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7 アメリアの手紙

 セデス沖の海上は激しいアナトリア軍とガラティア軍の船が入り乱れ、混戦になっていた。しかし、数で勝るガラティアの船が集まらないようにアメリアが魔法でコントロールしていたので、アナトリア軍は順調にガラティア船を減らしてゆき、無数の船の中から、ブライアンの乗っている船を見つけることができた。


 盛んに吹き鳴らされるラッパの音で、サジュームはブライアンがアナトリア兵たちによって討ち取られたことを知った。味方の船に喜びが伝染してゆくのが分かった。

(アメリアは!)

 サジュームは真っ先に岬の方を見やったが、そこにはもう人影はなかった。


「リア!」

 サジュームは最後の力を振り絞って、岬の先に跳んだ。

 そこは、先ほどまでアメリアが両手を空に上げて、神のごとく風と水を操っていた場所だった。今やその姿はどこにもなく、ただ海風が吹きすさぶに任せる草木と岩石があるだけだった。

「どこだ、リア。どこだー!」

 サジュームの咆哮は風にかき消され、ますます高まるラッパの音が足元から響くのだった。


 その日の夜、セデスの港は勝利に沸いていた。港町は店だけでなく道にも下級兵士や漕ぎ手たちが溢れて酒盛りをしている。そこでもあぶれたものは、船の上で飲んでいた。この日の戦いは、ペリクレスの魔女の守護のもとアナトリア兵が一丸となって敵を打ち破った日として後世まで語り継がれることになる。


 セデス城の広間では、アーク王の前で貴族の上級武官だけでなく大勢の一般兵士が入り乱れて祝杯を上げていた。

 しかし、その場には戦果に多大な貢献をしたペリクレスの魔女はいなかった。それだけでなく、魔法使いのほとんどが祝宴に参加していなかった。マリウスとシンシアだけが体裁を整えるためその場にいたが、その表情は他の者たちに比べ晴れやかではなかった。


 そしてもう一人浮かない顔をしている者がいた。ガイウスだった。

「何か分かったか?」

 ガイウスがマリウスに近づき訊いてきたが、マリウスは顔を横に小さく振るだけだった。

 セデスの海上戦が決着したとき、アメリアが忽然といなくなってしまったのを知っているのは、この場ではこの3人だけだった。サジュームは魔法使い全員にセデス中を探す命令を出し、サジューム自身も船を出して岬周辺を半狂乱で探している。


「リアが落ちたのを見た者はいないのだろう?」

 小声でガイウスがマリウスに言うと、マリウスは小さく「はい」とだけ答えた。

「だったら、もう連中を引き上げさせろ。俺が言ったと言えばいい。リアが本気を出したら誰にも捕まえられん」

 ガイウスはマリウスにそう言って、大きくため息をついた。

「陛下には?」

「まだだ」

 ガイウスはそう言い捨てると、再び人の輪の中に戻って行った。


 夜が明けて、やっとサジュームが帰ってきたと知らせが来たのでガイウスが会いに行くと、彼は真っ青な幽鬼のような顔をしていた。

「ひどい顔だぞ。これを飲んで寝ろ」

 ガイウスは、暗い執務室でふさぎ込んでいるサジュームにワインを差し出した。

「私は…、私はどうすれば良かったのでしょうか」

 机の上で頭を抱えるサジュームからすすり泣く声がした。ガイウスは、その痛ましさに

(見てられんな)

 と目を背けた。


 サジュームがこれほどまでに狼狽して憔悴しているのをガイウスは見たことがなかった。15年前森に逃げ込んだときも、望んだように味方が増えないときも、いつも落ち着いていた彼がまるで捨てられた子どものようにすすり泣いていた。

(そうだ。我々は捨てられたのだ)

 ガイウスはサジュームのために注いだワインを、一気に飲み干した。


 その翌日だった。セデスの町はずれの漁村から若い娘に小屋を貸していたという情報がもたらされた。

 その漁村の村長が言うには、小屋の借り賃にこの辺りの寒村ではありえない額を一度に支払ったことから、どこか裕福な家の娘が駆け落ちの準備のために使っていると思っていたそうだった。そして、不思議なことに娘の髪色は濃い茶色だったにも関わらず、部屋に残された髪束は明るい小麦色をしていたと。髪束と一緒に複数の手紙が置かれていたことから、その娘が自殺を図ったのではないかと村で大騒ぎになったのだった。


 その髪こそ、アメリアの柔らかなハニーブラウンの巻き毛であり、手紙はアークとガイウスとサジュームにそれぞれ宛てて用意されていた。

 それらを、セデス城の一室でアークとガイウスとサジュームが囲んでいた。

「陛下、読みますか?」とガイウス。

「お前たちは読んだのか?」

 アークも青い顔をしていた。アメリアがいなくなったと聞いてから寝ていなかった。

「…はい」

 とガイウスが代表して答えた。


 アークは自分宛の封筒を掴むと、明るい窓際まで持って行きそこで開いて読んだ。

 部屋の中の重苦しい沈黙を破るように、くしゃという音がした。その方を見るとアークが手紙を握りつぶしていた。

「なんと?」

 ガイウスが逆光の影の中のアークに訊いた。

「まずは悲願達成おめでとう、と。そして、アメリアの名を付けてくれてありがとう、と…」

 アークの表情は分からないが、かすれた声は絶望で満ちていた。


「なんで名を捨てるんだ!なにが、おめでとうだ!」

 急に激高したアークが壁を殴った。ガイウスがそっと近づきアークを壁から離した。そのガイウスに寄り添うようにアークは泣き出してしまった。

 ガイウスの手紙にもサジュームの手紙にも同じようなことが書いてあった。勝利のお祝い、育ててくれたお礼、そして名を捨てることを。

「なんでなんだ…リア。これからじゃないか…」

 アークの絞り出すような声に、ガイウスも全く同意であった。


 ガイウスは、アークをゆっくりと椅子に座らせると自分も隣の椅子に座った。

 そうして男3人、暗い部屋で沈黙してどれだけ経っただろうか。冷静になったアークが口を開いた。

「サジューム。リアが行く先に心当たりはないか?」

「…分かりません。申し訳ありません」

「よい。謝るな」

 項垂れるサジュームに、アークはその膝を叩いた。

「私が悪かったのだろう」

 アークは独り言のように漏らした。「あれをひどく泣かせてしまった」と自嘲気味に言った。

「誰が悪いということではないかと」

 とガイウスは否定したが、アークは

「あんなことをして。私はどうかしていた」

 と言った。そして、「あんなに泣くなんて…。あんなに弱々しい存在だったのだな、リアは」と続けた。

「そもそも赤子のときから風格がありましたからな」

とガイウスが漏らした言葉に「そうだよな」とアークが同意するので、3人とも思わず含み笑いをしてしまった。それも一瞬で、皆すぐにアメリアを失った悲しみに沈んだ。


 それから誰が言うともなく、隠れ家にいたころの話になり、3人ともそれぞれのアメリアの思い出を噛みしめていた。

 その場にいなくとも、3人の心を繋ぐのがアメリアの力であることを彼女は知らなかった。


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