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第六話:悲しみの理由

 用意して貰った朝食はサンドイッチとオニオンスープ。一見ささやかながらも味は美味しかったので、スープだけはおかわりをしてしまいました。

 満足な朝食を終えてた私にシャーリーが声をかけてきます。


「ベラドンナ様、本日のご予定はいかがなさいますか?」

「そうね……アッシュさんはまだお仕事よね?」

「えぇ、オーナーの仕事は多忙ですからね。カジノと関わる団体との契約に関わる書類の処理から関係者との面会、カジノの運営状況の把握など、やるべき事は多くありますから」

「そんな中で私の世話役をさせてしまったのは申し訳なかったですね……」


 やはり迷惑だったのかもしれない、と気に病んでいるとシャーリーが一瞬、眉を寄せたのが見えました。

 それが気になってシャーリーに視線を向けると、シャーリーは私に視線を真っ直ぐ向けながら問いました。


「お気に障るようでしたらお叱り頂いても良いのですが……何故、ベラドンナ様はそうも低姿勢なのでしょうか?」

「て、低姿勢……なのかしら?」

「はい。ベラドンナ様が得た富というのは安いものではございません。それこそ私どもを顎で使っても当然と言える程の富です」

「それはそうだけれども……私はまだ富を得たという実感もないですし、それに富を得たとしても誰かを顎で使おうという気にもなりませんよ」

「何故ですか?」

「……な、何故? 何故って……そうしたくない、から?」

「……謙虚な方なのですね」


 どこか納得していないまま、シャーリーは小さくぽつりと零しました。

 謙虚、謙虚なのでしょうかね、私は。ただ戸惑っているだけなのですが……。


「ベラドンナ様には夢や希望などはないのですか?」

「い、いきなりどうしたのかしら? そんな事を聞いて」

「ないから破滅したいなどと思ったのかと。ベラドンナ様には生きたい理由や願いなどはないのでしょうか?」


 シャーリーの問いに、私は昨日も似たようなことを答えたと思いつつ苦笑を浮かべます。


「それをこれから探すためにカーバンクルに入れさせて貰ったのです」

「……そうですか。意外ですね」

「意外?」

「貴族のお嬢様とお聞きしておりましたので、ドレスや宝石、美食などをお望みになるのが当然だと考えていたものでしたから。或いは、理想の恋人や従者などでしょうか? そういったものは何も望まないのですか?」

「……欲しいとは思いませんね」

「どうしてですか?」

「ど、どうしてって……」


 シャーリーの問い詰めるような質問に私は思わず言い淀んでしまいます。その間にも、シャーリーは問いを重ねてきました。


「やりたいこともない、願いもなくて、贅沢もしたいとは思わない。それならば――どうやってベラドンナ様は生きて来たのですか?」

「どう、って……ただ、貴族の家に生まれた令嬢として生まれた務めを果たして……」

「果たして?」

「…………」

「……果たして、どう生きるのですか?」


 どう生きるのか。重ねられる問いに私は言葉を失っていくばかりでした。


「……それが、わからないのです」


 どう生きたいのか、私は答えられなかった。私はただ環境に合わせて、諦めることで生きてきたのですから。

 だから、その歪みをジュエラ様に指摘されて、私がどうして破滅することに惹かれてしまったのか突きつけられました。

 生きようという気力が沸かないまま、ただ終わりたいと望んで。結局の所、疲れ果ててしまっていたのでしょう。

 それが何の幸運か、私は富という命綱を手に取ってここにいる。ジュエラ様が私の価値を認めてくれたから、生きたいと願っているのです。


「望みはありませんか?」

「望み……」


 自分の思考に囚われていた私にシャーリーが目線を合わせるように姿勢を低くして、私の顔を見つめます。

 シャーリーの表情は無表情のまま、けれどアメジストの瞳が食い入るように私を見ていて、引き込まれてしまいそうでした。

 望み。私が望むもの。心から望むものとは、何なのでしょう……?



「――……静かに、何かに追われることがないまま過ごしてみたいですね」



 政務にも、義務にも、時間にも追われない。ただゆっくりと静かに休める時間が欲しい。

 そんな暇は私には許されなかったから。務めを果たさなければいけない私に、足を止めるような時間は許されていなかったから。

 追い込まれるように生きてきました。ずっと、息を繋ぐのにも必死だったのだと、今、全ての縛りから隔絶された場所にいて自覚したのです。


「とても……とても、疲れたのです」


 ここに来るまで、ずっと。私はどこかに向かって進むのすら辛くなっていたのだと。



「――畏まりました」



 そんな私の返答を受けたシャーリーが、意を決したように表情を引き締めて私を見ました。


「ベラドンナ様の今後につきましてはオーナーでなければ話が出来ませんので、私はあくまでベラドンナ様の日常をお支えしたいと思います」

「え? えぇ……ありがとう?」

「ベラドンナ様は身体の疲れというより、心の疲れが深刻と見えました。更には贅沢も望まず、お好みではない。そしてご本人様も枯れたような望みしかない始末、これは奉仕のし甲斐があると見ました」

「は、はぁ……?」

「つきましてはベラドンナ様。――遊びましょう」

「……遊ぶ……?」

「はい。私どもはカジノの花形、バニーなれば人を楽しませてこそ。夢のような時間を貴方へと与えましょう」


 私の手にシャーリーは自分の手を重ねて、そして微笑んだのです。

 ずっと引き締めていた表情を柔らかく変えたシャーリーの笑顔はとても素敵で、少しばかり見惚れてしまう程でした。


「まずは固くなってしまった心を解してしまいましょう。地は耕すことで緑が芽吹くもの。不毛の荒野のような心など、えぇ、えぇ、人生の損失でございます」

「え、えぇ……? その、どうしてそのように熱心に……?」

「どうして?」


 私が思わず問いかけてしまうと、シャーリーは笑顔に圧力すら滲ませて私に凄みました。思わず腰が引けてしまいそうになります。


「いいですか、ベラドンナ様。貴方は――勝ち組なのです」

「はぁ……? 勝ち組、ですか」

「えぇ、貴方が当てた富はまさに人生の転機、もうそれだけで人生勝ったも同然。後は遊んで暮らしたって誰にも文句が言われないのです」

「そ、そうですね?」

「それなのにそんな富を手にした人間が枯れていて、ただ疲れを癒したいなどと宣う……これを不毛だと思わずして何を不毛だと思うのでしょうか?」

「は、はぃぃ……?」


 ずい、と顔を至近距離にまで近づけながらシャーリーは熱弁します。た、確かに私の得た富は遊んで暮らしててもなくなるのかと言わんばかりの富ではありますが……。


「カジノの花形、お客様に夢と希望を与えるバニーとして。ここでお世話をする方が貧相な願いしか持てぬというのは――最早、挑戦状といっても過言ではないでしょう」

「そ、そこまでですか?」

「確かに硬派な貴族な方もいらっしゃいます。賭け事など、ただの金の浪費だという弁も一理あるでしょう。ですが思うのです。だからこそ私たちは真剣に夢と遊びに心血を注ぐのです」


 詰めていた距離を戻し、膝をつくようにして見上げるような姿勢になったシャーリーは私を真っ直ぐ見つめ、胸に手を当てながら言いました。


「私たちはどこの国に属する訳でもなく、国に対しての責務や義務もなく、また国から庇護されることもありません。私たちはカジノで働くカーバンクルの一員として生きています。何にも縛られないからこそ、私たちはより一層、夢と希望を賛美するのです」

「何にも縛られないからこそ……」

「縛られること、義務を負って生きることを否定する訳ではありません。それは国という秩序を守るために必要なことでしょう。だからこそ自由に夢や希望を抱くことも叶わないのかもしれません。でも、それでは窮屈なばかりではありませんか?」

「……そうかも、しれないですね」


 国を守るためには秩序は守らなければならない。それは事実、その通りです。

 だからこそ窮屈なのではないかと問われれば、そうなのでしょう。貴族は貴き者として崇められても、それは義務を果たしてこそなのですから。

 義務を背負うために自由を犠牲にしていると言っても過言ではないのですから。


「ここでは身分による諍いも、勢力による争いもありません。ただ単純に運に愛され、恵まれるかを試す場所。故にこの場所での一時だけは自由であり、運に恵まれれば富を得ることも叶うでしょう。その富が窮屈な人生に夢という光を照らすこともあるでしょう。ベラドンナ様、それこそが私の誇りなのです」

「……誇り」

「だから、ベラドンナ様。富に見合った夢を願ってもいいんです。ただ疲れを癒したいと言うのなら旅も良いですし、自分の望むリゾート地を貸し切ることだって出来ます。それだけの力が今、貴方には与えられているのです。だから――そんな悲しい目をする必要はないのです」


 ……悲しい? 誰が? 私が?

 シャーリーには、私が悲しんでいると見えているのでしょうか。

 悲しいとしたら、何故。どうして、私は悲しいと感じている……?


「……私は、悲しんでいるのでしょうか?」

「私には、心を痛めているように見えます」

「……ただ、疲れているのではなく?」

「その悲しみが貴方を疲れさせているのでしょう」


 悲しい、悲しい、悲しい。

 何が……悲しいのでしょうか?

 私が悲しいとしたら、何が私を悲しませている?


「……ぁ」


 ぼろ、と。堰を切ったように涙が落ちました。

 昨日のように取り乱す程のものではありません。まるで鱗が落ちたような、そんな大きな一粒の涙。


「……私は、悲しかったのですね」


 自分の生きて来た人生が、その果てに迎えた結末が全ての努力を否定するものでした。

 傷ついていたということはわかっても、その結果にどう思うのかまでの感情は凍てついていたのでしょう。

 悲しかった。ただ、悲しかったのです。私の全てが否定されてしまった、あの瞬間からずっと。


「……シャーリー」

「はい」

「……とっても、悲しいのです」

「はい」

「お金が、こんなに手に入っても、困るだけで、何も嬉しくないの」

「はい」

「今まで必死に義務を果たして、守ろうとしてきたものが、何も価値がなかった」

「……いいえ」


 相槌の肯定が、否定の相槌に。どうして、と思ってシャーリーを見ると彼女は痛ましげに私を見つめていました。


「いいえ、いいえ。それは違います。無価値になったからではありません」

「……違う、と?」

「はい。価値があると信じていたからこそ、無価値だったと思わされたことが……貴方には悲しいのだと思います。だって貴方は、間違っていないと思っているのでしょう?」


 違いますか? と、視線を通じた無言の問いかけ。その問いに私は……力が抜けてしまいました。


「頑張ったの」

「はい。見ればわかります」

「いっぱい、我慢したのよ……」

「はい。お辛かったと思います」

「どうして……?」


 私は、一体何をどうしていればオルラウンド家の侯爵令嬢として、貴族の娘として正しくあれたのでしょう?

 そう生きなければならなかったのに。認めて欲しかったのに。与えられた役目を果たしたかったのに。

 どうして、私は認められなかったんだろう。あんなに頑張って、我慢したのに。

 諦めてしまったことが良くなかったの? もっと頑張って、我慢すれば良かった?

 そんなの死んでるのと一緒だわ。私である必要がないのだもの、だったら最初から私じゃなくて良かったじゃない。


「どうして……報われなかったのかしら……」

「わかりません。私はベラドンナ様を詳しく知りませんから。もしかしたらベラドンナ様が致命的な過ちを犯していたのかもしれませんし、周りに何か原因があったのかもしれません」


 シャーリーが跪いた姿勢のまま、そっと私の手を取ります。


「――でも、これからは報われていいのだと思います。ベラドンナ様が望まれるがままに」


 これから。まだ、先のことなど何も見えないけれども。

 ……良いのでしょうか? 報われたいと望んでも。何も諦めずにいても。

 その問いは口にすることは出来ず、シャーリーが重ねてくれた手に自分の手を縋るように絡ませることしか出来ませんでした。

 

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