第四話
先輩は結局退部してしまったが、その先輩が期待した相手である俺は、より一層活動に力を入れるようになった。
でも、今改めて考えると、俺は先輩の名前も知らないのに先輩のために活動している。それは少し不自然だ。
先輩の名前を知らないというか、覚えていないだけではあるけれど……。
「辞めちゃった先輩って、名前なんでしたっけ」
俺は別の先輩に訊いた。他の先輩も、よく俺の質問に答えてくれるし一緒に考えてくれる。優しい先輩だ。
「徳川鈴花。あんな仲良かったのに、名前知らなかったの?」
意外そうな表情で先輩は笑う。
「先輩の名前、一人も覚えてないです」
「……じゃあわたしも自己紹介するね。結城白。よろしくね」
「白先輩ですね、よろしくお願いします」
白先輩に挨拶だけしてから、俺は一旦部室を抜け出す。
目指すのは、プール裏の緑地。運が良ければ、そこに先輩が残っている。
そしてどうやら今日はラッキーだったらしく、先輩が座っているのを見つけられた。
「先輩」
「……葵くん。部活は?」
「先輩がいる部活のほうがいいので、抜けてきました」
「わたしは、戻らないよ」
「でも俺は戻ってきてほしいです」
やっぱり、自我は出していかないと伝わらない。
「先輩、小説は嫌いになったんですか」
困惑と、戸惑いと、それから決意。
「――うん」
一言の返事に込められた重みは、俺を押しつぶして余りあるくらいだ。
「……出直してきます」
今日、これ以上先輩の顔を見ていられる気がしなかった。
先輩は、小説が嫌いになったと言った。
「本当、なんですか……」
一人呟く。
うん、とたった一言口に出すのにかかった時間、その時の見ていられないほど歪んだ表情。
それが俺の期待なのか、先輩の気持ちなのか。
部室に戻ると、白先輩が出迎えてくれた。
「どうだった?」
「変わりませんでした。しかも、小説が嫌いになったみたいに言われてしまって」
白先輩は、俯いた。
「涼花……」
先輩も、なにか思うところがあるのだろう。
「わたしも、涼花と話してくる」
それだけ言って、白先輩は走り出してしまう。
「涼花先輩は、プール裏にいましたよ!」
俺が白先輩に叫ぶと、遠くから感謝の声が聞こえた。