた。何でもないと言おうとしたところで──
「こんな小娘三人にやられるとは情けないわね……」
聞き覚えのありすぎる声が耳を打つ。
「うげ!?」
マリーナの反応も当然だろう。この声の主は──
「人の顔を見るなりうげって……本当に魔族って礼儀がなってないわ」
教会の聖女ラフィエ。金色の地面に着くほどの長い髪は、太陽の光を浴びて輝いていた。艶やかな表情は聖女というよりサキュバスみたいだ。白いローブくらいが申し訳なさ程度に神聖さを出していた。
彼女の後ろには何十という教会の人間が跪いている。さらにその後ろには、燃える街があった。
「でもまぁ、暇つぶしくらいにはなるかしら? 丁度退屈してたところなのよね」
悪気のなさそうな声を聞くと、アルトの心臓が早くなる。
自分はなんでこんな人間を信じていたのだと、自問したくなる。
「……あら?」
揺れる視界の先で、ラフィエが頬に片手を当てて首を傾げた。
「どうして、あなたのような小娘魔族から勇者の力を感じるのかしら?」
その静かな眼差しと問いかけが、さらにアルトの心臓の音を大きくする。
尻尾が震えているのを自覚する。きっと今、元気なく垂れ下がっているだろう。
「アルト?」
横にいるフェリスが心配そうに声をかける。しかし、アルトは彼女を見ることができない。
目はラフィエに個体されたまま、無意識に後退りをした。靴裏と地面の擦る音が響く。
「……なるほどなるほど」
聖女ラフィエはすぐに合点がいったように、口を歪に曲げた。
「勇者アルベルト。とても、可愛らしい姿になっていますね。私もその姿大好きですよ」
彼女の声がスッと耳の中に入る。まるで心臓をわしづかみにされたような感覚を受ける。
冷や汗が止まらない。呼吸が浅くなる。
「さぁ、勇者アルベルト。また私と魔王を倒しましょう! 手始めに、その隣にいる魔族を殺してください」
視線をフェリスに向ける。剣を振りかぶる。
彼女は訳が分からないというように、首を傾げていた。瞳は純粋そうにこちらを見つめている。
そんな彼女に向かって、アルトの体は躊躇なく剣を振り下ろす。
「『防御魔法』!」
薄い膜が当たる。マリーナが間に入って、魔法を展開した。すぐにひび割れ破壊されるが、フェリスもろとも後ろにふっとばされることによって守ることに成功していた。
「くっそ、アルトのやつ! 本気で殺そうとしたな、あのバカ!」
「……アルト、なんでですか?」
フェリスは訳が分からないというような表情を作るが、そんなことは関係ない。
取り敢えずラフィエに言われたとおりに殺す。それが一番正しいのだから。
聖女は勇者を導くものだ。そこに間違いはない。
「フェリス、逃げるよ!」
マリーナが杖を構える。
「くっそ、もう一回これを使うことになるとは思わなかった! 『回帰魔法』!」
アルトが振り被ると、そこには二人の姿は消えていた。
※※※※※※※※※※
ぐらつく視界に、立ってられなくなる。マリーナは強い嘔吐を覚え、蹲った。
胃からは何も出ない。ただ、嘔吐感だけがそこにある。
「だから、使いたくなかったのよ…………」
マリーナが禁術指定している魔法の一つ。『回帰魔法』は、彼女が指定したポイントに即座に帰れるようになっていた。
指定したところは魔王城。王ゼウネスにほぼ脅されて、緊急避難役としてフェリスについていた。
この魔法を使うと、内臓がぐちゃぐちゃになるような感覚を受ける。実際、圧迫されてズタボロになる可能性だってある。
しっかりと座標指定ができていないのだ。それなのに肉体を移動させようとするとそうなる。
一回目は、勇者パーティーを離脱する時に使った。その時は三日三晩嘔吐感に襲われた。
しかし、今はかなりマシである。さすがに魔族の身体だけあった。
横を確認すると、フェリスが呆けたような表情をしたまま座っていた。尻尾は、ぺたりと地面についている。
「……何、泣きそうになってんのよフェリス」
嗚咽感を我慢しながら彼女の頬を両手で挟んだ。
驚いた表情をして、マリーナを見つめてくる。
「だって、アルトが……」
「裏切ったと思うわけ!? そんなわけないでしょ、あんなにまっすぐしか知らないようなヤツが!」
「……そうですよね」
なんとか彼女を励まそうとして、爪を噛んだ。
ラフィエの信仰心は実際厄介だ。“アルトの心の底に植え付けられるたものだから”。一度脳を洗うくらいしか解除方法はないだろう。
そんなこと、あんな狂戦士のようなアルトにできるのか? いや無理だ。
「こうなったら、魔王ゼウネスに頼むしかないわね……」
「……父に?」
アルトが人間に渡ったからには、それ以外にマリーナには手立ては思いつかなかった。




