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悪食令嬢の貪欲で優雅な日常  作者: コーチャー
悪食令嬢と赤い粥
15/20

悪食令嬢と赤い粥(下)

 その日、大上の屋敷を去ろうとする私――高屋房たかや・ふさ大上実次おおかみ・さねつぐから呼び止められた。彼は近くに大上雪子おおかみ・ゆきこがいないことを確認すると、いつもの悪い目つきのまま言った。


「君にはいろいろと迷惑をかけた。そして、あのときの発言を謝っておこう。本当に済まない」


 彼が言っているのは、かつて私に言った。


『もう妹に関わらぬようにしてくれ。あれと親しくして良いことなど一つもない』というものだろう。


「いえ、私も他所様よそさま事情じじょうに口を挟みすぎました」

「おかげで助かった。僕はね……」


 実次は言葉を選ぶように考え込んでから続けた。


「九木から雪子が女学校で『悪食令嬢』と呼ばれていると報告を受けたとき僕は二つのことにおびえた。一つは雪子が悪名を否定することも怒ることもなく受け入れたこと。そして、それは雪子が母の血をすすって生き延びたということを肯定するために、牛や豚、かえるまで食べているのではないかということだ。

 人は生きるために他の動物をらう。ならば人さえも生きるためなら糧とする。そういう考えで雪子が肉を好み、悪食令嬢という通称つうしょうを受け入れているのだとすれば、雪子はいずれ人を食べるのではないか。そして、それは間違いなく……」


 確かに大上は『悪食令嬢』と呼ばれていることについて怒りを示したことはない。怒ったのは木部の相手のことを考えぬ忠誠心ちゅうせいしんに対してだけだ。母親の血を混ぜたかゆで生き延びた。それを彼女自身が悪食だと思って否定しなかったのならそれはまだいい。だが、実次の言うように人を食べることさえ肯定するために受け入れているのだとすれば、彼女はいずれ人を食べたいと願うに違いない。


「……まさか、そんな。ですが、大上はそんなことしません。なにより彼女は知ったのです。あなたが彼女たちを救ったのだと」

「だが、君が言わなければ僕は黙っていた。あくまで雪子を助けたのは父だとしてね」

「どうして、そこまで?」

「雪子は覚えてないが、天窓から侵入した僕はぐったりと倒れている彼女を抱き起こした。そのとき雪子は明らかに敵意を持って僕の首筋に噛み付いた。五歳にも満たず、目もろくに見えず、耳もほぼ聞こえていないにも関わらずね」


 実次は表情を変えなかった。


「誰が敵か、わからなかったからではないですか」

「そうかもしれない。だけど、僕は思ったんだ。雪子は大上や古守こもりの家を恨んでいるかもしれない。直接的に手を下したのは古守だが、大上だって二人を探す努力をおこたっていた。だとすれば、雪子はその復讐をするかもしれない。だから、父が雪子を救ったことにした。恨む相手に助けられたことにすれば下手は打てまい」


 確かに私でも恨むかも知れない。


 自分と母親にひどい仕打ちをする古守の家。自分と母親を放置して探す努力をしなかった大上の家。どちらも同罪だと考えないとは言えなくない。


「でも、それは思い込みです」

「そうらしい。すべては僕の被害妄想ひがいもうそうだ」

「だからと言っても、大上を嫁がそうと言うのは強引でした」


 つまり、彼は大上が怖かったのだ。大上を救ったのを父親だとしたために兄である彼に彼女がどういう感情を持っているかわからない。それを恐れるあまり彼は大上を他家に嫁がせようとしたのだ。


「どうにもね。出会いが悪かったせいで僕は雪子が苦手なのだ。それは()()()()()()だろうが。だが、心配事はなくなった。ありがとう」


 そういうと彼は手を振った。


 私は迎えの人力車に乗り込むと実次に頭を下げた。ふと視線を感じて上を見上げると大上が屋敷の二階から手を振っていた。その顔には柔らかな微笑が輝いていて私は心底から安堵あんどした。考えてみれば、私がなにかの真実を言い当てるというのは初めてのことである。


 いつも何かことがあれば、大上が解決するというのが定番であった。


 だが、今回は天の配置か私が謎を解くことができた。なんとなく大上に勝てたことが嬉しくて私は口元がゆるむのが分かった。友達というからにはやはり同等でなくてはならない。だが、謎解きという点で私は彼女から数歩負けていた。だからこそ今日の金星きんぼしは大きい。


 また、明日からはいつもの大上が帰ってくる。





 翌日、女学校に大上は現れなかった。


 私は放課後になると慌てて彼女の屋敷へと向かった。昨日の今日である。私が去ったあと何かがあったのだとすれば、原因の一つは私にある。なによりも実次は大上を恐れていた。もし、彼が言うとおりであったなら彼女は、ずっと大上の家を恨みに思っていたのだ。そして、彼女は人を食べてしまいたいと願っているかもしれない。


 だとすれば、大上が狙うのは警戒心が薄れている彼女の兄だ。


 長い黒髪を血に汚し、白い歯を兄の首筋に突き立てる大上の姿を思い描いて私は、頭を振った。だが、一度、脳裏に浮かんだ姿は消えはしない。人力車が屋敷の前に止まると私は地面を蹴った。玄関をくぐり、広間に入ると暖炉の上に置かれていた写真立ては消えており、かわりに絵皿が置かれていた。


 それはこの屋敷を初めて訪れたときにも飾られていたものだった。

 私は大上の名を大きな声で呼んだ。

 屋敷の中は誰もいないのかしんと静まり返っている。まるで生きている者は私一人なのではないか思えるほどの静寂せいじゃくのあと屋敷の奥の方から何かを叩きつけるような音がした。私は息を飲み込んで音の方へと向かった。


 音は食堂の隣にある厨房ちゅうぼうからだった。


 ぐちゃぐちゃと柔らかいものに硬いものをぶつけるような音が連続する。私は扉を破るような勢いで部屋に入った。厨房では大上がなたのような大きな包丁を赤黒い肉のかたまりに叩きつけていた。彼女の服の裾は肉片がこびりつき、彼女の真っ白な頬は紅をさしたように赤かった。


「あら、級長。そんなに慌てて、どうなされたのですか?」

「大上さん、この肉は一体?」


 心臓が破裂するのではないか、と思える程に胸が痛い。


「なんでしょうね。食べてみればわかるかもしれません」


 いつもと変わらない笑顔を見せる彼女なのに私はなぜか後退あとずさりした。


「これを食べるの?」

「食べますよ。だって私は悪食令嬢なのですから」


 足が震える。嘘だと言って欲しかった。どうして笑顔でそんなこと言うのか。私は怒っていた。


「あなたはちょっと人より食いしん坊で、人が死ぬ小説が好きな私の御友達です。だから、自分で悪食なんて言わないで」

「級長。私は貪欲どんよくで欲しいものはすべて欲しいし、食べたいものは食べたいのです。だから人様から大噛おおがみの禽獣きんじゅう。悪食と言われても気にしません。どうして、級長がそのことを怒るのですか?」


 心底理解できない、という様子で首をかしげる大上に私は言った。


「そう。私は怒っているわ。一つはあなたがあっさりと悪名を受け入れることです。もう一つは……」


 きっとこのもう一つを言えばもとの関係に戻れない。それが分かっても私は言わずにはいられなかった。


「あなたは昨日、私を誘導ゆうどうして過去の謎を解かせましたね?」


 大上は私の言葉を聞くと「どうして、その答えにたどり着かれたのですか?」と訊ねた。


「昨日、私があなたと母親を助けたのが父親ではなく実次さんだと分かったのは、あなたが話の中で蔵の天窓を何度も小さい、と言ったこと。そして、あの暖炉の上にあった写真だった。あなたと父親が映った写真を見ればあなたの父親が大柄でとても天窓から入れない、と分かります。なら、誰が入れたのか、と考えれば当時十二歳だった実次さんだと推察すいさつできました。

 でも、おかしいのよ。私は何度もこの屋敷に来ているのに暖炉の上に写真があったのは昨日だけ。ほかの日は絵皿が並べてありました。なら、そこになにか意図があると思うのが普通でしょう」


「写真はお義兄様が戻られたので置いていただけです」

「なら、どうして今日は絵皿に戻っているの? 見せる必要が無くなったからではないの」

「お父様を思い出すのが辛かったから仕舞ったのです」


 大上は平然とした顔で答えた。そこには故人をいたむ様子はなかった。


「他にもあります。あなたはあの悲惨ひさんな出来事を()()()()()()()()()()と言ったのです。普通ならあなたを助けた父親のことも入れて()()()()()()とか()()()()()()というべきです。でもあなたは父親を入れなかった。それは父親は助けてくれなかった、と知っていたからではないの?」

「なるほど、確かにそうかもしれません。ですが、私がわざと級長に謎を解かせたのだとして一体どういう意味があったのかしら。お義兄様に私は知ってるんですよ。あのとき助けてくれたのはお父様ではなくお義兄様だったのでしょう、と言えばすむ話ではないですか」


 もし、彼女が言えばどうなっていただろう。彼女のことを恐れていた実次はもっと大上のことを疑っただろう。なぜ今まで知っていながら言わなかったのか。なぜ騙されたふりを続けていたのか。そう思って彼女を警戒したに違いない。


 あれは私が解いたからこそ意味があったのだ。大上が初めて真相を知ったのだと思わせるために。


「いいえ、駄目だめなのよ。あなたが言えば絶対に実次さんは用心を止めない」

「それだと私はお義兄様になにか危害きがいを加えたいと思っているようではないですか?」

「ええ、そうよ。実際、あなたは実次さんを殺して肉の塊にしているじゃない」


 私が調理台の上にある巨大な肉塊を指差すと大上は狂ったように笑った。

 その姿は何かに喜んでいるようにも悲しんでいるようでもあって私は身動きもせずに彼女を眺めていた。ひとしきり笑うと大上は目元をぬぐって私を視界に捉えると、先程まで使っていた包丁をぎゅっと掴み直した。


「まさか級長に見透かされるとは思いませんでした。こうなった以上はシチゥ作りを手伝ってもらいましょう」


 身構えていた私は大上が何を言っているか分からず目を白黒させた。


「だから、シチゥですよ。西洋の肉煮込み。級長のおかげでお義兄様と仲直り出来ましたし、夕食は私が作ろうと肉屋にたっぷりと牛肉を用意してください、とお願いしたらこれです。朝から切り分けていたのですけどこの有様ありさまで困っていたのです」

「ではこれは?」

「たくさんの牛肉です」


 言われてみれば牛肉に見えないこともない。だが、相手は大上である油断はできない。


「では、あなたは牛肉が思わずたくさん届いたので私との約束を破って料理をしていたと?」

「はい、もう七日も休みましたので八日になっても五十歩百歩です。私が休んだら級長が心配して来てくれると思っていました。ただ、私がお義兄様を殺しているという風に心配されるとは思いませんでした」


 そう言って彼女は肉に包丁を入れる。ところどころ筋があるらしく時折ときおり、包丁の動きが止まる。


「でも、あなたは実次さんのことを嫌っていたでしょう」

「私は怒っていたのです。木部さんのときと同じです。自己満足の優しさで当人の知らぬところで片付けられるのが不満で不満で。ちゃんと言えばいいのに、とずっと思っていたのです」


 大上は包丁を振り上げると力ませに筋を断った。


「それはさっきも言ったけどあなたから言えばよかったじゃない」

「お父様もお義兄様も()()()()と思って隠しているのです。私から知ってる、とはなかなか言えません。それでもお父様が亡くなったときにお義兄様が告白されるかと期待していたのですが、あのとおり四年近く貝のようにだんまりです。私は腹にすえかねてずっと反抗してきたのです」


 頬を膨らますと大上は口を尖らせる。つまり、彼女はずっと「どうして教えてくれないの」と我侭わがままに怒っていたことになる。私はいままで何を心配して何に怒っていたのかを考えて頭が痛くなった。


「いろいろ馬鹿らしくなってきました。では、大上さんは実次さんのことは?」

「好きですよ。私を助けてくれた家族ですから」


 あっけらかんと大上が言う。


「もう、知りません!」


 私は大上に背を向けるとそのまま屋敷を出た。玄関で帰宅した実次とすれ違ったが、私は何やら声をかけてきた彼を無視した。まったく馬鹿な兄妹喧嘩きょうだいげんかに巻き込まれたものだ。私は怒りながらも笑っていた。

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