5 アメリア仕官
3月のうららかなある日、ペリクレス辺境伯の城のダイニングルームでは、使用人たちが晩餐の準備で忙しく動きまわっていた。ダイニングテーブルには、ペリクレス領の山間で群生している八重の水仙とその花の黄色を引き立てるスミレの花がふんだんに飾られている。ダイニングルームの大きな窓からはプハラ山脈がよく見えた。
プハラの山稜に日が傾くころ、その窓の近くでダルトンともう一人、理知的で美しい顔つきの男性が立って雑談をしていた。彼は、銀糸で重厚な刺繍を施した黒色の長いベストを身に着けていた。首元にスカーフを品よく巻いている。彼は、アメリアを王宮に連れて行く任を任された次席王宮魔法使いのマリウス・アクィナスであった。
今夜の晩餐は、アメリアが王宮に出仕する門出の宴であった。
一年前、王都はついに陥落し、アークは王宮に入ることができた。アークの宿敵であるブライアンは、混乱に紛れて逃げ延びていて現在所在は分かっていない。ドゥランテ海峡挟んで向き合っている隣国ガラティアに逃げたと思われるがはっきりしていなかった。
数カ月前にアークは戴冠式を終え、ついにアナトリア半島はアーク王のもとに統一されたのだった。
そんな戦乱から落ち着きを取り戻しつつあるころ、アメリアはその能力から王宮魔法使いになることを打診されたのだった。ほとんど王命に近く、断ることなどできなかった。
日が傾くにつれ、次々とダイニングルームにペリクレス家の人々が集まってきた。ダルトンの弟ケインや、妹のサリアとその夫アダム、そして老いてもなお勢いの衰えないブルーノとその息子トニ・ペリクレス辺境伯が部屋に入ってきた。
皆がテーブルについて軽い談笑をしていると、静かにダイニングルームの扉が開いた。トニの妻、コーネリアがアメリアの手を引いて部屋に入ってきた。
(まるで、婚礼衣装だな)
そのアメリアの姿を見て、マリウスは思った。純白のレースを肩にあしらったドレスはその裾に向かって淡いレモンイエローのグラデーションになっている。その水仙を思わせるイエローも、アメリアの工夫が生み出した色だった。
明日の門出を控えた少女は、ドレスの華やかさとは打って変わって暗い表情をしている。家族から話かけられると笑顔で何か答えているが、その笑顔がときどき泣いているようにさえ思える。
(やはり少女には荷が重いのか…)
マリウスは、来客としてトニの隣に座り、今の王宮の様子や親戚のアクィナス公爵の近況など話しながら興味深くアメリアを観察していた。
明日アメリアは、王宮魔法使いとして出仕するという名目で王都アナトゥスに向かう。本当は16歳の成人を迎えたアメリアを、王になったアークがどうしてもそばに置きたいと言い出し、まだ妃を置きたくない王宮側とペリクレス家が協議して、アメリアに王宮魔法使いの地位を与えて王都に迎えることにしたのだった。そうやって時間を稼いでアーク王が飽きるのを待つか、アメリアが全ての諸侯を納得させる功績を上げて妃の座に収まるか、どっちに転んでも王家の損にならない道が選ばれたのだった。
かの「氷の賢者」と言われるサジュームの秘蔵っ子にして、ときには「ペリクレス家の魔女」と恐れられ、ときには「希代の天才少女」と絶賛されるアメリア。何より第13代アナトリア王国国王の意中の人である。興味を引かないわけがなかった。
翌日の朝、出発のときが来た。馬車の隊列に向かうまでの間に、昨夜の晩餐の出席者が並び、アメリアは一人一人と言葉を交わし抱擁して別れを惜しんだ。
転移魔法が出来るアメリアだったが、ペリクレス家から連れてゆく護衛や使用人そして多数の荷物を全て転移で運ぶわけにもいかず、馬車を使っての移動であった。
城の前には使用人や農民や工房の人間などありとあらゆる人々が集まっていた。皆、アメリアを象徴する草木染のスカーフを手に持って揺らしている。アメリアも窓を開けて、それぞれの名前を呼び掛けて、握手をしたり気安く言葉を交わしたりしている。
「彼女はいつも、ああなのか?」
マリウスは兄のダルトンに訊くと、
「人気者なんだ、うちの妹は」
と笑いながら答えた。おおらかなペリクレス家の人々なら許せても、様式を重んじる王宮では苦労するのではとマリウスは思った。そういう意味でも、すぐに王宮に入るのではなく、一度王宮魔法使いになるのも良いかもしれないと思えた。
(それにしても噂とはあてにならないものだ…)
とマリウスは考え込んだ。王宮では、孤児のアメリアをペリクレス家が家名を上げるため駒として使っている、という噂が主流だった。しかし、マリウスが目にしたのは、家族から末娘が大切にされているという光景だけだった。
王都に着くと、一行は休むことなくすぐに王宮に向かった。
まずガイウスに挨拶に行くと、ガイウスは将軍の執務室で山のような書類にサインをしているところだった。ガイウスは、今や軍部全て掌握する立場になっていた。
それから別棟にある主席王宮魔法使いの執務室に行くと、サジュームが年配の女性と待っていた。
「ただいま戻りました」
マリウスが挨拶すると、サジュームは素っ気なく「ご苦労様でした」と返した。が、しかしマリウスの陰からアメリアが姿を現すと、
「リア、無事によく来たね」
と目尻を下げるので、マリウスもサジュームのそばに控える女性も目を丸くしたのだった。
「リア。あなたの指導役となる上司を紹介します。彼女は、三席王宮魔法使いのシンシア・クラークス殿。あなたは彼女の率いる部隊に所属します。女性同士、遠慮なく相談できると思います」
サジュームはそばの年配の女性を示して言った。
「じじさま、いえサジューム様の部下ではないのでしょうか?」
アメリアが訊くと「いいえ。違います」とサジュームは言った。アメリアの表情が曇ったのをマリウスは見逃さなかった。
そこへ、王からの使者がサジュームの執務室に入ってきた。アーク王がアメリアの到着を知り、王の執務室に呼ぶよう使者をよこしたのだった。
サジュームは強い口調で、「明日の謁見のときにお会いします。お引き取りを」と言うので、使者も困った様子だった。
そばにいたダルトンが「私が行って、謝っておこう」と使者と部屋を出た。
マリウスとシンシアもサジュームから退室を指示され、執務室にはサジュームとアメリアだけになった。
サジュームはアメリアを座らせると彼もその向かいに座り、待ち焦がれたように「ミウ」と呼びかけてきた。
アメリアは、意を決してサジュームを見つめた。そして、わざと「きょとん」とした表情を作ってみせた。アメリアは、王宮へ来るにあたり、もう精霊に憑依されているフリは止めようと心に決めいていた。
「え?ああ、いや。なんでもない」
サジュームはその狼狽を隠すように顔を背けた。
「サジューム様、疲れているので館に下がらせていただきたいのですが」
アメリアは、出来るだけ平静を装って言った。本当はすぐにでも部屋を飛び出してしまいたかった。
「ああ、そうだね。もうすぐダルトンが戻ってくるだろうから、そうしたら帰るといい」
サジュームは落ち着かないように、椅子から立ち上がり部屋の中をウロウロしていた。ちらちらアメリアを見ているので、ミウの姿を探しているのだろうとアメリアはうつろな気持ちで考えていた。
サジュームはアメリアの考えているとおり、ミウを見ようとしていた。ミウがいるのは確かに見えるのだが、アメリアと重なって見えるミウはこちらを向いてはくれなかった。
(なぜだ…)
そこにダルトンが帰ってきた。
「それでは、失礼いたします」
サジュームには、こちらを向いて挨拶をしたアメリアがまるでミウが喋っているように見えた。
王都にあるペリクレス家の館に戻ると、リリーたちが室内を整えてくれていた。
アメリアも、やっと寛いだ気持ちになることができた。
夜になって、アメリアとダルトンがサロンでお茶を飲んでいると、なにやら玄関のほうが騒がしくなった。ドタドタという足音が聞こえてきたと思ったら、サロンの扉が勢いよく開き、そこにはアークが立っていた。
アメリアとダルトンが驚きで茫然としていると、アークはすぐにアメリアに近づき強く抱きしめた。
「リア、会いたかった」
「陛下!」
アメリアとダルトンの声が重なった。アメリアは「少しお待ちください」と腕でぐいっとアークを体から離した。アークは「待たない」と言ってまたアメリアを抱きしめようとするので、ダルトンがすかさず二人の間に身を入れた。その隙にアメリアは一番遠くのソファの後ろに避難した。
「なぜだ!」
アークは怒っていた。「昼もダメ、夜もダメとはどういうことだ!」
「陛下、伏して申し上げます。アメリアは本日王都に着いたばかり。休養が必要な身であり、明日から王宮魔法使いとして登城いたします故、どうかどうか今日ばかりはご容赦を」
ダルトンはアークの足元にひざまずいて懇願している。
「リア…」
アークはとても傷ついた表情をしていた。そうしてふらっとアメリアに近づくとそのまま壁までアメリアを追い込み、勢いよくキスをした。
アメリアは、混乱してアークの腕の中でもがいていたが、大人になったアークはびくともしなかった。数カ月前に戴冠式を済ませ、王位を揺るがないものにした自信が彼を強く出させていたのかもしれなかった。
そのとき荒々しい足音とともに数人が部屋に入ってきた。
「アーク陛下!」
という叫び声とともにアメリアは解放された。アークはガイウスともう一人の騎士に抱きかかえられている。アークが髪を振り乱して「なぜだぁ!なぜなんだぁ」と叫んでいるのを見て、アメリアの中にも何かがこみ上げてきた。アメリアはそれをもう止めることはしなかった。
「うわーん!」
アメリアはその場にへたり込むと、まるで赤ん坊のように泣き出してしまった。
その耳をつんざくような鳴き声でアークは我に返り、「リア、リア、泣くな。済まない」
とガイウスの腕の隙間からアメリアに手を伸ばした。
すぐさまリリーがアメリアに駆け寄り、優しく抱きしめた。アメリアは沸き起こった自分の感情に身を任せ、リリーにしがみつき泣き続けた。
その様子を見た一同は潮が引くように部屋から出て行き、残されたアメリアはリリーが背をさすってくれることに甘えて、自分の悲しみを吐き出していた。