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第十五話:あまりに虚しい

 クラレンスは私の言い放った言葉に目を逸らしました。その仕草が、逸らされた視線こそが何よりも私を落胆させました。

 失望。ずっと感じていた思いが栓を抜いてしまったように溢れていきます。こんな人の為に、私は人生の大半を注ぎ込んで生きて来たのかと思うと喪失感が胸を襲います。


「なんとか言ってくださいよ……」

「……」

「これで満足ですかっ? これで……こんな結果で! 貴方は何がしたかったんですか!?」


 私の叫びにクラレンスはやはり何も答えない。ただ拳を固く握って、身体を小さく震わせていた。


「……答えよ、クラレンス」


 そこに感情が抜け、冷え切った声で促したのはフィリップ陛下でした。


「ベラドンナは己の未来を賭けてまでこの場を用意した。正当な訴えでなければ処罰を考えなければならないが、私はここに至るまでベラドンナを咎めなければならぬとは思えなかった。ならば、お前はベラドンナの覚悟に対して返答すべきだ。それがお前の責任だ、クラレンス」


 フィリップ陛下にまで返答を求められて、クラレンスの身体の震えが大きくなっていきました。呼吸は浅く、目は焦点が合っていません。

 彷徨うばかりの視線はやがて床へと向かい、そのまま膝から崩れ落ちるようにクラレンスが跪いた。



「――だったら、どうしろと言うのですか!?」



 血を吐くような絶叫。痛ましいまでの声を上げて、クラレンスは私たちに訴える。


「私は、父上には求められていないのでしょう!? 誰も私を必要としない、必要としているのはこの血と地位だけだ! 父上の子供であることと、ベラドンナの婚約者であること以外に私に価値がなかった! そうして見捨てられていたのに、見限られていたのに! 私は何をすれば良かったと言うのですか!」


 ……それは感情に訴えかけるほどに必死で、クラレンスの絶望を感じさせます。勢いだけで鑑みれば、まさに真に訴えた叫びだったでしょう。

 けれど、私は心が冷え切っていった。彼の絶望が深ければ深い程、心が冷え切っていくのです。


「……そんな事もわからないのに、貴方は私を蔑ろにしていたのですか」


 私の言葉にクラレンスはゆっくりと顔を上げました。もう、見る影もなく子供のように震えているクラレンスに私は唇を噛みしめる。


「ずっと、私は示していたじゃないですか。私が代理でやっていた事が貴方のやらなきゃいけなかった事です。ただ、それだけの簡単な話じゃないですか」

「……ッ……私など! 幾ら務めを果たした所で! お前に劣ると! そう言われ続けて来て、何故、そうまでして!」

「それが王族だからでしょう!!」


 憤りに任せた声は一段低く、声量は何倍にもなってクラレンスへ叩き付ける。


「周囲と比べられても、どんなに無能と蔑まれても、貴方は王族に生まれた! 次期国王にならなければならないと定められた! その為に果たさなければいけないことなど、一生かかっても終わらない程あるのです! 王が民を先導するからこそ、国は成り立つのです! なら貴方がするべき事は……私を蔑ろにするのではなく、私を上手く用いること! そうじゃないのですか!?」


 何度か息を荒らげ、途切れそうになる息を大きく吸う。その間に私の瞳からぽろぽろと涙が流れ落ちていく。

 泣くな、と思っても涙は止まりません。あまりにも悲しくて、あまりにも悔しくて、あまりにも虚しすぎて。


「貴方が愛想がない女は嫌いだと言うから私は諦めた。どんなに努力しても貴方は認めなかった。なら仕事は出来る女になろう、そうしたら貴方は私の方が仕事が出来ると私を疎ましく思った。それでも耐えて、貴方が放り捨てた仕事を私が代行して貴方を助けた! 全部、全部! 貴方のために私がしなきゃならない責任だった! 望んで背負った訳でもないのに! 苦しかった、辛かった、悲しかった! たった一言でも良い、たった一言、私の目を見て言ってくれれば、まだそれでも良かったのに!」


 声が震える。昂ぶりすぎた感情が、私の手を離れて勝手に走り出してしまう。

 令嬢としては失格だ。けれど、もう失格の烙印は押されているなら恥を重ねても良いでしょう?



「――お疲れ様、って。よくやった、って。たった、その一言で良かったのに……!」



 お父様でも、フィリップ陛下でも、他の誰でもダメなのです。私が生きていかなければならないと、仕えなければならないと定められたのは貴方なのに。

 貴方に何も認めても貰えない、労ってもくれない。ましてや陥れられる程に憎まれているというのなら――私の人生に一体何の価値があったと言うんですか?


「私の価値を、私の生きて来た意味を、私が果たしてきた責務を、何もかも無意味にしないでください……!」


 だから知りたかった。何を思っているのか、何を考えているのか。そうすれば、少しでも救われると信じたくて。でも、こんなの。何も、何も救われないじゃないですか……!

 私が止まらない涙を拭うと、鮮明になった視界が魂が抜けたように私を見ているクラレンスを映しました。こんなにもクラレンスに見つめられたことは、今まであったでしょうか?


「……よくやった、と。それだけで、良かったのか?」

「……はい」

「たった、それだけのことで」

「些細でございます。でも、その些細すらも頂けなかった」


 視界の端で、お父様が強く拳を握り締めたのが見えました。フィリップ陛下が無念そうに目を伏せたのも見えました。

 クラレンスは、跪いた格好から茫然と両手を床に付いて、力なく項垂れるように視線を下げました。


「…………お前は、私と同じ、人間だったのだな」

「……っ、本当に、貴方は最低です……!」


 この男の首をへし折ってやりたい。そんな暴力的な衝動が一瞬沸いて、それを無理矢理抑え込む。

 そんな事をしても、もう何も満たされないし、報われることもない。ようやく欲しかったものが手に入ったのに、何も嬉しくはない。それなら、いっそ何も与えられない方が良かった。


「私も、貴方を同じ人間だとは思いたくなかった……!」


 いっそ、苦しみに塗れて死んで欲しい。そんなの正しくないと思っても、滲み出るような悪意に私は身を引き裂かれるような思いでした。

 私はどんなにこの人を憎く思っても、最後の最後で手は下せない。それが私の人生だったから。きっと最後まで私を呪うものだから。この人を憎み、傷つけ、殺すために私の人生があったなんて、そんな結果は認められない。


「もう一度、聞きます。――これで満足ですか? クラレンス」


 私の問いかけに、クラレンスは項垂れたままにゆっくりと首を左右に振った。

 こんな結果を、望んでいた訳じゃないと。それが……忌々しい程に私を縛り付ける。これが望んだ結果でないなら、私の今までの教えが、今までの人生が、最後の一線を踏み越えさせない。


「……お前が」


 ぽつりと、クラレンスが俯いたままに喋り始めました。


「お前が、私の思う悪であればと……思っていた。そんな訳がないこと、私にだってわかっていた。それでも、それを信じなければ、私にはもう、何も、何も出来なかった……」

「……私が悪人であれば、と。一体、どうしてそのように考えたのですか? 誰かがそう言いましたか? それとも自分を正当化するための言い訳ですか?」


 私が問いかけても、クラレンスは何も反応を返さない。ただ、壊れた蓄音機のように頭を抱えて言葉を吐くだけです。


「ニーナが……」

「ニーナ……あぁ、あの平民の方ですか」

「……逆らえば、ニーナが……殺される……だから……」

「それで私を追い落としたのですね。……だから利用されるんですよ、クラレンス。貴方も、ニーナさんも」


 ニーナさんはクラレンスが私に婚約破棄を突きつけた場面で彼に寄り添い、私に嫌がらせを受けていたという平民の女子生徒です。

 平民でありながら貴族も通う学校に通えるほどの学力はありましたが、良くも悪くも純朴で裏表のない、素直で大人しい少女でした。

 お兄様の調べでは、白よりの灰色という結果でした。彼女自身は本当に何かを企んだ訳でもなく、自分への虐めに頭を悩ませていたそうです。

 そんなニーナさんを庇い、私の仕業と囁いた者がいる。ニーナさんを誘導して、クラレンスに私の断罪劇を行わせた輩が。

 ニーナさんへの虐めも含めて全てを仕組み、その糸を手繰っていた者がいる。


「私を追い落とさなければ、ニーナさんが殺されると、そう脅されたのですね?」

「ニーナを守るためだ! 守るためには仕方なかったのだ!」


 仮の話で、もしクラレンスがニーナさんを本当に愛していて、王家に迎え入れたいという気持ちがあるなら愛妾になることを薦めたでしょう。

 愛がなくても国王と王妃というパートナーとして、そして愛する二人は愛妾という枠で迎え入れることは出来たと思います。

 そうしてくれれば私はニーナさんを受け入れたでしょうし、クラレンスの甘さには勝手にしてくれと思ったでしょう。


 けれど、私は何も相談されなかった。クラレンスは私を頼るともせず、私を見ることもない。そんな私も彼を見ることもなく、守ろうともしなかった。

 この騒動は、そんな隙を突かれた私たちの責任で、恥です。クラレンスは王族であるのにはあまりにも才が足りず、心が弱り果てていて。私はそんなクラレンスを支えることが出来ず、この事態を招いてしまった。

 目論んだ者たちにとってクラレンスが成功しようと、失敗しようとどちらでも良いのです。未然に防げず、事を起こされた時点で私たちの負けは決まっていたのです。


「……情けない」


 私も、クラレンスも。本当に情けない。これで私の令嬢人生は終わってしまった。

 この程度の陰謀も防げず、防ごうとも出来なかった。どんなに言い繕っても資格なんてない。この無能であるという烙印は永遠に残り続ける。


「クラレンス殿下」


 敢えて敬称を戻して呼ぶとクラレンスがゆっくりと顔を上げて私を見ました。

 互いにお互いをどうすれば良いのかわからないまま、ここまで来てしまった。


「貴方が真剣に私と向き合ってくれれば、様々なことを教えられたでしょう。いいえ、むしろ教えたかった。男としては愛せずとも、弟のように思っていましたから」

「……ベラドンナ」



「――残念です」



 


  

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