ためしが橋
『ためしが橋』
大砂金鶫
ためしが橋という橋がある。
丁度、浅草から馬喰町あたり架かる橋で近くに有る浅草橋のような立派な石橋ではなく、大風が吹けば消し飛ぶような木造の太鼓橋である。実際、明暦の頃に流されたという記録がある。なぜ予が橋の話をしているかといえば、この橋で起こった陰惨たる事件の事実をあきらかにするためである。
予がこの事件の真実を知り得たのは、関係者の一人が残していた遺書を借覧する事を得たためである。とは言えこの遺書をそっくり其の儘で公とするのは悪かろう、となり予は僅かに改竄を施した。それは赤穂浪士の大石内蔵助が仮名手本忠臣蔵では大星由良助義金と呼ばれるくらいのものである。
故に文章は遺言を当代風に書き直したものと言って差支えない。
このような遺言を残すことを迷惑に思うだろうとは理解している。だが、最後にあたって予の弱さを告白することで、醜悪な心事の清算ができればと願ったためだ。このように書くだけで予は、自らの卑怯さや身勝手に嫌悪せざるを得ない。それはこれまで努めて良き夫を装ってきた予と余りにも違う姿であろう。
故にこれだけは信じて欲しい。予の精神は死にあたっても頑健で明瞭である。決して予は、妄執じみた空想から気狂いになった訳ではない。それだけは疑うこと勿れ。
始まりは四年前、予の兄である佐竹龍興が殺されたことであった。
神田川に架かるためしが橋で兄が絞殺されるのを予は見ていた。血を分けた兄が殺されているというのに予は息を押し殺して傍観したのだ。それだけでも勇気のない恥ずべき行いだったにも関わらず、さらに予は兄の仇さえも見逃した。それが誰であるかを知りながら目を閉ざしたのだ。これほどの不義理があるだろうか。
予にとって兄は必ずしも善き人ではなかった。父祖からの財を食いつぶし酒色を好む無頼である兄を予は侮蔑した。だが兄はその思いなど知らぬように予には親しく接した。人の二面性によって予は兄を憎み切ることも肉親の情を断つこともできなかった。
今思えば、このような半端があのとき脚や手を竦ませたに違いない。
事件の数ヶ月前、兄は多くの金を失った。理由は詳しくは知らぬが流行りの投機に失敗したか、美人局に引っかかったのだという。このとき家の金は殆ど兄に食いつぶされないも同然であった。そこで金を借りたのが、神田の大店である本居喜左衛門であった。また喜左衛門の娘である夕子は兄の許嫁でもある。
兄は喜左衛門に「漢の劉邦が無頼から正道に立ち返ったように、我もまた荒んだ生活を正したい。だが、悪友と縁を断つため金銭を与えていただきたい」と訴えた。いつまでも正業に就かず、婚礼の日取りも決まらないことに業を煮やしていた喜左衛門は兄の言葉を信じて二百円もの大金を与えた。
この金で急場をしのいだが、兄には夕子と結婚する気など微塵もなかった。それは兄には別に志波園子という愛人がいたからだ。彼女は上州の出でどうにも冷たい女である。愛想笑いもほとんどせぬし世辞も言わない。予からはどこが良いかわからぬ女である。しかし、兄はこの雪のような女を愛しているらしい。
だが、喜左衛門から大金を借りた兄には結婚を拒否することはできなかった。
毎日のように喜左衛門から婚礼の催促があり、予はその対応に忙殺された。しまいには嫁となる夕子までもが押し掛ける有様であった。夕子は勿体ない器量よしであり、兄がどのような理由で彼女を嫌うのか分からなかった。夜半になって戻ってきた兄に文句を述べると決まって「お前が夕子を娶らぬか。背格好は変わらぬし、お前のほうがよほど亭主というものに向いているだろう」と言うのだった。
兄には兄で自らが家庭人に不向きであるという確信があったのかもしれぬが、予にしても本居の家にしても約束は約束である。いくら姿が似ていようとも本人が嫌がるので代わりに、という話にはならない。そんな生活がひと月も続いたころだった。いつものように催促にやってきた夕子が言うのである。
「龍興様は他に良い人がいるのではございませぬか」
予はそれに上手く答えられずにいるとさらに言う。
「その方が別れぬと駄々(だだ)をこねておられるのなら我が家はあと百円お支払い致します。それで縁を切ってもらえるようお願いいただけないでしょうか」
このときの悔しげな夕子の姿を予はいまでも鮮やかに覚えている。自らが愛されてはおらぬと知りながら結婚せねばならぬ口惜しさに、金銭で気持ちさえも買い取ろうという賎しさが彼女には堪らなく腹立たしかったに違いない。
予はそれを慰めることもできなかった。
なぜかといえば予は知っていたからだ。園子は兄に拘ってはいない。むしろ兄が園子と別れることを嫌がっているのだ。彼女が夕子の事を知ればすぐさまにでも別れたに違いない。予がこのときに彼女に伝えておれば兄は死なずに住んだかも知れない。だが、予は言わずにいた。関わりたくない、と曖昧にして捨て置いたのだ。
そうしているうちに兄が家に戻らなくなった。
いつものように園子の家に入り浸っているのだと考えていると、浅草の会津屋という木賃宿から使いが来た。話を聞くと兄は本居の者に追い回され、家にも園子の元にも行けず浅草で身を潜めていたらしい。だが、手持ちがついに尽きたので予に金を届けて欲しい、というのが内容であった。
予は慌てて手持ちの金子を持って会津屋に向かうと、二階の一室で兄は呑気に足の爪を小刀で切っているところだった。予が金を投げると兄は「すまんな」と人好きする笑みを浮かべた。夕子の話をすると兄は目を爪に下ろしたまま黙り込んだ。予もまた声をかけずにいると兄が重い口を開いた。
「駄目なのだ。園子と離れることができない。あの月のような瞳が、あの雪のような白い肌が、凍てつくような声が忘れられぬ」
兄はそのまま日が中天を過ぎるまで予がいくら声をかけても話さなかった。
その夜、予は近くの店から簡単な食事を取り寄せた。兄は依然として暗い顔であったが料理には箸をつけた。予といえば本居に金を返す算段もつかぬのでなんとか兄には園子への未練を断ち切って欲しい、と願うばかりであった。
「そう言えば、ここから南にためしが橋と呼ばれる橋があるのを知っているか」
急に兄が口を開いたので予は驚いた。それから、しばらく考えてここへ来るまでに渡った太鼓橋のことかと思い当たった。随分と古い橋で大八車が通ると大きく揺れた。
あの橋がどうした、と訊ねると兄は、あの橋の本当の名前は瀬々橋なのだと呟くと昔話を始めた。
江戸の頃である。吉原の花魁が客の一人に言った。年明けには年季があける。だが、ここを出ても帰るような故郷はない。どうか家に置いてくれないか。困ったのは客だった。彼は問屋の若様で家には両親も居れば、若い新妻もいた。そこへ花魁をあげると言うのは余りに無理があった。だが、若様は若様で花魁のことを愛していた。そこで若様は年季があけたら瀬々橋まで来て欲しい、と言った。
花魁はその言葉を信じて年季があけるとすぐに瀬々橋に向かったがそこに若様の姿はない。もう少し待てばきてくれるだろう、と女は寒空のした待った。雪が降り出しても待った。しかし、若様は来ない。それもその筈で若様は花魁を迎えるために茅場に家を用意しようとした。だが、それがばれた。若様は家から出られぬように番頭や若衆に囲まれてどこにも行けなかったのだ。
橋では女が自分の愛をためそうと若様が出てこないのではないか、とじっと橋のうえで待っていた。だが、一日が過ぎても二日が過ぎても若様は現れず。三日目、女は橋から神田川に身を投げた。真冬の凍てつく川のこと女はすぐに動かなくなった。
四日目になって若様は若衆の一人に金を掴ませて屋敷を抜け出したが、橋にたどり着いてすぐに女が自殺したことを知った。男はどうしてあと一日待ってくれなかったのかと嘆き悲しんだ。それからだった瀬々橋はためしが橋と呼ばれるようになったのは。
兄は話し終えると頭を畳に擦りつけた。
どうか頼む。園子を今夜、ためしが橋に呼んでくれ。もしあの女が来てくれれば俺はそのまま東京から去る。だが来なければきっぱり園子のことは忘れて夕子と添遂げる。酒も女もやめる。予は半ば呆れたが、畳に額をつけたまま動かぬ兄に根負けした。
予は兄の服を借りて会津屋を出た。おそらくの宿の周りには本居の人間が見張っているだろうから予が兄を装って惹きつける必要があったのだ。それから兄のように両国を冷やかして深川にある園子の家に入った。予が入ると園子はなんのようだい、といつもの冷たい調子で訊ねた。その声に不快を感じながら予は兄の言葉を伝えたが、園子は鼻で笑ったのだ。
それから逡巡することなく、あたしは行かないよ、と言い切った。
なぜ行かぬのか。予が低い声で問うと彼女は、あの盆暗には呆れ果てたのさ。本居のお嬢さんがそれを貰ってくれると言うなら熨斗でもつけてやりたいくらいさ、と息巻いた。ならばと予は席を立って園子の元を去った。
このとき予は腹を立てていた。それは兄の愛が邪険されたからかもしれぬ。だが、同時に安堵もした。これで兄は本居の娘を貰って落ち着いてくれるのだ。穏やかでなかった我が家も落ち着くのかと思えばこれほど喜ばしいこともなかった。
家に戻り靴の紐を解いていると女が慌てた様子で入ってきた。
「龍興様。お戻りになったのですね」
それは夕子であった。このときの予の姿は兄に似せていたが彼女にはすぐに予だと分かったらしくすぐにがっかりした表情となった。つつけば泣き出しそうな彼女に予は言った。
もう心配することはありません。兄はすぐに夕子さんのもとの帰ってきます。明日の朝になれば憑き物がとれたように兄は変わります。彼女はそれをすぐには納得しなかったが、予が繰り返し言い含めると、分かりました、と頷いた。
予は彼女を連れて本居の屋敷まで見送ると兄の様子を見るためにためしが橋に足を向けた。橋のたもとには扇稲荷と呼ばれる小さな社があり、予はそこに身を潜めた。しばらくすると予の服を身につけた兄が橋の真ん中に立った。園子は来ない、と教えるべきかと考えたがいったところで兄は信じまい。ならば気が済むまで試すのが良いと待つこととした。
こない待ち人を待つことほど暇なことはない。
予は社の木に背をあずけて眠気に耐えていると南から女の陰がたった。それが誰の者か予にはすぐ分かった。だが、どうして彼女がという思いが脚を止めた。女が何かを言うと兄は黙って背を向けた。さらに女が何かを叫んだ。そして懐から帯のようなものを取り出すと兄の首に巻きつけるとそのまま締めた。
兄は抵抗しなかった。いや、予にはそう見えただけかもしれぬ。
女は動かなくなった兄をしばらく眺めたあと来た道を戻っていった。そこでようやく予は兄のもとに駆け寄った。そこには予の姿をした兄が倒れていた。目には生気がなく半ば開いた口は魂が抜け出たあとのようだった。
このとき、予のある誘惑を感じていた。
考えてみれば予はこのときに魅入られていたのかもしれない。兄の死体を一瞥して家へと戻った。翌朝、官憲が予の家を訪ねてきた。佐竹龍二が死んだというのである。予は予の死を悼み悲しんだ。このときから予は龍二から龍興になった。
夕子は何も言わなかった。
兄に成り代わった予を本当に兄だと思ったのか。あるいは別の事を思っているのか。それは最後までわからなかった。予と夕子の祝言は翌年に盛大に執り行わられた。周囲の者は弟が死んだことが堪えたのだろうと、予が一変したことを噂したがそうではない。
それからの三年は平穏であった。だが、予は次第に怖くなった。それは兄と入れ替わったことではない。夕子である。あれは知っているのではないか。予が兄ではないと理解しているのではないか。その思いが消えぬのである。それが恐ろしい。
いずれ気が狂うかも知れぬ。だから予は自ら命を絶つのである。いまだ精神が頑強であるこのときに終わらせるのだ。そうせねば予はためさずにおられなくなる。兄のように。
遺書はここで終わっている。
佐竹龍興が死んだあと見つかったこの遺書は奥方であった夕子氏が所持されていたが、彼女はこの内容の真偽を口にはしなかった。予はこの事件の真相を知り恐ろしくも悲しくもあった。故にここに事実を記した。これを読むことで亡き氏の妄念が晴れると願うものである。