偉大なる魂
危ない考えを振りかざす女性と侍を放置して、後輩は一人先に進む。
ぐいと右に曲がった道の先には、壁とシンプルなドアが現れた。
此処に教祖とやらがいるのだろうか?
このおざなり感、テレポーター以外を入信させる気はサラサラない、といった感じだ。
さっきの女性でほぼ全て追い返しているのだろう。
後輩ガスマスクはおもむろに扉をノックした。
「どなたか居ないっスか」
驚いたような声とともにドタドタと足音があり、扉が開いた。
「こ、こんにちわ……どちら様でしょうか……?」
出てきたのは割烹着を来た旅館の女将といった風情の女性であった。
随分イメージが違うと思いながら、後輩ガスマスクは要件を伝える。
「貴方が教祖様っすか?
今、グエン紛争ってイベントが始まりそうになってんすけど、知ってます?」
教祖だとうなずくのを見て、すかさず自分の用事を先に言う。
教祖は知って……ますけど、とドラマで出てくる殺された人の奥さんみたいな対応をした。
「自分はグエンに敵対してるGVRAのリーダーに頼まれて来たものッス。
教祖さんのお力を借りたいと思ってるんスよ。
いかがっスか」
「え、ええっと、とりあえず中にどうぞ」
教祖の居所は日本の一般家庭をそのまま移植したような場所だ。
廊下があり、畳の居間があり、奥の間に仏壇があり、二階があり、台所が有る。
通されたのは昔ながらの台所で、椅子にかけた後輩は裏手から入り込む夏の夜風に、このゲームに来て一番和んでいる自分を発見した。
心地よい風の入るのはどこか、と目が探し、裏手の畑に立ち並ぶ巨大な10基のミサイルを発見して、飯台に突っ伏したのだった。
「教祖さん……自分、いろんなひどい目にあってきましたが、こんな悲しかったことはないっス」
「ああ……! ごめんなさい!
驚いちゃいますよね……私だってびっくりだもの。
でもね、折角ここまで来てくださったから話すんだけど、あれは誤解なのよ」
教祖はお茶を出しながら話を始めた。
彼女の言うには、自分は教団など作った覚えはないというのだ。
「そ、そいつはまた話が飛躍するっスよ」
「確かに私はテレポートで生き残っていくために、仲間を募りました。
ギルドにして、メンバーがPKされたら犯人を全員で囲い込んで逃さないようにしてやろうって。
いずれ私達に手を出す人が減っていくはずだから、そう提案したのも私でした」
教祖も向かいに座ってお茶をすする。
「でも、反撃しないとか無抵抗不服従とか、そんな大それたことじゃなかったんです!
誰かがそんな事言いだして……最初、ギルドの名前は『 料亭割烹着 』だったんですよ?
それがいつの間にやらメンバーが盛り上がって、『 偉大なる魂 』だなんて!」
口元を抑えて若干涙目になる。
後輩は大分可愛そうに思えて深くうなずきながら、ガスマスクで飲めない茶のぬくもりを感じた。
「そうこうしている内にギルドの規模が大きくなって、私ではとても管理しきれず、以前からギルドホームにしようと思ってたここに逃げ込んだんです……
開祖だなんて言われて、神様みたいに扱われ出したので、隠れる分には都合が良かったんです……
この家はEdgeを始めた頃に偶然見つけて……ここでみんなでお料理でもしながら、日々の愚痴でも言い合うようなギルドにしたかったんですよ!
テレポート弱すぎよねって……」
教祖は割烹着を脱ぎながら大きくため息をつく。
「其の頃はまだこの家にも沢山の人が来てました。
メンバーにしてほしいと列になって。
ある日、買物に行こうと裏口を出たところで、あの女の方に出会ったんです。
ここに迷い混んだらしいんですけど、なんだか言ってることがわからなくて……
なのに私のことを随分気に入ってくれたみたいなんです。
それで、せめてテレポーター以外の人を増やすのはやめようと思って、彼女に審査員的なことを頼んだんです」
先程の女性のことのようだ。
「それから、加入申請の受理も副長に任せました。
そうしたら、誰一人やってこなくて……信者の人すら滅多に来なくなって。
私の知らない間に司教とかできてて、そういう人だけ時々来ます。
お茶を出すんですけで変なこと言ってすぐ帰るんです。
貴方、どうやってあの方を説き伏せたの? 教祖なります?」
後輩は丁重に断った。
「街に出たらものすごく怖がられて……口座を見たらとんでもない、というより途方も無い額が溜まってて……」
教祖は自分の肩を抱きながら声を潜めた。
「私の知らないところで、教団が暗躍してできたお金みたいだったし、運営に明らかに目をつけられてましたから、もう怖くなって。
とにかく何かクレジットじゃない形に変えたいと思って、開設当初からのメンバーに使いみちを相談しました。
そしたら、ギルメンに当てが有る人がいて……それで、預貯金が普通になるくらいには消費できたんです」
教祖は立ち上がり、裏の畑へつながる勝手口へ後輩を案内する。
「で、やってきたのがあれです。
あれが何か知ってますよね?
わたし、これでもテレポートスキルの限界突破してまして、自分以外のものを単独で飛ばせるんです。
ほとんど居ないんですよ? これだけは自慢なんです。
時限装置をセットして、あれをEdgeのどこへでも飛ばせるんです。
まあミサイルですから勝手に飛ぶんですけど、テレポートなら発射台がいりませんし、迎撃されることもないんですよ。」
いきなり怖いことを聞いてうーん、と引き気味な後輩に、教祖は一際大きなため息をついた。
「街や大きなギルドが教団を潰そうと本気で考えたら、太刀打ちできないって副長が……
莫大な資金を用意するところから、彼がプランを練ったみたいでした。
寄りにも寄って『 核の傘 』なんて……私嫌なんです!
Edgeに有る核はこれで全部らしいので、せめてここで私が保管していれば使われることはありませんから……私がまだ教祖でいる理由はそれだけなんです……」
後輩は腕組みをして、深く考え込んだ。
彼は悩んでいるのだ。
「教祖さん、自分が思ってたより貴方はとてもまともな人っスね。
ウチの参謀に聞いてた貴方は大変な人だった。
この暴力の聖地みたいなEdgeで、無抵抗不服従の教団を作り、信者を指導して賭博の結果を操作し、史上最大の金を動かしたかと思えば、核を集めて抑止力を振りかざす……参謀はバグりガンジーと言ってましたよ」
後輩の言葉に教祖は、分かってます……と自分の世間での評価を嘆く。
「こういっちゃなんですが、GVRAのリーダーはとんでもない極悪人で、自分、苦労が耐えねえんス。
教祖さんを連れてったら、絶対ろくでもないことに利用するっスよ……」
後輩は畑に生えた核ミサイルという貴重な風景を眺めながら、教祖にゆっくり語りかけた。
「でもね、教祖さんにも悪いとこは有ったッスよ?
寄りにも寄ってEdgeで料亭割烹着をしなくてもいいじゃないスカ……?
もっと和やかな世界でヤッたら良かったのに、なんでここで?」
「私も、そう思わないでもないんです。
でも、初めてここにログインした時、何ていうのか、ギスギスしたプレイヤーが作ったなんとも言えない空気が新鮮だった。
それになんて自由で奔放な世界なんだろう、って、好きになってしまったんですよ。
こんなに信念を持って作り込んだ世界も、他のゲームにはなかなかないじゃないですか。
戻りたかったあの頃の街が、Edgeの中にあるんだもの」
そう、Edgeはファンタジーやノスタルジーをテーマに持つ街やダンジョンが多々あるが、現実離れした風景を持ち込まない。
幻想城は例外と言える。
その姿勢と世界感のクオリティは、このゲームを目の敵にしている道徳保守層すらも認めるところなのだ。
「ううん、そうっすね……GVRAのリーダー、オレの先輩なんスけど、先輩もね、教祖さんが言ってるEdgeの魅力にやられてんス。
でも、先輩の方が真っ当に楽しんでる、ってのは間違いないっスね。
一緒に来てくれるんなら、Edgeを正面から楽しませてくれるっスよ。
そこんとこは保証できるンスが、どうスか? 来ちゃくれませんかね?」
二つ返事で教祖は了承する。
「わかりました。
協力させてください。
私も自分の状況を変えるきっかけにできれば嬉しいんです」
教祖は後輩が来たのとは別の出口、普通の玄関の方から出ていこうとした促したが、連れがいる事を明かすと付き合って裏手から出てくれる。
やばい女性が居たところまで戻ると、侍が一人あぐらをかいていた。
「お、そいつがバグりガンジーか?
割烹着? え、何、ご機嫌いかがですか?」
教祖の清楚な雰囲気に侍はすぐに態度を変える。
「世間で言わてるようなヤバい人じゃないっすよ。
そういう意味ではここで侍さんが相手したあいつの方が、限界突破でヤバかったスね。
どこ行ったんスか?」
侍は腰の刀に手をヤッて舌打ちした。
「こいつを抜いたら即逃げちまった。
ずっと息もつかずにわけわからんこと喋ってたが、抜いた途端に黙ったな」
「あれを解き放ったんスカ……この混乱のEdgeに?
グエンより先に何とかした方がいいすよ……」
大きな不安材料を残すことになったが、とにかくも目的の教祖はGVRAの手中に収まった。
教祖の家はゾンビスラムからも、腕章のガスマスクが次に狙っている街からも随分遠い。
テレポートでなくともたどり着けるが、合流した頃にはイベントが終わっているだろうということだった。
教祖はこれまで行ったことのある場所なら、ほとんど無制限に飛べると言う。
また、世界中を回ってジャンプポイントを無数に作ってある。
これはテレポーターというプレイスタイルにおいては基本的なことだった。
Edgeでも屈指のテレポーターである教祖と動向しているのだから、これ以上無くスムーズに腕章のガスマスク達と合流できたのだった。
GVRA軍は2つ目の街を襲おうと進軍している。
最初の街と近くて相手にするのに手頃な戦力の場所を割り出すと、そこは世界で最も魅力的な廃墟、香港の九龍城砦をモチーフにした街であった。
九龍城砦は言葉で形容し難いが、あえて言うのであれば、200メートルの競技用プールに500本の細いビルを建てた驚異のスポットである。
しかも極めて無秩序な乱立建造で、箱を積み上げるように四角い部屋が増築され、一時にはこの狭いエリアに5万人が居住したのだ。
外見は暗黒街としか言いようがなく、地理としては香港にありながら政治的には無政府と言え、犯罪と深い関係に有った事実は否めない。
だが、そこに暮らした人々は決して生活を悲観するばかりではなく、独特で魅力的な環境を作り上げていた。
最後には取り壊され公園に姿を変えたが、廃墟、スラムなど退廃的なものを好む連中にとっては、未来永劫、伝説の城なのだ。
Edgeでは本物より幾分広いエリアを取り、さらに多くのビルを並べて複雑に増築した様相が移植されていた。
時刻は23:30。
腕章のガスマスクは教祖の身の上を聞くなり、自分の想定との違いを修正しようと頭を巡らせる。
「教祖、信者は君のいうことを聞くのか?」
計画を狂わせる可能性のある部分を確認していく。
「所謂絶対服従です。
嫌なんですけどね......
ただ、戦闘を強要するなど、これまでの教団の行いに反したことは従わないでしょう」
「では、君が自分以外を飛ばすとすれば、同時に幾つが可能なのだ?」
教祖は暗い顔をしながら答えた。
「一つです。
教団には自分以外を飛ばせるものは私しかいません。
やはり、核を......」
腕章のガスマスクはうなずく。
「勿論だ。
使うとも」
後輩を呼びつけ、プランを伝える。
「以降、教祖は貴様に任せる。
うまくやれ」
腕章のガスマスクは、この戦いのほぼ終わり際までをプランし、2度目の戦いに臨む。
軍勢の前に見えてきたのは、九龍城砦がEdgeに残した美しき魔窟、『 九覇城 』であった。