夢現の舞踏会(2)
私が主導できたのはほんの一瞬で、すぐにリードを取られる。
「ふわっ……!」
世界がぐるり回ったかと思えば、急に辺りがキラキラと輝き始めた。何もかもが煌めいて見える。
熱かった頭が混乱で冷めてしまう。何が起きたのかと状況を分析し、単純明快な結論に達する。
アイザック様のダンスが、上手い。凄まじく上手い。それだけ。
人を夢見心地にさせるダンスがあるとは聞いていたけれど、これの事だったのか。私をよく見ていて、どんな動きが心地良いか分かっているみたいだ。
ダンスにあまり自信がなくて、コナーとお兄様以外とは踊るのを避けてきた。それを少しだけ悔いる。
「お、お上手なんですね」
「………」
今さらながら、この人、相当な無口だ。
そういえば無理やりダンスホールへ連れて来たけれど、また無作法をして、気を悪くしてないだろうか。いや、そもそもダンスに誘われていたっけ?
心を読んだのか、アイザック様は気にするなと言うように首を振る。先までとは違い、眉を下げて微笑んでいた。
――あ。
再び、同じアングル、同じ表情の彼と重なる。
いま彼は、誰に笑顔を見せてるの?
ぐっと奥歯を噛んだ。嫌なものが瞳から溢れそうで。
必死に堪えて、けれど堪え切れず、零れ落ちてしまう……そう思った瞬間、アイザック様が流れるような動作でハンカチを取り出し、私の目元へ当てた。すっと雫が吸い込まれる。
ハンカチを手渡し、何も聞かずにダンスホールの外へエスコートしてくれる。
目元を押さえながら、引かれるままに歩いた。
視線を感じて意識を向ければ、周囲の注目を集めてると気づく。ホールの真ん中で非常識に泣いてしまったからだ。
人の少ない方へと移動して行き、バルコニーまで出た。
霞んだ空には幾つもの星が瞬いて見える。まだ春になったばかり。冷えた夜風が頬を撫でた。
「あの……すみません」
「………」
「アイザック様まで好奇の目に晒してしまって…」
「……?」
アイザック様が首を傾げる。何の事を言ってるか分からないらしい。
「その……私があんな所で泣いたりしたから、人目を集めてしまって」
「………」
驚いたように目を丸くし見返される。なんですか、その反応。
今度は私が問うような視線を向ける。アイザック様は薄い唇に指をあて、何事か考える様子を見せた。しばらくして、その唇をゆっくり開く。
「………涙には、誰も気づいていません」
「え?でも…」
先ほど確かに視線を集めていた。泣いたからでは?
そう聞くより先に、言葉が続けられた。
「貴女が美しいから、皆が見惚れていただけです」
「…………ん?」
言われた言葉が耳を滑る。すぐには飲み込めず、頭の中で復唱した。あなたがうつくしいから、うつくしい、美し……い……。
「へ?………へぇ??!!」
ぽぽぽっと頬が染まる。
まさか、こんな真面目な顔して!こんな台詞が言えるなんて!!
やっぱり、当たり前だけど、コナーとは全然違う!!
「じょ、じょ、ご、ご冗談を!」
「……?」
アイザック様がまた首を傾げる。何も冗談は言ってないと、そう言ってる気がした。それならそれで、なお恥ずかしいわ!!
赤い顔に、先ほど手渡されたハンカチを当てて隠す。
今まで美しいなんて言われた事も、注目された事もない。やっぱり、絶対、冗談だ。いや、お世辞だ。きっとそう。きっと…………?
どこか引っかかりを覚え、もう一度記憶をたどる。
そういえば……子供の頃にも、周りからジロジロ見られた事があった。初めて参加したお茶会だ。叩き込まれた作法は不完全で自信がなく、コナーに引っ付いて隠れていた。
『ひんっ!みんな見てる?!見てるよね!!私、変なことした?!』
『レイチェル、落ち着いて。ちゃんと出来てるよ』
『でも見られてる!!見られてるよ!!」
『それは君が…』
『私が?!』
顔を上げると、すぐ近くにコナーの顔があった。その時は緊張が優って何も感じなかったけれど……鼻先が触れるような距離だった気がする。
コナーの頬が赤く染まっていた。
『君が……その……』
いつも微笑んでる彼なのに、この時ばかりは余裕が無かったように思う。
『人目を引くから……』
『やっぱり変??!!』
『そ、そうじゃない。レイチェル、君の服装は、その…………………………とても、よく、目立つ』
ピシャリ、雷が落ちたような衝撃を受けた。
デザインが好きで、色んな人に褒められてて、オシャレには自信があった。けれど、社交界の常識なんて無い。場にあったドレスを選べてなかったのかと深く落ち込んだ。
『よく、分かった。次からはコナーにドレスを選んでもらう』
『え?…僕はそういうの、あまり詳しくないよ』
『いいの。コナーが可愛いと思ったドレスなら、それが私の正解だもん』
コナーがキョトンとした顔になる。そして困ったように眉を下げて微笑んだ。
『レイチェルは変わらないね』
『ひんっ!作法の勉強したのに!』
『そういう話じゃない』
『どういう話?』
それから……その日はコナーとの話に夢中になって、周りの目の事はいつの間にか忘れていた。
お茶会の度、コナーに落ち着いた雰囲気のドレスを選んでもらい、そのうち聞かなくてもコナーの選びそうな物が分かるようになった。
今思えば……あの時コナーは、私に美しいとか綺麗とか、そういった事を言いたかったんじゃないだろうか。
気づいてしまうと急にむず痒い気持ちになる。口元が緩み、頬が熱くなる。
「………」
はたと、アイザック様の視線に気づく。過去へ潜り込んでいた思考が引き戻された。
緩んだ頬はハンカチで隠したままだったのが幸い。
「ごめんなさい。私、またぼんやりしてて……」
アイザック様は何も言わず、視線を外した。気にするなと言っている……気がする。お兄様と同じで、私にもこの人の無言の言葉を理解する素質がありそうだ。
ふとアイザック様が上着を脱ぎ、私の肩へ掛けた。合わせたように強めの風が吹き抜ける。
肩が震えるのと、それが視界に入ったのは同時だった。
バルコニーから見える、テラスのベンチ。私達と同じように男性が女性の肩へ上着を掛けている。男性は、ついさっきまで思い浮かべていた人。
………まだ、そこにいたのか!!
あぁあ、見たくない見たくない見たくない!!
身を翻してバルコニーから離れる。室内へ戻ろうと歩き始め――……けれど手を取られ、引き戻された。
「………」
翡翠の瞳が、私の足をその場に縫い止める。
「あ、アイザック様。私、身体が冷えてしまったみたいで……えっと…その…」
言い訳をするけれど、見透かされてる気しかしない。
アイザック様はまた何か考える仕草を始めた。その間も手は離されない。コナーより冷たくて、硬い手。
眺めていると、優しく両手で包み込まれた。
「貴女が、少しの自信と勇気を持てば……見えるはずです」
アイザック様は最初に会った時と同じ顔をしていた。真剣な表情は、ともすれば怒ってるようにも見える。けれど今は不思議と怖くない。
「見える…?って、何が…」
『あんたウィーナシュ家の娘でしょ。ちょっとは他に目を向けなさい』
『男なんて星の数ほどいるんだ。すぐ良い相手が見つかるさ』
耳元でソフィアとお兄様の言葉が再生される。
「ぁ、他の、もっと素晴らしい男性が…?」
俯きそうになると、顎に手を添え止められた。そのまま上向かされる。
アイザック様は首を振り、私を捕らえていた瞳をテラスへと向けた。
「…………真実が」
追うようにして見てしまったテラス。距離があるにも関わらず、ぱちり、コナーと目が合う。
コナーは、感情が抜け落ちたような顔をしていた。
「え?」
瞬きの間、目を逸らされる。
コナーは隣の彼女を連れ、会場へ戻って行った。
「今の……は、何?」
「………」
コナーの、あの表情。愛しい恋人との逢瀬を楽しんでる様には……とてもじゃないけど、見えなかった。
アイザック様が手を離し、ひとつ頷く。確かめて来いと、そう聞こえた。
「……私、行ってきます!」
弾かれたように駆け出し、5歩進んで振り返る。
「あ、あの!色々と、ありがとうございました!」
言いながら頭を下げた。わずかな時間だったけれど彼にはお世話になった……もとい、迷惑をかけた。
アイザック様が拳を握り、胸の前へ当てる。武運を祈る騎士の礼だ。妙に様になってる見送りを受けながら、再び駆け出した。