08_憧れの人
どこかで独特な調子の甲高い音が響く。
「バード警部?」
アイザックがハルク・バードに注意を促した。
どうやらジャスティン・ジャスティスが現れたらしい。
自分を見たまま動こうとしないハルク・バードにアイザックは戸惑う。
「バード警部、大丈夫ですか? 体調が優れませんか?
それとも僕に急ぎの用事がありますか?」
「ーー用事? 俺にジャスティン・ジャスティスを捕まえる以外、用事などない!」
ハルク・バードは、そう断言すると、半地下から出ていった。
少し小さくなった背中を見送ったアイザックはため息を吐いた後、表情を引き締める。「イライザ……」
***
イライザは窓から自分の部屋へと滑り込んだ。遠くで呼子の音がする。うまく撒けたようだ。安堵のため息を吐こうとして、部屋の中に人の気配を感じ身構えるが、すぐに警戒を解いた。
「アイザック!」
「イライザ、大丈夫?」
「ご覧の通り。ヘマはしないわ」
目元を覆っていた黒いマスクを外して微笑んだ。帽子の中から豊かな黒髪が現れる。
アイザックは手を伸ばし、黒いマントを外すのを手伝おうとした。イライザの肩に手が触れる。その肩がびくっと震えた。
「ごめん! 痛い?」
「平気……ううん、ちょっと」
イライザは肩を手で押さえた。それはアイザックに見られないようにする為でもあった。
「見せて。
手当をさせて欲しいんだ」
「駄目」
「どうして」
「……見せたくないから」
イライザの拒絶に、アイザックはそれ以上の強制を止めたが、気落ちした様子でうなだれる。
「僕を庇ったせいで、君に怪我をさせてしまった。
今日だって、バード警部の僕への疑いを完全に払拭させるために動いてくれたんだろう?
ーーまさか、今日もどこか怪我をしたのを隠していないよね?」
「さっきも言ったけど、私、そんなヘマはしないの。
この間はちょっと失敗したかもしれないけど、たいしたことじゃないわ」
手早く黒衣を脱ぎ、寝間着に着替えるイライザの肩には、青黒い痣が広がっていた。アイザックは気が付かないフリをする。
「バード警部はもう僕をジャスティン・ジャスティスだとは思っていないみたいだ」
「本当に!? 良かった。
でも油断は大敵よ。
バード警部の“刑事の勘”は侮れないって、父が言っていたわ」
「……まさか僕の憧れの人が君の父上だったとはね」
ハルク・バードの親友、そしてイライザの父親こそ“本物”のジャスティン・ジャスティスだったのだ。
元々正義感の強かったイライザの父親は、それを妻の父親から引き継いだ。そして、今度は娘がジャスティン・ジャスティスとなった。
「バード警部は本当は気づいているのよ。でも父への友情を大事にするあまり、それを認められないでいる。だけど父とジャスティン・ジャスティスの関係に感づいているからこそ、その二人を引き離せない。だからジャスティン・ジャスティスが父を殺したという結論に至ってしまったのね」
バード警部の読みは間違ってはいない、とアイザックは思った。
イライザの父親はある意味、ジャスティン・ジャスティスに殺されたのだ。舅から引き継いだ義賊の名。知られれば、二人の娘にまで咎が及ぶ大罪だ。ある夜、ジャスティン・ジャスティスとして活動していた彼は命の限りを知り、それでも正体を隠し通すために、着ていた黒衣を捨て去ったのだ。
もし警察がその遺体をもっとよく調べたら、不審な点が見つかったかもしれないが、遊び人で有名な男が道端で頓死したことに事件性を見いださなかった。急ぎ上京した弟からも早く兄の遺体を引き渡して欲しいと催促もあった。
「バード警部のお父さまがご健在なら、何が何でも検視に出すように命じたでしょうね。
そんなバード警部の父親だって、バード警部だって、娘が跡を継ぐとは思いもしない。
この国では、何をするにしても“男”なんですもの。“女”がジャスティン・ジャスティスであるなんて、誰一人、思わないんだわ。
あなたが“間抜け”を演じるよりも、ずっと怪しまれない。
私は夜遊び好きの悪女……」
「ああ……!」とアイザックは呻いて、イライザを抱きしめた。
「それでも君が帰ってくるのを待っている時、僕は不安で堪らなかった」
「分かるわ……とてもよく――」
父親とイライザの正体を知っていたクロエも同じ気持ちだったのだ。そして今、イライザが“ジャスティン・ジャスティス”を待つ身の上となった。
同時に、ジャスティン・ジャスティスとして活動したいというアイザックの考えを理解できる立場でもあった。
今回、アイザックが解決した犯罪組織は地元の代官から王都の高官までも絡んでいて、ジャスティン・ジャスティスの介入がなければ人々はずっと苦しめられることになったはずだ。ジャスティン・ジャスティスが派手に立ち回り、バード警部が大騒ぎすれば、王都の人間たちの関心を引き、政府も見て見ぬふりができなくなる。
ジャスティン・ジャスティスはそういう存在でもあった。
「僕も分かるよ……今日のことだけじゃなくて、結婚してからずっと……僕は君を苦しめてきたね。
何が“正義の味方”だ!
僕は君を自分の身勝手な正義のために利用しようとした! そんなの正義でもなんでもない!」
「あなたは私のこと、悪女だと思って結婚したの?」
「……いいや」
父親から結婚の話を持ち掛けられ、相手を知り、アイザックは戸惑った。
イライザ・ホーナーはひどい悪女と言う話は彼にも伝わっていた。同時に変わり者の”友人”からは、「なかなか面白い人間だ」という評価を聞いていた。
いずれにしても“ジャスティン・ジャスティス”の信条としては、何をするにもきちんと裏を取るべきだ。数日、イライザの身辺を探っただけで、彼女は自身の資産を自分の手で管理するしっかりとした女性だと言うことが分かった。それを周りの人間たちが面白く思わず、悪評をばらまいているだけなのだ。
「ふーん、それなのに、あなたが司法省で出会ったか弱い娘とは気づかなかった?」
「か弱い……? いや、なんでも……ごめん、覚えてなくて」
「いいの。あなたは自分が親切にした人に恩を売ったりはしない人なのよ。
だから覚えていなくて当然だわ。
――特別に記憶に残って欲しかったけど」
アイザックを責めたくはないが、それでもついイライザは聞いてしまう。「私って、そんな印象が薄かった?」
「土地の名前を聞いていれば良かったんだけど……そう言えば、その土地問題を解決した“ジャスティン・ジャスティス”って君……」
「あー! それで、どうして私と結婚しようと? 遊び人じゃなかったら、寝室問題をごまかせなくないかしら?」
墓穴を掘った。イライザにとって、あの一件は失敗だった。父が口酸っぱく「身内のことは、“自分自身”で解決するように」と言っていたのが分かる。もし、他人の問題ならば、もっと距離を取って、別な解決策を思いつけただろうに、つい手っ取り早く力業に頼ってしまった。
しかもそれがきっかけとなって、ハルク・バードがアイザックに目をつけることになったのだが、二人は知らない。
アイザックは未熟さに恥じるイライザに優しく微笑みかけた。
「君は自立した女性で、きっと世の男たちを疎んじているだろうと思ったんだ。
そんな君が僕と結婚をしたいと言うなんて、俄かには信じられないよ」
何か裏があるに違いない。
世間では夜遊びする為というが、そうではない。
「そうではないとしたら……僕ならば他の男たちみたいに君を縛ったり、支配下に置いたりしないと思ったんじゃないかな、と」
それならばアイザックにとっても都合が良かった。
「僕は君の噂を信じたふりをした」
「それで結婚初日にあんな話を?」
「君も望んでいるんじゃないかと……違ったけど! 今は、違うって分かっている!!」
イライザも自分と床を共にしたいと望んでいるはずがない。夫婦別々に暮らすのが、お互いの為になると信じて疑わなかったのだ。
「実は君から言い出すと待っていたんだけど、そんな様子がなくて、寝室まで来てしまったから、内心、すごく焦っていた。
僕はその時、自分の計算が甘かったと思った。
君は真面目で責任感のある人だった。たとえ意に沿わない結婚でも、きちんと夫婦として過ごす覚悟をしてくれていたんだって……」
まずそこで、アイザックはイライザを見直した。しかし、まだ彼は本当のイライザを知らない。「でも、本心は僕みたいな男に身体を預けるのは嫌に違いない。とにかく、君を拒絶しないと! って」遠くに突き放そうと、冷たく強い言葉を使った。「……本当に反省している」それからもイライザが自分との関係をよくしようとあれこれ気遣ってくれている様子にも気づいていた。寝室への誘いも度々あった。「恥ずかしかっただろうに……君にそんなことをさせてしまった」
「ええ……」
イライザは噂とは違う。男慣れしていない。
「僕は君がとてもいじらしく感じていた……どうにか夫婦としてやっていけないかと考えたこともあったけど」
「けど?」
「君は真面目で責任感のある人だった」
「え……えぇ」
アイザックは自分を褒めている。イライザはそう言い聞かせたが、どうもそれがいけなかったようだ。
「毎晩、遅くまで寝室に明かりを灯して、土地の改良や小作人たちの生活改善について勉強していたね。
朝も早く起きて、運動をしたり新聞を読んだり。たくさんの書類を書いていた」
アイザックは感心しつつも困った。夫婦で寝室を共にすれば、アイザックの“ジャスティン・ジャスティス”の時間はごく限られたものになってしまうのだ。
アイザックが「残業して帰るから先に寝ていて」と言っても、イライザとしては「私も仕事がたくさんあるから、それを片付けながら待っているわ」と当たり前のように返してしまう。
イライザは今日こそ自分の勤勉さを呪った。そもそもジャスティン・ジャスティスとして活動していた彼女は夜型なのだ。
「僕の正体を白状しようかとも考えたんだ。皆、ジャスティン・ジャスティスが好きだろう?」
あの夜のように、アイザックはイライザの寝台に腰をかけた。まだイライザ一人の寝台だ。
「でも、君はなぜかジャスティン・ジャスティスに否定的みたいだった」
ジャスティン・ジャスティスの活躍を報じる新聞を目にすると、イライザが不快そうに眉を顰めることにアイザックは気づいていた。
「だって偽物!」と叫びかけて、イライザはアイザックの隣に座った。「誰かが“ジャスティン・ジャスティス”の名前を騙っているから……」
それこそアイザックだとは思いもしなかった。
彼が“間抜け”だからではない。「あなたにはあなたの“正義”があって、それはジャスティン・ジャスティスのものとは違うと思っていたんだもの」
「……そこが好きだった?」
アイザックの瞳が不安そうに揺れた。
「そうね……でも、あなたの“ジャスティン・ジャスティス”は嫌いじゃなかったわ。
私とは違う……ちゃんと先々まで考えていた」
イライザがアイザックの手を握った。「クロエから手紙が来たの。新しい代官が派遣されてきて、とてもいい人だって。スナイダー氏のお知り合いで、あなたのことを良く知っている」
「うん……」
アイザックは犯罪組織と代官を潰した後のことまで考え、ちゃんと手を打っていた。これからあの村はもっとよくなるはずだ。
「おじさんは父の知人だけど、父とは気質も考え方も違う。とても有能な人だかから、きっと力になってくれると思ったんだ。
イライザ、君のことも話しておいた。もしよければ村の立て直しに、君の力を借りたいって」
「まぁ!」
思いもかけない展開にイライザは驚きの声を上げた。
「嫌かい?」
「いいえ、光栄だわ。
それにしてもあなたのお知り合いは皆、“変わり者”ばかりね……誤解しないでね、感心しているのよ。
でも村の人たちはこんな“小娘”に……でももうないけど……あれこれ指図されるのは面白くないかも」
「“変わり者”なんかじゃないよ。それが“普通”になるべきだ。
そうなるには先は長いかもしれない。
けど、心配しないで。君はあのロジャーの愛する妻の姉だよ。
それだけで大歓待されるはずだ」
面倒見がよく正義感の強いロジャーは村人からの信頼が厚かった。例の犯罪組織から逃げてきた人たちを村外へ逃がす手助けもしており、今回の事件でも大きな力となっていた。あの若い娘は禁制薬物の製造に不可欠な知識と技術を持つ男の妹だった。妹を人質にされた男は、言うことを聞くしかない。それを知ったロジャーと仲間たちが、ちょうど彼女を助け出したところだったのだ。
ロジャーからその話を聞いたアイザックは「自分が妻のふりをさせ、王都まで逃がす」と言って、彼女を預かった。
そんなロジャーがイライザがどれだけ素晴らしい篤志家なのかを村人に語って聞かせ、クロエもそれに倣ったおかげで、すでに評判はうなぎ登り。“悪女”の噂などどこ吹く風だ。
「勿論、君には君の土地もあるし、無理は言わないよ」
「大丈夫。やれるわ。
だって、私、ジャスティン・ジャスティスは引退したし、あなたのことで思い悩む時間もなくなったし、時間にも精神的にも余裕があるもの」
「……ごめん」
「本当よ。正直に打ち明けてくれれば良かったのに」
そう言いながらも、難しいことをイライザだって分かっている。「結果論だわ。今更、言っても仕方がないわよ。私も妹に打ち明けられなかった。言えないわよね……自分が“正義の味方”だなんて」
アイザックは恥ずかしそうに顔を赤らめた。「あの夜、君が僕に言った通り、僕は“正義の味方”なんかじゃなかったね」




