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悪妻は、正義の味方なのです  作者: さぁこ/結城敦子


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04_離婚への道

 翌日、イライザはいつも通り、朝早く起きた。

 泣きはらした顔は寝不足もあいまってひどいものだったが、昨夜、遊んだ分、やらなければならないことが残されてた。アイザックはまだ別室で寝ている。

 まずは日課の器械体操を行い、ゆで卵三つと豆のスープを摂った。

 普段は夜にする土地の管理人からの報告書や投資先に関する専門家の意見などに目に通しておかなければならない。注意深く読み込み、何点か気になる所をチェックして、あとで精査することにする。

 彼らの能力は高く、信用はしているが、“小娘”に力を貸してくれるような変わり者なのだ。たとえイライザが職と活躍の場を与えた雇い主だとしても、期待外れな振る舞いをすれば、あっさり離れていくだろう。 

 それから執事がアイロンをかけて持ってきた新聞に取りかかった。

 イライザが仕事に関する手紙を二通書き終わった頃、ようやく起きて来たアイザックに「おはよう」と挨拶をすると、小さな声で返事があった。


「朝食を用意しているわ。一緒に食べましょう」


「……うん。ねぇ、イライザ?」


 驚くことにアイザックはイライザと共に食卓に着いた。さらに信じられないことに話しかけて来たではないか。その上――。




***



 数日後、イライザは神妙な顔つきで馬車に乗っていた。

 アイザックがいきなり遠出に誘ってきたのだ。

 断ろうとしたイライザだったが思い直す。使用人や荷物は後続の荷馬車や騎馬に任せ、馬車には二人で乗る。アイザックと向き合う最後にして最大の機会ではないか。

 あの夜の日以来、彼女の中で離婚へ気持ちが固まりかけていた。利用されるのはご免だ。ただ、黒ずくめの男の言ったように、アイザックはただ戸惑っているだけという一縷の望みもあった。思えば結婚半年経った後の、この間の夜会への出席、そして今日のお出掛け。ひどく奥手なアイザックが、ようやくイライザと向き合える心境になったのかっもしれない。

 だからアイザックが目的地の名を告げた時、躊躇したものの、承諾した。


 一度は惚れた相手だ。すぐに思いきれるような胆力をイライザは持たなかった。

 それでも馬車に乗った途端、持ち込んだ本を読みはじめたアイザックには閉口した。なんで誘った――。


「酔わないの?」


「――うん」


 本から目を離さずにアイザックは答えた。イライザはもう十分だと思った。この男はここから路上に落として家に帰ろう。こんな男にこだわって、どれだけ多くの時間を無駄にしただろう。仕事に遅れが出ているし、所領の様子も見に行かなければならないと言うのに。

 手切れ金代わりに馬を一頭残していけば、自力で王都のスナイダーの実家には帰れるだろう。馬に乗れなかったら、と言うことは最早、自分が心配することではない。

 そう決めると、あとは早かった。イライザはこれまでの気持ちを清算することにする。


「私――あなたのことが好きだったわ」


「――うん……うん???」


 アイザックの本を持つ手が小刻みに揺れている。その動きは馬車とは連動していなかった。


「私、あなたのことが好きだったの。今は違うけど」


「なぜ?」


「なぜって、あんなに冷たい態度を取られて、今もこんな感じなのに、好きなままでいて欲しいというの?」


「違っ……そうじゃなくて、君はなぜ僕に好意を?」


 たまらず顔を上げたアイザックの顔は真っ赤だった。「だって、話したこともない!」


「あるわよ!」


 車輪が何かに乗り上げたのだろう。馬車が大きく揺れた。


「……ある?? ど、どこで?」


「司法省よ」


 あれはイライザが祖父の財産を継いで少し経った頃だった。祖父の財産には地方の土地も含まれていて、彼女は地主にもなっていたが、ある日のこと、小作人の一人がイライザに相談に訪れた。隣接する地主に土地の境界を侵されているというのだ。

 その小作人の窮状と地主として頼られたこともあって、イライザは張り切って抗議のために司法省に行った。

 

「全然、相手にされなかったけど……」


 その時にはもう、彼女は自分が小娘であることの不利に気づきつつあった。

 役人と何度かの押し問答の末、警備の人間に追い返されてしまう。「そんな滅茶苦茶な書類は受け取れないよ」「そういうことはお父さんか、お兄さんに任せて、お嬢ちゃんは家に帰って刺繍の練習でもしていなさい」「男の仕事に首を突っ込むなんて、お嫁に行けなくなるよ」

 憤慨して歩いていると門のところで人にぶつかってしまった。

 それが仕事の関係で司法省を訪れようとしていたアイザック・スナイダーだったのだ。

 彼はイライザの手から落ちた書類を拾ってくれた。しかし、イライザはそれを受け取るのを拒んだ。『もうそんなの必要ないんだもの』


「私もまだ若かったのよ」


 イライザはその時のことを思い出すと恥ずかしくなる。見知らぬ相手に自分がどんな扱いを受けたのか堰を切ったように話してしまったのだ。

 司法省の近くにある公園の東屋で、アイザックは隣に座って聞いてくれた。


「そんなことが――」

 

 アイザックにはまったく記憶がないようだ。彼にとっては困っている人を助けるなんてことは日常で、いちいち覚えている必要のないものだからだ、とイライザは解釈する。


「それであなたは私の話を全部聞くと、『役人の言っていることは酷いけど、間違っている訳でもない』と言ったの」


 やっぱりこの男も自分のことを馬鹿にするんだ! とイライザは怒りかけたが、アイザックは淡々と彼女の書類の不備を指摘しはじめた。『お役所仕事だからね。決まった書式でないと事務的に却下してしまうんだ。本当は要件さえ揃っていれば受け付けてくれるんだけど……』


「私の書類、全然、なってなかったの。それにいきなり司法省に押しかけても受理されるはずがないわ」


 今はもう素直に認められる。

 アイザックは申請に必要な書式や書き方、添付する資料とその入手の仕方、窓口となっている支局についてなど、丁寧に説明した。最後に『専門家の力を借りるといいよ』と忠告までしてくれたのだが、イライザはそれに反発してしまった。『結局、小娘には無理ってこと?』

 『そういう訳じゃないけど……』と、アイザックは首をすくめながらも、彼女に聞いた。『君は自分の力を認めさせたいの? それとも小作人の為になりたいの?』


「それを聞いて、私、恥ずかしく思ったわ。同時にこの人はなんていい人なんだろうと思ったの」


 イライザは胸に手をおいた。彼は彼女を“女”ではなく、“一人の人間”として扱ってくれた。


「だから、ちゃんとやろうって思った――んだけど」


「だけど?」


「ちゃんとやるとすごく時間と手間がかかることが分かって、その間に――その、ジャスティン・ジャスティスが隣の地主の、別の大きな不正を暴いちゃったのよね……でも、そうしたら余計に面倒なことになっちゃって」


「ジャスティン・ジャスティスが?」


 巷で話題の義賊の名に、アイザックが懐疑的な声を上げたので、イライザは嬉しくなった。


「そうなのよ! ジャスティン・ジャスティスのやり方じゃ、根本的な解決にはならないのよ!」


 隣の地主が告発されたことにより、小作人の安全と土地は守られたとばかり思っていたが、境界があいまいにされたままだったせいで、本来こちら側である土地まで没収されそうになったのだ。イライザは専門家たちを雇い、お金と時間をかけて、それをやっとのことで取り返した。


「あなたがあの時、この人たちなら君の相談に乗ってくれるかもしれないよって、教えてくれた人たちよ!

――あなたの友人もいたわね」


 アイザックはようやく思い出したものの、まず先だった感想は「ああ、あの変わり者……僕が紹介したのか……」だった。「でも君の役に立てて良かったよ」


「本当に! 感謝しているわ。あなたはちゃんと先々まで考えて助言をしてくれた。

それに比べてジャスティン・ジャスティスなんて、やることは派手で一見、世のためになっているけど、所詮は無法者よ。

やるだけやって、後は投げっぱなしじゃないの。

そりゃあ、みんなが憧れるのも分かるわよ! けどジャスティン・ジャスティスの格好良さなんて表面的なものだわ」


「あ……あの……」


「アイザックもそう思うでしょう?」


 勢いに乗ってイライザは同意を求めたが、アイザックの反応は芳しくなかった。先ほどの反応はなんだったのだろう? と苛立ちかけたが、ジャスティン・ジャスティスなんかの話をしている訳ではないことを思い出す。


「とにかく! 私はあなたの中にはあなたの正義があると感じたの。ジャスティン・ジャスティスみたいな見掛け倒しじゃなく、地味だけど確かな正義を持っていると」


「――それは……随分と過大評価すぎるよ……」


「そんなことないわよ! 私、ずっとあなたのことを見ていたわ」


「え……ずっと……って」


 イライザの穏やかでない発言に、アイザックはたじろぐ。


「いえ……そんなずっと見ていた訳じゃないわ! 私、役所に行く機会が多かったから、たまに用事で来ているあなたを見かけたり、むりやり警察に用事を作って会いに行ったり……その、ずっと見ていて分かったの」


「“間抜け”だったろう?」


 自分を貶めたアイザックの笑みはどこか満足気だった。イライザはそれを彼が謙虚だからだと捉える。


「私にしたように、誰の、どんな小さな困りごとでも熱心に相談に乗ってくれていた」


「……喜んでくれる人はあんまりいなかったな。怒られることも多くて……」


「そうね……私もそうだったから、分かるわ。

多くの人が、自分で面倒な手続きをしたり、客観的に公平な判断をされることなんて求めていないのよ。

何か大きな力が自分の問題をあっという間に解決してくれることを望んでいる」


「……君の言う通り、僕はいろんな人の話を聞いて、この世の中には、法では解決できないこともあるんだって嫌ほど知った。

司法が現状に追い付いていない部分もたくさんある。法があっても、君みたいにやり方を知らない人はどう助けを求めればいい?

……だから僕はジャスティン・ジャスティスが必要とされる余地はまだまだあると思う」


 馬車がガタン、ガタンと二度、大きく揺れた。


「あ、あなたがそんなことを言うなんて意外だわ。

バード警部に知られたら大事よ」


 アイザックの思いもよらない返答に、イライザは夫の同僚であり、亡き父の親友の名を出した。

 生涯をかけてジャスティン・ジャスティスを追いかける男。彼はジャスティン・ジャスティスを捕まえようとしている。警察にとって、ジャスティン・ジャスティスは犯罪者なのだ。


「……僕は……君は……もしかしてバード警部に言われて僕との結婚を決めた……の?」


 するとアイザックがこれまた意外なことを聞いてきたではないか。

 イライザはあまりのことに笑いが漏れた。「バード警部に? どうして?」


「昔からの知り合いなんだろう? よく署内で話しているのを見かけたし、この間……いや、なんでもない」


「あなたとバード警部は同じ所で働いているのよ? 私はバード警部に会ったら挨拶しない訳にはいかないでしょう。

父の親友だったのよ。私を娘のように想ってくれている。

そんなバード警部があなたとの結婚を勧める?」


 笑い飛ばそうとして我に返る。「あら! バード警部はもしかして、あなたを評価してくれているの?」


 この間の夜会の帰り道を思い出す。あのバード警部のアイザックへの視線は意味深だった。自分が感じたのとは反対で、親友の娘を預けるに相応しいと考えている……とは、やはりイライザには思えない。アイザックも否定する。


「……それはない! ……と思うけど……ごめん、変なことを言った」


「私は誰かの言いなりで結婚を決めたりはしないわ」


「そうだね……君はそうだ」


 アイザックの眼差しに敬意が籠る。「君のように()()()()()()()()に好かれているなんて、僕には信じられなかったんだ」


「才気あふれる!?」


 イライザは驚くと同時に怪しんだ。それでもう一度、言った。「あなた、私のことを才気あふれるって言った?」


「え? ――う、うん。君は祖父が残した土地や財産を立派に管理して、増やしてさえいる」


「あ、あなたの忠告どおりに専門家の助けを借りているだけだわ」


 口早に答えながら、イライザは妙な胸騒ぎを覚えていた。


「でも、最終的な決断は君がしているだろう。あの変わり者たちを納得させるほど勉強もしている……自分の意思をしっかりもっていて……その――そういうことだよ。

そんなに驚くようなこと、僕は言ったかな?」


「ええ……だって……ちゃんと中身を見てくれている……から」


 他の男はみんなイライザの外見か資産ばかり評価していた。「私をそんな風に言うのはあなただけよ」と言いかけて、先ほどから引っかかっていたのが何か分かった。怒りで聞き流してしまったが、あの黒ずくめの男も自分のことを「才気あふれる」と評していなかったか? 

 イライザが考え込んだので、アイザックは自分が何かまずいことを言ったことに気が付いた。


「も、勿論、綺麗な人だとも……だから僕なんかを――」


 これまでのやりとりで、アイザックは額に大汗をかいていた。そのせいで重い前髪がぱっくり二つに割れ、青い瞳が露わになっていた。その瞳が見開く。「君が僕を……?」

 まるで今、この瞬間、イライザの容姿をきちんと認識したようだ。

 それはイライザにも言えた。

 いつもキョドキョドと視線が定まらないアイザックの瞳の焦点が合っている。とても精悍な顔つきで、大変な美男子と言う訳ではないが、イライザには好ましく感じられた。


 馬車が大きく跳ねなければ、二人はそのまま見つめ合っていただろう。


 御者台から詫びの声が飛んだ。「すみませんねぇ、この街道はどうも道が悪いようだ!」


 アイザックは我に返ったのか、前髪を元通りにすると、イライザを視界から排除した。「――ごめん」


 窓の外に風景が流れていく。

 しばらくしてアイザックは重い口を開いた。


「実は僕にはずっと憧れていた人がいて……」


 ああ、やっぱりね、とイライザは思ったが口には出さず、黙ったままアイザックの話を聞いた。


「その人のことは、父には……父にも誰にも言えなくて。

君にも理解できないだろうけど、それでも僕はその人のことを裏切れない」


 あまりに自分の想像そのままなので、イライザは怪しんだ。私、この人に、その話、したかしら?


「君の想像通りだよ。君は僕に興味がないだろうから、それぞれ好きなことが出来ると都合よく考えてしまった……」


 「本当に、すまないことをした」とアイザックは苦し気に言った。「君のこと、嫌いな訳じゃないんだ。むしろ……むしろ、もし許されるのならば……」


「だけど私より大事な人がいるのでしょう?」


 イライザの問いかけに、アイザックが出した答えは「離婚しよう」だった。「もう一緒には暮らせない」


「――ただ、今日だけは僕と一緒に来て欲しい」


「……どうしてよ」


「君をこのまま一人、置き去りにはできないから」


「自分がどんな残酷なことを言っているか分かっている?」


 イライザの声に悔しさが滲んだ。

 優しさが辛かった。こうして話した結果、アイザックへの想いを新たにしてしまったのも失敗だった。

 彼は愛した人に対して誠実であろうとしている。そして、イライザに対しても、離婚という形ではあるが、少なくとも責任を取ろうとしているのだ。世間体は悪い。またよからぬ噂を立てられるだろう。それでも、このまま身も心も束縛されているよりは、結局は彼女のためになる。それが分かっているからこそ、やっぱりイライザは口惜しいのだ。


「君は若くて美人だから、すぐにもっといい相手がみつかるよ、なんて言ったら怒るわよ」

 

 他の誰かではなく、欲しいのはアイザックなのだ。すぐに切り替えられるほど、軽い気持ちだと思って欲しくない。そうでなくても、愛している男に、別の男を斡旋されるなんて耐えられない。


「……違う。そういう意味じゃないよ」


 それっきり馬車の中は沈黙が流れた。

 ガタガタと悪路を車輪が進む音の合間に、御者が悪態を吐き、馬が嘶く。

 途中、宿場で休憩をとった時も、夫婦の間に会話はなかった。イライザは青ざめた顔を心配する執事に、馬車に酔ったせいだと言い訳する。「お嬢……いいえ、奥さま。確かにこの道は手入れがなっていませんね」長年、仕えて来た彼を失望させるのかと思うと、イライザの気分はますます落ちていった。そのため、御者が到着を告げた時、彼女はようやく自分が妹・クロエの住む村へと向かっていたことを思い出した。

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