九覇城夜襲
九龍城砦をモチーフにしたEdgeの街、九覇城は、300メートル四方程度のエリアにアンバランスで細いビルが密集した構造だ。
だが、最初に破壊した街と同じく遠距離から爆撃すれば、むしろ中にいる敵は殲滅しやすいように感じられる。
それが今回はできないのだ。
この九覇城はかの幻想城外壁と同じく、『 壊せないオブジェクト 』でできているのだ。
Edgeの家屋などオブジェクトの殆どは破壊が可能である。
約1時間で完全回復し、巨大であるほど回復に時間を要するという設定だ。
光速弾のスナイパーに破壊された街も、すでに完全にもとに戻っている。
しかし、ダンジョンの一角や刑務所の外壁など、ゲームの進行に大きく影響する場所は破壊不可のオブジェクトとなっていた。
この九覇城はほとんどの構造物が破壊不可オブジェクトで、まさに鉄壁の防御を誇っている。
だが、複雑な構造ゆえ拠点とする方も大変な苦労を強いられる。
一度迷い込めば抜け出すのも一苦労、其の上そこら中に九覇城素人を狙う玄人が潜んでいた。
もちろん警察もこの街に特化した部隊が配置されたが、やはりPK発生率に対して検挙率は低い。
最悪の街にも引けを取らない治安の悪さでも有名だった。
腕章のガスマスクは、放置民はこの中でも迷うことはないだろうと想像している。
彼らは機械的な解析をもとに空間把握を行っているように感じていたのだ。
一見意思があるように見えて、人間ではないなにかの存在を確信していた。
GVRA軍は九覇城を望む丘に展開し、近距離軍団を突出させている。
だが、今回は其のうちでも半分程度を動員するばかりで、一見明らかな兵力分散を犯しているように見えている。
彼らは号令とともにすぐさま数少ない街の入り口から突入できるように、牽制距離を保ちながらまばらに集合していた。
丘の上から眺める腕章のガスマスクに連絡が届く。
『 敵はこっちの襲撃に余裕をかましてる。
大体、麻雀かテキサスホールデムで遊んでやがるぜ。
ていうか、部屋ごとに一卓おいてチーム作って大会を始めてやがる 』
「ふむ、大分面白いやつが指揮をとってるらしいな」
腕章のガスマスクからすると、今回も白翁党に注目するだけだった。
放置民と白翁党はコミュニケーションが取れているとはとても思えなかった。
白翁党が勝手に動く放置民に併せて展開しているのだ。
密偵からの報告はまだ続く。
『 大将は刑務所に陣取って、女を侍らしてふんぞり返ってるぜ? 』
九覇城の刑務所は南側エリアの一番奥にある。
南側には入り口が一切ない。
長方形エリアだった九龍城砦と違って、ほぼ正方形のエリアに広がる九覇城では、どこから突入しても最も遠くにあるビルが刑務所ということになる。
ふと、遠くから密偵を呼ぶ声が通信越しに聞こえてくる。
どうやらゲームに復帰するのを急かされているようだ。
『 おっと、オレの順番だ。
さっきトップをとって流れが来てっからな、こいつを逃す手はねえ 』
「馴染むのは良いが開戦は近いぞ。
つまらん死に方はせんことだ」
手を振って部屋の中へ向かう姿を最後に、密偵は通信を切断した。
腕章のガスマスクが九覇城を攻撃目標と定めた時、まず行ったのは、この魔窟をよく知るプレイヤーをGVRA軍から選別することだった。
九覇城を拠点としていた、というプレイヤーは3万のウチ約200。
この内、九覇城こそがオレの根城だった、と豪語する者が3人であった。
腕章のガスマスクは彼らをリーダーに3チームを作り先行させ、まんまと敵地に潜入させていた。
情報処理班の二人は常に腕章のガスマスクの傍らに有り、最新の戦況を伝達してくるだけでなく、敵へのジャミングや軍務管理、更にはEdge内からリアルのPCを遠隔操作し非アクティブユーザーを扇動するなど、とにかく其の働きは輝かしいものだった。
彼らは、すでに九覇城の中にある敵数をおよそ2000と割り出している。
白翁党員が8割以上を閉めているという特徴を導いた情報処理班の働きにより、GVRAの作戦は定まっていた。
先の戦いでは3500に対して3万の全力で叩き潰した。
今回は2000に対して200で、ほとんどの決着をつけてしまおうと目論んでいるのだった。
内部から破壊するためには、敵に対して少数をもってすべきと腕章のガスマスクは考えている。
九覇城に精通したプレイヤーによりもたらされたのは、城内には監視のしようがない場所が多数存在し、間違わなければ最深部まで接敵せず入り込めるルートがあるとの情報だった。
併せて、どの攻略サイトにも公表されていない詳細な内部のマップを作ることができた。
九覇城を根城にしていた3人のウチ一人は、日々の殆どをEdgeにログインしており、所謂ユーチューバー的な活動で生計を立てていた。
彼曰く。
「九覇城を知らないやつが何人あそこに集まっても、ろくに戦えやしませんぜ。
逆に、白翁党にオレみたいな九覇城の住人がいて、そいつがしっかり指揮をとっていたとしたら、何人使っても勝てる見込みは有りませんぜ、旦那」
これをもとに潜入部隊の動きを定め、放置民に変装したものも混ぜこみ、極めて少数をもってすでに城内の拠点を抑えてしまっている。
この作戦がスムーズに進んでいることで、腕章のガスマスクは、先の戦闘と同じく敵軍の指揮に落が全く絡んでいないと確信する。
落が差配しているならこの九覇城に拠点を構える利点を最大限にいかし、入り口での敵殲滅を徹底させるだろう。
こちらが九覇城に精通したプレイヤーからの情報をもとに作戦を立てることを想定し、本来監視できるエリアを放置してでも、監視できないとされる場所に無理やり伏兵を忍ばせるに違いないのだ。
そうであったならすでに戦況は混乱を極め、被害だけを出し撤退を強いられるか、戦力の逐次追加投入を余儀なくされ、GVRA軍の劣勢は明らかであったろう。
指揮官に使いこなせる技量があれば、九覇城はまさにラストダンジョン後のぶっ壊れ隠しコンテンツそのものだった。
『 ぼちぼち配置に付けた。
そっちのタイミングで始めるぜ、旦那 』
だが、入り口での接敵すらほとんど無いままことは進む。
腕章のガスマスクからすれば、少数にも反応して突入時に一定の抵抗を予想していた。
もしそうなら、それだけを理由に、この街の攻略を完全に諦めるプランであったが、杞憂となった。
腕章のガスマスクの耳には、街の喧騒すら遠く、ただ夏の夜に浮かび上がる不気味な魅力に溢れた九覇城が静かに佇む。
3万に達しようというGVRA軍は、丘に展開しながら、普段の彼らからは信じられない統率で静かに息を潜めていた。
九覇城の白翁党に、自分たちの覇気を気取られないように。
Edgeの住人に潜在する、何でも良いから勝てば良いという気概が、ほとんど全員に腕章のガスマスクの考えを浸透させていた。
「時計を合わせろ……」
声を潜めて腕章のガスマスクは全軍に通信を開始する。
「作戦開始5秒前……」
情報処理班の一人、白衣の女性から同期完了の報告を受け、静かなる号令を発す。
全員が沈黙の内に5秒をカウントした瞬間、巨大なブレーカーの落ちるような音がGVRA軍までとどき、九覇城から漏れ出ていた無数の光が一気に消失する。
ほのかに聞こえていた生活感を感じさせる音楽や、喧騒も消え失せ、城自体が驚愕に息を呑むような張り詰めた緊張感を放った。
夜闇は一層濃くなり、一瞬九覇城そのものが消え失せたように感じたが、次第に腕章のガスマスクの目にもはっきりと、混乱の魔窟が浮かび上がってくる。
しばらくして、予定通り怒号と戦闘音が響き始めた。
先行した200の兵力は3チームに分かれている。
それぞれ東、西、北から潜入し、直近エリアでの活動を担当した。
1チームには3つのミッションが与えられている。
一つは電源の破壊である。
九覇城を自分の根城と断じた3人のプレイヤーは、詳細なマップの他にも多くの情報をもたらした。
ほとんど破壊不可オブジェクトでできている九覇城において、破壊が可能な部位についても彼らは網羅しており、何重にもなったぶっとい電気ケーブルも壊せる事がわかったのだ。
本家の九龍城砦では、どこから引っ張ってきたかわからない電源ケーブルが巡っており、当然満足なシールドなどされてはいなかった。
その為、建物の外へケーブルを巡らすことで感電を防止していたのだ。
九覇城もこれに習って、建物の外の壁、ベランダ、雨樋などなどに無数のケーブルが這っている。
とても無防備に。
ところが、これを砦の外から破壊するのは実質不可能であった。
九覇城が実装された当初、運営はこのケーブルをエリアの弱点に設定していた。
外からケーブルを破壊するものと、中でPKするものでタッグを組んで、有利な環境を作れるように設置されたのだが、九覇城を根城にしていた3人みたいなプレイヤーたちが、外からケーブルを攻撃できないように巧みに破壊不可オブジェクトで隠してしまった。
それができるなら外に出すな、と感じるが、こんな扱いの厄介な場所に住み着くプレイヤーは、当然ながら九龍城砦の大ファンである。
『 外にケーブルが有る 』、その特徴は譲れないというバカな理由で、中に入れてしまうのは拒否されたのだ。
そのうえ彼らはケーブルが破壊不可オブジェクトであるかのように、偽の情報をリアルの攻略サイトなどで流布した。
もちろんいくら隠しても完全にコントロールできるはずもなく、少し調べれば事実は見えてくるが、そこに着目するプレイヤーは、彼らの努力で確実に減らされていたのだった。
ケーブル破壊に展開するプレイヤーが任務を進めるために、敵を監視し揺動する何名かが白翁党に直接接触している。
200の内大多数はこの任務に回っていた。
敵は九覇城の防御力の高さにあぐらをかいて、何一つ襲撃の対策をとっていない。
彼らが興じるゲームに参加し、一緒になって盛り上がっていればこの任務はおおよそやることがない。
GVRAの先行組200、とりわけリーダー3人は、ここまでの白翁党の反応の悪さに敵をなめきっていた。
其の判断は概ね間違いではなく、九覇城の白翁党を取りまとめる幹部、若頭補佐その1は極めて現状に楽観的である。
部下から届いた丘の上にGVRA軍が集結しているとの報告に、イベントも始まらないこの時間帯、遠くに敵が出たとしても所詮偵察、脅しに過ぎないととりあわない。
彼は日頃から組織の義理ごとを段取りする事が多い。
本当のところ、重要な義理ごとを本腰を入れて差配するには若干貫目(地位)が足りないのだが、そこは慣れたやつにお鉢が回ってくるのが世の常である。
さて、今回も白翁党員が狭いところに多数集まって、時間を持て余したとなると、部下からは彼に期待の目が向けられる。
『 なにかヤッてくれるはず 』
男というのはこういうのに敏感で、そこの期待を裏切るわけにはいかないのである。
若頭補佐その1は案の定、必要以上に気合を入れてイベントを組んだ。
彼が催した麻雀とテキサスホールデムポーカー大会は大盛況で、早速白翁党の連中は白熱することになる。
もちろん潜入しているGVRAプレイヤーが混ざってしまうと、テーブルが上手く回らず変なことになる。
それすら臨機応変に対戦ダイヤを組み替えて、さしたる混乱もなく収めてしまった。
この手腕が少しでも戦闘に活かされれば、GVRA軍が九覇城を制するのは難しかったのだが。
さて、お気楽な2000の白翁党の中に、一部、現状に疑問と不安を持った一団があった。
彼らこそは九覇城を根城にしていた3人が油断から見落とした、『 白翁党の強さ 』であった。
「叔父貴……、丘に集まった連中どこへもいきゃしやがりません……
姿見せてからの時間を考えたら、アイツら、すでに何かしら仕掛けてるのが当たり前だす……」
西側エリアを任された彼らは、上司の顔を立てるためにポーカー大会に参加した体を装い、実質は常に戦闘準備を整えている。
2000の内、彼らの勢力は50にも満たない。
そのため、いくつにも別れた狭い部屋の殆どはモニタリング機能のみを残して放置され、拠点に戦力を集中している。
このように配置されると、攻める側にとって地獄のようなフィールドである。
西側エリアだけが、本来九覇城が持っている防御力を最大まで発揮しているのだった。
いくつもの組の集合体である白翁党の中に有って、異質なほど戦闘に特化した集団が有る。
博徒の世界に踏み入った落を擁し、今は彼が背負う組織、『 百狐州 』である。
Edgeで活動する百狐州は総勢で300程度で、本家である白翁党に義理を立てる意味もあり、落から離れた部隊がいくつか集団の中に混ざっているのだ。
九覇城に派遣されたチームのリーダーも、丘に集まるだけ集まって動きを見せない3万のGVRA軍に、ただならぬ気配を感じ取り、若頭補佐その1に釘をさした。
貴重なできる部下の具申にも、自分のイベントが上手く運んでるときに何を邪魔くさいことをいいやがる、だいたい落は気に食わねえ、と的の外れた声を若頭補佐その1が上げた瞬間に、ことは起こった。
腕章のガスマスクたちの工作により、九覇城のすべての電源がダウンしたのだ。
「ど言うこっちゃあ?!」
「兄弟! 何処やあ!」
「何をやっとんや、はよ電気つけんかいこらあ!」
瞬間、蛍光灯に頼っていた白翁党員は闇に目を奪われ、視界が完全にゼロになる。
潜入しているGVRA軍はもともと九覇城を拠点にしている連中だ。
至るところに闇溜まりがある九覇城の中では、夜目を効かせる対策は常識である。
スキルで対応するもの、暗視ゴーグルを装着するもの、不思議な種を食べて魔力感知で普段どおりの視界を得るものもいた。
とにかく、混乱と暗闇で何もできず騒ぎ回る白翁党は、多くのエリアでなすすべなく潜入部隊にPKされ始める。
むしろ、その事態にすら気づけずにいるのだ。
しばらくして各々がことの異常さを冷静に受け止め、そういえば、と何人かが暗闇対策のアイテムを使い出す。
そこで初めて、さっきまで麻雀を打っていた仲間が何処にも見当たらないことに気づく。
同じくアイテムを使って状況を把握し、お前もか、と浸しげに近寄って来た仲間が、これはやばいことが起きとるぞ、という表情のまま光の粉にかわったことで、事態を確信した。
「カチコミやあ!!」
「どこのもんならあ!!」
「関東か東北の連中とちゃうんかこらあ?!」
白翁党の騒ぎの内容が変わったのを機に、GVRAの潜入部隊は速やかに撤退に移る。
各エリア相当数をPKされ、全体では1000を超える大きな被害を出していた。
当然、白翁党はその現状を正確には把握できていない。
また、被害が多かったのは各エリアの入り口から中部エリアである。
麻雀とポーカーのイベント会場で有ったためだが、奇しくも若頭補佐その1には、GVRAの刃は届かなかった。
賭場を建てるときには、黒幕は常に一番奥に入る。
その慣習が若頭補佐その1を助けた。
とにかくも、白翁党はそれぞれのエリアの入口に向けて集まり始める。
もし、ここでリーダーシップを取れるプレイヤーがいれば、闇雲に敵を追撃せず、エリアの奥に陣を解かず現状把握に努めただろう。
だが、九覇城というオブジェクトのステータスに頼り切って遊んでた白翁党に、そんな采配は出来ようはずもなかった。
彼らは、小さな部屋に分散して麻雀卓やポーカーテーブルを囲んでいたが、入り口へ向かう狭い洞窟のような通路へ飛び出していく。
密集して思うように動けない彼らであったが、それでも先頭から順番に出口へ向かってGVRAを追いかけた。
時間経過と共に電気ケーブルが復活したことで、鈍い羽音のような濁音と共に明かりが灯り、入り口に立つ一人のプレイヤーを照らし出した。
西、東、北の入り口にそれぞれ一人ずつ、夜の闇を背景に、シルエットが浮かび上がるのだった。