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悪妻は、正義の味方なのです  作者: さぁこ/結城敦子


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05_姉妹の和解

 先に降りたアイザックが馬車から動けないイライザへ手を差し出した。

 

「どうして――」


 イライザは怯え、迷っていた。アイザックの意図が分からない。


「大丈夫。きっと仲直り出来るから」


 そこに楽し気な声が届く。懐かしいクロエと、それからホーナー家の元使用人ロジャーのものだ。

 二人は片手に籠や農具を持ち、片方の手を互いに繋いでいる。農作業から戻ってきたところらしい。

 身体が勝手に動き、イライザは気が付くと、その仲の良い妹夫婦の前に立っていた。


 久しぶりに会うクロエは痩せて顔色が悪かった。ただ、顔色に関してはイライザを見た瞬間、真っ青になったと言うべきか。

 イライザが何か言う前に、クロエはロジャーに縋り付き、まくしたてた。


「私! 帰らないから! この人と一緒にいるの!

帰らないから!」


 ロジャーはイライザに対し、妻よりもずっと冷静だった。まず「いつも温かいご援助に感謝しております」と礼を述べたあと、不甲斐ない自分でクロエに苦労をさせてばかりだが、きっと大事にするからと懸命に訴える。「お金もいつか必ず返します」

 イライザは頭が動かず、何も考えられなかった。クロエがロジャーに虐げられているような雰囲気はない。夫の靴はボロボロなのに、妻のそれは新品だった。


「クロエ……ああ、クロエ!」


 涙を流す姉を見て、妹は口を噤んだ。ロジャーも様子を覗う。こちらはこちらで、二人を引き離すために来たのではないことは明白となったからだ。

 イライザはクロエを抱きしめ、クロエもそれを受け入れた。「ごめんなさい――」


「私こそごめんなさい。あなたの気持ち、何も分かっていなかった。

私、自分勝手で独りよがりだったわ」


「違うわ! 私も悪いの! 私、分かったわ――」


 クロエは途中まで言って口を噤んだ。自分の夫と、姉の夫の存在を気にするように横目で見る。

 するとアイザックがロジャーに馬たちの世話を手伝って欲しいと声をかけ、使用人たちと一緒に物置小屋の方へと移動していった。

 姉妹は物置小屋と変わらないような粗末な家へと入る。

 ロジャーの家は小さく、ありこちが痛み、雨の日には雨漏りがあるようだ。どこもかしこも貧しく、イライザは『はて、自分が出したお金は一体、どこにいったのだろう?』と疑問さえ抱く。新しいものはクロエの靴くらいしか見当たらない。それも決して贅沢なものではなく、村の市場で買う頑丈だけが取り柄と言ったようなものだ。

 クロエは縁の欠けた茶碗に薄いお茶を淹れ「これ、私が摘んで作ったのよ」と黒スグリのジャムが添えられた、これまた薄いパンを木の板の上に乗せてに出した。 

 それを見て「苦労しているのね」という言葉を言いかけたイライザは、クロエの誇らしげな顔を見て黙った。


「いいの。あのね、本当はすごく大変。辛いこと、いっぱいあるわ」


「クロエ……」


「私、お姉さまが私に条件の良い結婚をさせようとしたか分かったわ。

私にこんな生活をさせたくなかったのでしょう?」


 クロエはイライザにずっと守られて生きてきた。雨に濡れないように、風に当たらないように。それが今は、雨漏りと隙間風が吹き込む家で、朝から晩まで働いている。


「私もそう思っていた。でも、私も分かったわ。いい家の息子と結婚したからって、幸せになれるとは限らない。

あなたはちゃんと自分の幸せをみつけて、その手に掴み取った」


 クロエとロジャーの仲睦まじさは誰が一目瞭然だった。


「お姉さまは私の幸せを心から願っていてくれていたのに、ひどいことしたわ。

私、頭っから反対されると思って……ごめんなさい!」


 クロエはいきなりイライザの前に跪いて許しを請いはじめた。


「クロエ!?」


「私、策を弄したの。ジェイコブを受け入れたふりをしたのは嘘よ!」


 イライザにとって衝撃的な告白だった。クロエは頭からジェイコブを愛してなどいなかったと言う。


「ジェイコブは問題の多い男だったわ。すぐに尻尾を出すに違いないと思ったの」


「なんとことを……」


 ロジャーと結婚する為に、クロエは敢えてジェイコブを選んだフリをしたのだ。


「まさかお姉さまに乗り換えるとは想像もつかなかったけど。

お姉さまはどうしてジェイコブなんかに気を許しちゃったの?」


「クロエが好きなら賛成してあげたいと思ったのよ! 義理の姉として、あなたの保護者として……」


 イライザは口元を押さえた。「私、あなたにあれこれ口を出し過ぎていたわね」


「私のためを思ってくれていたの。それを曲解したのは私よ」


 おもむろに立ち上がったクロエは外の様子を覗った。それからイライザの元に戻って来ると、椅子を引いて、姉の側にぴったりと座った。


「私、ずっと寂しかったし、怖かった。

お母さまが亡くなって、お父さまは突然、いなくなった」


「ええ……」


「お姉さまは、どうしてお父さまがあんな惨めな姿で街角に転がっていたか知っているでしょう?」


「それは強盗に――」


「違うわ。お父さまは正体を知られてはいけなかった。

だから()()()()()()()()()を脱がなければならなかった。

そうでしょう?

――そしてお姉さままで同じ道を選んだ」


 イライザはもう声も出ない。薄いお茶でもいい、一口飲みたい。


「私、毎晩、お姉さまの部屋に確認しに行ってたのよ。

今日はいる。今日はいない……いない日は、朝まで不安で眠られなかった。

お姉さまも私の前から忽然と消えていなくなるかもしれない」


「クロエ……」


 絞り出した声は、苦い味がした。


「段々と腹が立ってきたわ。

お父さまもお姉さまも、私よりも他人の方が大事なんだ。

私のことなんてどうでもいいんだって。

一緒にいて、私だけを見てくれる人が欲しかった」


「それがロジャー?」


「そう」


 イライザの気持ちを察したのか、クロエは姉の震える手に茶碗を載せ、そっと支えた。

 

「でも、ロジャーも似たような人だったわ」


「え!?」


「困っている人を見ると放っておけないの」


 お茶を飲んで、ようやく一息ついたイライザは彼女のお金の行方が分かった。


「それでお金が必要だったの?」


「ええ」


「それでどうしてあんな脅迫まがいの手紙を送ってよこしたの?」


 手紙を書いていたのはクロエだ。字だけでなく、文面も。


「だって、本当のことを書いたら、折角、大人しくなったお姉さまがまたその気になるかと心配で。

ロジャーにはお姉さまは慈善の心を持った篤志家だから、困った人に惜しんだりはしないって、納得させている」


 「あの人も他人のために自分を犠牲にする人だったわ」とクロエはロジャーを手放しで褒めはじめた。どこかに行ってしまった他所の家の子羊をどこまでも探しにいったり、一家の主人が病気で畑が耕せないと聞けば、代わりに鍬を持つ……。


「ちょっと待って! 私がその気になるって……この村、どうなっているの? そう言えば! ここまで来る街道、手入れがされていなかったわ。

この村は王家の直轄地のはずよね? 代官は何をしているの?」


「ほら! そうやって!

“夜遊び”は辞めたんでしょう?」


 クロエが置き土産としてイライザの“夜遊び”を多くの人に吹聴したのは、彼女がもうそれを出来なくなるようにするためだ。しかし、どうも考え直す出来事が、現在進行形で起きているらしい。「でもね……」と続ける。


「お姉さまみたいな人がいればいいのに……お姉さまじゃないわよ! お姉さまみたいな人!」


「そんなの――」


「そうよ、我儘よ! 誰かがやらなければならないのならば、誰かがやればいい! それがどうしてお姉さまじゃなくてはいけないの?

他人の幸せのためなら、家族を犠牲にしても構わないの? ロジャーのお節介とは訳が違うのよ。

知られたらただじゃ済まない。あまりに危険だわ。お父さまの最期を忘れたの? 残された私の気持ちは?」


 そうだ――自分はもう引退したんだ。

 イライザはクロエと一緒になって自分に言い聞かせる。


「大丈夫よね? お姉さまは結婚したんだもの。“夜遊び”なんてしない。出来ないよね?」


 そうだ――物理的に無理なのだ。

 寝室を共にする夫婦であれば。


「……アイザックとは離婚することになったの」


「なんですって!?」


 突然の姉の告白に、妹は飛び上がって驚いた。


「どうして? バレちゃったの!?」


「違うわよ! クロエの言う通り、結婚してからは真っ当に生きていたわ!」


 あの夜会のことがイライザの脳裏に過ったが、口には出さなかった。あんなのは誤差だ。肝心の鍵の型も黒ずくめの男に奪われたままなのだから、何もしていないも同然だろう。


「じゃあ、どうして離婚なんて話になるの?

お姉さまはアイザック・スナイダーを愛している!」


 クロエは姉との口論で、イライザがアイザックに対して憎からず想っていることを知った。


「驚いたけど、嬉しかったわ。

お姉さまを一人置き去りにするのは心苦しかった。

だけどお姉さま自身が選んだ相手と一緒にいるからと思えばこそ、家を出られたのに……」


 “一人置き去りにはできない”

 夫と妹には、イライザが同じように見えていた。彼女は強くて独立した娘だったが、どこかに孤独を抱えていて、それを埋める相手が必要なのだ。それがクロエであり、アイザックだったのに、二人ともイライザよりも大事な相手がいる。

 イライザにしてみれば、互いに自分を押し付けようとしているように感じたとしても仕方がない。


「何があったというの?」


「いろいろよ……いろいろ……」


 手に持った茶碗の縁を指でなぞりながら、ごにょごにょと話を濁そうとする姉に、妹は食い下がった。


「いろいろって何?」


 妹には弱い姉は、ため息を吐きつつ、ポツポツと夫婦の間であったことを話す。クロエの首が傾いていく。「まさかそんなこと……!」イライザは妹の当惑を当然と受け止めた。両親は仲の良い夫婦だった。あの叔父夫妻だってそうだ。況やクロエとロジャーも。そんな冷え切った夫婦があるのかと信じられない気持ちなのだろう、と。


「それで、ついにここに来る途中の馬車で離婚を切り出されたの」


 聞き終わったクロエは怒り心頭の様子だ。


「なんですって! あの男、よくも!」


「どこに行くの!?」


「私が行って直接、問い詰めてやるのよ!」


「クロエ!」


 イライザはクロエを追って外に出た。いつの間にか日が落ちかけている。

 姉妹は長く話し込んでいたが、馬の世話にそれほど時間がかかるとは思えない。物置小屋にはアイザックの姿はなく、荷馬車もなかった。

 ただし馬車と御者、必要数の使用人たちは残っており、ロジャーと焚火を囲んで談笑していた。

 二人の姿を目にしたロジャーは立ち上がり、ややぎこちなさがあったが人の良い笑みを浮かべる。


「話は済みましたか?

スナイダーさんは先に宿屋に行かれました。

お嬢……イライザさまは積もる話もあるでしょう。自分のことは気にせずに、クロエとゆっくして欲しい、とおっしゃって。

賤家ですが、是非、お泊りになっていって下さい。使用人の方々も、申し訳ないのですが、こちらの小屋で一晩明かしていただけるそうです」


「先に帰った!?」


 クロエは信じられないとばかりに叫び、夫の顔を見た。「どうして行かせちゃったの?」


「いや……なんか用事があるって……」


 気まずそうにスナイダー家の使用人たちに目配せするロジャーは、クロエが怪しむには十分だった。「何か隠している……どいもこいつも隠し事ばっかり」ポツリと言うと、勢いよくイライザの方に向くや馬車の方へ押し出す。「ごめんなさい、お姉さま。でも、今すぐ帰って!」


「クロエ! なんて失礼な。イライザさま、今晩はクロエと一緒にいてやってください。

久々の再会です。積もる話もあるでしょう」


「いいえ、話は終わったわ。

お姉さま! 今すぐ宿へ行って! そしてアイザック・スナイダーを引き留めないと……!」


「引き留める? 無理よ! 彼の好きにさせてあげて」


「あいつの好きにさせたらお姉さまはきっと後悔するわ! お願いだから、行って! そして、もう一度、今度こそ、ちゃんとあいつを見るの! “間抜け”なのはお姉さまの方よ!

さぁ! 行くのよ! 馬車を出しなさい!」


 有無を言わさぬ迫力でクロエはロジャーとイライザを押し切った。



***



 再びガタゴトと激しく揺れる馬車に乗りながらイライザは漠然とした不安に襲われていた。

 クロエは何か知っているようだて、自分に気付かせたくないから追い出したのだ。去り際、ロジャーを問い詰めるクロエの姿が目の端に入っていた。クロエは「何か隠している」と言っていたが、彼女自身もイライザに知られたくないことがあるようだった。つまりは「どいつもこいつも隠し事ばっかり」なのだ。


「それはこの村のことなど? ここには何があると言うの?」


 東から暗闇は迫り、村の様子を見ることは出来ない。


 それにアイザックのことも気になる。「私が“間抜け”?」クロエは姉の話の中で何かに気付いたのだ。本来ならばもっとも近くにいるイライザが気づくべきことに。

 

「……そうね。私、見ていたようで、全然、見ていなかったのかもしれない。

むしろアイザックの方は、私が何も言わなかったのに、ちゃんとクロエとの仲を取り持ってくれた」


 と、ガタンとひと際大きく馬車が揺れた。その瞬間、イライザの見方が変わった。「――あ! まさかそんなこと!?」



***



 あらかじめ予約していた宿は街道沿いにあり、小綺麗で立派な佇まいだった。

 一階は食事処も兼ねていたが、客の姿はない。

 扉から宿の主人が飛び出て来る。「ご予約はありますか?」と聞くので、イライザが名を告げると、驚くべきことに「スナイダー夫人ならもう到着している」と言うではないか。

 どういうことかと訝しんでいると、先に着いていた使用人がイライザを出迎え、部屋に連れて行く。

 そこで自分たち夫婦に用意されたはずの部屋の寝台の一つに若い娘が座っており……しかも自分の寝間着を着ている女が「奥さま!? アイザックさまは奥さまは今夜は戻らないとおっしゃっていたのに!」と叫んだのだ。

 

 イライザは目の前が真っ赤になった。


 遅かった――!

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