婚約破棄をかけて(1)
満天の星の下を歩く。
澄んだ空気に包まれた庭園はとても静かで、舞踏会の賑わいが嘘のように遠く感じた。
驚く事ばかり、そして断片的な情報の数々に、少し頭がこんがらがってしまった。
ひとりで考えたいからと、アイザック様とは別れて人の少ない方へと進んで来た。
得られた情報を整理してみる。
「婚約破棄……おじ様、お父様、お兄様、ソフィア、ナス、きゅうり、トマト……」
あれ、何か変だ。やっぱりまだ混乱している。
頭を振り、深呼吸して、一から順に考え直す。
婚約……破棄。
どうしてわざわざ、婚約破棄なんだろう。互いの家が了承してるなら、破棄ではなく解消のはずだ。
確かコナーは最初に“婚約破棄の形を取る”と言っていた。つまり、婚約解消だと……対外的に不都合がある?
「あ……」
そこまで考えて、思い当たる節があった。
ウィーナシュ家はお父様の代で事業を拡大して、より裕福になった。ハグメント伯爵から得た繋がりによる所が大きい。
婚約当初と違い、もっと力ある家との縁組も望めるようになったけれど……娘は私ひとり。
そんな今、婚約解消をしたら?
ウィーナシュ家がハグメント家を踏み台にして、他家へ乗り換えようとしてると思われる。利益追求するばかりで家同士の繋がりを蔑ろにする、信用に足りない者だと。
だから、これはあくまでもハグメント家に原因がある破談、そう知らしめるための敢えての婚約破棄?
……そうだとしても、おじ様がコナーを説得しないのは何故だろう。
あっさり婚約破棄を了承するなんて、何か見返りでもあるの?
「うーん……」
例えば、お父様が借金を帳消しにするとか。
でも浮気をしたコナーが原因で別れるんだから、お父様はきっとそんな事しない。商魂たくましいけれど、お金が全てって人ではないから。
なら、何か前提が違う?
「うぅぅ〜〜ん」
首を捻って考える。
「むむむむむ」
頭から煙が出そうだ。
考えても分からないものって、世の中たくさんある。
頭を抱えながら歩き続け、気がつけば庭園の端、池のほとりにある小さな東屋まで来ていた。
ここはソフィアの家。数え切れないほど遊びに来ている。この池も東屋も、見覚えがあった。
懐かしい。子供の頃はよくコナーやお兄様とも一緒になって、ここで…………?
思考が止まった。
東屋に、人影がある。コナーに、見える。
いやいやいやいやいや!
頬をベチンッと力強く叩いた。こんな偶然、ある訳ない。
もうこのパターンは分かっている。アレもコレも誰も彼もコナーに見えるなんて……我ながらちょっと病的だ。恋の病って、こういう物?
「レイチェル」
幻聴も初めてじゃない。実のところ、本当にお医者様に診てもらうべきかも。
「こんな所まで、まさか一人で来たの?」
ふわり掛けられた上着が温かい。夏も近いとはいえ、夜は流石に肌寒いから。
……幻覚がかなりリアルだ。
生地の肌触りも、温かさも、匂いも……。
「あ、あれ??ほ、本物??」
「……何かに似せた服ではないよ」
上着から視線を上げる。
「本物の、コナー??」
「……偽物の僕もいるの?」
私がトンチンカンな事を言ってる時の、戸惑うような表情があった。
夜空を映したような、優しい藍色の瞳。
「コナーだ…!!」
頭より先に体が動いた。
ピョンと飛び跳ね、抱きつく。
「コナー好き!大好き!!」
口も勝手に動いてしまう。
腕に力を込めれば、コナーの温かさを強く感じた。ふわふわの髪が頬をくすぐる。
「っ……ダメだよ、レイチェル」
肩を押して離される。
あまり強い力じゃないから、離れたのは肩から上だけ。むしろ顔は近くなった気さえする。
間近で私の顔を見たコナーが、目を見開いた。
何か付いてるのかと思い、頬に手を添える。
指が濡れた。
「……誰かに、泣かされたの?」
私、泣いている。だって、コナーがいるから。
誰かって……そんな、そんなの!!
「コナーのせいだよ!!」
胸へ飛び込んで、涙を擦り付けてやる。
あぁ、本当にコナーだ。幻じゃない。
確かめる様にぎゅぅぎゅぅと抱きついて、実感するほど胸が温かくなる。
一方で、背中はやたらと寒く感じた。薄氷の上にいるような不安定な幸せ。
コナーが、抱きしめ返さないから。
「…………ごめん」
また肩に手が添えられる。引き寄せるのではなく、引き離す為に。
「や、やだ!」
「こんな所を誰かに見られたら、誤解されるよ」
「そんなのどうでも…!」
顔を上げてコナーを睨みつけ、後悔した。ひるんでしまったのは、私の方。
星が消え去ったかのように暗い瞳が、私を見下ろしていた。
「どうでも良くない。僕達はもう、婚約者同士じゃなくなる」
断定する言葉が槍のように胸を刺す。
呆然とし、その隙を見てコナーがするりと腕から抜け出した。
「レイチェル、さよならをしよう」
ヒュッと息を飲む。
何これ。前にも聞いた。あれは正夢だったの?
足下がグラグラする。
それでいて身体がとても重いような、ぬかるみに嵌まって動けなくなるような感覚。
もう、私を好きだと言ってくれたコナーは……いない?
何も言えない私を見て、コナーが背を向けた。
それを見たくなくて俯いてしまう。行き場を失った自分の指を握った。
暗がりで、リボンが揺れる。
私を好きだと言ってくれたコナーはいない?
違う。コナーは、コナーだ。
急に別人になったりしない。
好きと言ってくれたのも、婚約破棄とか言い出したのも、眉を下げて笑うのも、いま目の前にいるのも、皆みんな、同じ人。
「ま、待って!!」
コナーを背中から捕まえる。
勢い転びそうになったけれど、彼が何とか踏ん張った。
「婚約破棄なんてしない!!」
もう逃さないとばかりにしがみ付く。
言い切って、すっとした。
不思議なほど綺麗に、胸のモヤモヤが消えて行く。
「……レイチェル」
「衝動的に言ってるんじゃない!もう、決めた!」
客観的に見たら、まさに自分を捨てた男に縋り付くバカで哀れな女だ。
でも、それでも良い!正気じゃないと言われたら、その通りと返してやる!
コナーが振り向く。何かに堪えるように、強く眉を寄せていた。
一瞬、瞼が伏せられる。
「それなら、結婚だけは君として、僕はカミラと別邸で暮らす」
なっ、なんて……残酷な事を言うんだ!
「コナーのばか!!そんなの嫌だ!」
「うん、そうだね。なら婚約を破…」
「それも嫌!!」
子供のように叫ぶ私に、コナーがため息をつく。
「僕は君が追いかけるような人間じゃないよ」
「誰を追いかけようと私の勝手でしょ」
「………」
額を押さえて黙り込んでしまった。
まるであと一押しのように見えるけれど、違う。
こういう時のコナーは、逆にまったく引く気がない。どう私に言って聞かせるか考えてるだけ。
当たり前かも知れない。婚約破棄なんて、半端な覚悟で言い始めた訳ない。
だからって私も引く気なんてない。絶対、引きたくない!!
「レイチェル、よく考えて欲しい。君がここで……」
話し始めたコナーを見て、とっさに彼の口を手で覆う。
いつも私は説得させられてしまうから。口では敵わない。
でも、じゃあどうすれば良いの?どうしたら??
焦るばかりで一つも打開策が浮かばない。けれど、慌てふためく私をコナーは待ってくれなかった。
私の手をそっと掴んで、無情にも口から引き剥がす。
取られた手首に結んであったリボン。
それを掴んだのは、ほとんど無意識だった。
シュルルと弧を描いて解けて行く様が、この場には不釣り合いなほど美しい。
その解けたリボンを……――思い切りコナーに叩きつけた。
ピシッと音を立てたリボンが、ひらひらと足下へ落ちる。
「…………え?」
戸惑うコナーとは反対に、私の頭は一気に冴えていった。
これしか、無い!
「決闘よ!!」




