12…年下の幼なじみ
いつかクロは私ではない誰かと婚約したり結婚したりする。
その姿を目の当たりにする日が訪れるかもしれない、そう考えただけでティアナは胸の奥が押し潰されそうになって苦しくなった。
先ほど、クロードの婚約者選びが始まるかもしれないと小耳に挟んでしまったのだ。
気まずそうに父親が言ってきた時は蔑んだ目で見てしまいそうになったけれど、少しにらむくらいに留めておいた。
「なかなか、きついわ……」
歩きながらも皇族らしく重ねた両手をいつもより力を込めて握りしめながら、立ち止まることのできない回廊を侍女を連れて少し早歩きで進んでいた。
幾人もの宮仕えたちが真面目そうに歩いていて、立ち止まってティアナへ会釈をして通り過ぎる。
私とクロは年も離れ過ぎているし、家柄としても婚約も結婚もできないのだから、そういった未来が予測できたはずなのに……
自分の気持ちがどういうものなのか考えないように必死に過ごしてきたからか、思考が拒否していたからか、そこまで考えが至らなかったのだ。
呆れるほどに見通しの甘い自分に絶望を抱きながらも、いつも通りの優しげな表情を作る。
誰もティアナがそんな状態だなんて思いもしないのは、やはり皇族教育の賜物だ。
クロードの話の後に、一変してこの世の終わりのような顔になった父親からティアナの婚約についての話もされ、どこぞやの国に嫁ぎ両国関係を強固に云々と長い話を聞かされたはずだった。
しかし、心此処にあらずだったティアナは内容を全く覚えていない。
ただ苦しそうな父親がブツブツと何かをつぶやいている光景しか思い出せないのだ。
ああなると、かなり面倒くさい。
ティアナが出ていくと皇帝と2人取り残されてしまうという宰相の姿に同情を感じながら扉を閉めたのを思い出した。
残酷なほど気持ちの良い陽の光が差し込んでいる廊下を、ティアナは合わない視界でとらえていると、どこからか人影が追い付いてきた。
「ティアナ姫」
現実が逃がすまいとしてくる。
大好きな声にティアナは一瞬ひるんでしまったけれど、いつも通りに振り返った。
相変わらずの人懐こい雰囲気の笑顔を、何も知らない彼は振りまいてくる。
もう勘弁してほしいのに。
何て私の好みドンピシャな容姿をしてるの……
「ごきげんよう、クロード」
ため息を飲み込んで、ティアナはよそゆきの笑顔を作った。そう、作ってしまった。
その上いつもはしないはずの、お硬い挨拶までもしてしまった。
クロードは、長身で細身な上に美形の容姿で、それが中性的な清らかさを見せるからだろうか、近寄りがたい美男子として人気が高い。
今も廊下を歩いている女性たちがチラチラとこちらをうかがっている。
そんなことはつゆ知らずのクロードは、ティアナの返事を聞いて少し眉をひそめて、でも申し訳なさそうにティアナの機嫌をうかがうように目を合わせてきた。
「……忙しかったですか?」
いつからか表ではティアナに敬語を使い始めたクロードに、ティアナはまだ少し寂しさを感じる。
距離をとられているようで妙に胸が痛い。
「いいえ、大丈夫よ、クロ。今日は公爵の付添いで来たの?」
ティアナが動揺を取り戻そうと必死に口を開いて笑顔をむけると、クロードはいつも通りの愛称で呼ばれたことに少し安心した顔つきになった。
「そうです。今は少し時間が空いたんで……だから、ティアに会いに行こうかと思ったんです、けど……何か嫌な事でもありましたか?」
核心を突いてくるクロードにティアナは驚愕するのを必死に隠しているが、きっと隠しきれていない。
「え、な何で、そう思うの?」
「いや、何かよそよそしくて。笑い方も、いつも使わない言葉も」
何も事情を知らないクロードは、数年前にティアナを軽く超えた背をかがめた。
もうティアナが10才の頃から12年もの仲だから、見破れて当然という顔で覗き込んでくる。
ティアナの2才年下の弟つまり皇太子を含めて3人で、家庭教師の授業も、ピクニックも、社交デビューも……思い出せないくらいのことを共にしてきた。
クロードはティアナより5才も年下だけれど、幼馴染に隠し事は難しいのかもしれない。
最近は妙に大人っぽくなってきたし、感が良い。
クロが好きだから他国への輿入れは嫌だなんて、当の本人に言えるわけないでしょ……
ティアナはフゥッと短いため息のようなことをして、年下だけどかなり見上げなければならないクロードを、いたずらっ子のような顔をして見た。
「可愛い可愛いボルザークに会いに行こうと思って」
ボルザークは皇城預かりになり広い部屋をあてがわれ、それはそれは優雅なヤギ生活を過ごしているらしい。
「ははっ、俺も一緒に行きます」
クロードもティアナの目を見て、こちらもまた同様に笑った。
すぐに2人の会話はいつもの調子に戻っていく。
これで良いの。
何もなかったように、いつものように笑っていたい。
大好きなクロとの、この関係を壊したくない。
あと少ししか隣りにいられないのなら、尚更何も壊したくなんかない。
しかし気持ちを整えて落ち着いたと思っていた時に、だいたいそれは起こるのだ。
「ビアンキ小公爵様の婚約者候補は数人に絞られたのね」
休憩中の従者たちのおしゃべりが聞こえてきた。
ティアナはどう反応したら良いのか分からなくなって、歩きながらそっとクロードの方を見た。
「……僕は知らなかったですけど」
顔色を変えることなく目も合わせず返事をするクロードの横顔を、ティアナはしっかり見ることができない。
嘘、クロは知っているわ。だって今しがた私も聞いたもの。
クロに婚約者があてがわれようとしていることを。
打診があったことを。
でも、知らない振りをしないと、私が息ができなくなる。
視界が狭まっていくのを感じながら、ティアナは遠くへ意識を向けた。
時折、心地よい風が吹いているが、2人とも気付いていない。
この静寂の後の慟哭のような時間をどうすれば良いか、焦りのような諦めのような気持ちで。
ティアナはクロードの存在を近くに感じながら、それでも隣りにいるという今を喜んでいる自分を自覚して、恋とは狂気だなと自嘲した。
何で一緒にいるだけでこんなに嬉しいの。
ずっと側にいたい。
あなたの1番になりたくなる。
でもダメなことよね。
それでも私が良いと言ってほしい、そんな自分が浅ましくて嫌い。
あなたは私に恋愛感情など持ち合わせていないのだから、決して現実的ではないと分かっているのに。
「……おめでたいことね」
ティアナの小さな声がこだました。
声が小さすぎたのだろうか。
クロードはまだ遠くを見たままで、返事をする気配はない。




