矛盾と真実の欠片(1)
不規則に揺れる馬車の中。暗く、何が見える訳でもない窓からぼんやり外を眺め、カラカラと回る車輪の音を聞く。
「珍しいな」
対面に座るお兄様が、ぽつりと呟いた。
「……何が?」
「お前の、その格好がだ」
まるで、はしたないドレスを着た娘を叱る母親のような声だ。けれど、私の服装はどちらかと言えば露出が少ない方で、叱られるような格好ではない。
「どこも、おかしな所なんて無いでしょう?」
「おかしくはないが、ひとこと言いたい所は大いに有る。だがそれ以前に、お前は新しいドレスを作っても自分では中々着ないだろう」
「それは、まぁ」
普段なら、考案したドレスが流行って半数以上が同じデザインを着てる頃に、自分も着る。変に目立ちたくないし、いの一番に私が着るより美しいファッションリーダー達に着てもらって、そのイメージを付ける方が良い。
一応このデザインも、ハンセルク侯爵夫人や何人かの女性達には着てもらっている。けれど、まだまだ流行の最先端と言える時期だから、ある程度の注目はされるだろう。
「今夜は……特別だから!!」
拳を握り、強く意気込んだ。
今日は、今日こそは!婚約破棄だの何だのの話に決着をつける!
「特別、ね。頼むから、カミラ嬢と取っ組み合いのケンカだけは止めてくれよ」
「な!そんな事する訳ないでしょ!」
口を尖らせて睨みつければ、疑いの目で返される。
取っ組み合いなんてしない!それは社交デビューと共に卒業した。
「お前は手も足も早いからな」
「いつの話?もう子供じゃないんだから!」
馬車が一際大きく揺れ、止まる。着いたようだ。
お兄様のエスコートを受けようと手を伸ばし、まだ眉を顰めていると気付いた。
「変な事なんてしないってば!」
しつこい!と怒りながら一人で先に馬車を降りた。
お兄様がここまで苦言を呈すのも珍しい。いつもなら………あぁ、そうか。
私の隣にはコナーがいて、コナーがいるなら大丈夫かって言われるのがお決まりだった。
まぁ、私が気の短い方なのは認める。けれど良い大人になって、今さらケンカなんてしない。
「……………………たぶん」
「ん?何か言ったか?」
「なーんにも!」
お兄様のエスコートを受け、会場へ入った。今夜はソフィアの家が主催する舞踏会だ。
自分の靴音がやたら響いて聞こえる。
実際はあまり大きくない音のはずなのに、男性にも女性にもジッと見られては、そう感じて萎縮してしまう。
「うぅ……やっぱり、このドレスおかしい?あ!もしや裾がめくれてる?!」
「あぁ、盛大に捲れ上がってるな」
バッとを頭を下げ、足回り全体を確認する。
……めくれてない。
「くっ、くくっ…」
「お、お兄様!!」
笑いを堪え切れないお兄様の足を、思い切りヒールで踏ん付けてやる。けれど、さっと避けられ、カツンッと無様な音が響いた。
エスコートする手に爪を立てた所で、主催者一家の下へ到着する。
ソフィアが眉を寄せたのは想定内。けれど夫人は頬を染めて、ドレスを褒めてくれた。
『大丈夫。自信を持って、前を向いて』
昔、コナーに言われた言葉が胸を熱くする。
自信を……持とう。その為に、このドレスを着て来たのだから。
清楚な、藍色のドレス。宝飾品は最低限に、加えられたのは様々な趣向を凝らした山吹色のリボン。
ドレスの裾の美しさを邪魔しないよう、胸周りを中心に髪や手首にもあしらった。
多種多様な結び方、施し方、よく見れば一つとして同じ物の無いリボンは、見る人をよく楽しませる。
そして私には…………勇気をくれる。
コナーに、もう一度会う。
今度こそ、きちんと話をする。
この夜会にはコナーも来てるはずだ。
主催への挨拶を終え、キョロキョロと辺りを見回す。
「レイチェル、こっちだ」
お兄様が手を引いた。相変わらず返事も聞かずに歩き始める。
「ちょっと!どこへ連れて行く気?!」
「お前が、会うべき奴の所へ」
え。それって、もしかして……?
それ以上何も言わず、力強く手を引くお兄様の背を見て……不本意ながら胸がときめいた。
私の気持ちを汲んで、導いてくれるなんて。兄妹の絆を感じずにはいられない。
「お兄様……ありが」
「ここにいたのか」
感謝の気持ちを言い終わる前に、お兄様が目当ての人物の肩を叩いた。
ゆっくり振り向いた彼の…………翡翠の瞳と目が合う。
「アイザック様……!」
「………」
「妹がお前とのダンスを忘れられないそうだ。良ければまた相手してやってくれ」
お兄様が眉を寄せるアイザック様の手を取り、私の手と繋ぎ合わせる。
そうそう。アイザック様のダンスは本当に素晴らしくて、一度踊れば忘れられないほど……。
「って、違ーーう!!!」
今にも立ち去らんとするお兄様の腕をがしりと掴んだ。
「違うでしょう!いま私を連れてくなら、別の人の所でしょう!」
私が身に付けてるリボン、誰から貰った物なのかはお兄様も知っている。だから今日、私が誰と会うつもりなのかも分かってるはず!
「いいや、違わない。お前はもう一度アイザックと一緒にいるべきだ」
「なんで!」
噛みつくように聞き返せば、顔を手で押しやられる。
「お前の視野は……ある意味で狭すぎる。もっと他の男に目を向けろ。その上で、どうしてもアイツが良いなら……」
「良いなら?」
「…………とりあえずアイザック、妹のエスコートを頼む」
顔を押さえていた手が急に外れ、私がよろけてアイザック様が支えた。その隙にお兄様が離れて行ってしまう。
「あ!ちょっと……もう!」
「………」
残されたアイザック様と顔を見合わせる。
あれ、私いま、結構彼に失礼な態度だったんじゃ。
「あ、あの、アイザック様と一緒にいるのが嫌なのではなく、今夜は用事があると言うか……話をしたい人がいて……」
「………」
アイザック様は頷いて、視線を繋がれたままだった私の左手……その手首に結ばれたリボンへと移した。
彼の名義で贈られた物だ。
「あ……贈り物、ありがとうございます」
そういえば、なぜアイザック様から贈られて来たのだろう。
「あの、このリボンなのですが」
「………」
「選んだのはコ……」
コナーですよね、と言おうとして、すんでで止まった。
十中八九、ほぼ間違いなく、コナーが選んだと思う。でも万が一 ……アイザック様自身が選んでいたとしたら?
コナーが選んだかと聞くのは、失礼過ぎる。
何と聞けば良いか分からず、パクパクと口を開け閉めし、結局は真一文字に閉じる。
唸っていると小さな笑い声が聞こえた。
見上げれば、柔らかく微笑むアイザック様。
コナーの笑顔を思い出し、ツキンと胸が痛んだ。
けれど……こうして改めて見ると、コナーとは全然顔の造りが違う。アイザック様はとても整った顔立ちだ。
ダンスも上手いし、性格も良さそう。家柄も良いし、血筋も良い。私と波長も合う。
彼こそが、理想の結婚相手……なのかも知れない。
今は互いに何とも想ってないけれど、時を重ねれば、きっと愛だって育まれる。
お兄様もそう思うからこそ、私を彼の元へ連れて来たんだろう。
……………………でも。それでも。
「悩む必要はありません」
すいっと手を引かれた。自然、一歩前へ踏み出す。
「アイザック様?」
「………」
そのまま歩みを進めるのは、お兄様が去って行った方向。人混みの隙間を縫って進み、テラスの手前、柱で出来た物陰までやって来た。
何だろう。
もう一度問いかけようと口を開いたら、アイザック様が口元で人差し指を立てた。
視線で、先を見るよう促される。
「コナーはどこだ?」
聞こえたのはお兄様の声。
その問いかけた相手を見て、目を見張る。
「さぁ、知らない。一人で何処かへ行っちゃったわ」
返事をしたのは、ナス嬢……もといコナーのお相手、憎きカミラ・オールス嬢だった。