矛盾と真実の欠片(2)
「なっ……」
思わず声を上げそうになり、慌てて口を塞いだ。
意識して息を吸って吐き、呼吸を整える。改めて口を開いた。
「な、なんでお兄様とナス……カミラ嬢が?」
「………」
アイザック様は答えず、そのまま二人を眺めている。
こ、こんなの見続けて良いの?
盗み見なんて……コナーなら、はしたないよと叱るのに。
「あいつ、またお前を放ってフラフラしてるのか」
「前は顔を洗ってたみたいよ?二人を見るのが、思いのほか辛かったんでしょう」
お兄様とナス嬢は、私達に気づかず話を続ける。
立ち去った方が良い。そう思うのに好奇心が優って動けない。
「おい、まさか今さら気が変わったとか言い出さないよな」
「う〜ん……そういう訳じゃないと思うけど。このままじゃ困るわ。この前も、せっかくレイチェル嬢に私達の仲を見せ付けるチャンスだったのに、演技する余裕も無かったみたいだし」
――演技?
なんの話をしてるんだろう。お兄様が私の為にひとこと言いに来た……って訳じゃなさそうだし、逢引という雰囲気でもない。
加えて気になるのが、ナス嬢の様子。私の知ってる彼女とは全く違う。まるで別人だ。あの嫌味な言い回しは、いったい何処へ行ったのか。
「あらカミラ、こんな隅っこにいたのね」
またまた驚き、口が開く。
現れたのはソフィアだ。親しげに二人の会話へと混ざっていく。
「コナーは?」
「…………ないわ。それより……」
「あぁ、だが……」
お兄様達がソフィアの方へ向き直った事で、急に話が聞こえづらくなった。つい身を乗り出し、耳を澄ませる。
「……ェルが今日……」
「それは……から、まだ……」
やっぱりよく聞こえない。すごく重要な事を話してる気がするのに……!
もどかしさに唇を噛む。
そこで、クッとアイザック様に肩を引かれた。
自分が盗み見を始めたというのに、今さら咎める気だろうか。
「も、もう少しだけ…」
「………」
「レイチェル?」
背後から掛けられた声に、ピシッと身体が固まる。
ぎこちなく首だけ振り向いた。
「お、おじ様?」
そこにいたのは、怪訝な顔をしたハグメント伯爵。
コナーのお父様だった。
「あ、あああああの、これは」
「そこに何かあるのかい?」
「い、いいい、いいえぇ??」
覗き込む伯爵の前に立ちはだかり、精いっぱい首を振る。
一番、見られたくない人に、見られた!
他の誰にはしたない子と思われても、コナーのご家族にだけは良い印象でありたいのに!!
堪らず、両手で顔を覆う。
おじ様に無作法を見られるのは……実は初めてじゃない。おば様の前で盛大に転んだ事もあるし、弟くんの顔に紅茶を吹き出した事まである。
けれど、見られて嫌なものは嫌だし、恥ずかしいものは恥ずかしい!
「……君は変わらないな」
おじ様がふっと笑った。
指の隙間から見た顔は、コナーとよく似ている。
「ありがとう。変わらず接してくれて」
「ぁ……」
そうだ。私とおじ様の関係は、以前と大きく変わってしまっている。
コナーの件でおじ様には負い目があるだろうし、私が婚約破棄すればハグメント家は……。
………………うん?
つつつっと、無意識に首を傾げる。
何か、おかしい。
「レイチェル?どうかしたのかい」
「あっ……いえ……」
おじ様の心配そうな顔を見て、つい首を振ってしまう。けれど、頭の中は違和感の正体を突き止めようと、必死で回転し始めた。
婚約、破棄。
婚約解消ではなく、一方的に相手を責め立てる形での、婚約破棄。
それでいて、お互いの両親には既に話が通っている。
――何故おじ様は、婚約破棄に同意しているの?
家が破産するような選択、伯爵家当主として許せるはずない。おじ様は、コナーに彼女と別れるよう説得する立場だ。
それが上手くいかなくても、婚約破棄に同意するなんて……おかし過ぎる!!
「お、おじ様!!」
声を張り上げた。
挨拶を交わしていたアイザック様とおじ様とが、同時に振り向く。
「どうして、了承を?どうして、わざわざ、婚約破棄なのですか?」
目を丸くしたおじ様が、僅かに口を開き、閉じる。
続けてアイザック様に目を向け、彼が首を振ると眉間にシワを作った。
「レイチェル。君は、知らされてないんだな」
指でシワを揉み解す。その様は酷く疲れて見えた。
「おじ様……?」
「すまない。ウィーナシュ子爵が何も言ってないのなら、私からは何も言えない」
……知らされてないって、何のこと?どうして言えないの?お父様が、私に隠し事を?
疑問ばかり浮かぶ。けれど、コナーのお父様に強く詰め寄ったりなんて出来ない。
まごついてる内、おじ様は簡単に別れの挨拶をして立ち去ってしまった。
アイザック様と二人、残される。
「…………」
エスコートのために手を取られた。
振り返って見れば、もうお兄様達の姿はない。ここに用が無くなったのだろう。
引かれるまま歩こうとして、立ち止まる。
コナーと違って冷たく筋張った手を、ぎゅっと握った。
「アイザック様も……何か知っているのですか?」
翡翠の瞳をじっと見据える。
彼は、確実に事情を知っている。さっきのおじ様とのやり取り、迷いなくお兄様を追いかけて盗み見を始めた様子から言って、間違いない。
「どうか教えてください!」
「………」
懇願するもアイザック様は何も答えず、目を逸らされた。おじ様と同じで、横からは何も言えないのかも知れない。
ただ心苦しそうに眉を下げている。
「………申し訳ありません」
謝られ、途端に焦ってしまう。彼が謝るべき事なんて何もない。
「ぁ、わ、私こそ、ごめんなさい。アイザック様はとても良くして下さってるのに……」
本当に、そう。直接的には事情を話せなくても、私が答えを見つけられるよう導いてくれている。
思えば、出会った時からそうだった。
「むしろ、どうして……ここまで良くしてくださるのですか?」
「………」
アイザック様が俯いていた顔を上げ、私を見つめる。翠の瞳は何度見ても綺麗で、きっと心がとても清らかなんだと思わせた。
しばしの沈黙。再び瞼が伏せられ、彼がゆっくり言葉を選ぶ。
「………友人が、道を間違えていると思うからです」
友人。私の知ってるアイザック様の友人は、一人だけだ。
「兄の事ですか?」
肯定されると思った問い。けれどアイザック様は首を振った。
繋いだままの手に、もう片方の手が添えられる。触れたのは、結び付けられていたもの。
「……コナーの事です」
それはアイザック様から贈られた誕生日プレゼント。
12本目の、山吹色のリボンだった。




