第二話:その名はカーバンクル
問.自暴自棄になって、捨て身でやったルーレットで大当たりをしてしまった場合、どうすれば良いのでしょうか?
答.わかりません。
私が現実逃避をしている間にもどんどんと事態は進んでいき、遂にカジノのオーナーから話があるということで別室へと案内されることになりました。
見るからに特別なお客様を持て成すための部屋で、装飾も目を見張るほどに豪華です。その中で一人の男性が待っていました。
「ご足労頂きありがとうございます、ベラドンナ様。私はこのカジノのオーナー、アッシュ・グレイと申します」
「い、いえ。こちらこそお騒がせして申し訳ございません……」
恭しく一礼をしたのは細身のオジ様です。身なりから礼の姿勢まで完璧です。白髪交じりの銀髪を緩く後ろに纏めていて、実にダンディな魅力を纏っています。
モノクルをつけた灰色の瞳が私をじっと見つめるので、ついつい背筋が伸びてしまいます。うぅ、緊張で色々と戻してしまいそうです。
それにしもて、アッシュ・グレイですか。なんとも偽名です、と言わんばかりの名前ですね。
色々と思考が目まぐるしく浮かびますが、それでも表情に出ないのが私です。これも家の教育の賜物ですね……。
「ベラドンナ様にここまでお越しいただいたのは、本日の配当金の支払いに関してです。額が額なものですから、一括でお支払いするのに問題がありますので、そのご説明をと思いましてこちらにご案内させて頂きました」
「ほ、本当にお世話をおかけして申し訳なく……あの、それで配当金なのですが、あの額を本当にお支払い出来るのですか……?」
「……それは我がカジノが支払いを滞らせるのでは、と信用を頂けないということでしょうか?」
モノクルがきらりと輝きを帯びたように光り、アッシュさんの目が鋭く細められました。
私は内心、慌ててているものの、本当に表情がぴくりとも動きません。あぁ、違うんです! 誤解なんです!
「い、いえ、疑っている訳ではなく……むしろ、本当にあの額が当たってしまったのか、現実感がなくて……」
「なるほど。確かにベラドンナ様は全てを投げ捨てても良いという覚悟で全てのチップを賭けていましたからね。一発大当たりを狙っていたのではなく、むしろご自身が破滅する理由をお求めになっていたとお見受けいたします」
「……はい」
私は破滅しても良いと思っていました。その結果が真逆の大当たりなので、私も頭が混乱しているのでしょう。
何せ、大金貨十万枚です。貴族であっても、こんな大金を抱えているのはよほど才覚に溢れ、領地にも恵まれた大貴族でもなければ捻出することが出来ない金額です。
それをぽんと手に入れてしまっても、これからお先真っ暗だと人生を投げ捨てていた私にはどうしていいのかわかりません。
「ベラドンナ様、これは現実でございます。貴方は破滅するつもりだったのかもしれませんが、こればかりは時の運でございます。貴方は……そう、運に選ばれた存在なのかもしれません」
「運に選ばれた?」
「はい。運とは人の手には余り、見通すことも制御することも叶いません。その幸運が貴方の下に訪れたのは、運の方から貴方を選んだのかもしれません」
「……それは、誰の意思なのでしょうか?」
「それは人には預かり知れぬ所でしょう。私からはただ神の意思としか申せません。それに私たち、カジノを運営する者どもには創設から続く金言があります」
「金言ですか?」
「はい。運を愛せよ、幸運も悪運もまた運なり。あらゆる運を愛せた時、さすれば人生は何よりも価値がある、と」
私は不思議な方だとアッシュさんに対して思ってしまいました。これはカジノに身を置く人ならではの雰囲気なのでしょうか。
カジノを運営しているのは〝カーバンクル〟と名乗っている組織です。あらゆる国に存在し、しかし国に属さず、けれど国に対して影響力を持つ、という不思議な組織です。
カーバンクルはカジノの運営だけでなく、お金の貸し借りや慈善の資金提供などを行っています。しかし、あくまでカーバンクルの本命はカジノの運営にあるようなのです。カジノの運営のための事業を展開している、というのが正確でしょう。
あらゆる国から独立を認められ、どの国にも属さず、政治にも関わらず、ただ賭け事を楽しむ場を用意する。それがカーバンクルという組織の在り方です。
総資産だけで言えば小国程度なら飲み込めるだけの富を持つと言われていますが、カーバンクルが積極的に政治事情に介入したことはありません。
カジノで大当たりした人が、結果的に政治事情を大きく変えることは勿論あります。けれど、カーバンクルは良くも悪くもその影響を受けるようなことはありません。ただ変わった結果を受け入れる、そんな印象を受けます。
だからこそ、カジノは争いは御法度な中立地帯でもあります。中立地帯であるが故に、政治的な対立の立場にある方々も集まってゲームを楽しんだりしているのです。既にカジノは社交場の一つとして欠かせない場所となっているのです。
だからなのでしょうか? 私がアッシュさんにどこか独特な雰囲気を持っていると思ったのは。私自身、賭け事には興味を示さず、カジノの方々とここまで話したのは初めてなので、少しばかり興味が沸いてきます。
そんな思いから熱心にアッシュさんの顔を見ていたのですが、まるでアッシュさんが幼子を見守るような優しい表情を浮かべたことで自分の振るまいを思い返す羽目になりました。
くっ、なんて私ははしたない真似を……! 羞恥に悶えそうになりましたが、そこにアッシュさんの優しく語りかけてきました。
「戸惑いはあるかと思います。ですがベラドンナ様は運に祝福され、富という力を手に入れました。私たちは貴方の運に敬意を示し、提示された金額をお支払い致します。そこから先はベラドンナ様の自由にされるべきでしょう。貴方にはそれが許されるのですから」
「……自由、ですか」
自由にする、というのが一番苦手で、今一番困っている理由なのですが。
「……あの、アッシュさん。一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「お金はお支払い致しますので、行く宛が見つかるまでここで面倒を見ていただくことは可能でしょうか……?」
とりあえず、大金を貰っても使う宛もなければ行く宛もないので困っています。そう正直に話すと、アッシュさんはただ黙って私を見つめてきました。
「……ご家族は? 失礼ですが、ベラドンナ様はオルラウンド侯爵家のご令嬢様でいらっしゃいますね?」
「ご存じだったのですね」
「不干渉であることと、無関心であることは違いますから。貴方がこの国の第一王子の婚約者であり、影に潜む賢者であるとは噂を聞いております。ベラドンナ・オルラウンド侯爵令嬢」
「私は賢者などと、そんな大層なものではありません。……先ほど、婚約破棄を宣言され、家からも価値なしと宣告された身なので」
これには流石のアッシュさんも驚いたのか、目を見開いて私を凝視しました。
それにしても賢者などと、今の私にとっては滑稽なあだ名ですよね。王子の耳に入ってないことを祈るばかりですけど。
いや、もうどうでもいいですか。婚約破棄もされ、家を飛び出した私には関わりになることがない人なのですから。
「……では、ベラドンナ様は婚約破棄を告げられ、帰宅後すぐに家から飛び出してカジノに来て、そこで自分すらも担保に入れてお金を借り受け、ルーレットで大当たりをして今に至ると?」
「はい……」
「それは……聞いたことがない程に波瀾万丈な一日でございますな。地獄に落ちたかと思えば、その先は天国だったと言わんばかりのお話です」
「地獄でも受け入れ拒否をされてしまったのかもしれないですね」
「ならばよほどの悪運をお持ちだったのでしょう。剛運と言い換えても良いでしょうが。成る程、それであのような無茶な賭け方を……」
アッシュさんは感心したのか、或いは呆れているのか読みづらい呟きを零しました。
私としてはハイになっていた心境から戻ってきて、今はただ肩を縮めることしか出来ません。
「――ははっ、なんだそれは。実に愉快な運命を辿ったな、娘よ」
不意に声が聞こえました。いつの間にか、部屋の片隅に一人の女性がいたのです。
髪は息を飲んでしまいそうなほどに美しい金色。瞳は並の宝石では、その輝きすらもくすんでしまいそうな鮮やかな深紅。
身に纏っている赤色のドレスは鮮やかなグラデーションを見せ、まるで踊る炎のようです。
そして何より目を引き寄せるのは、額に埋め込まれたルビーのような宝石です。先ほど、瞳が並の宝石の輝きを損なわせると思いましたが、その額の宝石は決してその美貌に劣ることなく、異なる美と美が調和しているのです。
正に美を体現する存在がそこにいたと、私は言葉ではなく魂で理解させられました。存在そのものの格が違う。彼女は人の形をした、別の何かだと。
息を飲んで固まってしまった私を、彼女は口の端をにやりと持ち上げるように微笑みながら見据えています。
「ジュエラ様、お越しになられたのですか」
「あぁ、楽しそうな運命を持つ者の気配に釣られてね。ご苦労、アッシュ」
「……貴方様は……?」
「私かい? では名乗ろうか」
ただ不敵に、傲慢に、揺るがぬ自信が振る舞いにまで現れている彼女は名乗りを上げました。
「私はジュエラ・カーバンクル。カーバンクルの創設者であり、今は名誉永世顧問だ。よろしく、数奇な運をお持ちのお嬢様?」