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記憶の中の幸せ

 春を彩る花々が美しく咲き誇っていた。


『コナー!』


 窓から見つけた大好きな婚約者。大人しく玄関ホールで待ってる事もできず、門の近くまで駆け寄る。

 相手が間近に迫ってもスピードを落とさず、そのままの勢いで飛びついた。


『レイチェル…!危ないよ』

『受け止めてくれるんだから良いじゃない!』


 首筋にすり付き両足を浮かせれば、ため息を吐きつつクルリと回ってくれる。


『ふふっ、コナー大好き!』

『…うん。僕も好きだよ』


 お決まりのやり取りをして降ろされると、今度は一人でクルリと回った。

 光沢のある生地が幾つもヒダを作り、幻であったかのようにすぐ消える。この美しさを強調するため、胸から下の装飾は極力減らしたシンプルなドレスだ。


『これ!!どう?どう?』

『え?えっと………寒そう、かな』


 的外れな感想に口の端を限界まで下げる。


『ごめん。それは夏の新作?』

『そう!今年は絶対にこのスタイルが流行する!ううん!流行させる!!』


 両手で拳を作り、フンスと鼻を鳴らす。

 今まではスカートを膨らませてその上にゴテゴテと装飾を施すスタイルが主流だったけれど、もうネタが出し尽くされてマンネリ状態。次はシンプルで洗練されたデザインの時代が来る!絶対に来る!それを先導するにはまずファッションリーダーであるハンセルク侯爵夫人に提供して、それから――!


『レイチェル』


 コナーに口元を拭われる。自分の世界に入りながら涎を垂らしていたらしい。

 ふっ。けれどそれも仕方ない。だって……売れる!これは売れる!売れるんだもの!!どうしても、お父様譲りの商人気質に火が付いてしまう!!このドレス、皇太女殿下の好みにも合うに違いない!殿下の着用後は注文が殺到するだろうから併せて生地を仕入れ、尚且つ先んじて縫製を始めて――!


『そろそろ戻っておいで』


 もう一度、口元を拭われた。また涎を垂らしていたらしい。二度目はさすがに恥ずかしい。


『あ、ありがとう』

『もう中へ入ろう。その格好では風邪を引いてしまうよ』


 温かい手が肩を包む。想像以上に冷えていたと自覚した。途端、鼻も出てくる。確かに風邪を引きそうだ。


『私って、コナーがいないと全然ダメよね』

『……そんな事ないよ』


 小さく鼻をすすると、それも拭われる。上着も貸してくれた。……全然、そんな事なくない。

 俯いたからか、慰めるように肩を寄せられる。


『流行を作るなんて、誰にだって出来る事じゃない。レイチェル、君には才能があるよ』

『…………ほんと?すごい?』

『うん。すごい』


 頭を撫でられ、目を細める。気分が簡単に上向いて行く。飼い犬がご主人様に撫でられて尻尾を振るような、そんな気分だ。ドレスを作り始めたのも元々はコナーの為だから。


 ずっと節制していて、幼い頃からハグメント伯爵を手伝って家を支えてるコナー。少しでも彼の役に立てればと思い事業を始めた。今は何も受け取って貰えないけれど、結婚したら私たち共有の財産となる。


 そう。結婚したら。もうすぐ、コナーと結婚できる!!


『僕の婚約者には勿体ないくらい…』

『コナー!!』


 撫でてくれていた手を引っ張り、背伸びする。


『キスしたくなっちゃった!!』

『……うん。もうしてるね』


 照れ臭くなって、顔を見られないようにぎゅぅと抱き付く。すると二人の間で何かを潰すような感覚がした。

 コナーのジャケットへ手を差し入れ、綺麗にラッピングされた……ひしゃげた箱を取り出す。


『プレゼント!』

『レイチェル。人のポケットを勝手に探っちゃいけないよ』

『ねぇ!開けて良い?良いでしょう?』


 今日は私の誕生日だから、これは私宛てのプレゼントだ。箱のサイズも毎年コナーがくれるのと同じ。


 手を合わせて上目使いでお願いすれば、コナーは眉を下げて笑った。想像通り、いつも通りの反応なのに……不意を突かれたように胸が鳴る。最近、こんな事が増えた。


『いいよ。屋敷に入ってからね』

「ダメだよ。これは君のじゃない」



 突如、穏やかだった世界が引き裂かれる。



 私からプレゼントを取り上げるコナーがブレて、二つに分かれた。笑顔の彼が遠退き、冷えた瞳で見下ろす彼が残る。藍色の瞳が夜の闇のように暗い。


 遠く、コナーの手を引く夏服の女性が見えた。

 ただただ幸せだった、一年前の私。


 あぁ……これは夢だ。そして現実でもある。

 優しい過去は遠くへ行ってしまい、もう手も届かない。


「レイチェル。さよならをしよう」


 無機質な声が響く。

 咄嗟に口を開くも、はくはくと開け閉めされるだけで音を成さない。

 何も言えない私を見て、コナーが諦めたように首を振った。背を向け、返事を待たずに歩き出してしまう。


 慌てて身を乗り出し…………ズブリ、足が沈んだ。彼を追いかけようと(もが)くほど沈んで動けなくなる。


「――!!――――!!」


 声にならない声を張り上げた。けれど彼の耳に届くはずもなく……二人の距離は離れてしまう。身体が沈み続け、次第に息苦しくなった。

 トプンっと、遂には全て底無し沼に飲み込まれた。




 ◇◇◇




「お嬢様、お嬢様」


 優しく揺すられ、まぶたを開ける。暗い夢の世界と混同するはずもない、春の陽射し照らすデスクが目に入った。

 身体を起こせば、首や背中からパキパキと小気味良い音がする。


 ……寝てしまった。


 陽の高さから昼も近いと分かる。いつまでも呼び鈴を鳴らさないから、メイドが起こしに来たらしい。

 紅茶を淹れる音を聞きながら欠伸し、傍らに積んであったデザイン画を手に取る。昨日は夜遅くまでこれを描いていた。そのまま机に突っ伏して寝てしまったようだ。おかげで嫌な夢を見た。


「……うぅん」


 もう一枚デザイン画を取り、上下をひっくり返したり、裏返して透かしてみる。

 首を捻りながら何枚も取り、机に並べた。


「う〜ん。ううううぅぅぅーー…………、ボツ!!」


 端と端からかき集め、一気に握りつぶす。ぐしゃぐしゃと丸め、ボールのようになった紙をお茶と交換でメイドに渡した。


「まぁ。素敵なデザインでしたのに」


 気に入ったものでもあったのか、潰れた紙を少し開いて中を覗いている。


「そうかしら。こう、決定的に何か足りないって言うか……求められてるレベルじゃないって言うか」


 話しながら頭の中で様々なドレスを思い浮かべる。

 精巧な刺繍?斬新な色使い?流行り始めた珊瑚?一周回ってルビー?違う。違う。そういう小手先じゃなくて、もっとこう、ほら!ほら!うぅ……ううぅぅぅ!!


「お嬢様。デザインの事は一旦忘れて、本日を楽しんでは如何ですか」


 窓が開け放たれる。頰を撫でた風が、続けて髪を揺らした。


「ん?あぁ……今日ね」


 窓際の豪勢な花を見て、頭を抱えていた手を下ろす。傍らには可愛らしいテディベア。添えられたカードには、領地にいるお父様とお母様からのメッセージがあった。


「お誕生日おめでとうございます」

「……ありがとう」


 髪を梳かしてもらいながらテディベアを抱きしめる。ふわふわして柔らかい。何となくコナーの髪を思い出した。似てるのは柔らかさだけで、他は何もかも違うのに。


 髪を梳かし終わると、着替えのためにテディベアを取り上げられた。つい目で追っていると小さく笑われる。親離れできない子供、それが微笑ましいといった顔だ。着替え終わると同時にテディベアを返される。


 むぅ。私は子供じゃない。

 ひとこと言ってやろうと口を開き、けれど言葉を発する前にノックの音が邪魔をした。


「お嬢様。お客様がいらしたようです」

「あら、そう?早いのね」


 テディベアを元あった場所に戻し、扉へ向かう。

 うちは誕生日だからと言ってパーティーを開いたりしない。けれど、個人的に祝いに来てくれる友人はいる。

 途中、鏡の前で立ち止まり髪を軽く直した。誕生日は髪飾りを付けず、後ろへ流すだけだ。だって決まって一番にコナーが来てくれて、それで……。


「あっ」


 そうだ。午前中に来るのは毎年ひとりだけ。

 思わず駆け出し……すぐに足を止めた。


 いや、違う。コナーが来るはずない。だって彼はラタトゥイユ……じゃない、ナス嬢に夢中なんだもの。

 何度うちに呼んでも、彼女と一緒じゃなければ来ない会わないの一点張り。誕生日だからって急に態度を変えたりは……しない、はずだ。たぶん。

 心を落ち着かせ、ゆっくり歩を進める。


 コナーじゃない。コナーじゃない。コナーじゃない。

 頭の中で繰り返す。期待してもムダ。分かってる。分かってる。分かってる――のに、段々と足も鼓動も速まってしまう。


 結局、歩いたとは言えない速さで辿り着いた玄関ホール。見慣れた後ろ姿を目にして、膝から崩れ落ちそうになった。







「ちょっと何よその顔。ごめんなさいね、私で」


 ゴンっと音を立てて下ろされた大きな包み。その傍らで振り向いたのは、一番の親友であるソフィアだった。




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