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第四話:大人たちの夜

「お、お見苦しい所をお見せしました……」

「構わない。泣くのを促したのは私なのだからな」


 ジュエラ様に優しげな目で見つめられながらそう言われても、人前ではしたなくも声を上げて泣いてしまったという羞恥心は収まってはくれません。

 なんとか表情を作ろうとして、泣き腫らした目では今更かと思って止めました。反射的に表情を作るのが習慣化していたので、これもまた新鮮な思いで受け止めることとなりました。


「さて、今日はもうゆっくり休みなさい。婚約破棄を告げられ、家を出て、そして莫大な金額を引き当ててしまい、驚きの出会いもあったのだ。君が思うより、君は疲れている」

「……ご厚意、ありがとうございます」


 本当はもっと今後のことを打ち合わせした方が良いかと思ったのですが、疲れているというのは事実です。

 それではしっかりとした判断は出来ないかもしれない、と考えるとここはジュエラ様の厚意に甘えた方が良いと判断しました。


「さて、ベラドンナ。私は君の庇護を約束したが、表舞台に立つと面倒なことになる。なので君の世話係はしばらくアッシュに頼もうと思う」

「よろしいのですか? アッシュさんにはカジノのオーナーのお仕事もあるでしょうし……」

「アッシュ、どうなんだ?」

「可能な限りで引き受けます。ジュエラ様がそのように望まれるのでしたら。ただし最優先には出来ない、それでどうでしょうか? こちらをお気遣い頂けるのであれば、私は間を取るのが良いかと思います。私が不在の間は代理人をつけるなどで対応させて頂ければ」

「二人がそれで合意するならば、私からはとやかく言うことはない。どうかな? ベラドンナ」

「私は構いません。何から何までお手数をおかけする身なので、その対応でも身に余る程です」


 私はカーバンクルにいさせてもらえることにはなりましたが、立場としては良くて新人、実質の所はお客様にも等しいのですからアッシュさんの動きやすいようにしてくれるのが一番、気が楽になります。

 そんなことを考えていると、ジュエラ様が何がおかしいのかクスクスと笑い出しました。


「本当に君はおかしな子だ。君が得た富があれば顎でアッシュを使うことすら出来るのに」

「……報酬を高く払えば人に無理を言って良い訳ではありませんし、非効率です」

「ほう、非効率」

「私よりもアッシュさんを知っているのはジュエラ様ですから。アッシュさんはジュエラ様の提案にに条件付きで了承しましたし、その条件に不満や疑問に思うことなどありません。私も過剰な接待は望みませんし、ならばこれが適切な落とし所なのだと思います」


 もし、それ以上を望んで誰かが割に合わないと思ってしまったのであれば、それはやはり非効率な消耗だと思うのです。時には自分で全てを為すのではなく、流れに身を任せる必要もあるのだと。

 私はアッシュさんとはそこまで信頼関係を築けているとは思えませんし、報酬を割高にすれば信頼が得られるかと言えば、手の一つではあるとは思いますが、ここで打つべき手ではないと思ったからです。


「非効率、か。くく、聞いたかい? アッシュ。有り余る富を持ちながらも、非効率という理由でそれを振るうことを良しとしない。彼女の富が一体何に使われるのか、私は楽しみで仕方がないよ」


 私の言葉を受けてジュエラ様が愉快そうに笑った所で、私は休息を取るための部屋へと案内されることになったのでした。



   * * *



「ベラドンナは眠ったかい? アッシュ」

「はい、ジュエラ様。やはりお疲れだったのでしょう、すぐに寝入ったようです」


 ベラドンナが眠ったのを確認した後、アッシュは自らの執務室に戻る。そこにはジュエラが我が物顔でワインを開けてグラスを揺らしていた。

 それに文句をつける訳でもなく、アッシュはただ淡々と己の信奉する主へと返事をする。ジュエラは満足な顔で頷き、ワインを飲み干した。


「彼女の心は疲弊していたからね。しかし、それでも平常を保てるのは日頃の教育か、貴族としての矜持故か、或いは彼女の言う効率の良さが幸いだったのか。なかなか愉快な子じゃないか」

「同時に破綻しかけているとも思えます。彼女はまず即座に労力を最小限にすることを考えます。より良いものに、そして楽をさせるための努力を惜しみません。問題なのは、目標とする負担軽減の中には自分を含めていなさそうな所が歪ですな」

「王の伴侶にあれかし。しかして王が中身のない暗愚なれば、天秤は重き方へと沈み行く。人とは本当に愉快で、奇妙で、見ていて飽きないものだ」


 娯楽を楽しむようにジュエラが笑うものの、アッシュとしては笑うに笑えない。カーバンクルが如何に政治の事情から切り離されているとはいえ、客足のこと等を考えれば国には落ち着いて貰っていた方が良いのだから。

 しかし、序列で次期国王とされる第一王子は不出来との噂だ。それはベラドンナの優秀さによって守られていた地位であり、彼女を自ら手放した王子の末路など火を見るよりも明らかだ。

 ジュエラは、その人の愚かさすらも愛おしいと笑う。それは愛玩動物が滑稽な仕草をしているのに愛嬌を感じてしまうようなものだとアッシュは考える。故に、この主は恐ろしい。人とはやはり根本からして違うのだと。


「人は歪と矯正の繰り返しの歴史を歩んでいる。そうして踏み固められた歴史は教訓となり、それはかくも分厚い地層となり足下を支えている。その環境こそが人を逸脱させる。また一人、歪さによって生まれた怪人となるか。或いはやはり人の枠に戻っていくのか。ふふ、楽しみで仕方ないね」

「矮小な身から言わせて頂けるのであれば、本当に心底悪趣味にございます」


 アッシュの言葉を受け流して、ジュエラが立ち上がる。その手に握られていたワイングラスはもう存在しない。


「アッシュ。ベラドンナの配当金、そして彼女の剛運を明日の号外で大々的に報せるように手を回しておくのだ。オルランド侯爵家、王家であってもベラドンナの承認なく面会させることは罷り成らぬ。それぞれに使者を出しておけ」

「侯爵家はともかく、王家は荒れそうですな」

「動乱を招くのはいつだって人だ。生命をかけて競い合うのは生命の性質(さが)だが、人は更なる競い合いを望む。暫し、この国は荒れるだろうな」


 それもまた愉快かな。心底楽しそうに笑うジュエラに、アッシュはそっと溜息を吐くのだった。


「……仕事が増えそうだ。いっそ、彼女がこのまま補佐としてここに残ってくれないだろうか」



   * * *



 ――そして、一方、その頃。

 トラペゾイド王国、王宮にて不可視の圧力を纏う二人の親子がいた。

 〝堅硬たる国の盾〟とも呼ばれるオルラウンド侯爵家の当主、クロム・オルラウンド。その息子であるオニキス・オルラウンドは互いに肩を並べ、王城の廊下を突き進んで行く。

 その圧力たるや、擦れ違う王城の務め人たちが震え上がって道を譲るほどだった。表情こそ貼り付けた無表情であるものの、その空気はただならぬ空気を纏っていた。

 両者とも親子らしい青みがかかった黒髪であり、息子であるオニキスはまだ好青年とも呼べる愛嬌を残しているが、クロムに至っては彫刻のような厳つさである。そんな男二人が不穏な空気を振りまいているのだ、道も譲られるだろう。


「オ、オルラウンド侯爵……! し、少々お待ちを……! 陛下は現在、所用がございまして……!」

「待たぬ」


 勇気を振り絞ったように立ち塞がった騎士すらも一蹴し、クロムはトラペゾイド王国の国王が控える部屋へと押し入った。

 中にいたのは、頭を抱えている男が一人。一見すると遊び人にも見えるような軽薄さが漂っている。容姿は金髪碧眼、軽薄ながらも顔が整った男は浮名を流しても納得されるであろう。

 彼こそ、この国の国王、フィリップ・グラン・トラペゾイドである。


「ゲェッ!? クロム!?」


 クロムの顔を見たフィリップは、その顔に焦燥を浮かべる。椅子に座っていた腰が浮き、今にも逃げ出しそうな姿勢になる。

 そんなフィリップを縫い止めるのはクロム、そしてオニキスの突き刺すような視線だ。二人の視線を受けたフィリップは力なく椅子に腰を下ろす。


「陛下、お話が」

「あー、やだやだ。聞きたくない、聞きたくない。本当、すまない。悪かったと思っている。不真面目に見えるだろうが、真面目だ。本当に真面目なんだ。誠心誠意、心からの本心だ。どうか許しておくれ、友クロムよ! 私の無力さを!」

「陛下」

「はい」


 繰り返し呼ばれたことで、役者の如く振る舞っていたフィリップはすっかり縮こまってしまった。


「あー、すまない。私もまだ概要でしか聞いていない。今、事実確認中だ。答えられることは少ない。だが、ウチのボンクラが遂にやらかした。しかも最悪な形でだ。本当なんなのっ?」

「陛下、心中お察し致します」

「察してくれるならその殺気を引っ込めておくれよぅ!」


 フィリップは涙になりながら情けなく悲鳴を上げた。しかし、クロムの殺気は収まらないままだ。


「……陛下。これはどうしても必要なことだったのですか?」


 黙っているままのクロムに代わって口を開いたのはオニキスだった。


「どうしてこうなる前に婚約破棄をして頂けなかったのですか」


 オニキスは内心、この国王に対して憤りを感じていた。それは妹、ベラドンナの婚約について、そしてその婚約者である第一王子、クラレンス・トラペゾイドの頑迷さについて。

 生まれてからすぐに整えられた婚約。それはトラペゾイド王家とオルラウンド侯爵家の契約と言い換えることが出来る。


 それが、クラレンスによって最悪の形で破られたのだ。以前からクラレンスの妹に対する振る舞いにはオニキスは不平不満を溜めていた。

 国と家との契約に嫡男でしかない自分が口出しすることは出来ない。王子に直接物申してもなしの礫。

 妹のベラドンナがどんな気持ちで耐えていたのか、オニキスには計り知れない。最愛の妹に苦手意識を持たれていることはよく理解していたからこそ、オニキスは遠巻きにしか見守れなかった。それを、今になって悔やんでいる。


 そんな苛立ちがフィリップに向ける態度に混ざってしまったのだろうか。フィリップは肩を竦めて、小さく溜息を吐いた。


「出来る訳がないだろう。肥えた宮廷雀どもがただでさえやかましかったのだ。クロムという盾を私に失えっていうのかい。嫌だぞぅ、私は!」

「しかし、ベラドンナがあまりにも不憫です」

「そりゃ、クロムの友として、君たちを良く知る者としては胸が張り裂けんばかりに悲しいし、不甲斐ないし、申し訳ないと思ってるよっ? ――だが私はこの方法でしか国を回せない」


 情けない表情を一転させ、感情すらも消し去った無表情のフィリップにオニキスは息を呑む。


「保つなら最適を、突き抜けさせるなら最高か最悪が良い。状況が最悪なら、こっちだって最悪に対する一手を打とう。なに、先に〝手を出した〟のだからな。大義名分を頂いた返礼はしっかりと考えているとも」

「……陛下ならこの事態を事前に収められたのでは?」

「収めて、それが最善だったと誰が保証してくれる? 私の息子と、君の妹。この二人で済むんだ。〝安い〟じゃないか。……まぁ、その私の勘定も正しいとは誰も保証してくれないんだがね」


 無表情をまた情けない表情に崩しながら、フィリップは苦笑交じりにそう言った。

 遊び人で情けない気取り屋である一面と、冷徹で人の情なども感じさせないような残忍な一面。そのどちらが本当の彼なのか、オニキスは知らない。


「ベラドンナには最大限、便宜は図る。そしてクラレンスにはしかと報いを受けさせる。私が与えた報いに納得がいかないなら、幾らでも報いを積もう。あぁ、それと個人的な願いだが、恨むならクラレンスではなく私にしてくれると助かるよ」

「……では、やはり王位は第二王子のディミアン様に?」

「どうかなぁ……もう一子、頑張れそうだとは思うよ? 私はまだまだ元気だからね?」


 人の良さそうな笑みを浮かべてそう言ったフィリップに、オニキスは口を閉ざしてしまった。

 この方は、平気で人を利用して、見捨てて、切り捨てることが出来るのだと思わされてしまう。それが本心からなのか、そう振る舞っているのかはやはりオニキスには見分けられない。


「さっきから黙っているけれど、クロムはどうなんだい? 言いたいことがあるなら、不敬も許しちゃうから容赦なく言ってくれたまえよ!」

「そうか」


 大袈裟な身振りで席を立ち、距離を詰めてきたフィリップに対して沈黙を保っていたクロムが小さく頷く。

 次の瞬間、クロムの握り締めた拳がフィリップの頬へと突き刺さり、半回転しながらフィリップは執務机に叩き付けられた。

 あまりにも突然、そしてあまりにも暴力的な光景にオニキスは目を見張ってしまう。


「ぐ、ぉ……ぁ……!」

「これで満足か、フィリップ」

「よ、容赦ないな……! 殴ったね、よりにもよって私の顔を……! これしかない取り柄を……! せめて服の下に隠れる所にするとか配慮はないのっ?」

「どうせそれも利用するのだろう。……次はない。一度で片付けろ。それならばまだ剣を預けておいてやる」

「いたたた……本当、容赦ないなぁ。もし私がやらかしてしまったら、と思うと信頼に値するけどね。クロム、君はどうかそのままで、いや、もうちょっとベラドンナちゃんには優しくしてあげたら良いと思うよ! 煩わしいことはなくなるのだからね!」

「……持ち込んだのは貴方でしょうが、陛下」


 チッ、と重々しい舌打ちがクロムから漏れる。あの父上が舌打ちを、とオニキスが戦々恐々としている間にフィリップが足をガクガクさせながら立ち上がる。


「本当に、すまないと思っている。私は決して報われることはない。どうか、それで溜飲を下げて欲しい」

「……心中、察しております。陛下」


 僅かに震えながらも背筋を伸ばして言うフィリップに、ただ静かにクロムは返答する。その二人の間にオニキスが口を挟むことはしない。挟むようなことが出来ないとも言えたが。


「近々、正式に改めてこちらから呼び出すことになるだろう。今日の所は引き下がって貰えると助かるよ、クロム」

「そのつもりです。陛下につきましても、どうかお休み頂きますよう」

「あぁ、友よ。痛み入る」


 それを最後にクロムはフィリップへと背を向けて退出しようとする。オニキスもフィリップへと一礼をし、父の後を追う。その背に最後まで、フィリップの視線を感じながら。


「……父上」

「何も言うな。そして言いたいことがあるなら、ただそれを己の教訓とせよ」

「……畏まりました」


 何も言わせまいとするクロムに、オニキスはそれだけ返事をして黙りこくった。

 フィリップも、クロムも、そして自分や妹も含めて、誰も彼もが不器用なのかもしれない。そんな思いがオニキスの胸に過るのだった。

 今日の疲れを明日に残す訳にはいかない。明日から忙しくなる。そんな思いを抱えてオニキスは父と共に帰路につき――。



「――旦那様! お嬢様が……ベラドンナお嬢様が!」



 ――帰宅早々、クロムがその場で卒倒してしまうことになるとは、オニキスも夢に思わなかったのだった。


 

 

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