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悪妻は、正義の味方なのです  作者: さぁこ/結城敦子


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06_正義の味方!

 アイザックは危機的状況に陥っているように見えた。

 彼は今、ある屋敷の一室に、手足を縛られて転がされているからだ。

 男がアイザックを見下ろす。嫌な笑みを浮かべている男の名はジェイコブ。事実はどうであれ、世間的にはあのホーナー姉妹を弄んだとされる男だった。


「はじめまして、アイザック・スナイダー。

あの毒婦の旦那に会えて光栄だよ」


 口には猿轡をはめられているせいで、アイザックは声を発することは出来なかった。ただ睨みつける。


「おお、一丁前な顔をするな。腐っても警察の人間か?

だが、好奇心は猫をも殺すってね。

警察署の半地下でかび臭い資料に埋もれていれば良かったのに、何を勘違いしてここに潜入したんだ?」


 ジェイコブはアイザックの腹を容赦なく蹴り上げた。

 するともう一人の男がそれを止める。「おい、下手な傷を作るな」そういう男の顔には傷があった。「こいつは明日の朝、水路の底でみつかることになっている。道に迷っている内に、足を滑らせて溺死するんだよ」


「“間抜け”には相応しい死にざまだな」


「だから怪しまれるような痕をつけるなと言っている。

一応、司法省のお偉いさんの息子だ。そこんとこ、忘れるな」

 

 ご丁寧に布が巻かれた上で縛られているのは、そのせいだった。


「しかし、今日は厄介なことばかりだな。

女が一人逃げた上に、“間抜け”が入りこむとは……ジェイコブ。お前、何かヘマをやらかしてないか?」


 「――ちっ!」ジェイコブは小さく舌打ちしたようだが、男に一瞥され、身をすくませた。「ヘマなんてしていませんよ。たまたまじゃないですか? そう、たまたま。そんなピリピリしないで下さいよ」手をしきりに揉む。「“間抜け”はご覧の通り、手も足も出ないし、女だってすぐに捕まりますよ。あの女はこの辺りの出じゃない。村の人間が匿ってもなんの得もない。こっちにはお代官さまがついているんですから」


「だといいけどなぁ」


「……ええ、そうですよ」


 不満気になる声をなんとか抑え込んでジェイコブが答えた時、その語尾に、甲高い音が被さってきた。複数の音が鳴り響き、独特な音階となって近づいて来る。


「この音は!?」

 

 アイザックが身動きした。


「ハルク・バードか!!」


「え? え? なんで奴が!? まさか!?」


「あいつが出張って来るとしたら、その理由はただ一つ」


「「ジャスティン・ジャスティス!?」」


 男とジェイコブは半信半疑の顔を見合わせた後、言い争いがはじまった。


「お前、やっぱりヘマしたな! あの夜会の時に何があった!?」


「何も……何もなかったはずだ! あの時はただ――」


「ただ?」


 ジェイコブの視線がアイザックに向けられた。「こいつの奥方を寝取ろうとしただけだよ」

 こんな時ですらアイザックを嘲る余裕はあるようだ。しかし、階下はますます騒々しくなっていく。「奴らが逃げたぞ!」「警察だ!」「ジャスティン・ジャスティス!」という声が聞こえると、顔に傷のある男はアイザックを無理やり立たせ、部屋から出た。

 

 そこでアイザックが目にしたのは――「ほぉんもおおだ」



***



 階下ではどこから湧いて出て来たのか、一様に薄汚れた男たちが玄関広間にあふれ出し、外へ逃げ出そうとしている。一方で、警官たちは屋敷の中に入ろうとし、もみ合いになり、その間に、傷のある男の仲間とみられる連中は別の出口を使って逃げようとしている。


 その中心でジャスティン・ジャスティスとハルク・バード警部は刃を交えていた。


「お前! そうだ、お前だ! ()()()ジャスティン・ジャスティス! 今日こそ、その面、拝ませてもらうぞ!」


 黒ずくめの衣装を着たジャスティン・ジャスティスは、バード警部の力強い打撃を受け止め、流している。その肢体は細くしなやかで、まるで鞭のようだ。

 アイザックは男に捕まりながらも身をよじって、その姿を見続けた。

 

 ――本物だ。本物のジャスティン・ジャスティスだ!


 喧騒の中、警官が一人、階段を駆け上ってくる。


「あ! “間抜け”! え? アイザック・スナイダー!?」


 警官はアイザックの姿を視認すると驚いたが、すぐに「なんだやっぱり」と一人、得心した。「こいつがそんな訳あるか。バード警部も焼きが回ったもんだ」


「警部! バード警部! アイザック・スナイダーです!

アイザック・スナイダーがいますよ!」


 呼ばれたバード警部はチラリと目線を上げた。「もうそんな奴はどうでもいい!」そしてすぐにジャスティン・ジャスティスとの対決に没頭する。

 顔に傷のある男がアイザックの喉にナイフの刃を当てた。


「おい、道を開けろ。こいつを殺すぞ」


 警官は「別に構わない」と言いかけて、アイザックが司法省のお偉いさんの息子であり、同僚でもあることを思い出した。と、言っても、積極的に助ける気持ちもなく、ただ、両手を上げ道を開ける。彼はやるべきことはしなかったが、やってはいけないこともしなかった。


 ジャスティン・ジャスティスとバート警部の戦いには他者の入り込む隙はない。


 その脇を、顔に傷がある男は人質を盾にしながら過ぎていく。

 バード警部は一瞥もしなかったが、アイザックにはジャスティン・ジャスティスがその仮面の奥から間違いなく自分と視線を合わせたことに気が付いた。

 ただ目が合っただけではない。そのどこか懐かしさを覚える黒い瞳は彼に合図を送っているように感じられた。

 その瞬間、ジャスティン・ジャスティスが持っていた剣がバード警部のそれに弾き飛ばされる。剣がアイザックたちの方に真っ直ぐに飛んできたので、傷のある男は咄嗟に避けた。 

 アイザックは“間抜け”っぷりを大いに発揮し、猿轡を噛まされたまま悲鳴をあげ、地面に転げまわったが、弾みで顔に傷のある男の足を薙ぎ払う形になったではないか。

 不意を突かれた男は転倒し、ナイフが転がった。

 ジャスティン・ジャスティスがバード警部の攻撃をかわし、落とした剣を拾おうと向かってくる。

 そうはさせじとバード警部は懐から拳銃を取り出し、天井に一発放つと、宿敵に銃口を向けた。


「ここまでだ」


 肩で息をしているハルク・バードはどこか悔しそうだ。彼は古風な男なので、剣での決着を望んでいたのだろう。しかし、親子二代の宿願を前に、もはやなりふり構っていられないのも事実だった。


 ジャスティン・ジャスティスはどう動くのか――。


 警官たちはバード警部の指示を待ち、アイザックは一人、両手両足を縛られた状態で床の上を無様に転げ回っていたが、誰も助けてくれない諦めと疲れからか動きを止めた。

 バード警部がゆっくりとジャスティン・ジャスティスに近づき、顔から仮面を外そうと手を伸ばす。

 ジャスティン・ジャスティスはなす術もなく立ちすくんでいるように見えたが、そうではなかった。

 バード警部の姿が吹っ飛んだ。

 あのどこからか湧き出て来た一様に薄汚れた男たちの中の数人が、バード警部や警官たちに襲い掛かってきたのだ。

 

「何をする!」


「旦那! 助けて下さい!」

「あの男どもに捕まって、無理矢理、働かされていたんです」

「ここで働けば、金をくれるって言うから来たのに、飯もろくすっぽ食べられねぇ」

「この屋敷の地下で、やばい薬を作らされていた!」

「証拠が地下にあります。お巡りさん、こっちです!」

「俺たちを助けに来てくれた! ああ、ありがてぇ!」


 男たちは口々に哀れっぽく、あるいは怒りながらもバード警部たちに助けを求めて縋り付く。

 襲い掛かったのではない。あくまでも助けを求めているのだ。

 事実が分からない以上、バード警部も闇雲に飛び道具は使えず、素手で引き離そうとしながら、宥めたり叱りつけたりするが興奮している男たちには通じない。


 ジャスティン・ジャスティスは混乱に乗じて、その場から離脱しかけた。


「この野郎! お前のせいだ! お前の――!」


 そうはさせじと顔に傷がある男が、床に転がっている剣をジャスティン・ジャスティス目掛けて振り下ろしてきた。

 いつの間にか縛めを解いたアイザックがその間に割って入ろうとするが、逆にジャスティン・ジャスティスが彼を庇った。

 剣がジャスティン・ジャスティスの肩を打つ。「――っ!」

 そのままアイザック・スナイダーを押しやると、振り向きざまに自分を害した男を蹴りやる。剣が再び飛び、顔に傷がある男は警官たちの中へ突っ込んでいった。

 そして今度こそ、ジャスティン・ジャスティスの姿はその場から消えた――。



***



 ジャスティン・ジャスティスを捕まえる絶好の機会を逃したハルク・バードは、アイザック・スナイダーを連れて彼が泊まるという宿にやって来た。

 決して司法省のお偉いさんの息子を送って来たのではない。アイザックが、要約すれば「この事件に関係する女性を保護しています」と言ったからだ。ジャスティン・ジャスティスには逃げられたが、大規模な犯罪組織の摘発は出来た。ジャスティン・ジャスティス専任とは言え、彼は警察官であった。王都から別動隊が来るまで逃げた犯人たちの捕縛と、証拠固めをしなければならない。

 

 宿に入るなり、バード警部以下は慌てて目を伏せることになる。

 アイザック・スナイダーの妻、イライザがあられもない格好――ほとんど下着の状態で夫を出迎えたからだ。


「アイザック! どこに行っていたの! この浮気者!!!」


 「お嬢…奥さま!」執事が慌てて後を追いかけてきて、女主人の剥き出しの肩をショールで包む。


「い……イライザ……! なんで――」


「なんで? なんでですって?

あなたが連れ込んだ女が私の寝間着を着たせいで、私が着るものがなくなったからよ。

まさかドレスで寝ろと言うの!?」


「いや、そうじゃ――」


「ねぇ、あの女! あの女があなたの秘密の恋人なの!?

そうなのね! ねぇ、あんなののどこがいいの?

私の方がずっと美人だし、ずっとあなたを愛しているわ!

今すぐ別れて! じゃないと許さないわ!!

あの泥棒猫! 殺してやる!! あなたもよ!!!」


 妻に胸元を締め上げられた夫は目を白黒させて、同僚たちに助けを求める。が、誰も“間抜け”のための口を利こうとは思わなかった。夫婦喧嘩は犬も喰わない。民事不介入だ。いいや、“間抜け”のくせに、こんな美人で金持ちの奥方を娶った挙句、浮気するなど、なんらかの罪で逮捕すべきだ。

 警官たちを代表してバード警部が口を開いた。「お前、浮気してたのか」


「違います!」


 はっきりとした否定の声は、勿論、アイザックのものではなく、階段の上からのものだった。イライザの高価な絹の寝間着を申し訳なさそうに身に着けた若い娘が駆け降りて来る。

 イライザのような華やかで妖艶な美女ではないが、可愛らしい娘さんだ。

 警官たちはアイザックを一層、冷たい目で見た。美食に飽きたら、素朴な家庭の味――ってか。

 バード警部は淡々と質問する。


「何が違うのだ?」


「私はこの方に助けていただいたのです!

あの、兄は? 兄は無事でしょうか!?」


 娘の問いかけに、イライザに締め上げられたままのアイザックが頷いてみせた。すると娘は「あぁ」と顔を覆って泣き出す。アイザックの喉が一層、締まった。


「分かった……いや、分からんが、とにかく、この娘は我々が保護しよう。

スナイダーは――折角だから、このままこの宿に泊まっていくんだな」


 アイザックが何事か呻いた。意味としては「そんなぁ」とか「助けてぇ」だろうと警官たちは解釈した。


「イライザ、私たちは帰るからな。旦那とちゃんと話し合うように。

その有様じゃあ、話せないだろう」


 酸素が不足して赤い顔から青い顔になりかけているアイザックに対し、さすがにいけないと思ったのか、バード警部は亡き親友の娘を制し、「じゃあな、スナイダー。健闘を祈るよ」と薄情な挨拶をすると部下と保護した娘を連れて出て行った。


「け、けいぶぅ!!」


 バード警部は背中に情けない声を掛けられ、ため息をついた。「なんだって俺はあの男を――」

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