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2 美羽とサジューム

 アセビの丘を降りて、放牧地の中の一本道をサジュームはアメリアの手を引いて歩いている。サジュームはその心情や体調が外見から分かりにくいのだが、アメリアはちゃんと見分けられる。これまで9年間、一緒に過ごしてきたのだから。


 2カ月ぶりのサジュームは、少し疲れているようだった。アメリアは、自分をペリクレス家に置いていってから彼が落ち着いてお茶を飲む時間があったのだろうか、と心配になってしまう。

 サジュームは今、アナトリア半島の勢力争いの渦中にいた。


 現在のアナトリア半島の混乱は、10年前、アナトリア王国第12代国王のヘンドリックが弟ブライアンに殺されたことに端を発する。ブライアンは、ヘンドリックに連なる王家の人間を全て処刑し、自らが王位を継承できる唯一の人間として国中外に宣言をしたのだった。


 しかし、ブライアンの手のものが王宮を襲撃した際、第三王子であるアークを取り逃がし、彼が追手にかからず生き延びたことで情勢は大きく転換しつつあった。


 サジュームは、10年前の襲撃の際、アークとともに側付きの近衛騎士だったガイウス・テオドシウスを連れて王領の端にある森に跳んだ。その夜、闇夜に紛れて王領から逃げているときにアメリアと出会った。行商人らしい夫婦が盗賊に襲われた後を通りがかったのだ。そこで茂みに隠れて運良く生きていた女児の赤ん坊がアメリアだった。アメリアという名は、アークが妹姫の名をとって名付けた。

 それからアメリアは、サジュームとガイウスに守られ、アークに愛され、9年間森の中で隠れて生きていくことになった。サジュームは養い親であり、魔法の師であり、恩人の一人だった。


 サジュームはアメリアの歩く速度に合わせてゆっくり歩いてくれていた。

 だれもいない野原では遠くで馬の嘶きが聞こえてくるくらいで、二人の土を踏む音しかしなかった。そうしてしばらく歩いたところで、

「ミウは、変わりありませんか?」

とサジュームが口を開いた。サジュームは、アメリアではなくアメリアの背後を見ていた。


(ああ、始まった…)

アメリアは、そう思うと黙って俯いた。

 サジュームには、なぜか美羽が見える。現代の日本で言うところの霊感のようなものがあるのか、アメリアの傍に美羽を見ることができる。そして、会話もできるのだった。

 サジュームは、アメリアのその年齢に似つかわしくない賢さや能力がこの「ミウ」のためであることを分かっていたが、転生については理解しておらず「ミウ」という精霊がアメリアに憑いているのだと思っている。


 サジュームにとって、アメリアは精霊の依り代であり、まだ11歳の幼い子供であった。そして、前世、大人であった美羽の姿をした幻にのみ、心を許し、その心情をさらけ出す。今でこそ、ペリクレス辺境伯を含む複数の諸侯の後ろ盾を得ているが、9年前の逃亡時はそれこそ世界中が敵になったような状況で、幼い王子を守り抜かねばならないという重責を、二十歳そこそこの若者が背負うのは荷が重かった。普段は面にこそ出さなかったが、二人きりになると、抱えきれない不安を「ミウ」に吐露していたのだった。


 アメリアも、乳幼児の身体が未熟な時期、生活丸ごとサジュームやガイウスのお世話にならねばならないときには、大人の心情では恥ずかしすぎるので、敢えて無邪気なフリをしていた。また、サジュームがミウに弱音を吐いているのをアメリアが分かっていると知られるのはサジュームも気まずいだろうと思い、サジュームとミウの会話の間は記憶がないフリをしていた。


 こうして、大人の事情を理解し知恵を持つ精霊としての「ミウ」と、規格外の能力があるが無邪気な子供である「アメリア」は、別の存在として生きることになったのだった。

 しかしながらアメリアには美羽の記憶はあるが、そこに意識の分裂はなく、同一の人格だった。それなのにサジュームはアメリアでなくミウを見る。

 それが彼女は辛かった。


 サジュームは、ぼそぼそと勢力争いの苦労をミウに語っている。現在彼は、あまたのアナトリアの諸侯たちをアーク王子の勢力に取り込むべく、貴族たちと密会し交渉を繰り返していた。転移魔法が使える数少ない魔法使いであるサジュームは、アークの便利な手駒として酷使されていた。

「サジ、お疲れですね」

 ミウとしてアメリアが語りかけると、サジュームは微笑んで頭を振った。

「正念場ですね。疲れている場合ではありません」

 サジュームが遠くを見つめて言うので、アメリアも俯いたまま胸が熱くなるのだった。


 アークを中心としてガイウスとサジュームの3人の願い、ブライアンを討ちアークを新王として立てるという願いは、まさに悲願だった。それを知っているだけに、アメリアはやっと前進し始めた彼らの道のりを応援するだけだった。


 様々な思惑があってアメリアはペリクレス家へ来たが、本当なら彼らのそばにいたかった。そして、サジュームの役に立ち、彼から褒めてもらいたかった。それが、サジュームがアメリアを見てくれる唯一の方法だったから。

 こうやって、時折サジュームが理由をつけてペリクレス領を訪れるのは、アメリアでなくミウに会うためだと分かっていても、そしてサジュームを癒すのはアメリアでなくミウだと分かっていても、アメリアはサジュームに会えることを心待ちにしていた。


(子供でいる間は、サジュームはこうやって手を繋いでくれる…)

 指先の温もりだけを縁に、アメリアはサジュームを感じていた。

 そして、サジュームもミウの声の心地よさに縋り、つかの間の安らぎを得て、争いの渦中へ戻ってゆくのだった。


 ペリクレス辺境伯の城壁が見えてきた。門を通り抜け、さらに階段を上がると広い中庭が広がりその奥に堅牢な館があった。

 館に入ると、執事のルーベンが寄ってきて

「お帰りなさいませ。大旦那様と若旦那様が執務室でお待ちです」

と早口で言った。

「分かりました。リアに何か飲み物を用意して」

と外套を脱ぎながらサジュームは指示した。

「かしこまりました。アメリア様、どうぞこちらに」

 ルーベンが奥で控えていたリリーを見て、アメリアを自室に連れていくように目で促す。アメリアは「では、叔父様、失礼します」と会釈をすると、大人しくリリーについていった。


 執務室に入ったサジュームは、現在のペリクレス辺境伯であるトニ・ペリクレスの笑顔で迎えられた。

 腹違いの兄の人の良さはこの混乱の時期には弱点であるが、そばで控える強面のブルーノがいれば大丈夫だと思えた。この兄の人柄ゆえに、サジュームはアメリアを安心して預けられる。

「遅かったな」

 ブルーノがしかめっ面をしている。

「アメリアの歩みに合わせていたんですよ」

「ともに転移魔法の使い手のくせに」

 ブルーノの嫌味にサジュームは表情を変えず、軽く会釈をした。

「まぁ座りなさい、サジューム。父上もせっかちは老いの証ですよ」

 穏やかにトニが間に入った。

「なんだと!」

とブルーノは口では言っているが、あまり気にしていないようだった。


 サジュームが椅子に座り、その手にワイングラスが渡ったところでブルーノが口を開いた。

「どうだ、塩梅は?」

「ロータス侯爵から下級貴族の方々に話をしてもらっていますが、まだあまり良い返事はありません」

「交渉の余地はあるのか?」

「領地の小さなところは戦乱を好みません。いよいよとなれば、どちらかに付くか決めるでしょうが。そうでないうちは、なにかで釣るしかないでしょうね…」

 サジュームはワインを口に含むと、大きく息を吐いた。

「金品であれば、少し提供できるかもしれん」

 トニが口を挟むと、「それはもっと戦いが具体化してからのことだ」とブルーノが一蹴した。武器や防具を用意するための戦費を捻出するのは、どこの領主も頭を悩ませるとことだが、ペリクレス領は現在、繊維業特需とウマイヤ王国との交易路の通行料でかなり潤っていた。


「これも、アメリアのお陰だ。あれはすごいな」

 ブルーノが珍しく人を褒めた。

「アメリアは、こちらでご迷惑をおかけしていませんか?」

 サジュームが養い親の顔になった。トニが笑って、

「迷惑なんて、とんでもない。我が領地を豊にする素晴らしい人材だよ」

と言った。サジュームは、父親と兄からアメリアを褒められてまんざらでもない顔をしている。


「ところで、王子の様子はどうか?落ち着いたか?」とブルーノ。

「少し落ち着かれていますが、まだ『アメリアがいい』とおっしゃることもあります」

とサジュームが答えた。

「まったく困ったものだ。少女への執着などが知られたら、せっかくの完璧な王子像が壊れてしまう」

 ブルーノが大ききため息をついた。

「アーク王子は、非凡なまでに聡明でいらっしゃいます。ですが、8歳で家族と家と国を失ったのです。時に情緒が不安定になるのは、致し方ないかと」

とサジュームがアークを擁護した。


 アークは森の隠れ家で生活しているとき、夜、アメリアの隣でなければ寝付けない時期があった。成長するにつれ一人で眠れるようになったが、今でも突発的な不眠がおこることがあった。そのときは、護衛のガイウスが寝るまでそばに付いている。


「まぁ、アメリア自身が望むのなら、あと2、3年もすれば輿入れしても問題ないかと」

とトニが言うと、

「とんでもない。早すぎます!」

とサジュームが珍しく語気を強めて反論した。

「アーク王子の伴侶を空席にしておくのも戦略だぞ。それにアメリアは我らの隠し玉だ」

と老獪なブルーノは言った。

 トニは肩をすくめて、

「父親としてはアメリアの気持ちに沿った将来を歩ませたいですがね」

と言った。

「アメリアがそう言ったのか?『王子がよい』と?」

 ブルーノが訊くと、

「いえ。別れ際の様子を見てそう思っただけです。アメリア一人を置いて、3人がここから出ていった後の彼女の塞ぎようは可哀そうだった」

とトニが答えた。

「それは、『家族』と別れたからだろう」とブルーノ。

「結婚すれば、家族になれますよ」とトニ。


「いい加減にしてください」

 サジュームが手でテーブルを叩いて二人の議論を止めた。ブルーノもトニも驚いて、口を半開きのままサジュームを見た。

「アメリアを利用する考えは止めていただきたい」

 無表情であるが、怒っているのが二人には分かった。

 ブルーノは、内心、アメリアに執心しているのはサジュームも同じだ、と思ったが口にしなかった。


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