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10…ボルザーク(4)その名は


気付かなかった……


自分の胴が離れていくのが見えて、意識がなくなっていくのを感じながら、セリーヌの想いはユスラへの心配しかなかった。



「ご、めん、ね……」


私死んじゃうのね

恐い……


そして最後の視界に映っていたのは、絶望して声も出せず2つになった自分を抱きしめようとしているユスラだった。


ああ、

ごめんなさい

泣き虫だから心配よ……

あなたを残して逝くのが恐いなんて

どうか許さないで

そしてどうか生きて

また会いたいから

大好きなの

愛しているわ









「ティア!!」



ティアナはハッと我に返り、横たわっていた上体を起こして声のした方へ振り向いた。


目が合ったクロードが青ざめて次の言葉を出せないでいる。

ティアナの雰囲気が彼女のそれではなく、セリーヌのものに見えたからだ。


状況をつかめないのか目が虚ろのティアナ。


「どうして……」


自分は先ほど確かに斬首されたはずなのに、なぜ無事なのか不思議に思いながら、ゆっくりと首を触った。

その瞬間を、感覚を、覚えているのが何にも表現し難い。


「私は……」

「ティア?」


クロードは恐がりながらもティアナを呼んだ。

もしかしたらセリーヌと呼んだ方が返事があるのではないかという考えが、なぜか一瞬よぎってしまったけれど。


「…………クロ」


やっと安堵できたクロードは深くため息を吐いて、ティアナに手を差し出してゆっくり立ち上がらせた。


「大丈夫か?」

「私の、名前は……」


今度はティアナが青ざめていく。

先ほど「ティア」とクロードに呼ばれて、一瞬誰のことか認識できず返事をするつもりもなかったことを思い出し、何よりも恐怖に思えたのだ。



やっとティアナとクロードが周りを見る余裕ができたのだが……

辺り一面草花だけの広い広い草原に、ティアナとクロードの2人がポツンと佇んでいる。

遠くの方まで見ても他には何も無いのだ。


「何か……いるわ」

「え……ああ、あれか? 何だろうな」


クロードが目を凝らしていると、どんどん接近してくるそれが見えてきた。

思わず2人が後退りするほどに。


「……ヤギ、か?」

「ヤギ? 何でヤギ?」

「いや、俺も聞きたいけど!!」


白いヤギがすごいスピードで走って突進してくるのだ。

恐くなった2人は走って逃げているのだが、ヤギがとにかく早い。


「はぁ?! 何なんだ?!」

「迷いなく来てるっ」


一心不乱で自分たちを目がけて来るヤギに恐怖しかない。


「何で俺たちなんだ?!」


もう触れるくらい追い付かれてしまっている。


「待っっ」


ティアナが目を閉じてうずくまりそうになると、クロードはティアナを自分の方へ引き寄せてかばうように抱きしめ目を閉じた。



ドンッ!!!!



(ドゴウノモノ)



「え? あれ……痛、く、ない? 無事だわ」

「ドゴウノモノって聞こえたな……」

「クロも聞こえたのね。ドゴウ? 土豪? 何かしら」


ティアナとクロードは恐る恐る目を開けて、周りを見渡す。


「あれ?」

「ここは……」

「戻って、る?」

「ああ、戻ってる、な」


いつもの見慣れた皇城の部屋にいる。

2人で壁の穴を振り返ったけれど、そこには9つの穴がある。

ここは確実にティアナの部屋だ。


「何だかすごく懐かしい……」

「旅から帰ってきた感じがするな」


ティアナもクロードも肩の力が抜けたのか、ゆっくりとソファへ向かってドサッと座り込んだ。


すると、なぜか猫の姿に戻っているルイがバツが悪そうに2人へ近寄ってきた。

 

「あ、ルイ!! 待たせてごめんなさい」

「? 何も待ってねぇよ?」


「え……時間は、経っていないの?」


「らしいな」

「あっちに行く前に、何があったかしら」

「……あ、俺こいつに噛み付かれたな」


ルイはビクッとして視線だけでクロードを見上げると、クロードは全く気にしていないと手を振った。


「!! クロ、あれってもしかして」


ティアナが指差した部屋の隅には、先ほど向かってきていた白いヤギが見える。

しかし様子が違い、ぐったりと地面に突っ伏しているのだ。

ヤギの状態を確認しようと、ティアナとクロードは恐る恐る近付いていく。


「し、死んで……?」


そうティアナが言い終わろうとした時に、横たわっていたヤギがゆっくりと上体を起こしヨイショと立ち上がった。

ルイが猫らしくシャーシャー威かくをしている。


「ちょっとぉ、私は生きてるわよ」


ハスキーな低音ボイスが聞こえてきた。


ひゃっという小さな叫び声を上げて、ティアナは逃げようとしたが服が引っ張られていて動けない。

恐る恐る自分の背後を振り返ると、ヤギがティアナの服の裾をしっかりとくわえている。


「待って待って、ヤギはしゃべらないわ」


そう言って頭を抱えたティアナを見て、白ヤギはため息のように鼻を鳴らした。


「あら先入観だわ。その猫もしゃべってるじゃない」


服をくわえたまま話をする器用な白ヤギの口元をまじまじと見ながら立ち尽くしているティアナ。

ルイは今はますますシャーシャー怒っている。

背中の毛を総動員して逆立てて。


「でもルイは特別なのかと……」


ルイとヤギを動揺しつつ交互に見比べながら、独り言のような返事をした。


「特別な猫がいるなら、特別なヤギがいても良いでしょ」


そうかしら……とティアナは首をゆっくり傾げながら、まだ自分の服をくわえて離さないヤギと目を合わせた。

ヤギの横長の美しい瞳に吸い込まれそうになりながらも、想定しようもない出来事にワクワクしてしまう自分の性分に少し飽きれている。


「なんだかヤギって、独特な臭いがするわね?」

「しょうがないでしょ、オスなんだから」

「……え、オス」


クロードはティアナの服をヤギの口から手荒く奪い返した。


「去勢するか」

「何言ってんの?! やめなさい?!」

「ところで何でここにいるんだ?」

「……言えないのよ」

「ケチ臭いんだな」


白いヤギはものすごい苦しそうに口を開けようとしている。


「……ものすごい顔してるわ」

「気持ち悪いな」

「…………言えなくなってるのよ。まぁ言えたとしても? 失礼なお前には! 絶対! 教えてやらないわっっ」


クロードは生まれて初めて真正面からあからさまな敵意を向けられた。

しかもヤギに。

ルイといい目の前のヤギといい、なぜこんなにも理不尽な物言いをされなければならないのかと青筋が浮かんできたクロード。


「どうして言えないの?」

「私たちを封印した子がやったみたいね。ああああ、小賢しい奴だわ。本当に」


文句を言いながらも、なぜだかヤギは嬉しそうにしている。


「あなたに、お名前はあるの?」

「あるわよ。ボルザークっていうの」

「えっ……ボルザーク」


先ほど会った神と同じ名前で、その上話し方まで同じヤギを目の前に、ティアナもクロードも言葉が出てこない。


「ところで、お前たちは何をしてたの?」


どう説明して良いのか、ティアナとクロードが目を合わせて迷っていると、ボルザークはフンッとため息のように鼻を鳴らした。


「まぁ、誰しも言いたくない事や言えない事はあるわよね……で、お前たちが私の世話をしてくれるの?」

「しない」

「何、即答してんのよ」


ティアナがクロードとボルザークの掛け合いにクスクスと笑っていると、クロードが悩み始めた。


「従者の誰にしようか……ビアンキ家ので大丈夫かな」


ヤギはヤギでも、神かもしれないヤギを任せることになる。

責任は重大だが、誰が信じてくれるのだろう。


ティアナとクロードが歩いていると何やら注目を浴びていることに2人は気付いた。

しかしそれは自分たちへ向かっていないので不思議に思い、お互い目を合わせてから皆の視線の先をたどると、ヤギが偉そうに歩いている。


「まぁ、そうだよな。皇城にヤギだし」


クロードの言葉にティアナが静かに笑う。


2人の後をヤギが付いていく。


トゥーラン皇国に崇められている神のうちの1人、ボルザークの名前と記憶を持つヤギが。




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