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悪妻は、正義の味方なのです  作者: さぁこ/結城敦子


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02_“間抜け”のアイザック

 大広間でも、イライザは悪い意味で注目の的だった。


「アイザックはどこかしら?」


 なるべく気配を消して夫を探した妻が、ようやくその姿を見つけた時、彼は部屋の隅の長椅子に座って一人の令嬢と談笑していた。


「あれはヘンリエッタ!」


 ヘンリエッタ・ハーディーはアイザック・スナイダーの従妹で幼馴染と言った存在なので、今のように多少、距離感が近くても「微笑ましい兄妹」のように見過ごされる。

 当のハーディー嬢にしてみれば「妹じゃないわ!」と言うだろう。

 その世間一般には理解出来ない趣味嗜好に関し、イライザはヘンリエッタと仲良く出来たかもしれない。

 しかし、実際は「私の方がずっとずっと前から大好きだったアイザック兄さま」が、「よりにもよってイライザ・ホーナーなんて毒婦と結婚するなんて!」であり、「見ていなさい! 必ずお兄さまを助け出してみせる!」である以上、そんなことは夢のまた夢である。

 今晩もヘンリエッタはイライザの姿を捉えると、邪魔者が来たとばかりに眉を寄せた。


「イライザさん、どこに行ってらしたの?」


「――アイザック、どこにいたの? 探したわ」


 イライザはヘンリエッタを無視して、アイザックに話しかけた。


「え……えっと……」


「アイザックお兄さまは、私とずーっと一緒にいたわ」


 口ごもる夫の代わりにヘンリエッタが答える。


「ずっと?」


「ええ、そうよ。ずうぅううっと! ねぇ、アイザック兄さま?」


「う……うん。ずっと―――だったかな?」


 妹扱いされるのは不満なくせに、ヘンリエッタはイライザに対してはアイザック兄さまという呼び方を敢えて使う。その方が、ぽっと出の妻よりも親しい間柄だと強調出来るからだ。

 大好きなアイザック兄さまの消極的な加勢を受けたヘンリエッタはかさにかかってまくしたてた。


「伯母さまとはぐれてしまって不安に思っていたら、アイザック兄さまが助けて下さったのよ。

立派な家柄のきちんとした娘なら、一人で出歩くような恐ろしい真似、出来ませんからね」


 未婚時代に付添の婦人をつけずに出歩いていたイライザへのあてこすりである。ヘンリエッタのふっくらした頬に、二つのえくぼが浮かんだ。


「そうでしたの。

それはよいことをなされましたね、アイザック。

なんといっても、ハーディー嬢はお身内の方ですもの」


 あくまでも親戚だから親切なのだと決めつける。

 うつむいたままのアイザックから目を離し、イライザは素早く周囲に視線を巡らした。そして、あっという間に人々の間に隠れるように立っているヘンリエッタの伯母の姿を確認したものだから、ヘンリエッタはびっくりして、まるで犬を追い払うような手つきを気弱そうな中年の夫人に向けた。ヘンリエッタの伯母は姪の無礼に怒るでもなく、むしろ自分の失態を申し訳なく思っている様子だ。

 呆れたイライザがアイザックの方に視線を戻すと、今度は彼女が驚くことになる。

 アイザックが顔を上げて彼女を見ていたからだ。

 結婚して以来、こんなまともに目を合わせたことはなかった。イライザは夫の瞳が思ったよりもずっと青い色をしていることを知ったが、すぐにまた顔を伏せられてしまう。

 二人の常ならぬ様子に気づいたヘンリエッタが、アイザックに自分に注意を向けようと、ますます身を寄せた。彼女はいかにも柔らかなそうな体型をしていた。アイザックと同じ色の黒色の髪は見事な巻き毛で、愛くるしい顔立ちを縁取っている。洗練さには欠けるが、古風で落ち着いた身なりをしており、清楚で純真そうだ。例えるならば、まるでふわふわの甘い砂糖菓子のような娘だった。

 迫られた男としては悪い気持ちはしないのではないか――イライザは自分の引き締まった固そうな身体を見下ろしてため息を吐いた。いかにも抱き心地が悪そうだからだ。

 どうして自分の方が男好きすると言い立てられるのか納得できない。

 とにかく夫からこのふわふわの砂糖菓子を取り上げようと声を掛けた。「せっかく来たのですから、踊りませんこと?」

 すると今度もヘンリエッタが答えた。


「アイザック兄さまは足を怪我しているの。踊るなんて無理よ。

妻なのに、そんなことも分からないの?」


「なんですって? 怪我ってどういうこと?」


 ここに来た時はそんなことはなかったはずだ。イライザの声にアイザックが「……知らない間に……どこかにぶつけたみたいで……」と弁解する。


「そうなの」


 イライザはその言い訳をあっさりと認めた。

 アイザック・スナイダーと言う人間はそういう人間なのだ。

 いつもうつむきがちに歩いているにもかかわらず、何もないところでつまずく。転ぶ。

 顔を上げれば、頭をぶつける。何かに引っかける。

 一体、いつどこでつけたのか分からない傷が絶えなかった。


「大丈夫? もう家に帰りましょう。足の手当てもしないと――いけないから」


 結婚以来、はじめての二人でお出掛けで一曲も踊らないで帰るのは悔しいが、これ以上、ここにいても良いことはなさそうだ。

 ジェイコブがいつ目覚めてくるかもしれない。

 イライザはそう算段すると、アイザックを促す。「そ……そうだね」と同意を得たので、この屋敷の使用人に退出の準備をするように合図した。

 けれどもヘンリエッタが食い下がってきたではないか。


「もうお帰り? そんなに早く帰ったって、二人で夜にすることもないのでしょう。

私、お母さまから聞いたわよ」


 新婚夫婦に夜の営みがないことを揶揄したかったのだろうが、さすがにあからさますぎた。

 アイザックすら顔をあげてヘンリエッタを窘めようとするほどだ。それを待っていれば良かったのに、残念ながらイライザの反射神経はそれを上回ってしまった。


「あなたのお母さまは賢い方だわ。

夫婦の夜のことなんて、あなたはまだ知る必要がないことだもの。

そういう意味では、私も『そうね、その通りだわ』と、お答えするしかありません」


 ヘンリエッタだって、そこまで子どもではないし、ある程度のことを知っての発言ではあったが、そもそも、こんな公の場で“立派な家柄のきちんとした娘”を自負するならば、触れるべき話題ではない。

 たまらずヘンリエッタを連れて……連れてこられた付き添いの伯母が近寄ってくる。「いけないわ、ヘンリエッタ。皆さん、見ていますのよ」

 さしものヘンリエッタも自分の発言の危うさに気付き、恥ずかしさとイライザにやり込められた怒りで顔を赤らめる。

 その隙をついて、イライザはアイザックを外へと誘った。


 人々の好奇の視線から逃れ、外套を受け取って馬車が待つ外へ出ると、イライザはホッとひと息吐く。

 またまたアイザックの視線を感じたが、捕らえようとするとすぐに外されてしまう。


 今夜の彼はどこか違う、と彼女は感じた。

 第一、これまでどんな夜会の招待も断って来たのに、今日はどういう風の吹きまわしか出席することにしたのだ。


 ヘンリエッタと会いたかったから?

 いいや、とイライザは首を振る。

 従妹なら彼女の家に会いに行けばいい。そこには彼の伯母がいるのだ。挨拶に行っても何も不思議ではない。

 それではなぜ――?


 馬車に揺られながら、イライザは考えを巡らせる。

 向いに座ったアイザックは足が痛むのか、度々、脛をさすっていた。この馬車に乗る際、イライザに手を貸してくれたまでは良かったのだが、踏み台を踏み外し、もともと痛めていた脛をしたたかに打ってしまったのだ。


「大丈夫? 痣になっているかも」


 イライザが怪我の様子を確かめようと手を伸ばすが、アイザックはそれを拒絶した。

 いつもそうなのだ。彼女が心配して手当しようとしても彼は頑なに傷を見せることを拒む。

 ただ普段と違ったのは、アイザックが顔を上げたことだ。

 結婚以来、目が合ったのが三回だとすれば、その内の二回は今日の出来事となるだろう。

 アイザックは確かに、いつもと違った。


 イライザは高鳴る胸に両手を置いた――と、そこにあるはずの感触がない。

 あんな不快な思いをしてまでジェイコブから手に入れた鍵の型が――あのコンパクトミラーがなかったのだ。胸元ではなく、腰のあたりにしまったのかしら? と探ってもみても手ごたえはない。


「……どうかしたの?」


 妻が顔色を変えて身体中を確かめているのを見て、アイザックは怪訝そうに聞いたが、彼の声が小さいのもあいまって、夢中なイライザは気がつかない。

 どこかに落としたのか、それとも――「あの偽物!」


「偽物!?」


「ううん、なんでもないの。ごめんなさい」


 あの黒衣の男が抜き取ったのだ。考えられるとすれば、お礼の口づけをねだるふりをした時だろう。気がつかないなんて、なんたる失態。

 イライザは自分自身に毒づいた。

 彼女は噂通りの男慣れした女ではなかったので、不意の接触に動揺し隙を見せてしまっていたようだ。


「イライザ、君――」


 アイザックが何か言いかけた時、どこからか甲高い音が聞こえてきた。それはさざ波のように街中に広まり、互いの呼び合うように独特な音階を奏ではじめる。


「この呼子笛って――」


「バード警部だ」


 突然、馬車が止まり、御者が「奥さま、警察の検問のようです」と伝えた。

 窓を開けると案の定、騎馬に乗ったハルク・バード警部率いるジャスティン・ジャスティス捕縛隊が並んでいた。


「あら、バードのおじさま! 今夜もジャスティン・ジャスティスを追いかけているんですか?」


 イライザは気さくに、そしてやや同情の籠った声を掛けた。

 バード警部は彼女の父親の親友だったので、小さい頃から見知った仲だったのだ。抱っこをしてもらったことも何度かある。

 そしてアイザック・スナイダーにとっては同僚だ。とは言え、その立場は大きく違う。

 アイザックは警察署の半地下にある資料室で、日々、古い記録や不要な書付などを整理して処分する仕事をしており、バード警部はその階級が示す通り、部下を率いて現場に立っている。そして、たくさんの犯人を検挙し、多くの功績をつくったバード警部は現在、ジャスティン・ジャスティスを追跡する仕事の専任となった。彼の父親もかつてその職にあった。親子二代にわたり執拗にジャスティン・ジャスティスを追いかける男なのだ。

 そんな厳めしい顔にも、亡き親友の娘には親しみの籠った笑みが浮かぶ。「やぁ、イライザ」

 それからすぐに冷ややかな表情になった。「そして、スナイダー」


「お……お疲れさまです」


「そちらこそ。今晩は奥方とお出掛けか?」


「あ……はい」


 司法省の要職に就いている父を持つアイザック・スナイダーは、その父の伝手で就職し、これまたその父の言いつけで結婚した。そしてバード警部をはじめとした同僚たちが街中を駆けずり回っている頃、彼は妻の財産である馬車に乗り、優雅に夜会に出席し、これから妻が所有している屋敷に帰るところなのだった。

 バード警部の部下たちは嫉妬と侮蔑の表情で、うつむくアイザックを見た。一方、バード警部の目つきはイライザには違って見えた。警戒と不審を感じる。親友の娘を娶ったものの、粗略に扱っていることを知っているからだろうか。


「私たちに何か御用ですか? 外は寒いですわね。それにあんなに明るかった月がすっかり雲に隠れているわ。雨が降りそう」


 だから窓を閉めて、家に帰りたいのだ――とイライザがやんわりとほのめかす。しかし、バード警部は引き下がらない。


「悪いな、イライザ。少しばかり協力してくれ。

ちょうど今、ある夫人の屋敷にジャスティン・ジャスティスが現れたと通報があってね。

そう言えば、スナイダー。今夜はお前もそちらにお邪魔していたな」


「ええ、そうですわ」


 先ほど、ヘンリエッタがそうしたようにイライザもまた、アイザックの代わりに答えた。

 アイザックも同意するように頷く。

 それを受けて、バード警部はイライザに目配せしたではないか。彼は古風な人物なので、こういう場面で妻がしゃしゃり出ることに対し、やはりいい感情を持たないのだ。イライザは不服そうに片眉を上げて見せた。


「お前は何か気が付かなかったか?」


 改めてバード警部が問いかけると、上目遣いでおどおどと様子を覗っていたアイザックは、ぱっと顔を上げた。「――いいえ! その……何も……」部下たちは侮りの表情を色濃くする。仮にも警察の端くれ。鼻先に義賊気取りの盗人がいたことも気づかないなんて。さすが“間抜けのアイザック”だ。

 バード警部は表情を変えずじっとアイザックの赤らんだ顔を見つめた後、イライザに向き直った。


「イライザはどうだ? 何か見なかったかな?」


「何かってジャスティン・ジャスティスのこと? でしたら私、見ていません」


 イライザは気分を害したまま答えた。ツンとそっぽを向かれたバード警部は慣れているようで、やれやれといった様子だが。部下たちは気位の高い礼儀知らずな女だと評価する。だからアイザックからの視線を感じたイライザが、にっこりと微笑み返したのも、どこか威嚇のようなものに受け取った。実際、アイザック・スナイダーは慌てて目を伏せたではないか。胸の中で「ああはなりたくないね」と妬ましさを嘲りで上塗りした。


「――そうか」


 遠くから警官が走って来てバード警部に何事かを告げる。


「邪魔したな。では、我々はここで。イライザ、気を付けて帰るんだぞ」


 一行はイライザたちが来た道を駆けて行った。


「さぁ、私たちは帰りましょう」


 今夜はなぜかよく目が合う。もしかしたら夫婦の仲が進展するかも。そんな希望を抱き屋敷に戻ったイライザだったが、馬車から降りると、祖父の代から仕える執事が銀の盆に手紙を載せてやってきた。彼女は顔色を変え奪い取るようにそれを手にすると、何か言いたげなアイザックを残して部屋へと籠った。

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