重なる忠告
麗かな昼下がり。紅茶を口に運んだ友人、ソフィアが息をつく。
そのため息は紅茶の香りによるものか、窓から差す春の温もりの仕業か、私がした…情けない話のせいか。
「それで?結局、婚約破棄はしたの?」
「………」
痛いところを突かれ、とりあえず私もお茶を口にする。
「してないのね。呆れた」
紅茶の香り、春の温もりも手伝って、自分の情けなさにため息が出た。なるほど、全てだったか。
「あのねぇ、コナーとカミラ嬢の噂はもう広まってるのよ?このまま婚約破棄しないでいたら、あんた良い笑い者じゃない」
「わ、分かってる。分かってるけど……」
「けど?目が覚めて、私の元へ戻って来てくれるかも〜って?」
「うっ」
図星だ。言葉にされてみると、なんて甘い考えだろう。
「言っておくけど、仮にコナーが戻って来たとしても受け入れたらダメよ。そんな事したら今後も軽んじられるだけ。結婚後は浮気されまくるわ」
「うぅっ」
何も言い返せない。
ソフィアから逃げるように、手元の紙にペンを走らせる。
「レイチェル、あんたウィーナシュ家の娘でしょ。平凡以下の男に拘る必要がどこにあるのよ。ちょっとは他に目を向けなさい」
「……コナーみたいな事を言うのね」
顔は上げず、ただ唇を尖らせる。呆れを隠しもしないため息が聞こえた。
ソフィアの言ってる事は的を射ている。
私はウィーナシュ家の娘。曾祖父が起こした貿易事業をお父様が拡大して、今や財力だけならどの家にも負けない。嫁ぎ先はいくらでもある。選り取り見取りと言って良い。
対してコナーは貧乏伯爵家の息子。特に優れてる所も無く、人目を惹く容姿でもない。おまけに婚約者から浮気相手へ乗り換えようとしている。客観的に見れば、まさに平凡以下の男。
婚約破棄については本当に両家へ話が通っていて、お父様は私に決定権を委ねてくれた。だから私が提案を受け入れて婚約破棄すればその通りに、拒否すればコナーと結婚する事になる。
結婚……する事も、できる。
「ペン、止まってるわよ」
「ぁ…」
指摘され手元を見れば、ほとんど無意識で描き上げたドレスのデザイン画があった。
直す所が無いかと紙を掲げると、ソフィアに取り上げられた。
「良い出来じゃない。失恋は芸の肥やしといった所かしら」
「し、失恋……!」
「違うの?」
「ち、違わ…な……、うっ」
気づいてしまった。このドレス、派手さはないけど落ち着きがあって上品で、悲しいほどにコナーの好みだ。まるで彼の気持ちを取り戻す為にデザインしたかのよう。
口ごもる私とデザイン画を交互に見て、ソフィアもそれに気づいた。
「あんたねぇ」
本日3度目のため息が落とされた。
「まぁ良いわ。私はそろそろ行くわね」
「え、あ……うん」
気の抜けた返事をしてる内に、ソフィアは手早く身支度を整えた。
「じゃぁ、また今晩、かしら。コーラルク伯爵の夜会、出席するでしょう?」
「えぇ、うん。そうね。じゃあ、また…」
玄関まで見送り扉が閉まると、小さく安堵してしまった。
婚約破棄すべきだなんて現実、突きつけられるのが思いの外つらかったみたいだ。
夜会に向けて支度を整えながら、今後のことを考える。
とりあえず、まずはコナーと二人で話し合いたい。何か行き違いがあったかも知れないし、事情があるのかも……。
身を清め、予め決めていたドレスと装飾を身につけ、鏡の前に立つ。映っているのは、彼の瞳と同じ藍色のドレス、彼が好む銀の装飾。
……こういう媚びた所が、あまり良くないのだろうか。
「まだ、時間はあるわね」
コルセットが廃れてくれたおかげで、最近の準備時間には余裕がある。普段ならサロンで一息つく所だけれど、踵を返してクローゼットへ向かった。
「お嬢様?」
「ごめんなさい、衣装を一から見直すわ。手伝って」
戸惑うメイドに針子を呼ばせ、試作していたドレスや装飾品も各種用意させる。
部屋中をドレスで埋め尽くし、直に見て肌で感じ、並べて組み立てる。
「決めた。今夜はこれを着る。こっちのレース、カーマインを用意して。イヤリングはこのムーンストーンとロードナイト、それから――」
時間も限られてるのでテキパキ決め、着替えながら手を加える。再び鏡の前に立ち、ひと回り。うーん、こんな所か。
出来栄えは……悪くない。けれど不特定多数に向けて着飾るのは久しぶりで、なんだか変な感じがする。いつもコナーのためだけにドレスを選んでいた。
「お、今日は一段と気合い入ってるな」
男性の声に眉をしかめ、そのままの顔で振り向く。誰の声かは分かっていた。
「お兄様、レディの部屋へ勝手に入らないで!」
「お前があんまり遅いから、迎えに来ただけだろ」
「え?…あ!!」
時計を見て肩が跳ねる。思ったより時間を取ってしまっていた。慌てて部屋を飛び出し、行儀悪く階段を駆け下りる。
「おい、レイチェル!待て!」
「人前ではちゃんとする!」
「そういう事じゃなくてだな!!」
こんな微妙な時にコナーを待たせるなんて!機嫌を悪くしていたらどうしよう!!
彼が待たされて怒った事など無い、けれど……今はとにかく不安だ。応接間へ向かって走り抜ける。
扉を豪快に開け、壁と金具のぶつかる音が響いた。無作法をしてしまったと目を眇める。
「ごめんなさい!コ、ナー……?」
がらんとした応接間に、謝罪が虚しく消える。思い描いていた人物の姿は無い。日が暮れて薄暗くなった室内には、誰かを迎え入れた痕跡さえ無かった。
「レイチェル、人の話を聞け!」
「あ……お兄様。コナーはどこ?」
追いついたお兄様が私の肩を引いた。眉をしかめている。
「コナーは来ていない。来る予定も無い」
目を瞬かせ、見返す。
「えっと……何か、急用が?」
そんな話、聞いてない。今夜もいつも通りエスコートを受けるつもりでいた。馬車の中で、話をしようと……。
「いいや。他にエスコートしたい相手がいるそうだ」
お兄様の鋭い瞳から視線を逸らし、意味もなくどこか寒々とした応接間を眺める。
「そんな…の困る。婚約者、なんだから……」
「向こうはもう、そう思ってないって事だろ」
ぐらり身体が揺れたかと思ったら、足が勝手に動いていた。ふらふら進み、長椅子に腰掛ける。
「おい、座るな。出かけるぞ。今夜は俺がエスコートしてやるから――」
「やだ」
口が勝手に動いた。
「やだって、お前なぁ」
「……コナーじゃなきゃやだ。行かない」
顔を背け、手近にあったクッションを抱える。
行きたくない。行って、コナーが他の誰かをエスコートしてるのなんて……見たくない。
「なぁ、レイチェル。分かってるだろ?」
化粧も気にせずクッションに顔を埋めていると、お兄様が隣に腰を下ろした。
「婚約破棄したら次の相手を見つけなきゃならない。塞ぎ込んでたら、あっという間に行き遅れるぞ」
「まだ、婚約破棄してないもん」
お兄様が小さく唸る。頭を掻く音が聞こえた。
「……すぐには切り替えられないか」
私の頭をぽんぽんと叩き、諦めたように立ち上がる。
その上着の裾を掴んで、引き止めた。
お兄様は心得てるとばかりに手を取り、私を立ち上がらせる。そのままエスコートしてくれた。
私だって、自分の立場ぐらい分かってる。ちょっと我がままを言って、お兄様に甘えただけ。けれど、コナーとオタンコナス嬢を見たくないのも本心で、どうしても足取りは重くなった。
「男の俺が言うのも何だがな、男なんて星の数ほどいるんだ。お前がよく目を開いて周りを見渡せば、すぐ良い相手が見つかるさ」
馬車に乗り込む。もう陽が落ちて、辺りは真っ暗になっていた。よく目を開いても何も見えそうにない。
「……コナーみたいな事を言うのね」
ため息の音は聞き飽きた。知らんぷりして目を閉じる。会場までは寝たフリをして過ごした。