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悪妻は、正義の味方なのです  作者: さぁこ/結城敦子


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10/10

10_夫婦の夜

 寝室へ続く扉から光が漏れる。

 イライザがアイザックの様子を見に来たのだ。


「ごめん。気になるよね。もう行くから」


 アイザックが立ち上がろうとする。


「ううん。

ねぇ、隣に座りたい」


「え……い、いいよ」


 イライザの頼みを断れない。しかし、自分の身にぴったりとくっついて座られたアイザックは困った。

 彼は現在、愛する妻から夜の営みを拒絶されている身なのに、こうして温かい肉体を押し付けられると理性がどうにかなりそうになるからだ。身体をずらしてもついてくる。最終的に歯を食いしばって我慢することにした。これもまた罰なのだと言い聞かせて。


「どうしたの?」


 イライザは先ほどのアイザックと同じように長椅子に足を乗せて座った。寝間着の裾から可愛らしいつま先が覗く。

 もしかして誘っている!? アイザックは眩暈がした。

 自分から隣に座りたいと申し出たくせにイライザも恥じらう。


「……アイザック、何か話して」


「話?」


 むかしむかしあるところにおじいさんと――言いかけたアイザックに、イライザがお題を出す。


「そうね。どうしてあなたがジャスティン・ジャスティスになったのかが知りたい」


「ああ、そういうこと」


「そういうことよ」


 なぜアイザック・スナイダーがジャスティン・ジャスティスに憧れ、目指したのか。

 その件こそ、アイザックの深刻な愛情に対する不信感の原因があった。



***


 

 アイザックは幼いころから両親や兄たちから無関心に扱われていた。主人家族がそんな態度なので、使用人たちもアイザックの世話はおざなりだった。

 それでも幼い身のアイザックは、何かしら理由をつけて自分を慰めた。

 自分がもっと良い子にしていれば、いつかきっと興味を持ってくれるはずだ。


「けれども僕が良い子になる前に誘拐されてしまったんだ」


 バード警部がイライザの父親から聞いたように、彼を助けてくれたのはジャスティン・ジャスティスだけだった。


「お父さまが!」


 イライザは驚きの声を上げる。彼女の父親が幼い頃の夫を助けていた。「運命を感じるわ」

 そうだね、とアイザックは複雑な笑みを向ける。「でも、僕は君のお父さんに酷いことを言ったんだ」父と娘、それぞれに、彼は暴言を吐いていたことを思い出したのだ。右手で額を覆う。短く切りそろえたばかりの前髪がくしゃりとなる。


「酷いこと?」


「そう。助けてくれたのに、『どうして助けたんだ』って」


 アイザックは父親に助けに来て欲しかった。父親から要請された警察でもいい。

 しかしそれは叶わなかった。彼は見捨てられたのだ。

 誘拐犯たちまでもアイザックを『役立たずのゴミ』と罵った。

 自分は親にすら愛されていない。誰からも要らない人間なんだ、と。

 自暴自棄になった彼は、ジャスティン・ジャスティスに向かって詰った。『父は僕を必要としてくれない。母は僕を愛してくれない。僕なんてこの世界から消えた方が良かったんだ。このままいなくなれば良かったのに、余計なことをしないで!』


 イライザはアイザックに辛い記憶を思い起こさせてしまったことを悔いた。

 その時の父の気持ちを考えると胸が痛む。

 自身もジャスティン・ジャスティスだったイライザにも経験があることだ。

 とにかく人の事情と言うのは様々で、困っているから助けてあげて、はい、さようならでは済まないことも多い。

 しかし、ジャスティン・ジャスティスは誰か一人だけを助け続けることが出来ないのだ。


「お父さまはあなたの気持ちをちゃんと分かっているわ。

あなたを助けたこと、後悔なんてしていなかったはずよ」


 事実を羅列しても仕方がない。イライザはアイザックを慰めることを優先した。少し躊躇しつつも夫の頭を撫でる。

 小さい頃、間違ったことや悪いことをして怒られた後に、父はそうしてくれた。叱りはしたが、決して憎いわけではない。イライザは嬉しい気持ちになったものだ。

 アイザックは膝に頭を乗せイライザを見て微笑む。「あの人もそうしてくれた」幼い彼も頭を撫でてもらっのだ。「そして、『世界が君を必要としているから助けたんだ』と言ってくれたんだ」


「――はぁ?」


「『君の両親のことは知らないが、世界は君を必要としている』って」


 イライザに向けられるアイザックの瞳が輝いている。彼はその言葉にいたく感銘を受けたようだが、彼女にしてみれば、さっぱりだ。


 世界が君を必要としている?

 それだけ? そんな陳腐な言葉で納得しちゃったの?


 イライザの頭の中は疑問符だらけになる。「そ……そうなの」

 対してアイザックは俄然、張り切り出した。


「そうなんだ! だから僕もジャスティン・ジャスティスになって、困った人たちを救うんだって決めた。僕はそのために生まれたに違いないから。

それからずっと表向きは“間抜け”を装うことにしたんだ」


「そうなのね」


「――変、かな?」


 イライザの当惑した笑みにアイザックは途端に意気消沈する。探るような瞳で妻を見た。


「い……いいえ! 違うの。

そう、私、心配になって」


「心配?」


「あなたからジャスティン・ジャスティスを奪ってしまったこと……」


 動機は単純だった。

 しかし、小さなアイザックとっては、それに縋り付くことだけが生きて行く希望だった。決して軽んじて良いものではない。

 イライザは咄嗟に言い訳しただけだったが、口に出してみるとその深刻さが身に染みてくる。

 アイザックは幼いながらも必死で自分を保とうしていた。腐ることなく、真っ当に誰かの役に立つことで愛して欲しいと行動したのだ。

 単純だと呆れた自分を責める。同時にアイザックを改めて見直し、それから改めて不安になった。


「僕は……あの時、君じゃなくジャスティン・ジャスティスを選んだ」


 寝室でも馬車の中でも、イライザのアイザックへの気持ちは変わらなかった。

 “間抜け”の自分を見ていてくれた。そして評価してくれた。あろうことか好意を抱いてくれた。

 しかしその時、彼は気づいたのだ。アイザックの中で本当の自分は“ジャスティン・ジャスティス”で“間抜け”の方ではない――と思い込むことで自負心を保っていたことを。”間抜け”のアイザックを一番、馬鹿にしていたのは自分自身だった。

 

「君は”ジャスティン・ジャスティス”は嫌いで、”間抜け”の方が好きみたいで……」


「あなたの“ジャスティン・ジャスティス”が嫌いな訳じゃないのよ!」


「うん……知らなかったんだ。お互いね。

君は僕のこと偽物だと指摘した。文字通りの意味でね。

だけど僕にはそれが”ジャスティン・ジャスティス”を否定しているように聞こえた」


 アイザックはどうあってもイライザに正体を明かせなくなった。知られれば嫌われてしまう。唯一、本当の自分を好きだと言ってくれた相手に。

 

 握りしめたアイザックの両手に、イライザがそっと手を添える。

 励ましのつもりか慰めのつもりか分からないが、先ほどからアイザックには刺激が強すぎる振る舞いばかりだ。


「君って……やっぱり悪女……」


「え……?」


 寸前で言葉を飲み込む。

 アイザックに限らずイライザは人に対して距離感が近いようだ。普通の女性よりも腕が立つ分、危機感が薄いのかもしれない。それが男を誤解させる。

 けれどもそれを口に出せば、イライザを侮辱してしまう。

 イライザがアイザックを単純で子どもっぽいと思ったことを言わなかったように、本心を全て打ち明ける必要はないはずだ。

 

「悪女だったら困るな、と思って。

だって警察側の人間じゃなかったら、他にジャスティン・ジャスティスを敵視するのは悪党たちだろう?

僕の正体を知ったら……悩ませて――しまう?

いずれにしろ君と一緒にはいられない」


「それで私ではなくジャスティン・ジャスティスを選んだのね」


「大きな間違いだったよ」


「――本当に!?」


 アイザックは勢いよく立ち上がり、イライザと反対の方に座り直した。

 長椅子の手すりに身を預けたイライザが離れた夫を不満そうに見たが、さすがに自分の振る舞いを省みたようだ。床に足を下ろし、乱れた裾を直すと、両手を膝の上に揃えると、ツンとして言った。「本当にそう思ってる?」


「思っている」


 バード警部が後を付けているのことには気づいていた。その中で、どうやって正体を隠したまま行動できるか。今回は下見で終わるかもしれない。

 そう思っていたアイザックだったが偶然にもロジャーに「ある女性を密かに王都まで連れて行って欲しい」と相談されたのだ。それがあの日、助けたことにした若い女性だ。

 彼はそれを理由にして、まずはジャスティン・ジャスティスとして潜入し、捕らわれた人々と接触した。

 すぐに逃げ出そうとする人々を一旦、押しとどめる。不満の声が上がったが、あの娘の兄も一緒になって説得してくれた。彼は賢く、捕らわれた人たちの中でも支持を受けていたので、最終的には納得してもらえた。

 それから“間抜け”のアイザックに戻って、わざと目につくようにノコノコと潜入し、捕まった。

 バード警部の疑いの目を逸らしたかったのだ。


「危ない真似をしたのね」


 長椅子の端からイライザが怒ったように言った。


「僕はいつもこんな感じだったんだ」


 アイザックはいつもどこか捨て鉢で、後先を考えないで動いていた。

 彼には帰りたい場所も、心配してくれる家族もいなかったからだ。おかげで無茶なこともできたし、判断に迷うこともなかった。それが功を奏していたともいえる。

 ――これまでは。

 縄で巻かれ、自分を殺す方法を相談する男たちを前に、アイザックは“ジャスティン・ジャスティス”になってはじめて後悔した。


「別れを切り出したのは僕の方からなのに、君に会いたくてたまらなくなっていた。

これを最後に“ジャスティン・ジャスティス”は辞めて、真っ当に生きようって。

そしてもしまだ間に合うなら、君とやり直すんだと」


「真っ当に……」


「そう“真っ当”にね」


 アイザックの顔に意味深な笑みが浮かぶ。彼はイライザも同じことを自分に誓っていたことを思い出したのだ。

 

「君の正体を確かめるために、なんとかして帰らないといけない。

まぁ、きっとバード警部が僕を追って来てくれると踏んでいたんだけど……」


「私が助けに行ったわ」


 宿で娘から事情を聞き、イライザはジャスティン・ジャスティスになってアイザックを探しに行った。

 

「真っ当になるんじゃなかったの?」


 移動の時もジャスティン・ジャスティスの扮装を持ち運んでいたイライザに、アイザックはからかうように言う。


「いざという時の為に必要でしょう? そして、いざという時だったじゃない!」


 屋敷の周りにはバード警部たち一行が隠れていた。

 イライザはほぼほぼアイザックの意図を察し、自分が代わりにジャスティン・ジャスティスとして派手に登場して見せた。

 その方がアイザックへの疑惑も晴れるというものだ。

 イライザに誘われて警察は屋敷に踏み込み、それが合図となって、捕らわれた人たちも一斉に逃げ出した。

 大混乱の中、アイザックも隙を見てそうするつもりだった。


 そして真っ直ぐにイライザの元へ帰るのだ。


「だけど君が迎えにきてくれていた。あの時と同じだね」


 あの時とは、アイザックの小さい頃のことだ。ジャスティン・ジャスティスが助けに来てくれた。


 どちらもまごうことなきジャスティン・ジャスティス。本物だ。


 バード警部と同じように、アイザックもジャスティン・ジャスティスの動きを知っている。何度も何度も思い返した“憧れの人”。


「私だって、すぐに分かった?」


「多分、そうだろうと思ったけど、はっきり確信したのは、やっぱりあれだったね」


 今度はアイザックがイライザの方に手を伸ばす。「肩を見せて欲しいんだ」

 

「見せたでじゃないの」


 宿の明かりは薄暗かった。ほとんど半裸の女が現れた場合、好色を抑えられない男たちは別の場所に注目するし、そうでない男たちは慎ましく目を逸らす。

 思えばイライザは夜会で窓の外へ逃げる時も、窓を開けたままにしていた。

 人は不思議とあけっぴろげにされていると、そこに何も隠されていないと考えてしまうようだ。

 もっとも『そういうところはあなたって、ちょっと怖いくらい冷静よね』と評されたアイザックは違う。彼はイライザの肩が赤く、腫れはじめてきているのを視認した。自分を庇って出来た打撲痕だ。そっと触ってみれば、わずかに身体が震える。薄いショールの上からも分かるほど熱を持っていて、ドクドクと脈打つようだ。


 バード警部の前で茶番を演じ、二人は同じ寝台で黙って眠った。

 それから沈黙のまま王都の家に戻り、この部屋で二人、意を決して自分たちの正体を白状しあった。


「僕は君の話を聞いて、もう一度、自分の在り方を考えた。

ジャスティン・ジャスティスは僕に同じようになれとは言っていない。

僕なりのやり方で、誰かの役に立つことができるはずだ」


「ええ……私、あなたならきっとそうできると信じているのよ」


「……うん。でもいきなり僕の人格が変わったら、バード警部だけじゃなく不審に思う人が出てこないかな?」


 イライザはクスリと笑った。


「結婚があなたを変えたのよ。

あなたは“間抜け”改め、おっかない妻に尻を叩かれて、馬車馬のように働く“恐妻家”になるの」


「それは……ちょっと……」


「やっぱり名のある正義の味方として皆に憧れる存在でいたい?」


「違う!

僕は構わないけど、君の評判が悪いままなのが嫌なんだ」


 今度はイライザがアイザックに長椅子の端に追い詰められた。痛む肩の反対側の手で押しとどめる。


「私は自分の評判なんて気にしないわ。私は“正義”の……いいえ、“あなた”の味方よ。そして、あなたが私の味方でいてくれればそれでいい。

あなたを必要としている世界に私がいるってこと、忘れないで」


 幼いアイザックが欲した愛情を、これからはお釣がくるほど自分が与えるのだ、とイライザは決意した。


「君って、やっぱり悪女だよね」


 アイザックは泣きそうになりながら言い放った。


「え?」


「だってさ、正義の味方を心変わりさせたんだから」


 そのままアイザックはイライザをそっと抱き締めた。ちゃんと痛む肩には触れないように。

 

「ありがとう。僕……もう行くよ」


 アイザックがイライザの頭を撫で、立ち上がる。


「待って! あの……灯りを消したら……いいわよ」


 緊張しているのだ。イライザは大きくため息を吐いた。


「何を?」


「もう! 許してあげるってこと!」


 「あ、ああ」とアイザックはようやく意図を悟ったが、いざとなると意気地がなくなる。

 明日にしない? と提案したいところだが、それではイライザを傷つけてしまわないか。彼はもう二度と、彼女を拒絶したくないのだ。


「じゃ……じゃあ……」


 イライザの寝間着に手を伸ばしかけ、思い直す。長椅子の上ではやりにくいな。その前に明かりを消さないと。……真っ暗になったら何も見えなくならないか?


「ごめん、あんまり慣れてなくて」


「あんまり?」


「いや……全然……です」


 ()って“間抜け”だな。

 とにかく寝室に運ぼうと、アイザックはイライザを抱きげることにした。


 と、甲高い音が聞こえてくる。独特の調子が呼び合う。


「バード警部!?」


 イライザが飛びあがった。


「痛っ!」


「ごめんなさい! でもバード警部が近くにいる!」


 自分はちゃんと撒いたはずだ。イライザは焦って窓の方に向かう。アイザックも続いた。

 しかし、こちら向かってくると思われた呼子の音は、方向を変えて遠ざかっていく。

 「良かった」とアイザックは胸を撫でおろすが、イライザはそうではない。


「もう一人、いるんだわ」


「誰が? あ、偽物?

確かに、君でも僕でもない“ジャスティン・ジャスティス”の活動があるね」


 名を騙る人間は何人もいた。しかし彼らとは違う。イライザともアイザックでもない。だが確かにジャスティン・ジャスティスの意思を継いだと思われるような活躍をしている偽物がもう一人いるのだ。 


 風に乗って聞こえてくる呼子の音色が激しくなっていく。どうやら偽物が追い詰められている。


「私、ちょっと行ってくる」


 イライザは再び黒ずくめの衣類を手にしよう寝室に飛び込んでいったので、アイザックは驚いて追いかけた。


「どうして!?」


「助けに行かないと!」


「偽物を!?」


 マントの端を握り合ったまま、二人は見つめ合った。


「僕の時は一回も来なかった……!」


「実は……もしかして、知っている人かもしれないの」


「え……」


「あの人、だから私が王都に行くのを反対したんだわ。私が父と同じ目にあうのを恐れたのよ。

それか自分が父の代わりになりたかったのかも」


「えぇ?」


 「とにかく行かないと。行って確かめたい」と言うイライザにアイザックは観念した。「じゃあ、僕も行く!」


「えぇ!?」

 

「僕だって“ジャスティン・ジャスティス”だったんだ。足手まといにはならない。

それに君をここで待っているなんて耐えられないよ!

君の肩の怪我はまだ癒えていない。心配なんだ」


 アイザックの懇願と説得にイライザは胸が熱くなった。これまではずっと一人で動いていた。

 それはそれで楽ではある。アイザックもそうだった。執着は思わぬ弱点となる。

 けれども愛する人がいるということは、それ以上に、自分に力を与えてくれるのかもしれない。


 イライザは頷いてみせた。


 じゃあ、一緒に行こうか。

 こちらは手慣れているアイザックは手早く黒ずくめの姿になる。


 そうして二人の夫婦としてのはじめての共同作業は闇に紛れていった。





おわり

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