第五話:カジノの花形
「……ん……」
激動の一日を終えた次の日、私はカジノの客室の一つを貸して頂いて夜を明かしました。
恐らく貴族のお客様を泊めるための部屋なのでしょう。ベッドも非常に柔らかくて、寝間着も着心地が良くてとても快適な眠りを堪能することが出来ました。
「……朝ですね」
色々とまだ実感がないままですが、それでも朝は来ます。このまま呆けていても良くないとは思いつつも、さてどうしようかと悩んでしまいます。
カーバンクルに身を置かせて頂くことは叶いましたが、ここではどう振る舞えば良いのか勝手がわかりません。
それならばアッシュさんが来るまで待つのが良いでしょうか? そんなことを小さく唸りながら悩んでいると、扉がノックされました。
「ベラドンナ様、おはようございます。入室してもよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
失礼します、と一言告げてから中に入ってきたのはメイド服を纏った少女でした。
ワインレッドの髪を肩にかかる程度の長さに揃えていて、瞳の色はアメジスト。表情は引き締めているのか硬く、生真面目な印象を受けます。
「本日、オーナーの代理でお世話と案内役を務めますシャーリー・ベルと申します。よろしくお願いします」
「あら、そうなのですか。私はベラドンナ・オルラウンドよ」
「存じております。お気軽にご用命をお申し付けください」
「ありがとう。では、早速だけれど着替えはありますか?」
「ご用意しております。お手伝いさせて頂きますね」
シャーリーが手早く用意したのは、シンプルな白いワンピースドレスでした。シンプルながら刺繍のデザインやワンポイントの宝石細工が素晴らしい一品です。
私がワンピースに着替えた後はシャーリーが丁重に髪の手入れをしてくれました。私の髪は深い紫で、光に当たっていないと黒髪にも見えてしまいます。その髪を三つ編みに纏めてもらい、前に垂らすように流します。
鏡に映る自分は少し垂れ気味な緑色の瞳で、どこか現実感を感じていないような呆けた表情をしています。
「支度が終わりました」
「ありがとう、シャーリー」
「朝食は如何なさいますか? ご要望があればご希望の品をご用意させて頂きます」
「朝食というと、用意はどなたが?」
「宿泊してカジノをご利用するお客様もおりますので、カジノ専属のレストランでご用意させて頂いております。各国の料理も取り揃えておりますので、ご自由に注文してください。メニューをお持ちしますか?」
「い、いえ。朝からそこまで食欲はないので……何かお任せでお願いしても良いかしら? シンプルで軽いメニューがいいわ」
「畏まりました」
テキパキと私の質問に答えて働くシャーリーの顔を見て、ふと既視感を覚えました。
どこで彼女を見たのかと思えば、昨夜のカジノで客の対応をしていた従業員であった事に気付きました。
「もしかして、シャーリーはカジノで接客もしていなかったかしら?」
「……よく私の顔など覚えていらっしゃいましたね」
「カジノの女性の制服が、その、ちょっと目を惹いたものですから」
彼女達の制服は兎を摸したものであるらしく、身体にフィットするように仕立てられたボディスーツに燕尾服の意匠を取り入れたデザインです。
多少、扇情的でありながらも女性として魅力をこれでもかと押し出していました。彼女たちの立ち振る舞いも見事で、ついつい目で追ってしまったのですよね。
それにしても、何故兎がモチーフなのかしら? そんな疑問が顔に出ていたのか、シャーリーが答えてくれました。
「カジノの制服は兎をモチーフにしているのは既にご存知かと思いますが、そもそも何故兎なのかと言われれば創始者様の趣向にございます」
「ジュエラ様の?」
「兎は幸運を運ぶ動物ともされ、カジノのシンボルには縁起が良いとのことで」
「それで兎をモチーフにしたスーツなのね」
「名前もそのままバニースーツでございます。扇情的だとご指摘を頂くことも多いですが、動きやすいので私は気に入っています。ちなみにバニーはカジノでの女子の花形にございますので、選抜には色々と条件も多いのですよ」
「接待が出来るのも、それが理由かしら?」
「はい。花として目にかけられることもございますが、そちらは余程の上客でもなければ」
「そ、そうなの?」
花として目にかけられる、というのはつまりは売春のことです。だから扇情的な衣装なのでもあったのですか、とつい納得してしまいました。
「先に言っておきますが、花売りに関しましてはこちらからも同意しなければ成立しないですよ」
「同意? つまり指名されても断る権利があると?」
「花を売るのが本業ではないですし、バニーは安くないのです。オーナーに様々な採用試験で査定され、合格したものだけが就くことが出来るので。花を売る、というのも文字通りの意味と、秘書や愛人、または純粋に務め人としてのスカウトの場合もあります」
「へぇ……文字通りカジノの花なのね、貴方たちは」
「恐縮です」
聞く所によると、各国の言語の取得もバニーとして働くためには必須な教育なのだとか。言葉だけでなく、各種計算から接客技能、ディーラーの代理、そして護身術の取得が必要なのだとか。
それは内容に違いはありますが、貴族が詰め込むような教育とほぼ同等の量では? と思ってしまう程に、バニーになるというのは優秀であることの証であり、狭き門のようでした。
「花を売るというのも単純な売春ではなく、賭け事の駆け引きで使われる場合がありますね。本当に負ければ売ることになりますので、余程確信を持っているものか、花を売るのを是とする者だけですが。遊んでいる者も少なからずおりますので」
「……それは全体の風紀としてよろしいのかしら?」
「バニーには人を見極める目もまた必要です。駆け引きの相手は選びますし、それで評判を下げるようなら資格を失ってしまいますので。ある意味、バニーたちもそうしたギャンブルを楽しんでいる節があります。上手く大貴族にお目にかけて頂ければ出世も見込めますからね」
「……カジノというのは、本当に独特で不思議な場所ね」
自分の常識に当て嵌まりきらない、まるで夢と現実の境界線があやふやな異界に思えて仕方ありません。
あまり余裕もなかったので思考がそちらに割かれませんでしたが、落ち着いてからカジノの事を知れば知るほど、不思議に感じてしまいます。
「運をただ楽しむでは快ならず、とはよく言われますので」
「それは、どういう……?」
「例えば、ここで私がベラドンナ様とコインの裏表をかけたとします」
「はぁ……」
「コインの裏表、どちらが出るのか賭けるだけでも運試しにはなります。ですが、そこからの読み合いや、あらゆる情報を集め、駆使し、己に運を引き寄せること。その積み重ねの上での運こそが、快となる運となるという教えです」
「……なんというか、凄い教えね」
言いたい事はわかりますけれど、熱量と言うのでしょうか? 賭け事への姿勢が根本的に私と異なると言いますか、とにかく圧倒されてしまうのです。
たかが賭け事、と言うのは簡単です。つまりシャーリーが言いたいのは質の向上という事なのでしょう。
ただ賭けるよりも、駆け引きの読み合いなどの努力を積み上げた上で勝ち取る勝利。それこそが価値あるものなのだと。
「無論、これはカジノを運営する者側の一意見ですので、お客様であらせられるベラドンナ様はお気になさる必要はありません。ある種、私どもにとっても貴方は畏怖されるべき存在でございますし」
「い、畏怖? 私が?」
「あのような無茶な賭け、誰もが破綻するであろうと思っていたのに貴方は数少ない可能性をお引き寄せになりました。駆け引きもなく、勝利の渇望もない。――けれど、それでも貴方が勝った。ただ一つ、運という力のみで」
真剣な眼差しで私を見つめるシャーリーの目には力強い光が宿っています。薄らと笑みを浮かべた彼女は、まるで挑みかかるように私に声をかけます。
「これが一度のまぐれなのか、或いは貴方は運命の女神の寵愛を受けているのか。非常に興味が尽きません。貴方の世話役の代理を買って出たのもそれが理由でございます」
「そう……でも、そうね。きっと、ただ一度のまぐれよ。それに貴方の話を聞いて申し訳なくも思ってしまったわ」
「申し訳ない、ですか?」
「私は……ただ破滅したかったのよ。真剣に賭け事に挑んでいる貴方たちへの侮辱だわ」
賭け事はただ楽しみ、お金を当てるか浪費するかだけの娯楽だと思っていました。
でも、その賭け事には自分が思わぬ価値観を見出す人がいて、熱心に情熱を傾けている人もいるのだと知れば自分の行動が不誠実に思えて仕方ありません。
「例えそうだとしても、だからこそ貴方は運だけで全てを引っ繰り返してしまったのです。望んだとしても手に入らぬ剛運、ただそれだけで。嫉妬は覚えても、蔑むようなものではありませんよ。時には無欲こそが運を引き寄せるとも言いますし」
「……そういうものなのかしら」
「人は運を選べません。運が人を選ぶのです。真摯であった者に微笑むとも限りませんよ、運とは気まぐれ、無邪気であり、そして等しく残酷なのですから」
ぽん、と後ろから私の両肩に手を置いてシャーリーは鏡と向き合わせました。
鏡越しに映る彼女の表情は、少しだけ笑ってるように見えます。
「ベラドンナ様が気にすべきなのは、お任せの朝食が口に合うかどうか、その運試しの結果だけですよ」
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