Edge
よろしくお願いいたします。
第一話 Edge
フルダイブ型オンラインゲームが隆盛し、世界中で数千のタイトルが稼働するようになった時代。
世界人口は80億人頭打ちの予想を裏切り、100億人を超えた。
数多の仮想世界が乱立したこの時代でも、数億のユーザーを集めるコンテンツは少ない。
其の一つに、あまりにも殺伐とした設定が話題を呼び、2億ユーザーを集めたゲームが有った。
Edge と名付けられるそのゲームを最初に世に出したのは、全く無名の中年男性3人の名もなきチームだ。
世界有数の巨大コンテンツとなったいまでも、少数精鋭の運営で知られている。
Edgeが持つ最大の特徴は、全てのフィールドで『 プレイヤーキル(PK) 』が可能という、到底まともとは言えないシステムである。
例えば今、酒場のカウンターで、原始人の衣装を着たキャラがミルクを一口飲んだ。
其の瞬間、すぐ後ろのテーブルでエスキモースタイルのキャラクタが、窓の外から銃撃されて命を落とした。
優雅に紅茶を飲もうとしていた彼は、幸せそうな表情のまま光の粒となって消えていく。
途端に、半径一キロ以内に存在しているユーザーの眼前にアラート表示が示される。
空中に浮かんだディスプレイには、プレイヤーキルが起こった詳細な場所が表示された。
PKされたキャラクタの名前は伏せられたが、犯人の名前は検索中と表示されている。
この状況でも、殆どのプレイヤーは慌てることもなく、誰も酒を飲んでない酒場での時間を、ゆうゆうと過ごしているのである。
「うお、キティか……今月だけで10回以上は見たぞ。
イカれてんなぁまじでよ……
よう、マスター、今日は何人この店でやられたんだ?」
原始人キャラのプレイヤーが、NPCである酒場のマスターに訪ねた。
カッターシャツにガーターベルト、オールバックにごま塩のひげ、分厚い体とナイスミドルな目元のマスターが答える。
「3人ですよ、お客さん。
一人はミルク代をケチったのが死因だったんですがね」
検索中だったアラートには、キティという犯人の名前が大きく表示されていた。
検索が終わると同時にけたたましくサイレンが鳴り響く。
町中でもPKができるという無茶苦茶なゲームが成り立つのは、強力な警察機構が機能しているからだ。
捕まってしまえばそれなりの罰則が課せられる。
というのも、本当に刑務所に入れられてしまうのだ。
警察に捕まると、刑務所でアクティブな時間を経過させなければ通常プレイに戻れない。
場合によってはガチの牢屋に入れられる。
累積のPK数や逃亡の成功歴など、罪の重さを決めるパラメータが設定されている。
酒場のマスターのようなNPCは例外で、プレイヤーキャラクタを殺害してもペナルティは無かったが、無茶をしなければ攻撃してくることは無いのだった。
だが、ミルク代の食い逃げで事に及ぶ程度には沸点が低い。
この極めてガサツでフロンティアな世界が体験できることに、世界中の徒っぽい連中が夢中になるのだ。
当然、剣あり魔法有りで冒険フィールドも豊富に実装されていた。
モンスターが設置されて膨大なイベントも用意されている。
クリアすれば貴重な装備やスキルを手に入れられたが、ダンジョンクリアや魔王退治のために遊ぶプレイヤーはいない。
いかに捕まらずにPKするかが目的のゲームになっているのだ。
いかに重大な犯罪者であるかがステータスで、その為に必要なアイテムをドロップするために魔王を倒す、という具合だった。
「最近は警察の動きがどうも以前と違う気がするんだよな。
俺もこのあたりに長いことインしてるけど、検索から出動までがやたら早いんだ。
検索結果が出る前に、誰がやったのかあたりがついてるみてえにな」
原始人キャラがため息をついている間にも、PKを行った犯人は走り出している。
グレーのフードをかぶった小柄なキャラクタ、『 キティ 』は、酒屋から大通りを隔てて向かいにある道具屋の屋根に、獲物のライフルを放置したまま、凄まじい速度で次々に屋根を飛び移り逃走を図っていた。
4つ目の屋根を走っている時には既に、大通りに3台の装甲車がキティを追って走って来ている。
前方からも一台駆けつけていた。
キティは大通りから離れるために裏路地へ飛び込もうと姿勢を落とすが、その周囲にガスマスクをつけた特殊部隊装備の数人がワープして取り囲んだ。
Edgeの警察として動いているキャラクタは、全て運営のスタッフが実際にEdgeをプレイすることで稼働している。
彼らは一般のプレイヤーが利用できない装置を多数使うことができ、対戦フィールド以外でのPKには徹底逮捕を信条としている。
すべてのプレイヤーをビーコンで追えるし、条件が揃えば今のように集団で犯人の近くへワープすることすらできた。
他にも、警察に有利なコンテンツが山盛りであるが、だからこそPKに緊張感が生まれているのだった。
「ビーコンキャンセルが効いてない?!
こないだもそうだったし、なんか最近おかしいわね」
キティは驚きの声を発しながらも、懐からUSBのフラッシュメモリを一つ放り投げる。
それは正面のガスマスクの眼前で爆発、激しい光を放ち一瞬キティの姿を隠す。
フラッシュメモリが光とともに発した大量の煙の中から、キティは右に飛び出し、一人のガスマスクの横をすり抜けて入り組んだ路地に逃げ込む。
キティを囲んでいた5人の内、3人がその影を追いかけるが、2人は異変に気づいていた。
「索敵魔法を展開しろ!
ビーコンの反応が点滅的だ。
普通の妨害とは少し違っているぞ、油断するな!」
異変に反応した二人の内、腕章のあるガスマスクが指示し、もう一人が右耳に手を当ててボソボソ言っている。
「ソナー」
最後にそう唱えた途端、彼を中心に青い光が円形に広がっていく。
路地裏を走るキティは信じがたい動きで脇道へ飛び込んだり、建物の突起を頼りに壁をよじ登って、反対側の建物へ飛び移り身を隠したりしながら逃げて行くが、警察官もスタイリッシュな動の連続で追いすがり、振り切れる雰囲気ではなかった。
だが、ソナーで発せられた青い光が、飛び上がったキティに追いつき触れた瞬間、キティは空中で不自然に動きを止める。
しばらくすると青い光の粒となってその場に霧散してしまったのだ。
ソナーを打った警官はそれを見てつぶやく。
「ダミーです。
デコイであれだけの動きをするとは……恐ろしいやつですよ」
「どうやら、またやられたな。
俺たちを殺さなかったのは、ライフルの回収を優先したからだろうな。
ここから追いつけるようなやつでもないだろう」
腕章のついたガスマスクは、何度目かのキティとの対戦を振り返るように、彼女のデコイが走った道を眺めた。
4件先、道具屋の屋根には既に、ライフルと本体の姿はなかったのである。
警察側にも制限はあり、一定時間犯人を捕獲できない場合逮捕は不可能になってしまう。
もしくは、事件発生地域を管轄する警察管から、一定距離を取られると逃走成功となる。
「先輩。
あいつだけは俺たちが捕まえたいっすよ。
ガチ警察の意地にかけて」
ソナーを打ったガスマスクが腕章のガスマスクに語りかける。
警察キャラクタの中には、秘密裏に本物の警察官が混じっていた。
「明日、俺たちのことが告知される」
数年をかけてユーザーが作り出したEdgeという物騒なフロンティア。
ゲームの外でも大いに話題となり、本物の警察組織とのコラボレーション企画が進行していたのだ。
二人が立っている屋根の下には、猫耳フードの女性キャラが待機していた。
彼女は潜入捜査官だ。
腕章のガスマスクはこの世界に着任して早々に、管轄地域に彼女のよな人材を無数に配置した。
彼ら、本職の警察官が赴任してすぐに、警察機構の能力は飛躍的に向上している、
それは一般キラクタも肌で感じているところなのだ。
「俺たちの存在が明るみになれば、囮捜査は難易度が上がってしまうが……」
腕章のガスマスクの敏腕は、管轄地域のPK数激減に顕著に現れている。
優秀な警官であるはずの彼は、この世界がリアルな犯罪の温床になり得ることを危惧していた。
例えば、暴力団が殺人の練習場所にして、犯罪のシュミレーションを行う道具にするといった懸念だ。
他にもやろうと思えばギャンブルの温床になったり、切りがない。
だが、犯罪に対する抑止力も確かに感じている。
この世界に仇なすようなことをすれば、世界中に息づくコアなEdgeファンが黙っていない。
こぞってネットの闇を活用し、警察組織のようにリアルで権威を持っている相手でもお構いなしに吊し上げて、決して許しはしないだろう。
犯罪組織も軽率には手を出せないのだ。
「そうだな、俺も奴だけは何としても捕らえたい」
Edge、それは2億人のバカが集まった世界。
その世界が明日、姿を変える。
本物の警察がまざってた、だけでは終わらない、Edgeの歴史を動かす事件がすぐそこに迫っていた。