第20話 そうしてすれ違い始める
◇◇月菜side◇◇
「それじゃあ月菜。明日から学校だからね、おやすみ」
「うん、おやすみ兄さん」
今日一日を遊びつくして帰ってきた私たちは、兄さんの美味しいご飯を食べて、お風呂に入った後はもう寝るだけになり、しばらく二人ソファーに並んで座ってテレビを見てたりしてたけど、いつの間にか日付が変わっていてそろそろ寝ようってことになった。
部屋の前で兄さんに手を振って見送った後に私も自分の部屋に入る。
数日前までダンボール以外に、特に何にもなくて殺風景だった部屋は、壁にアニメのポスターやフィギュアとかが飾られて立派なオタク部屋になった。
いつもならここから眠くなるまでマンガ読んだりゲームしたりするのだけど、今はなぜかドキドキして落ち着かなくてそんな気になれなくて。
ううん、こうなってる理由は分かってる。
けれど、どうしてそれが発生してるのかがわからない。
「ふぅ……」
明るいのはあまり得意じゃないから電気は付けないでベッドに倒れるように寝転がった。
低反発マットレスが優しく受け止めてくれて、身体が沈み込むよう。
そんな感触も宵谷家に来た一週間で初めて知ったことだったりする。
ここに来る前はベッドでなんか寝たことはなくて、あの棺桶モチーフのギターケースの中に隠れるようにして眠ってったっけ。
……あの人にバレないように、刺激したりしないように、息をひそめて毎日怯えてたのがちょっと懐かしい。
他にも色んなことを知った。
出来立てのご飯がすごく美味しくて誰かと食べるともっと美味しいということ。
ちょっと苦手だけど暖かいお風呂が気持ちよくて、少しだけ好きになれたこと。
朝起きることは辛いけど、優しく起こしてくれることに安心感を感じること。
そして何より、誰かが一緒にいてくれることは……自分を受け入れてくれることはすごく嬉しいこと。
あとは、好きな人と一緒にいるだけで、毎日が楽しくて華やぐこと。
だから、それらこれらを教えてくれたのはぜんぶ兄さんだ。
だから兄さんのことが大好きになった。
それは『兄』としてもそうだけど、それ以上に異性として。
兄さんは、兄さんにとって赤の他人だった私を、人間じゃない吸血鬼である私を。
その姿を見たら、恐れ、否定して、拒絶してもおかしくないのに、そんな素振りは一切見せず全身で受け止めてくれた。
その時の私の気持ちを、私がどんなに救われた想いだったのかを兄さんはきっとわかってない。
私は二人で語り合ったあの日の夜、兄さんは『妹』としての私を求めてるのに気が付いた。
だから兄さんと呼ぶことにしたし、兄さんの求める妹になろうとも思った。
でも、私は彼に『兄さん』じゃなくて『星夜』を——。
……こんなこと星夜に面と向かって言えないけどね。
スマホを開いて、今日撮ったプリクラを見る。
そこには、頭をくっつけ合って微笑む私と星夜が写ってて、その様子はまるで——。
「……本当に分かってないよ、星夜」
それはなんとなく呟いた願望。
いつか兄妹じゃない別の関係で彼をそう呼べたらと思って、窓から見える月に切なく吐き出したそれが……トリガーだった。
「——ぐっ!」
帰ってきた時からずっと感じていた衝動が押し寄せてくる。
目の前が真っ赤になって、大きな胸の高鳴りと急激な喉の渇きを感じて、本能に理性が狂いそうになる……吸血衝動。
枕を破けそうになるほど噛んで押しとどめようとするけれど、一向に収まる気配を見せない。
「はぁ……はぁ……どう、して……この前飲んだばかりなのに……」
吸血鬼は人間と違って毎日食事をとらなくても月に数回血を飲めば空腹を感じないで生きていける。
だからこの前、星夜の血を飲んだからもう大丈夫なはずなのに。
なのに……私は今、すごく人間の血が飲みたい……ううん、誰かじゃない。
「せい、や……」
隣の部屋に気配を感じる星夜の血が飲みたいんだ。
「——っ!」
そう自分の中で理解したら身体を抑える理性が崩壊して、私はただ血を求めるただの吸血鬼になった。
そこからはもうなし崩し的だった。
身体を霧に変身して、星夜の部屋に侵入する。
いつの間にかもう深夜の二時で星夜はベッドでぐっすり寝てる。
少しだけ頭の片隅に残った冷静な部分が止めようとするけれど。
「はぁ……はぁ……はぁ……もぅ、むり……がまん、できない」
私は寝ている星夜の寝間着を少しはだけさせて、露わになったその首筋を見たらもう止まれなかった。
そして、ゆっくりと口を近づけて——。
「はむっ……んっ……ちゅっ……んくっ……」
私の中に星夜の暖かいものが入ってくる。
それは、ゆっくりとじんわり私の身体に広がって、今まで感じたことのない幸福感を与えてくれる。
人から直接血を吸うことはこの前が初めてで、その時もすごい気持ちよかったけど、今はそれ以上の快感が私の身体を駆け巡る。
「ぷはっ……もっとぉ……はむっ……んっ……」
鏡に映らない私の容姿はきっと今、私の嫌いな銀髪紅眼になってると思う。
人間離れしたその姿は醜い化物の姿でしかない。
本人の許可もとってないのに貪るように人の血を求めて、それがいけないことだと分かってるのに。
「ちゅっ……んはっ……ぁんっ……」
それでも自分を止められなくて、今はただ星夜の血がたまらなく欲しくて。
どうしようもうなく星夜が愛しくて。
私が吸血鬼であることは受け入れてくれたけど、私が告げれば星夜は同じようにこの想いを受け入れてくれるかな‥‥‥?
これから先、いつまで星夜の妹として我慢していられるだろう‥‥‥。
この日から私はそんな不安を抱えるようになった。
◇◇星夜side◇◇
——チュンチュン♪
そんな小鳥のさえずりとカーテンの隙間から覗く朝日で目が覚めた。
だんだん、ぼんやり意識が覚醒してくると、自分のものではない温もりが側にある感覚がある。
無意識にその温もりを抱きしめて、ぴったりとくっついて、それからゆっくりと目を開ける。
——目の前に物語にでてくる天使の様な美少女が眠ってた。
「——っ!?」
びっくりして思わず息を飲む。
一度目を閉じて、改めて腕の中を見て見れば。
「……月菜?」
そう、あどけなさを感じさせる緩み切った寝顔を見せてくれる女の子は、親同士の再婚で一週間前から義妹となった月菜だ。
しかしまぁ、いったいどうして俺のベッドの中にいるのか?
たしか昨日は部屋の前でおやすみを言い合ったはずだけど。
また、Gが怖くて入ってきたのかな?
まぁ、それはそれで構わない……構わないん、だけどさ。
「はぁ……やっぱり、意識しちゃうなぁ」
きっと、本当の兄弟はこんなことでドキドキしたりなんてしないはず。
こんな風に寝顔を見てしまっても、可愛いとは思うかもしれないけど、理性で押さえつけるような興奮なんてしないはずなのに。
だけどそうなってる時点で俺はやっぱり月菜のことを兄妹じゃなくて女の子として見てしまってるんだろう。
仕方ないとは思う。
だってまだ月菜と出会って約一週間しかたってないから、やっぱりいきなり妹として認識するのは難しい。それはこんなに可愛い子ならなおさらだ。
でも、それは良くないことだと思うから。
今の生活はかなりアブナイってそう思う。
二人暮らしじゃなくて父さんたちがいてくれれば問題なかったんだけど、俺が我慢できなくなって一歩間違えたりしたら、きっと淫れに淫れる。
お互い好き合ってるなら問題ないのかもしれないけど、これは違う。
俺が感じてるのは男としての性だし、そもそも義理とはいえ兄妹なんだから倫理的にアウト。
それに父さんと月美さんが帰ってきてそんなことになってるのを知ったら家庭崩壊になる可能性もある。
せっかく父さんが掴んだ幸せなんだから壊したくはない。
それに月菜は俺のことを本当に兄だと思ってくれてるんだと思う。
そうじゃなきゃこんな風に無防備に男のベッドの中に潜り込んでたりなんてしないはず。
だから、我慢だ。
「早くこの生活に慣れて、俺も月菜を妹と思えるようにならないとな」
そう、小さく声に出して決意を新たに、俺は優しく月菜を起こすことにした。
——そうして、少しずつすれ違い始めた兄妹の生活は次のステージに進むことになる。




