#01 その幼女は王都を駆ける。
「ふん♪ ふんふんふん♪」
鼻歌を歌いながら、リリル・プラネットは王都をスキップで駆けまわっていた。
――王都・シルティア。
地下に迷宮が広がるその都市には、他の場には存在しない〝冒険者〟という職業が存在する。
しかし、殆どが冒険者と名ばかりの無職。
迷宮で恐怖を覚えた人間は二度と迷宮には潜らないと心に誓う。
その中には、冒険者という立場を使って、女や子供を脅し、時には誘拐などをして金を奪うような荒くれ者も存在する。
とても治安がいいとは言えないそんな場所を、リリルは――歳にして十やそこらの幼い少女が、一人で駆けまわっていたのだ。
「……ここは右、かな? うーん……迷ったら突き進め! ふんふん♪」
手に持っている手書きの地図を眺めて、リリルは目的地へと向かう。
「あれれ? おかしいなぁ……こっちだと思ったんだけどなぁ……」
かれこれ一時間は道を迷っている。
少し足を止めると、今にも泣いてしまいそうに顔を歪める。
「……ダメ。ダメダメっ! リリルは偉い子だから泣かないって決めたの!」
リリルは小さなバッグの中からチョコレートを取り出して、パクっと口に入れた。
そして自らを鼓舞するように頭を振る。笑顔を作って、再度スキップで王都を駆けまわった。
◇
「銀貨三枚だ。これ以上は出せない」
王都の西端。暗く湿っぽい店の中で中年の男が銀貨を三枚取り出した。
男が買おうとしているのは、今朝作られたばかりの刃渡り三十センチ程のナイフ。
価格は銀貨五枚。武器にしては安すぎるほどだ。
ダンジョンの奥深くまで潜る冒険者は、もう殆どいない。
冒険者はできるだけ安く武器を買い、ダンジョンの低層で低級の魔物を倒して、その日の酒代を稼ぐのに必死なのだ。
その為、値引き交渉というのもよくある話だった。値引き前提に価格を高く設定している店もある。
「……ダメだ。これでも王都じゃ一番安いナイフだぜ? 原価だけでも銀貨四枚だ。利益はたったの銀貨一枚。……これ以上は赤字になっちまう」
店の主・ヴェイン・ガーディアンは頭を抱えた。
最近、冒険者の数が減少傾向にある。冒険者の数が減れば、必然的に武器が売れなくなる。それが原因で鍛冶師や武器屋は不調が続いているのだ。
「なあ。俺とお前の仲だろ? お得意様だろ?」
「俺は一度来た客の顔は忘れない。お前は今日が初めてのはずだ」
チッ、と舌打ちをして、男は銀貨五枚を投げつけ、ナイフを持って店を出ていった。
「やっぱ持ってんじゃねえか……」
投げられた銀貨を拾いながら、ヴェインは呟いた。
カチカチ、と古い時計の針だけが動いていく。客はやってきそうにない。
「…………………………客、来ないかな」
客じゃなくたっていい。話し相手になってくれるなら誰だっていい。
ヴェインは肘をついて、ただ時が過ぎるのを待っていた。
「はうっ! はうっ!」
子犬のような声が窓の外から聞こえてきた。ヴェインが窓の方を向くと、ピョンピョンとジャンプをして店内を覗く幼女の姿があった。
何か用があるのだろうか? 幼い少女が武器を買いに来たということもあるまい。
(客が来る気配もないし、暇を潰すか)
ヴェインはせっかく見つけた暇を潰してくれる相手を逃がすまいと、幼女が着地して飛躍する一瞬、店内の様子が見えなくなるその一瞬で、店の扉を開け、幼女に話しかける。
「うちの店に何か用か?」
「はわわわ……わっ!?」
ヴェインが訊くと、幼女は腰を抜かして驚いた。
それも仕方ない。ほんの一瞬だけ目を外した隙に自分の近くまで移動してきたのだ。
「あの…ええと……」
「とりあえず、店入るか?」
王都で、それも冒険者の象徴である武器屋の前で、見知らぬ幼女と話していたとなれば、誘拐を疑われるかもしれない。
武器屋も店という肩書きがある。店の中ならばもし見られていても客と言い張れば大丈夫、という結論に達したのだ。
ヴェインは店に住んでいるので家でもあるのだが。
「何か飲むか?」
ヴェインが訊くと、幼女は目をキラキラさせてコクリコクリと頷いた。
「……訊いといてあれなんだが、お前は人を疑うことを覚えた方がいいぞ? あっさりついてくるし、初対面の人間が出した飲み物なんて何が入ってるかわからないだろ? 薬とか入ってたらどうすんだよ」
「薬、入ってるの?」
「……入ってねえよ」
首を傾げる幼女にヴェインは頭を抱えて答えた。
(コイツ……危なすぎないか?)
むしろ、無事にここまで来れたのが奇跡なんじゃないかとヴェインは思った。
「で、どうして子供がこんな場所に?」
ヴェインが訊くと、幼女が初めて暗い表情をした。
そして、背中に担いだ小さなバッグの中からチョコレートを取り出す。パクっと口の中に放り込んで柔らかそうな頬っぺたをパチパチと叩いた。
(ただの迷子じゃないのか?)
真剣な表情をする幼女につられて、ヴェインも身構えた。
そして――
「――実は迷子なのですっ!! だからリリルと婚約してくださいっ!!!」
「ごめん、意味がわからない」
ヴェインはまたもや頭を抱えた。
(何なんだ? この幼女は……)
ただでさえ治安が悪いこの王都で、子供一人。
人を疑うことも知らず、初対面だというのに愛の告白をするなんて――。
「一世一代の愛の告白がぁ……!」
「どうして迷子と婚約が関係あるんだよっ!?」
「迷子で、目的地もわからなくって……帰り道すらわからなくって…………だから、お嫁さんになってこのまま暮らすのもいいなって♪」
「……あのなあ。愛の告白ってのは本当に好きな人にしか言わないんだ!」
「じゃあ好きです」
「じゃあ、ってなんだ! じゃあ、って!!」
「もう!! いいからリリルと婚約してっ!!!!」
幼女が立ち上がって大きな声を出した。
嘘とは思えない真剣な表情だった。手をぎゅっと握りしめ、目を閉じて必死に声を絞り出す。
今までの言葉が大人を揶揄う子供のものではなかったのだと、ヴェインは確信した。
「どうして――」
どうして俺なんか――そう、ヴェインが訊こうとした瞬間、店の扉が開く音がした。
客かと思ったが、そうではなかったらしい。
入ってきたのは一人の少女だった。
隣にある工房で武器を作る鍛冶師の少女。短く整った銀色の髪とルビーのように輝く瞳。
誰が見ても美少女と断定することだろう。
そんな銀髪の少女が、幼女の声を聞きつけてやってきたのだ。
「あのさ、ヴェイン。気のせいじゃなければ、女の子の声がしたんだ、けど……」
銀髪の少女が幼女に目を向け、硬直する。
「い、いや違う! 話を聞け!!」
「……誰が聞くかあああぁ!! この変態ロリコン野郎! どうしてどうしてどうして!! 私というものがありながらあああああああ!!!!」
銀髪の少女がヴェインの肩を掴んでぐわんぐわんと激しく揺らす。
そんな光景を幼女は不満そうに眺めていた。
幼女は二人の方へ歩いていき、銀髪の少女に見せつけるように――ヴェインは自分の物だと宣言するように、ヴェインの手を強く握った。
「……ヴェイン? これはどういうこと?」
「誤解だライム! 話せばわかる!!」
ヴェインの発した銀髪の少女の名前を聞いて、幼女はハッと顔を上げる。
幼女はその名前を知っていた。
「…………ライム・グレイアート」
ふと、幼女が呟いた。
ライムの――店に入ってきた銀髪の少女の名前。
「知り合いか?」
「いや、全く……」
ヴェインが訊き、ライムが返す。
幼女はあまりの出来事に強い運命を感じ、熱い視線をヴェインに向けていた。
一目惚れした相手が王都にきた目的の人物と繋がっていた。たったそれだけなのに――。
運命を感じて、鼓動の音が止まらなくなって、更に愛が増していく。
だから幼女は――目的を心に秘めることにした。
少しでも長くヴェインと一緒にいる為に。そしてあわよくばこのまま永遠に――。