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私と「私」の感情の軌跡  作者: オレオEX
1/6

1日目「人間は極端な生き物である」

 「このままでいいのか。また逃げるのか。そう、もう1人の自分が話しかけてくるんだ」

 そんなことを、なんとなく口にした。このままでいいのかと言われれば、それは違う気がする。受験勉強だと言いながらわかりそうでわからない問題をひたすら解き続け、飽きたら趣味の読書やゲームをして遊ぶ。そんな日々が、かなり続いている。今の私は、停滞を望んでいるのかもしれない。

 体が動かなくなって、学校に行けなくなってからどれくらいたっただろうか。今はもう体はどうにか動くようになったし、独学だがなんとか勉強もしている。その間、私はどんな時間を過ごしてきたのだろう。

 動けなくなる前までは、ふつうに学校に通って、普通に授業を受けて、普通に友達と遊んだ。成績が良いわけじゃなかったけど、勉強自体はできたし、学校生活で困ることはあまりなかったと思う。

 それとは対照的に、今は学校に通っているわけではない。受験勉強はしているが、それもどこまでやればいいのかよくわからない。友達と遊ぶ機会も、めっきり減ってしまった。これが幸か不幸かという話は、今度するとしよう。

 さて、この小説というか文章は、そんな私が今考えていることを、ちょっと小説っぽく書いてみようというものである。まあ、日記のようなものだ。

 この瞬間にも、書きたいことが浮かんでは消えていくわけだが、とりあえず今日は、「人間は極端な生き物である」ということを話そうと思う。

 今日、気分転換に散歩をしていると、水を張った田んぼを見つけた。私が住んでいるのはそこそこの田舎で、今は6月。蒸し暑い季節だ。風は多少吹いているが、清々しいとはいいがたい。そんななか、一面に水が入った田んぼは、私の心を少し和ませた。

 田んぼの中をよく観察すると、小さな生命体が動いているのが見える。おたまじゃくしだった。まだ小さいから、生まれたばかりだろうか。この前までは田んぼには水がなかったのに、どうやって生まれるのだろうか。生命の神秘である。まあそんなことを考えながら、5分ほどでその場を後にした。

 その帰り道、私は空き缶のごみを見つけた。今日2つ目の発見だ。だが、私はそのごみを見て見ぬふりをして歩き去ることを選択した。田んぼの時は、立ち止まってまで観察したというのに、ごみがあることには気が付いても、見て見ぬふりをしたのである。

 さて、「人間は極端な生き物である」。興味があることには、多少時間を使ってでも、その場の空気が不快でも立ち止まる。そんな好奇心があるのにもかかわらず、自分が嫌だと思うものには見て見ぬふりだ。

 気分転換とともに新たな発見を求めて散歩をしているのに、これではその目的から随分と離れてしまうではないか。空き缶からも、考えられることはたくさんあるというのに、私はその機会をポイ捨てしてしまったのだ。

 私は、家に帰ってから、そんな自分が嫌になった。そんなことを、この文章を書いている間ずっと思っているのだ。

 「明日、あの空き缶を拾いに行こう」

 私はそう決意した。それが、私が前に踏み出すための1歩のような気がしたのだ。

 「このままでいいのか。また逃げるのか」

 そんな声は、もう聞こえなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] インナースペースを旅しているみたいな文がとても好きです。 あるならば、このまま続けて欲しいと一読者として思います。
2020/06/27 21:02 退会済み
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