15…アカシアの花言葉を
連日の雨が上がり、空気も良い晴天の日がやってきた。
鳥たちは嬉しそうに歌い、虫たちも忙しそうに飛び回っている。
クロードがそんな庭園の様を眺めながら皇城の廊下を歩いているのは、学園の授業後に父親のビアンキ公爵に呼ばれ、執務の手伝いと言う名のパシリをさせられているからだ。
「都合良いように使いやがって。よりによって……」
つい心の声がもれてしまい、周りを見回したその時だった。
「ええっ?! 姫様とあちらの皇太子がキス?!」
クロードは自分の息と思考が一瞬にして止まったのが分かった。
「私も聞いたわ。本当なの?」
「無理やりされてたららしいわよ」
姫様が可哀想だとか、弱気より強引な方が良いとか、従者たちがクロードに気付くことはなく井戸端会議はそれはそれは大盛り上がりだ。
よりによって、ヴァリン皇太子のもとへ外交に係る書類を届けに行っている途中なのに。
感覚も戻らないまま、止まった息を再開させ歩みを進めた……
淡々と書類を渡し、説明も滞りなく済んだので、クロードはさっさと戻ろうとしていた。
「待て。お前はティアナの何だ?」
ヴァリンの挑発でもあるその問いに、クロードは一瞬動揺しながらも精一杯の冷静な顔色で正面を向いた。
「……おっしゃりたいことが分かりません」
「ただの幼なじみだと言えば良いだけのところだ」
「確かにそうかもしれません」
「かも、じゃなくて、そう、なんだよ」
「はぁ、そうでしょうか」
「ビアンキ小公爵、お前はティアナのただの幼なじみだ」
先ほどからまともに考えることもできない中、挑戦的な態度や眼差しをヴァリンがためらうことなく向けてくるので、穏やかなクロードもさすがに表情が崩れてきている。
バンッ
勢いよく開いた扉とともにクロードが迷いなく足を進めた。
「申し訳ありません、ソレイユ皇太子殿下のもとへは出禁になりました。今後は他の者を向かわせて下さい」
クロードが今まで見せたことのない無表情で、よりによってそんな内容を父親であるビアンキ公爵に報告する姿は非常に珍しく、周囲の視線を総集めにした。
怒りでどうにかなってしまいそうな自分をコントロールするのに必死で、そんなことには気付くこともなく、クロードは正面の父親を射殺すかのように見据えている。
「クロ」
愛おしい声が聞こえた。
とりあえず庭園に行って頭を冷やせと言われ、クロードはうなだれて座っていた。
気付けばもう日も沈んでいる。
「クロ?」
もう一度聞こえてきた声に、驚いてビクついてしまった。
夜風に揺れているきれいなはずの草花が自分をあざ笑っているように見えてしまうくらい、心が荒れているのだということは分かるけれど。
呼ばれた声に、どう返して良いのか分からず返事ができない。
きっと心配した父親が報告がてら自分の状況を話したのだろうと予想はできた。
「クロ。出禁になった、の?」
「……ああ、うん。らしくないことをしたとは思う」
「そう……」
「父には申し訳ないけど」
難しそうな顔をしたクロードは、やっとティアナの方を見て、目が合うと苦笑いした。
きっと今頃父が尻拭いをしているだろうとため息をついた。
ティアナはいつもと違うクロードを見て、何かがあったに違いないということは分かったけれど、クロードが言い出さない限り詳しく聞いてはならないと自分に言い聞かせる。
ただ予想がつくことはある。
「……ヴァリンが失礼なことを言ってきたのね」
「あー、いいや。きっと俺が……焦ってたんだと思う」
「焦って?」
「ティアが、あいつとキスしたって聞いたから」
ティアナはギョッとした。
動揺を隠しきれないまま、自分から視線を外していないであろうクロードの方を恐る恐る視線だけ向けてみる。
自分がどんな表情になっているのか全く分からないまま……
知られてしまった。
1番知られたくなかった相手に。
クロードは傷付いた表情でティアナへ視線を返した。
「……ああ、そっか、本当なんだ」
この世の終わりのような顔をして、伏せ目がちになっていくティアナ。
「ごめん、なさ……」
「何で謝るの」
「なん、で」
「無理やりされてたって聞いた」
「そう、です……でも」
「でも?」
「それでも、事実だから」
もうクロードを見ることができず、ティアナは視線が定まらない。
諦めたような、愛おしいものを見るような、矛盾を持て余している表情のクロードが、微動だにせず冷静にティアナの前にいる。
「……ごめんなさい」
「さっきから何で謝るの?」
「クロが、何か、怒ってるから」
「好きな人が、他の男とキスしたって聞いたら……平気でいられるわけないだろ」
え?
「嫌だったから」
好き?
「ティア? 聞いてる?」
クロが?
「ごめん。迷惑だったよな」
私を?
本当に?
ティアナはハッと我に返って、顔を上げてクロードを見上げた。
ずっとティアナを見ていたであろうクロードが、申し訳なさそうな顔をしているのを見て、胸が苦しくなっていく。
「でも、クロは、前、好きな人は、高嶺の花だと、言っていたわ……」
諦めたように苦笑いしながら、クロードはティアナをまっすぐ見つめた。
「うん、だからティアだよ」
少し間をおいて、クロードがティアナの両手をそっと大切そうに自分の両手で触れた。
「わた、し……」
両手を取られてしまい逃げ場をなくされたティアナは、クロードの真剣な眼差しから目を離せなくなっている。
手を離してはくれないし、ティアナからの言葉を待っているようにしか見えないクロードを目の前に、最後には誠心誠意応えるしかないと決心せざるを得ない。
むしろそんな機会を与えられたことが良かったのかもしれないと、そう思いながら……
目を閉じ、少し震えながら深呼吸をゆっくりした後クロードを見上げると、込み上げてきた想いを抑えきれないティアナは泣きそうな顔になった。
「1度しか言わないから。言えないから。私には内定でも婚約者がいるから、ダメだって分かってる。そんな、立場なの……に」
ティアナは目線が落ちてしまったけれど、もう一度だけ頑張って息を整えて、正面を向き顔を上げてクロードの目をまっすぐ見た。
そして、ゆっくり、ゆっくりと自分の気持ちをクロードへ伝え始めた。
「私はずっと前から、クロが好きよ」
「私を好きでいてほしいとか、そんなこと言える立場ではないのは分かってるの」
「クロに婚約者がいつかできることも分かってる。だから、クロに婚約者ができたらすぐ教えてほしい……すぐ国を出るわ」
再び伏せ目がちになったティアナは、繋いでいたクロードの手を強く握った。
少し震えているように見える強く握ったそれは、離してほしくないと言っているようだ。
「きっと耐えられない」
ティアナはポロポロとこぼれ落ちる涙に気付いていないのか、拭うことすらしない。
繋いでいた手をそっと離して、クロードはそれらを愛おしそうに指で触れた。
「そっか……ティア、ありがとう」
クロードが何かを決意したようにつぶやくと、そのままそっとティアナのほおに手を当てた。
顔に触れられただけなのに、まるで心をわしづかみにされたような感覚がして、ティアナは驚いた顔をしてクロードを見上げた。
「次はいつ言えるか分からないけど、言えないかもしれないけど、ずっとずっと私はクロが好き。変わることはないわ。ずっと……」
月明かりを受けた最後の一粒が頬をきれいに落ちていく。
あ、クロの顔が、近い。
お互いの唇が付くまで近付いたことがなかった2人は、ぎこちなく少し離れた後もどこを見れば良いかも分からず視線は落としたままだ。
けれど、また視線が合うと同時にどちらともなくもう一度そっとお互いに近付いて、確かめるかのようにまたキスをした。
月明かりが2人を照らし、この世界にたった2人きりのよう。
でも、夜が明ければ再び日常が始まる。
「時間が止まれば良いのに……」
ティアナは月を見上げてポツリとつぶやいて、自分の頬にあるクロードの手をそっと確かめるように触れた。
近くでアカシアが花をつけて揺れている。
花言葉は……"秘密の恋"




