第八話:平穏ではいられない
「い……嫌……!」
咄嗟に口から出たのは拒絶でした。
実家と王家が私に便りを? それに面会の希望まで? それを聞いた私の胸に浮かんだ思いは一つ。
〝今更〟。そう、全ては今更の話です。一体、何を話すと言うのでしょうか。私はもう価値を失った令嬢です。気にかけられる理由などありません。
それなら考えられる理由は一つです。私が得てしまった富が惜しくなったのでしょう。それしか考えられません。
ただ利用価値しか見られてない。そう思えばどうしようもなく吐き気が込み上げてきました。
あまりの気持ち悪さに目を回してしまいそうになっていると、私の手を握る温かな感触で意識を繋ぎ止めることが出来ました。
「大丈夫ですか? ベラドンナ様」
「シャーリー……」
シャーリーが心配そうに私の顔を覗き込みながら私の手を握ってくれています。
その手の感触に縋るように私は力を込めました。私はここにいる、温かさを感じることが出来ている。まだ生きているという実感が私を少しずつ落ち着かせてくれました。
「……面会の希望にはお断りを入れておきましょう。お便りも、辛いのであれば私がお預かりしておきます。対処は私がいたしますので」
「アッシュさん……」
私が落ち着くまで黙ってくれていたアッシュさんは優しくそう言ってくれます。
その提案に安堵する一方で、対応を全てアッシュさんに丸投げしてしまうことに申し訳なさを感じてしまい、それで良いのかと葛藤が浮かんできます。
「よくあるのですよ。カジノで大当たりしたお客様の親族、またそのお知り合いを名乗る方が当たった富を狙って動くというのは。なのでこれはカジノの業務の範囲内です」
「……でも、アッシュさんに迷惑を」
「ベラドンナ様は私どもにとって上客にして、今後は取引先となるやもしれない御方。ここで恩を売っておいて損はないでしょう。なのでご実家と王家のご対応は私にお任せください。シャーリー、ベラドンナ様を頼む」
「承りました、オーナー」
アッシュさんの指示にシャーリーが礼をして、アッシュさんが退室していきました。
「ベラドンナ様、本当によくある事ですので気に病まないでくださいね」
「……でも、王家や貴族と揉めても大丈夫なのですか?」
「我々は国に属していません。なので王族であろうと貴族であろうと、ここでは身分の差はありません。私たちと事を構えるつもりなら、そのつもりで私たちも対応させて頂きますが」
それは流石に王家でもしない筈です。カジノの後ろにいるのはジュエラ様なのですから。あくまで噂とされていますが、実際今日までカジノが何にも阻まれずに運営されているのは彼等に自衛の力があるのも理由の一つでしょう。
そして今となっては多くの国に利用価値を見出されているので、カジノが荒れることは他の国も許さないでしょう。……頭ではわかっているのです。わかっていても、誰かの迷惑になっていなければ自由にもなれない我が身が呪わしいのです。
「……ベラドンナ様」
シャーリーが気遣うように私の肩を抱いてくれました。自分の身を抱くようにして縮こまることしか出来なかった私は、そんなシャーリーの優しさに甘えるように身を寄せることしか出来ませんでした。
* * *
「ベラドンナ様は、ご家族とは不仲なのですか?」
ようやく私が落ち着いた頃、シャーリーが淹れてくれたお茶を口にしているとシャーリーがそう問いかけてきました。
「……どうなのかしら。正直、わからないの」
「わからない?」
「私は次期王妃として、王子の婚約者として恥ずかしくないように振る舞いなさいと、それが私が振る舞うべき在り方だと教えられてきました。だから常に私の振るまいを厳しく見ていたと思います」
振り返って見れば、厳しい家族でした。それも次期王妃である私には必要なことだったのかもしれません。
けれど、それが無為になってしまった今、家族に対しての思いは複雑です。顔を合わせる資格もないという恥じ入る気持ちが強いですが、同時に恨みのような気持ちもあるのです。
教えられたことが必要だと、正しいと思って努力してきたのに報われることはなかった。生まれた時から決まっていたのに、正しい努力をしているのに報われないのはどうして、と。
私でなければならなかったのに、私じゃなくて良いのなら……厳しくされた今までの人生は一体何の為にあったのか。それすらもわからなくなりそうで。
それならいっそ、もう見捨てて欲しかった。見限って、価値のない存在だと捨て置いて欲しい。けれど、あの人たちは私に便りを出して来ました。それが理解出来なくて、苦しくて、悲しいのです。
「ベラドンナ様は王妃になりたくなかったのですか? 婚約者の方を愛していなかったと?」
「なりたくもなかったし、愛してもいなかったわ。私を見てくれない、私に不都合なことは任せて、自分は愛を守るために私を貶めたのよ? ……例え、恋をしてたって冷めてたわ」
「それは……なんともまぁ」
反応に困る、と言うようにシャーリーは相槌を零しました。その反応が少しだけ面白くて、私はようやく肩の力を抜いて苦笑することが出来ました。
「……本当、富を手に入れたら瞬間に掌返しなんですもの。見限りたくもなるわ……」
「本心までどうなのかまでは察することは出来ませんが、間は悪かったですね。利用したいが為に手放したくない、そう思われても仕方ないですから」
「……嫌になるわ。どうして私、貴族の娘に、それも王子の婚約者に生まれてしまったのかしら」
「人は生まれを選べませんから。捨てることは出来ませんけど、その重さをなくすことは出来るかもしれません」
「重さを……なくす?」
「どうでも良い、と思うことですよ。捨てることは出来なくても、縛られる必要はないのです。それに貴方は一人で生きていこうと思えば可能な富を得ました。なら、必要ないと思ってしまっても良いのではないですか?」
……私には必要ない、ですか。
たったそれだけの為に生きてきた人生で、それ以外の生き方もよくわからなくて、自分が何をしたいのかわからないですけど。
でも、もう報われない責務には縛られたくないというのは本心です。……だから、家にも戻りたくない。私個人なんて、誰も見ようとしてくれなかったのですから。
「……疲れるわ。もう疲れたの」
人の顔色を窺うことも、人との関係を気にすることも。失敗が許されない針の筵で立ち続けるのはもうごめんだと、心が参ってしまっているのです。
「では、ゆっくりお休みください。シャーリーがお側におりますので」
「……ありがとう、シャーリー」
「はい、どうか心安らかに。ベラドンナ様」
何も考えずにいましょう。アッシュさんが対応してくれて、私が何もしなくていいと言うのなら。少しだけ、その言葉に甘えて自由にさせて欲しい。
そう願いながら私はそっと、瞳を伏せるのでした。
* * *
「はー、不味い。最悪、神が私を呪っているとしか思えない。どんなに頑張っても私は報われない。いっそ国王を辞めたい。どうして辞められないと思う? 誰も答えない~」
トラペゾイド王国の国王であるフィリップ・グラン・トラペゾイドは独り言をぼやきながら執務机に肘をつき、頭を抱えた。
その美貌を窶れさせ、頭を抱えた手で髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜてから深く溜息を吐いて、椅子の背もたれに身体を預けて天井を睨む。
「どういう事なんだよ、クロム……なんでベラドンナがカジノで博打で大当たりしてるんだよ? あの子、そういう遊びはやってこなかったでしょ?」
カジノから発表された配当者の名前の中、そのトップに自分の息子であるクラレンスの婚約者、ベラドンナ・オルラウンドの名前と、その配当金の額を見てフィリップは茶を吹き出すほどの衝撃に襲われた。
たった一夜で何があったのか。クロムから何も聞いてはいない。この金額は一体どうやって当てたのか等、思考が駆け巡ったもの実態はわからない。
問い合わせの便りを出したものの、このタイミングでは心証は悪くなることは想像に出来た。だが、無視も出来なかった。それだけベラドンナの幸運は、王家にとっての致命的なまでの不運だった。
「これじゃ王家の無能が浮き彫りになるな……ベラドンナを手放そうとしたことは、最早覆しようのない醜聞だな」
まだベラドンナが泣き寝入りをしてくれているのだったら、彼女への同情を集める方向で世論を動かそうとも思えた。だが、ベラドンナは自立してしまえるだけの富を当ててしまった。
どうして今までカジノを嗜むなどしなかったベラドンナが大当たりを引き当てたのか。新聞を読めば、破産覚悟の一発大逆転とも記載されていた。彼女は自分を担保にしてまでお金を借り、その全財産をかけての一発賭けを行ったのだ。
それは当てるのが目的ではなく、破滅するのが目的の投身自殺にも等しい行いだった。それでもベラドンナは強運を引き当て、莫大な富を手にするに至った。
「こうなると、クラレンスはどうやっても道化にしかならんな」
第一王子、クラレンス。次期国王となる筈だった自分の息子、その息子の穴を埋めるためのベラドンナだった。
トラペゾイド王家とオルラウンド侯爵家の関係を強固するための一計。生まれながらの婚約者であったベラドンナはこちらの期待に良く応えてくれたと思う。
個人的な思いだけで言えば、ベラドンナには幾らでも殴られたって仕方ないと受け入れるだけの罪悪感はフィリップの中にある。
だが、個人の感情は〝国王フィリップ・グラン・トラペゾイド〟にはただの感傷であるべきだ。必要なのは国を平定し、導くこと。
「……さて――〝どう切り捨てるのが一番有効〟かな」
クラレンスは期待に応えなかった。それどころか王家とオルラウンド侯爵家の関係に罅を入れ、王族という権威に泥を塗った。
最早、切り捨てるのは確定だ。問題はどう切り捨てるのが一番有効であるのか。フィリップはただ、冷徹なまでに未来予想図を描き始めた。
全てはただ――この国を守る国王として。