悪食令嬢と消えた灰かぶり姫(上)
文明開化から西洋にかぶれて無粋な名前を付けるものが多い、という人がいる。
なるほど、一見して読めぬような名前の者がいるのは確かなことである。
七分と書いてすちぶん。眞柄でまがれっとなどというのは確かに正しい読みではないし、分かりにくいものである。そういう意味では苦言を呈する人の言うことも分からぬことはない。
だが、読めない、という一面をだけを切り取って「西洋被れ」であるとか「無粋」とするのは何かを見落としてしまうのではないか、と私――高屋房は思う。
私の知人に瑠以是という女性がいる。
彼女の父親は若い頃に欧米に留学する機会を得た。欧米で女性が男性の後ろに下がって唯々諾々(いいだくだく)と従うのではなく、自ら物事を取り決め進めていく姿を見て彼は大いに驚いたという。それは帰国しても変わらなかったらしく、自らの娘にもそうあって欲しいと、欧米で出会った女性と同じ名前をつけたのだった。
このような理由を知っていれば瑠以是という名前もそうおかしくは感じない。むしろ、開いた名前だと言える。反対に古色蒼然とした紋付羽織にシャッポをいただいてしたり顔をしているものの方がよほど開けぬ奴であろう。
しかし、私は開けている人間なのか、と問うとはなはだ自信がない。同じ明治生まれであっても食べ物一つ話が噛み合わずに自分が古い人間だと思い知らされることがあるくらいなのだ。それは私の学友である大上雪子が「ねぎまが食べたいですね」と呟いたことから始まる。
彼女は指先を擦り合わせていた。早々にやってきた冬将軍は厳しく吐きだした息が白く霞む。その白よりも大上の指は白くなめらかに見えた。
「ねぎまとは随分と普通なことを言うのね」
私は彼女もたまには庶民的なものを好むこともあるのだと安堵した。大上は普段から「牛鍋が食べたい」だの「ポークカツレツもいいですね」という具合に西洋人かと思うほどの肉食好みなのである。本人によれば異文化を理解するというにはまずは食文化を理解することが一番だ、と言う事になるのだが私にはただの方便にしか聞こえない。
彼女と親しい私でさえそう思うのであるのだから、大上をよく思わない者などはさらに辛辣になる。その最たる例が「悪食令嬢」である。このありがたくない二つ名を大上は、怒るどころか上手く言うものです、と関心して笑っているが私としては笑ってばかりもいられない。
だから、彼女がねぎまのようによく食卓にのぼるような料理を口にしたことで安心したのである。
ねぎまは、葱と鮪鍋の略称である。
葱は大人の親指ほどある太いものをどんどんと一口大に切って香り出しにさっと炙る。マグロは油のりが良く、醤油漬けにしても日持ちしない部分を選んで角切りにする。あとは鰹出汁に醤油、酒、味醂をいれた鍋で葱と鮪をぐつぐつと煮込んでしまうだけだ。
ふうふうと言いながら湯気が立つところ食べるのがいかにも美味しい。
「やはり、このように寒いと熱いものが恋しくなるのです。あつあつのねぎまにかぶりつく。この誘惑はなかなかのもです」
大上がいかにも熱いものを口に含んでいます、というように頬をほうほう、と膨らませてみせた。その姿を見ていると私もねぎまが食べたくなってきた。
「そうね。いささか行儀は悪いけど、味のしみた身をご飯と一緒に頬張るのも良いわね」
「いいですね。あの甘辛いタレと白いご飯はよく合いますから」
タレ、と言われて私は目を白黒させた。そこはタレではなく汁なのではないか、と思ったからだ。私の微妙な反応は大上にとっても意外であったらしく、彼女も小首をかしげた。
「私たちねぎまの話をしているわよね?」
「はい、ねぎまのお話をしていました」
「ねぎまは鍋よ」
「ねぎまは串焼きです」
どうやら大上の言う葱まは私の知らないねぎまらしい。しかし、大上の方は合点が行ったようで、なるほど、と手を打った。
「級長のねぎまは葱鮪鍋。私のは葱間ですね。鶏肉、葱、鶏肉、葱と交互に串に刺して砂糖や醤油、味醂で味付けをしたタレに漬けて炭火でじっくりと焼いた料理です。元々は屋台料理で雑司ヶ谷の鬼子母神の参道で葱鮪鍋のように鶏肉と葱を煮た料理だったのですが、汁物は歩きながら喰えぬということで串に刺して焼くことにしたそうです。そうすると鶏肉の間に葱がある、として葱間という名前になったそうです」
鬼子母神と言えば、安産や子育の神様として有名である。境内では産後の滋養に良いとされる雀焼が売られ、多くの屋台が並んでいる。その中なら鶏肉の串焼きというのもよく売れるのだろう。
「ややこしいこと」
「食べたことがないのでしたら案内いたしましょうか?」
大上のやや吊り目がちな瞳がこちらを見つめる。色白の肌と真っ黒な髪がいかにも良家の子女を思わせる彼女の容姿の中で瞳だけが異質な明るさを持っている。私はその彼女の瞳に弱い。どうにもこの目に見つめられると拒絶しづらい。
「あなたが食べたいだけでしょう?」
「そうです。でも私が食べたいということは、級長も食べたいのでしょう?」
確かにここまで話を聞いてしまえば、葱間がいかなる食べ物か興味はある。しかし、このところ。正確には大上と出会ってから下校中の寄り道が明らかに増えている。私が葛藤していると大上は私の耳に小さくささやいた。
「そういえば、鬼子母神はおせんだんごも有名です。醤油で味付けをした柔らかい餅と餡をまぶした甘い餅をそれぞれ小粒に丸めて串に刺したこれもさぞ美味しいでしょうね」
人を惑わす悪魔がいるとすればそれは彼女のような姿をしているのかもしれない。
「……たまには鬼子母神に詣でるのもいいかもしれませんね。別に私は葱間とお団子を食べに行くわけじゃありません。お詣りに行くだけです。いいですね」
私が言うと大上は「そうです。お詣りに行きましょう」と愉快そうに微笑んだ。
その笑顔に私は苦笑いで答えたが、口元は少し緩んでいたかもしれない。
記念新作外伝短編をという感想がありましたので一話書きました。




