3…現実は苦しいもの
キョトンとした顔でティアナが父親を見ている。
16歳になる来年あたりから婚約者を選定していかなければならないと説明を受けたところだ。
その中には国内で選ぶ際の暗黙の了解のような決まり事もあった。
「そう、なの」
「ああ。そういう理由で公爵家との婚姻は禁止されているんだ。良いね、ティアナ」
「そう……」
ティアナはいつもなら分かりましたと返事をするはずなのに、そうできなかった。
皇帝の執務室から出てから、そんな自分を不思議に感じ首をかしげたまま少し立ちつくしている。
すると突然、我に返ったように早足で歩き始め、長い廊下を焦るように自分の部屋へ進んでいく。
こんなにも廊下は長かったのかしら。
何で私は苦しいのかしら……
少し強めの風が横切ったのに驚いて、ティアナは乱れる髪を押さえて足を止めた。
1つだけ小さな小さなため息をついて、そしてポツリとつぶやいて。
「……悲しい」
え……?
自覚するよりも先に、言葉が口から出てきた。
見えない風を目で追って、ティアナは自分の中の感情を反すうするようにもう一度繰り返した。
「悲しい……」
誰にも聞こえないような小さな小さな声に出してみると、何だかすごく腑に落ちるのを感じた。
「そう、私、私……悲しいんだわ」
同時に、ティアナの目から大粒の涙がポロポロとあふれ出した。
悲しい。
いつか国外に出なければならないのが?
クロードが他の誰かと結婚することが?
何が悲しいのか定かではないけれど、悲しい。
悲しいということだけは、分かる。
ティアナは立ち止まったまま涙が止まらなくなってしまった。
「ティアナ様?! どうされましたか??」
周りのお付の侍女たちがあたふたし始めているのに、ティアナには珍しく周りを気遣うこともせず年相応な顔をして泣き始めた。
止めることのできない涙を、悲しさを、ただただ排出し続ける。
「少し……部屋で休みたい」
コンコン
扉をノックする音が聞こえたので、ティアナは枕から顔を上げてそちらの方へ視線だけ向けた。
「ティア? 入っても良い?」
聞き慣れているけれど、今は心を簡単に乱してくる声が部屋に響いた。
少し間をあけてからティアナがどうぞと返事をすると、そっと扉を開けながらクロードが遠慮ぎみに部屋をのぞいてきた。
「あれ? クロまた背が伸びた?」
ティアナはクロードの背が高くなっていることに驚いてそれところではなくなった。
思ったより普通に話せることに内心肩透かしをくらった気分にもなったけれど、それでもやはりホッとしながら目が合ったクロードに微笑んだ。
「うん、ちょっと体中が痛い」
「体中?! 可哀想ね……」
照れくさそうに笑っているクロードを、ティアナは今までに無い不思議な感覚を反すうしながら眺めている。
いつ見てもキレイな顔だと思ってはいたけれど、今日はなぜかどうしても見入ってしまうのだ。
「部屋に閉じこもって泣いてるって聞いたから……」
ティアナは困ったような顔で笑って肩をすぼめるだけで、あとはクロードを見続けている。
当のクロードは心配そうにゆっくりとティアナの方へ向かった。
「何があったか聞いても良い?」
「そんな大したことじゃないんだけど……」
「うん」
「…………」
改めて聞かれるとティアナは言葉が出なくなってしまった。
他のことでも言おうかと思案してみたけれど全く何も思い浮かばない。
ティアナはため息をついて、カーテンを見ながら早口で説明をした。
「そろそろ婚約者を選ばなきゃって言われて、条件を聞かされたの」
「え、こ婚約者?」
「色々決まりがあるみたいなの。公爵家とは権力のバランスを考えて禁止されているとか、隣接する国よりはもう少し遠い国とか」
「禁止? 遠い国……」
「私はいつか他国に嫁ぐの。クロと会えなくなっちゃう」
「そっか……」
10歳の少年にはどう声をかけて良いのか分からない内容で、言葉が出てこず戸惑うクロードの様子を見たティアナは少しの間動けなかった。
嫌だとか反対とかしてくれるかもしれないと期待していたのだろうかと、変に冷静な自分が自分をあざ笑っているようで余計にどうしたら良いか分からない。
肝心のクロードは目をそらして、あちらの方を見ているし……
今の自分の感情はどういったものなのか分かるはずもないと、ティアナは変に落ち着いている自分に気付いた。
今まで抱いたことのないこの感情は、理解できない未知すぎるもので、難解で、敵うはずもない問題だとティアナの頭が意思と関係なく判断しているようでもある。
いつもは考えていることが手に取るように分かるクロードの感情が全く分からないのだから、それに係る自分の感情も理解できるわけがない……
「だから、ごめんね。少し休みたいから……出ていってくれる?」
ティアナが精一杯の声でお願いをすると、驚いた顔をしたクロードがティアナの方を見た。
出ていってなんてティアナに言われるのが実は初めてで、ショックを受けて動揺しているのがよく分かる。
それをフォローする気になれないくらい、今のティアナには余裕なんて無い。
「……わかった。えっと、じゃあ、また」
クロードは気まずそうにゆっくりと扉の方へ進み始めた。
その後姿を見ながら、ティアナはベッドへ潜り込んだ。
「うん……またね」
扉が閉まる音が聞こえた途端に、再び涙がポロポロとあふれてきて、ティアナは胸が苦しくなった。
真っ暗な世界でただ1人、自分のか細く泣く声だけが聞こえてくる。
辛い。
誰か助けて。
何でこんなに苦しいの。
ティアナが自分の恋心に気付くまで、あと少し。




